第34話ブイヤベース
ふたりは運ばれたブイヤベースを見つめる。熱々のスープがボコボコとうなっていた。赤く美しいエビ、綺麗に口を開いた貝、茶色いスープのアクセントとして白くきれいなイカが、スープという名の海を泳いでいた。
パセリが細かく刻まれて、さらにスープを彩っている。
「うちのは完全に漁師風だからね! マナーなんて考えずにかじりついちゃってね。たぶん、下にタラが寝てるからそいつも食べるんだよ。あいつは、スープがしみ込んでうまいからね」
そう言って、台所の方に戻っていく。
「楽しみ。私、今まではシーセイルに来ても、ブイヤベースは食べられなかったのよね。だからずっと食べてみたかったの」
「たしかに、元々は漁師たちの賄ですからね。見た目が悪かったり、食べにくい魚を塩だけで大鍋で煮るのがスタートらしいですし」
「そうらしいわね。だから、王侯クラスをもてなす食事会では提供されなかったのよ。護衛の兵士さんたちには、外でも食べやすくて体も温まるからと食べさせてもらっていたのに……兵士さんたちは、あれが美味しかったといつも言っていたからずっと食べてみたかったのよね」
マリアは、少しだけ苦笑いしながらスープを羨ましそうに見つめる。
「それは、それは……」
王侯貴族は、格を大事にする。やはり、それがなければ威厳のようなものはなくなってしまうし、貴族の見栄のようなものもある。さらに、マリアは公爵家の女性で王太子の婚約者だった。彼女が食べたがっても、周囲の者が必死に止めるだろう。
実際、先代の国王がふぐを食べたいと言ったことがあるらしいが、側近たちが涙を流しながら止めたという逸話がある。
ブイヤベースも元々は漁師料理ということで、格式を重視する貴族たちには振る舞われなかったんだろう。この地域で一番おいしい料理を格式を理由に食べられないのもかわいそうだなとラファエルも苦笑いする。
ふたりはさっそくスープをいただいた。
「美味しい。トマトや塩が味付けの中心なのに、とても深い味になっている」
「東の国では、出汁という考えがあるそうですよ」
「出汁?」
「ええ、本で読んだことがあるくらいなんですけどね。キノコや貝、魚は煮込むと、旨味が水に染み出るらしいんですよ。その旨味が詰まったスープに塩を加えるだけで最高の味になるそうです」
「なら、このブイヤベースもその考えに従っているのね」
「ええ、そういう考えはなくても、感覚的に美味しくなるのを知っているんですよ。庶民の凄さです」
ふたりは美味しくスープを食べ続ける。
※
ふたりは、スープをどんどん飲んでいく。
「あら、ずいぶんと美味しそうに食べてくれてるねぇ。美味しいかい?」
おばさんは、厨房からこちらに顔を出して満足そうに笑う。
「ええ」
「はい、とても!」
ふたりは、店主に笑顔を返した。
「それは嬉しいね。今焼きあがったんだ。こっちも食べて頂戴」
ふたりの脇にある小皿に焼きたてのバゲットが盛り付けられた。
どうやら厨房でこちらを焼いていたようだ。
「いいんですか?」
マリアはちょっと恐縮しながら聞いた。
「ああ、いいよ、いいよ。これは店からのサービスってやつだ。焼き立てだからフワフワだよ!」
「ありがとうございます!」
ふたりは店主にお礼を言う。
「こいつを細かくちぎって、スープにドボンさせてみな。よくスープを吸ってくれてもっと美味しくなるよ!」
そう言って、店主は厨房に帰っていく。
「お嬢様?」
マリアの体にしみこんだ貴族のテーブルマナーを気にして声をかける。案の定、彼女はちょっとだけ躊躇している。基本的に、貴族階級はテーブルマナーにうるさい。それが貴族の威厳を作るものだから。ただし、テーブルマナーというものは、歴史がはじまって最初にあったものではない。誰かが勝手に言って、優雅に過ごすためにみんなに認められたものだ。
だからこそ、そこまで気にしなくてもいいのにラファエルは思ってしまう。
まあ、これは幼少期は平民として自由に育ったからだとはわかっている。逆に、マリアはテーブルマナーを物心がつく前から叩きこまれていたはず。
だからこそ、その教えを破るには覚悟が必要だ。それに今回のハードルは低いはずだ。すでに、屋台で同じようなことをしているのだから。あの時は屋台で、自分たち以外いなかったからよかったのかもしれない。今回はレストランでやるからハードルが高いのだろう。
「では、お先に……」
そう言って、ラファエルはパンをスープにひたす。こういう場合は、誰かが先にやっていた方が心理的なハードルは低くなる。ラファエルは基本的には優等生だ。だが、真面目過ぎるタイプでもなかった。自分には厳しいが、他人には結構甘いというべきか。
合理主義者なこともあって、貴族ほどはマナーを重視しない。
「美味しいですね。海鮮の旨味がバゲットに完全に乗り移っている。柔らかくなるまでひたすと最高ですよ」
ラファエルが美味しそうに食べると、彼女も決心を固めてパンをちぎりスープにダイブさせる。
すぐに、バゲットはスープの色に変わる。
彼女は、スプーンでそれをすくい一気にほおばった。
「これ、すごくおいしい。パンに熱々のスープがしみ込んで……野菜とシーフードがパンと一緒に踊ってる」
ふたりは、最高のスープを堪能した。
※
「いいね~あんなにイチャイチャして。私にも昔はあんな時があったわ」
店主は二人を厨房から見て笑った。




