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第30話冷静になって

 マリアが眠ると、ラファエルは寝室を出た。

 彼女の使った食器を片付けながら、ずいぶんと大それたことをしてしまったと反省する。


 さすがに、身分差もある。そもそも、主人に対して出過ぎたことをしてしまった。彼女は時間をかけながら、自分の用意した食事をほとんど食べてしまった。その事実に救われた気分になる自分がいることにも驚く。


「気持ちを封印しなければいけないのに、どうしてこんなに抑えがきかないんだ?」

 ラファエルは、自制心には自信があった。

 少なくともそれがなければ、何もない立場からここまではい上がることなんてできるわけがない。


 だが、彼女の姿を見ていると、どうしても抑えることができない気持ちがあふれそうになる。


 ラファエルは王宮時代からよく女性にモテた。優しい性格と、その経歴や将来性を考えれば当たり前だが……


 だが、彼はそこまで女性にのめり込んだことはない。見ている世界が違っていたこともある。求道者のようなストイックな性格も影響しているのかもしれない。


 だからこそ、ここまでひとりの女性に熱中していることに自分すらも驚いていた。自分の今まで築いてきたキャリアを投げうってでも守りたい、一緒に過ごしたいと思った時点で自分の負けということに気づいていなかったのかもしれない。


 そう考えれば、元・王太子の懐刀は、愚かなのかもしれない。

 あの時点で、自分の本当の気持ちに気づかなかった。そして、このようなタイミングではっきりと気持ちを自覚するのだから……


 自分の身などどうなっても構わないから、彼女を守る。この旅を始めてから、ラファエルの行動原理は常にそれに縛られていた。それも、無自覚で……


「無自覚で自分の身を投げうってしまおうなど、よほど入れ込んでいるとしか言いようがないな」

 自嘲しながら、窓から見える月を見た。海に反射するその美しさに目を奪われながら、ひとりで夜を過ごす。


 故郷を出てから、ずっとひとりだった。だから、同じ月をずっと見ていたはずだ。

 にもかかわらず、こんなに風景に感動したことはなかった。


「本当の意味で、自分は生まれ変わったのかもしれない」

 彼女と出会ったから……その一番大切な言葉はまだ、自分の中で隠しておく。


「ワインはふたりで飲むものだから……」

 彼は港でこっそり買っておいたウィスキーを取り出す。ひとりで飲むならこれしかない。


 グラスにストレートでウィスキーを注ぐ。


 それを一口含んだ。甘さとビターさが強いウィスキーを飲みながら、ラファエルは月を見続けていた。


 ※


 目が覚めた時、さっきまで横にいてくれたはずのラファエルはいなかった。

 彼女の頭はまだよく働かなかった。


 寝る寸前まで彼が自分のことを世話してくれていたことは覚えている。

 その前に体調が悪くなって、彼に抱きかかえられてここまできたことも……


 頭には冷たいタオルが置かれている。これも寝ている間に彼が用意してくれたものだろう。


 少し寝たことで、体調は良くなっている。ゆっくり寝たことで、頭はよく働くようになっている。


 窓の外を見た。海が朝焼けで綺麗な色になっていた。


 そう考えると、かなり長い時間眠っていたようだ。タオルはさっき交換したばかり。彼が寝ずに看病してくれている証だった。


「ずっと、見ていてくれたんだ」


 ひとりでつぶやくと胸が温かくなる。こんなに無償の愛を注いでもらったことはしばらくなかった。両親が死んでしまった後は、ずっと冷たい貴族社会で一人ぼっちの戦いを続けてきた彼女にとって、それはもう何にも代えがたい大切な経験だ。


 そして、彼女は思い出す。

 自分のワガママを聞いてくれた彼の顔。体調不良で弱っている自分のために、食べやすい料理を作ってくれた。あの優しい味は、王都のどんな料理よりも美味しかった。


 彼の優しさが嬉しかった。


「ありがとう、ラファエル様……」

 体調不良から来たものではない熱さを感じる。

 もうどうしようもないくらい自分の気持ちを彼女は理解しなくてはいけなかった。


「私はどうしようもないくらい彼が好きなんだ……」

 言葉にしてしまうと、心が甘くとろけてしまいそうになる。

 どうしようもないくらいの幸福感と一緒に……


 そして、そこまで考えてから冷静になった。

 

 さきほどまで、体調不良で頭が働かなった。いつもの言動とはまるで逆のことを口走った記憶がある。


 たしか、抱きかかえられた時は……


 ※


「待って。恥ずかしすぎる」


「大丈夫ですよ。そう言って震えているあなたは、とても可愛らしいです」


「こんな時にあまりからかわないで」


「本心ですから、ご心配なく」


 ※


「ああっ」

 記憶を思い出しただけで顔が熱くなる。

 

「たしか、食事を持ってきてくれた時は……」


 ※


「待って! ごめんなさい。少しだけ一緒にいて。心細いの……」


 ※


「いやああぁぁっぁあああ」

 彼女は思い返しただけ恥ずかしくなり、毛布を頭にかぶって悶絶する。


「恥ずかしすぎる。なんてことを言ってしまったの、私……」

 だが、記憶には続きがあった。リンゴを食べている時にスプーンを落としてしまった私に……


 ※


「お嬢様、無理はなさらないでください。もし、よろしければ、私が召し上がらさせていただきます」


 ※


 同意した私に、彼は……


「いやああぁぁっぁあああ!! あーんって、あーんって……」

 毛布の中で彼女は暴れる。あまりの恥ずかしさに死んでしまいそうになる。


 ベッドの中でごろごろ転がる。だが、彼女はひとつのことに気づいていた。


 恥ずかしさの中に、幸福感があることに。


「ラファエル様、かっこよかったな……」

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