第16話勝利
「悪事? いったい何を!?」
しらを切ろうとする男爵は、強気にこちらをにらみつけてくる。その表情には怒気が多分に含まれている。
「あなたはこの偽の許可証を手に入れるために、多額の裏金を王太子一派に寄付したのですね。もちろん、王太子本人には振り込まずに、彼女の元に振り込んだのでしょう。ミーサ子爵令嬢に?」
マリアは、ゆっくりと研ぎ澄まされた言葉の刃を突きつける。
「なぜそれを!!」
「ここ数日、あなたの資金の流れを確認させてもらいました。おかしいとは、思っていたのですよね。あなたの家や領土にはこれといって特産がない。にもかかわらず、ディヴィジョンの地に別荘やワイナリーを作れる余裕がどこにあるのかって」
「無礼者!! 貴族である私をバカにするのか」
「いいから黙って聞きなさい」
マリアはいつものような上品な笑顔とは真逆の政治家のような凄みを持つ表情で男爵を対処する。
「なっ……」
目の前の男爵は言葉を失うくらいしかできなかった。
「そこで気づいたのよ。最近、王都でもひとつの違法薬物が問題になっていることにね。その薬物は、エヘンと呼ばれているそうよ。美しい花の実から取れた果汁を乾燥させた麻薬。強い幻覚作用や依存性があるらしいわね」
「……」
男爵は目を白黒させて挙動不審になる。
「でね? 私の知り合いには薬草学に詳しい男性がいるの。そのエヘンの原料になる花って栽培がとても難しいって教えてくれたわ。国内だと10か所くらいしか取れる場所がないそうよ。ねぇ、男爵様。その珍しい地域のひとつがあなたの領土に組み込まれているのって単なる偶然?」
薬草学に詳しい男性というのは当然、横にいるラファエルだ。ただし、これには確証がない。短期間に財力をつけるには、何らかの違法行為をしなくてはいけない。王都で薬物依存が問題になったのと、男爵の別荘やワイナリーの建設が近かったこと。そして、男爵の領土の特殊性などを考えて導かれる有力な仮定の一つに過ぎない。
だが、ふたりはどうやら賭けに勝ったらしい。
男爵の顔がみるみるうちに蒼白になっていく。
ふたりはその様子を見て勝利を確信する。
「その証拠はどこにある。お前たちはあくまで妄想の話をしているに過ぎない。これでは単なるうわさ話だ。そのうわさなどこの地方だけに押しとどめておけばよい。俺の力と中央の力を使えばどうとでもなる」
「まぁ、いいわ。なら、もう一つ聞きたいことがあるの。知ってる? ワイナリーの登録番号って内務省が管理していて、各地の地方庁に通達を出しているの。だから、各地の地方庁に行けばすぐに確認ができるのよ。もちろん、専門家でなければ分からない手続きだけど」
彼女の執事は、元・王太子の政治顧問だ。そのくらいの面倒な手続きくらい簡単にこなしてしまう。
「えっ……」
「共同経営者の中に、ずいぶんと高名な薬草学者さんもいらっしゃいますね。マーク・クライン博士。たしか、王立大学の教授だったけど、違法薬物の研究にはまりすぎて学会を追放された人物。そして、彼の専門分野がエヘンでしたよね」
「……」
これでつながった。
「あなたは、王太子に取り入るために、彼の浮気相手のミーサ子爵令嬢に近づいた。そして、彼らのためにお金が必要だった。そこであなたは学会を追放されたマーク博士と手を組み、違法薬物の栽培をはじめて巨万の富を築いた。だけども、その裏金を表に出すにはかなりリスクが高いでしょうね。だからこそ、資金洗浄の足掛かりとしてワイナリー経営に乗り出して、裏口からワイナリー設置許可証を手に入れた。こういう筋書きでどうかしら?」
「くそ」
ふるふると震えはじめる男爵。彼が机を強く叩くと、いくつもの扉の奥から筋骨隆々の男たちが10人ばかり現れる。
「ここまで知られてしまったら、お前たちは生きては返さない。ここで口を封じさせてもらう。悪く思うなよ。大商人ごときが貴族である私を愚弄した罰だ!!」
「お嬢様、ここは私にお任せください」
ラファエルはマリアを守るように彼女の前に立ち剣に手をかける。
「やってしまえ!!」
※
「たかが、ひとりで女を守れると思うなよ」
「男爵様が破滅すれば、俺たちも路頭に迷う。悪く思うなよ」
「死ね。男は殺した後で女は好きにさせてもらうぞ」
男たちは下品な笑いをしながらじりじりと詰め寄る。完全に包囲された形だ。ふたりは、ゆっくりとあとずさりして窓際から部屋の隅へと移動していく。部屋の隅にマリアを配置することで、ラファエルは彼女を守りやすくするつもりだった。さらに、ここなら敵の男たちも同時にとびかかれるのは2人か3人が限界。実質的に、10倍差の勝負から3倍差の勝負に変わる。そして、そのくらいの差ならラファエルには自信があった。
「来い。王都で鍛えた剣技をお見せしよう。キミたちのようなチンピラあがりの男たちなら3分ももらえれば全員倒せるよ」
こういう風に挑発すれば、気性の荒い男たちはすぐに激怒して飛び掛かってくる。
「いきるなよ、優男」
「殺す前に辱めてやる」
「いつまでそんなにかっこつけていられるかな」
男たちは剣を抜いた。ラファエルは、マリアを巻き込まないために2歩前進する。
そのラファエルめがけて男たちは飛び掛かってくる。
「(やはり、こいつらはきちんとした剣を習っていない。相手がどの流派かもわからない段階で警戒もせずに突っ込んでくるのは自殺行為。そういう基礎もできていない男たちを倒すのは忍びないがやらせてもらう。私の一番の仕事はお嬢様を守り切ることだからな)」
ラファエルは剣に魔力を込めた。火の魔力が込められた剣先に炎がまとわりつく。剣技と魔術を極めしものだけができる魔術剣だ。ラファエルが剣を振るうと、火炎魔力は分散し男達の身を焦がした。
「ぎゃああぁぁぁぁあああああ」
「なんだ、いきなり魔力がっ」
「ひぃ」
一瞬にして3人の男たちが地面に倒れ込んだ。王国には数多くの剣士がいる。だが、魔力を制御しつつ剣を振るうのは並大抵の技量では不可能だ。両方の分野に才能を持ち、さらにその才能を伸ばすために努力を積み重ねることができる選ばれた者だけができる領域。
そこまで達した剣士でもあるラファエルにシロウトが何人束でかかっても勝てるわけがない。
「どうした? まだ3人やられただけだぞ。大の男が一人の男に負けて恥ずかしくないのか?」
ラファエルは剣を他の男たちに剣を向ける。その優雅にまで見える所作は男たちの戦意を崩壊させた。
「勝てるわけがねぇ」
「仕事よりも命の方が大事だ」
「ひぃ、助けてくれぇ」
男たちは剣を床に落として腰を抜かす。
「なんだ、たわいもない。鎧袖一触とはこういうことかな」
ラファエルは意味がなくなった仮面を取る。そこにはあるはずの火傷の跡などなかった。
仮面を外した男の正体に男爵は気づく。
「ラファエル殿?」
あっけにとられたように気の抜けた声を聴いてラファエルは笑った。
「申し訳ないな、男爵。私は王子の執事は辞めたんだ。いまはこのお嬢様に仕えている」
「はぁ……」
「どうだ、わからないか。お嬢様は王国でも最も有名な女性の一人だが?」
「ま……まさか……」
マリアは自然な表情に戻す。いつものように慈愛を込めた笑顔で男爵に笑いかけた。
「マリア公爵!? 名門公爵家の当主!! 国王陛下の最も信用が厚いオルソン公爵の忘れ形見。王太子殿下の前・婚約者……」
目の前にいた大商人の娘が、本当の大物貴族であったことで恐怖で震えはじめた。オルソン公爵家は、警察権力の元締めだ。そのような家の当主にすべての悪事を知られてしまった。
自分の滅亡は決まったようなものだ。
「くそ、こうなったら……」
男爵は慌てて立ち上がって廊下へと走った。逃亡するつもりだ。仮に、あの件が露呈すれば、家の取り潰しだけではなく、自分の処刑までは逃れることができない運命になる。
ならば、すべての富を捨ててでも生き残りをかけた逃避行を選ぶ。
だが、ふたりがそのような可能性を考えていないわけがなかった。
ワイナリーの入り口を開けた男爵に待っていたのは、ディヴィジョン公爵が率いる憲兵隊だった。入り口から出てきた男爵に向かって兵たちは一斉に槍を構えて追い詰める。
「ひぃ」
情けなく床に倒れ込む男爵はすぐに包囲された。
ディヴィジョン公爵とマリアは面識が何度も会った。公務で何度も会っている。今回の件では、男爵の悪事が露呈した段階で協力を依頼していた。すでに森にはワイナリーを取り囲んで兵士たちが隠れていたわけだ。そして、ふたりの合図とともにワイナリーに突入するはずだったが……
悪事の親玉は、こうして自分からその包囲網の元に来てくれた。簡単に捕縛できる。
「我が領土でずいぶんと好き勝手やってくれたな、グール男爵。私はそなたを気に食わないやつだとは思っていたが、まさかここまで巨悪だとは思わなかったぞ。我が領民たちを愚弄し、領地の宝でもあるワインの評判まで落とそうとした。ディヴィジョン公爵家を敵に回して簡単に死ねるとは思うなよ」
名君と評判の公爵が一番怒ることをやった男爵に逃げ場はなかった。
「助けてくれ。おれはそそのかされただけなんだ。あの女に……」
「あの女?」
男爵を追い詰めた兵士たちとマリアは合流する。
「ああ、そうだ。俺みたいなやつがこんな計画を立てることができるわけがないだろ。俺は言われたとおりにやっただけなんだ。全部話すから、助けてくれ」
男爵は簡単に降伏した。
これで一息ついた。もしかすれば、王都の薬物汚染も解決できるかもしれない。二人は安堵のため息をついた。
「マリア公爵、そしてラファエル殿。この度は我が領土の誇りを守っていただきありがとうございます。あなた方は英雄です。是非とも我が屋敷にいらしていただきたい」
「ええ、ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきます」




