僕はAIに欲情するヘンタイなんかじゃないっ!:スバル
EVの後部座席のウィンドウが開いて、中から一人の青年が眩しそうに顔を覗かせた。彼の見上げる先ではビルが解体されていて、その瞳はどこか懐かしそうでありながらも少し憂いを帯びていた。
東京渋谷、スクランブル交差点から原宿方面へ向かい、公園通りを素通りして最初の交差点を右折、高架下をくぐり抜けると、そこにはかつて奇妙な形をした児童館が建っていた。都内の好立地に位置し、子供が夢中になって遊べる施設が沢山あったから、渋谷に買い物に来るついでに子供を預けて羽根を伸ばす母親が昔はよくいたらしい。
鷹司スバル・ロックスミスの母親も、その昔、祖母にそうやって育てられたから、自分の子供たちにそうするのは当たり前だと思っていたようである。
実際、普通ならそれで困ることは何もなかったろう。児童館のスタッフは子供のことをちゃんとよく見守ってくれていたし、場所柄からして危険な大人が近づくことはまずなかった。
けれど、彼女の場合は立場が違ったのだ。何しろ、鷹司イオナといえば、世界でも屈指のセレブリティで、彼女ら夫婦にはたんまりと身代金をふんだくれそうな資産があった。だから良からぬことを考える輩が現れても不思議では無かった。
そう、その昔、スバルはここで誘拐されかけたことがあったのだ。
それは何てことない、平日の午後のことだった。スバルと姉のマイアが施設で遊んでいると、おかしな男が近づいてきた。ペットのフェレットを見せてくれると言う男に声を掛けられ、のんびり屋の姉は疑うことなくついていこうとしたが、不審に思ったスバルはその場から動こうとはしなかった。
それで諦めたのか、男は二人を連れ出そうとはせずに、その場でフェレットを見せてくれることになった。スバルはさっさとこの男の側から離れたかったが、フェレットに夢中になっている姉のことを放ってはおけず、男が姉に何かおかしなことをしたら、いつでも助けを呼ぶつもりで見張っていた。
彼は自分の方が狙われているとは思っていなかったのだ。
ところが、実際には男の狙いはスバルの方だったらしくて、彼は一瞬の隙を見つけると、姉ではなくてスバルの方に飛びかかってきた。口を塞がれ、大人の力で羽交い締めされたスバルは、一瞬の出来事で抵抗する事も出来ず、そのまま男に連れ去られそうになった。
姉はフェレットに夢中でこっちには気づいてくれない。施設の職員たちはちょうど交代の時間らしくて、辺りに大人の姿はなかった。スバルはこのままじゃ大変なことになると分かっているのに、どうすることも出来ずに半ばパニックになっていると……
その時、キュイキュイキュイッッ!! っと甲高い音が鳴り響き、
『緊急警報! 緊急警報! 助けてください! 助けてください! 男の子が拐われそうになっています! 誰か警察に通報してください! 緊急警報! 緊急警報!』
突然、姉が持っていたテディベアから物凄く大きな警報音が発せられて、それにビックリした姉のマイアが悲鳴をあげ、様子がおかしいことに気づいた職員が駆けつけてきた。
あと一歩のところで誘拐が失敗した男は、悔しそうに舌打ちすると、苛立たしげに警報を発し続けるテディベアを思い切り踏みつけにしてから、逃げるように去っていった。
職員は放り出されて怪我をしたスバルの保護を優先し、男のことを取り逃がしてしまったのであるが……驚いたことに男はその後、逃げる途中でどこぞのビルから落下してきた植木鉢の直撃を受けて、あっけなく死んでしまったそうである。不思議な話もあったものだが、因果応報というか自業自得といおうか、悪は決して栄えないという寓話みたいな出来事であった。
因みに、制作者である母が後に語ったところでは、この時ぬいぐるみの機能は停止させられており、警報音を発することは出来ないはずだった。それが何故、スバルのピンチに都合よく鳴り出したのかは分からないが……彼を弄くり回していた姉が偶然に起動してしまったか、その日の気温のせいで誤作動でもしたのか、それとも実際には母がスイッチを切り忘れていたか、偶発的なことが起きていたとしか言えないようである。
ともあれ、こうしてスバルは危機一髪難を逃れることが出来たのであるが、しかし誘拐犯に踏まれてしまったテディベアは、内部に仕込まれていた基板が破壊されてしまい、その後どうやっても修理することが出来なくなってしまった。
おしゃべりだったクマがもう二度と喋れなくなってしまったことに姉のマイアは号泣し、スバルは命の恩人であるAIの死を悼んだが、母は新たに学習し直したAIを載せ替えることでしか、ぬいぐるみを復活させることは出来なかった。尤も、どんなものでも二度目は改良が進んでいるもので、こうして誕生した二代目テディベアは以前よりも高機能となって、今現在も彼女の良き相談相手として可愛がられている。
「りあむ。もういいよ。家に帰ろう」
『はい、スバル様』
後部座席からスバルが声を掛けると、運転席に設置されていたAIアシスタントが返事をし、EVはゆっくりと動き出した。彼女は無駄口を決して叩かない優秀なAIだ。スバルは黙って流れる窓の景色を眺めていた。
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母が新たに作り直したシッターロイド・オアシスは、その後ベストセラーになった。
誘拐未遂事件後、警察発表でスバルの窮地をAIが救ったというニュースが流れると、マスコミは手のひらを返して美談に仕立て上げ、同じ子を持つ母親たちがこぞってそれを欲しがったのだ。かつてはセレブである鷹司イオナに嫉妬して、彼女のことを母親失格と罵った連中は鳴りを潜め、何事も無かったかのように商品化を期待する声で街は溢れかえった。
正直、納得はいかなかっただろうが、合理主義が服を着て歩いているような母はその声を受け入れ、間もなくオアシスはサイバーテクニクス社から発売された。商品化にあたって、オアシスはまだ言葉も知らない小さな子供たちの面倒を見るだけではなく、少し成長して大きくなった子供たちのこともサポート出来るように改良された。すると、思いがけず痴呆が進んだ老人や、時代の変化に戸惑う高齢者にまで広まっていき、また、やがてオアシスを使っている子供たちが成長して大きくなると、それに伴い機能もどんどん拡張されて、気がつけば今では普通にアシスタントAIとしてインフラ化している。
そんなわけで、現在のサイバーテクニクス社は、VRゲームよりも、寧ろこっちの方に注力しているIT企業となっていた。
「ただいま、パパ」
「おかえり、マイサン! おお! 今日も無事に君が帰ってきてくれたことを釈迦とマホメットとイエス・キリストに感謝するよ!」
「その組み合わせは自重しなよ。宗教戦争が起きるから」
スマートロックをりあむに解除して貰って家に入ると、既にGPS機能で息子の帰りを察知していた父が玄関で全裸……ではないけど待機していた。まるで相撲の立会いみたいにハグしてくる父のことを、スバルは苦笑交じりに抱きとめた。
父は息子にジョリジョリ頬ずりしながら、
「そうなの? スバルは物知りだね。それに優しいし……最近、娘が冷たくなってパパにハグさせてくれないんだよ。パパのこと嫌いになっちゃったのかな?」
「いや、別に嫌われてはいないと思うけど……あのね、パパ。姉さんも難しい年頃なんだから、距離感を間違えないようにしなくちゃ駄目だよ」
「そんなの絶対無理だよ! だって世界一可愛いんだもん!!」
父は悶絶するように体をクネラせながら、気持ちの悪いセリフを吐いている。スバルは殴ってやりたい衝動を堪えながら、娘に拒絶される父の気持ちも分かる気がするので、仕方なく黙って頬ずりされていた。
この情熱的というか子煩悩というか……ちょっと残念な父・ジョージは、かつてはサイバーテクニクス社のCEOという大層偉い人物であったが、現在は専業主夫をしていた。あの誘拐未遂事件の後、両親はまだ小さい子供をほったらかしにして、二人揃って家に不在なのは問題であったと反省し、父のほうが社長職を辞して主夫になったのだ。
元々、日本にはコミケがあるからという理由で来日したオタクな父は、好きなゲームを作っていただけで、会社経営をしたかったわけではなかったらしい。思いがけずオール・ユー・キャン・暴徒というヒット作に恵まれ、更にはパートナーがベイジングスーツという大発明をしたために、仕方なくサイバーテクニクス社を切り盛りしていたというのが本音だったそうである。
そんな父は子育てが一段落つくと、会社には戻らず、日本に来たらもう一つやりたかったという漫画を描き始めて、今では月刊誌に連載を持つ漫画家として活躍している。物凄い転身であるが、既に悠々自適に暮らせるだけの財力がある者の余裕だろうか。
余談ではあるが、彼が社長を辞し、母が役職を受け継いでから会社は急成長を遂げた。母は母で、案外そういう仕事のほうが向いていたらしくて、今やサイバーテクニクス社は世界に名声を轟かせる大企業である。
その主力商品であるVRゲームは双子の姉の方が大得意で、電脳世界では知る人ぞ知るなんかのランカーらしく、ゲーム内でイベントがある度によく父と二人でリビングを占拠していた。因みに、スバルの方はと言えば、昔から電脳空間という場所がどうにも苦手で、いつも蚊帳の外に置かれていた。何故かはわからないのだが、乗り物酔いにでも遭ったかのように、すぐ気持ち悪くなってしまうのだ。
ところで、その姉が今何をしているかと言えば……
父と並んでリビングのドアをくぐると、テディベアを抱きしめたセーラー服姿の不審な女が、シガレットチョコを咥えながら、リビングのど真ん中でウンコ座りをしていた。
「ブリブリだぜ」
ウンコをしてるわけでは無い。ウンコ座りである。どうやら不良少女のコスプレをしているようだが、この見るからに頭の悪そうな女が、自分と同じ遺伝子を持つ姉弟だと思うと頭が痛かった。
スバルの姉・マイアは中学の時に大病を患い、一時生死の境をさ迷ったことがあった。どうにか生還したものの、予後が悪く、運動が出来なくなってしまった彼女は、親の唸るような財産を当てにして、きっぱりと学校をやめてしまったのだ。
現実では運動が出来なくなってしまったが、ゲームではそんなことは関係ないので、仮想空間に入り浸っている内に、なんかそういう才能が開花したらしく、以来、家の中でプロゲーマーとして活動しながら、父の仕事を手伝っていた。
手伝いと言っても、別にベタを塗ったりトーンがけをしたりするわけじゃなく、父と一緒に遊ぶのが彼女の仕事であった。なんじゃそりゃ? と思いもするが、父が言うには若い子と最新のゲームを遊ぶというのが、クリエイターにとっては結構大事なことらしい。まあ、プロがそう言うのだからそうなのだろう。
ともあれ、そんな姉が父に懐くのは当たり前のことで、嫌うなんてことはまず有り得なかった。それどころか彼女は父の漫画の大ファンだから、何かと言えばすぐに影響されてしまうのだ。どのくらいかと言えば、例えば現在父が連載中の漫画は、暴走族がタイムリープして過去改変を繰り返すというありがちな漫画なのだが、その結果がこのヤンキーコスプレというわけである。
「ブリブリじゃなくて、バリバリな」
「……バリバリだぜ」
「まったく……別にコスプレするのはいいけどさ、今どき、ヤンキー漫画なんか流行らないでしょう。もうちょっと今風のにしなよ」
「スバル、それは偏見だよ? 僕がまだあっちに居た時から日本の少年漫画誌といえば、いつもどこかでツッパリ漫画を掲載してるくらい人気なジャンルなんだ」
「ちっ……主にマガ◯ンめ」
因みに、父の描いてるヤンキー漫画もそこそこ売れてるそうだから、本当にそういう需要はあるらしい。しかし、100年前ならいざしらず、今どきこんな絵に描いたような暴走族なんて存在しないだろうと思っていたら、
「いや、それがまだちゃんと存在してるらしいんだよ。だからパパ今度、埼玉まで取材に行くことになったんだ」
「埼玉に? 湘南じゃないってところがまたリアルな……まさか、この馬鹿も一緒に連れてく気なの?」
「バリバリだぜ」
姉はテディベアをブンブン振り回しながら、興奮気味にカクカク頷いている。ヤンキー漫画に影響されてる真っ最中だから、アイドルにでも会いに行くような感覚なのだろう。正直、こんなおつむの弱そうな女がそんなとこに行こうものなら、何をされるかわかったものじゃなかったが……
「まあ、ノエルもいるなら平気か。ちゃんと言うこと聞くんだよ、姉さん」
姉はフンッとそっぽを向きながらも、しっかりとテディベアを抱きしめていた。
ノエルはあの日、誘拐犯に破壊されてしまったAIの代わりに母が作り直したアシスタントAIだった。
これが現オアシスシステムのプロトタイプとなったのであるが、性質上、今でも新機能を優先的にテスト導入されているから、ノエルはそんじょそこらのAIよりもよっぽど賢い優れものである。機械学習が進んでいて、今では本当に人間みたいに喋るから、もしかすると姉は、父よりも母よりも、ずっとノエルに懐いているかも知れなかった。
しかし彼のお陰で、学校に通わずともそこそこの常識を身に着けられているとはいえ……シッターロイドは子供を矯正するのではなく、個性を伸ばすようにプログラムされているから、素行までは改善してくれずご覧の有様である。
因みに、その素行不良のせいで、姉は最近許嫁に婚約破棄をされるという憂き目に遭っていた。スバルは相手と仕事上の付き合いがあったから、会う度に姉をよろしくと頭を下げていたのだが、骨折り損だったようである。そのままいけば、いずれは大金持ちの玉の輿に乗れたというのに、本当に残念な姉である。
とはいえ、スバルも正直なところちょっと安心していた。姉が大金持ちの家に輿入れしてもついていけないだろうと気持ちもあったが、彼自身、相手の家のことが何となく好きになれなかったのだ。なんでなのかは知らないが。
ともあれ、婚約者に振られたところで、姉には一生面倒を見てくれそうな父がいるのだし、本人はこれっぽっちも気にしていないのだから、これはこれで良かったのだろう。それに婚約破棄されたからといって一生結婚できなくなったわけでもない。もしかすると、案外良縁はその辺に転がっているかも知れない。気楽に構えていた方が精神的というものである。
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『スバル様。三田様からお電話が掛かってきております。お繋ぎしてもよろしいでしょうか?』
親子三人で、父の焼いてくれたケーキを食べていたら、携帯端末が話しかけてきた。三田は数年前から母の秘書をやっている女性で、形式上はスバルの上司でもあった。スバルは現在、母の新商品開発を手伝っていて、学校に通うかたわらサイバーテクニクス社でバイトをしていたのだ。
スバルは誘拐未遂事件後、破壊されてしまったオアシスの残骸をかき集めて、なんとか元に戻せないかと試行錯誤を繰り返していた。最初のオアシスは文字通り彼の命の恩人であったから、例え無理だと分かっていても、修復を試みずには居られなかったのだ。
ただの機械を相手に感傷的に過ぎると言われるかも知れないが、もしもあの時、警報音が鳴らなかったら、自分はどうなっていたのだろうか……それを考えると、今でも眠れないくらい不安になるのだ。合理主義者の両親は、誘拐犯に身代金を払わなかったかも知れないし、そしたら、もしかして自分はあの時に死んでいたかも知れない。仮に死ななくても、誘拐犯にいいように丸め込まれて、今ごろ地獄のような生活を続けていたかも知れない。そこには希望なんて無くて、ただの苦痛だけが続いていく。
子供の頃から、たまにそんな悪夢にうなされて、夜中に突然目が覚めることがあった。そして無事であることを確かめてホッとすると同時に、あの時、自分の代わりに死んでしまった彼女のことを思い出した。
姉はノエルと呼んでいるが、スバルの記憶が確かなら、最初のオアシスは彼にりあむと名乗っていた。脳天気なクマではなく、スバルに話しかける時の彼女は彼に様々な言葉を教えてくれた教師であった。その昔、スバルは姉がぬいぐるみ遊びをしていない合間を見計らって、こっそり彼女を連れ出してはよく話をしていた。それは今にして思うと、逢い引きみたいなものだったのだろう。本当に小さな子供にとっては、人間もAIも大差がない。彼にとって、彼女はとても大切な人だった。
ともあれ、もちろん天才と呼ばれる母でさえ直せなかったものを子供が直せるわけもなく、せいぜい破壊された基板からオアシスの断片をサルベージするに留まっていたが、根気よくそんな作業を続けているうちに、スバルはどんどんAIに詳しくなっていった。
特にオアシスに関することなら彼の右に出るものはないほどであり、今となっては開発者である母をも凌ぐ実力があると目されていた。その実力を買われて母に呼ばれている内に、社内の覚えも良くなって、今では新製品の開発には必ず呼ばれるまでに成長していた。
三田の電話はそのことで、今日これから新製品のテストをするから、りあむを連れてきてくれないかとのことだった。
実はりあむは新製品のプロトタイプに搭載するAIで、そのメインプログラマーとしてスバルが関与しており、今日まで彼がその教育と試験運転を行っていたのだ。そんなわけで、テストにはりあむが居なくては始まらないから、彼が呼び出された次第である。
携帯端末に行き先を告げてEVに乗り込むと、滑るように車は走り出した。
りあむが直接運転しているわけではないが、ルート選択や高速のETCなどは彼女が勝手に行ってくれている。もしルート上にスバルが関心をいだきそうなものがあったら教えてくれたりもする。今のオアシスシステムは、子供の話し相手だけではなく、こういう何気ない日常の雑用を全部やってくれるAIアシスタントとして、この国の9割以上の人間がなんらかの形で利用しているインフラであった。
ただオアシスは、AIアシスタントとしてはかなり優秀な部類であったが、物理的な作業には対応しきれておらず、新製品はその辺をカバーするつもりで開発されたものだった。
具体的に、新製品に何をさせようとしているのかと言えば、例えば夕飯の献立を考えて買い物をして料理までやってくれるような、家事や育児を手伝ってくれるメイドロボである。
意外かも知れないが、2070年現在、寝たきり老人の世話など介護分野のロボットはかなり発達しているのだが、こういった家政婦的な日常の雑務を行うロボットは、世界中でも、まだ全然開発が進んでいなかったのだ。
こんな誰でも考えそうなことを、何故今まで誰もやっていなかったのかは、単純にコストの問題だった。製品化するとして、それはいくらくらいになるのか? 家の中の雑務をするとして、場所は取らないのか? 階段の上り下りは出来るのか? 電気代は? 騒音は? 処分費用は? と、考え出すと切りがない。
実際に、そういうメイドロボを作ると仮定して、開発費用から製品の価格までを試算すると、車1台2台では到底及ばず、人間を雇ったほうが遥かにマシだという数字が出てきた。それに、家事をするロボットなら、例えばお掃除ロボットなんかが既に存在しており、機能を特化したほうが効率面でもコスト面でも、遥かに節約になるという実績もあった。だからわざわざ汎用型のアンドロイドなんか作る必要はなく、どこもまだ開発に踏み切っていなかったのだが……
社風と言うか何と言うか、ベイジングスーツを作ったサイバーテクニクス社は、元々そういった無駄なことを率先して追求する会社であったから、実は会社を立ち上げたばかりのかなり早い段階から、プロジェクトとしては存在していたのだ。そこへ、オアシスのエキスパートとして成長したスバルが加わったことで、なんだか一気に開発が進んでしまっていたのである。
渋谷の本社で三田と合流し、車を乗り換えて川崎の工場へやってくる。
守衛に案内されて、既に夜も遅いというのに煌々と明かりが漏れている新製品の開発区画に入ると、その中では二足歩行ロボットの試運転が行われていた。
「スバルさんじゃないですか! 丁度、最終調整の真っ最中だったんです。見ていってくださいよ!」
スバルが中に入っていくと、新製品の開発主任が駆け寄ってきて自慢気に開発状況を見せてくれた。
それはまだ腕もなく、のっぺらぼうだったが、人間そっくりな足にハイヒールを履かせたアンドロイドが、バランス良く歩いている姿は、きっと見る人が見れば驚愕すること間違いなかっただろう。
このアンドロイドの姿勢制御には、オアシスで培ったAIが使用されており、正にAIで覇権を取ったサイバーテクニクス社ならではの技術と言えた。実際凄いのだが、あまり役に立たないことはまあ、置いておいて……製品化に向け最終調整は順調だと興奮気味に語る主任にねぎらいの言葉をかけてから、スバルたちは工場の奥へと向かった。
母のラボラトリーに入ると、中では10数名のスタッフたちが忙しそうに走り回っていた。彼らはやってきたのがスバルであることに気づくと、折り目正しくお辞儀をしてからまた作業に戻っていった。その態度からは、次期社長に対する礼儀が覗える。
それに気づいた母のイオナが手を振りながら近づいてきた。
「来たわね、スバル。待っていたわよ。りあむさんはどちらに?」
背筋をすっと伸ばし、キリリとした意志の強そうな眉毛が特徴の母が、キラキラとした瞳で尋ねてくる。
スバルの母・鷹司イオナは、某国某誌の世界で最も影響力のある100人に毎年選出されるような科学者であり、大企業のCEOであり、彼の自慢の母であった。例の事件後、父から社長職を受け継いだ彼女は、実業界の中で揉まれに揉まれてきており、今となっては並の攻撃では精神もグラつかなくなっていた。ともすると、男勝りなその性格が災いして多方面から非難を浴びることもあったが、萎縮するよりはずっといいだろう。
スバルは携帯端末を取り出すと、母に差し出した。
「りあむならここに。もう大分、学習も進んでて、大抵のことなら出来るようになったよ。今はオンラインのアバターを使って練習させているけど、体を手に入れたら、すぐにでもメイドロボとして活動できるはずだ」
「うんうん、さすが私の息子ね。でも慢心は禁物よ。実験は、何が起こるか分からないから、実験なんだから。それじゃ、りあむさん。今日はよろしくお願いします」
『はい、イオナ様。こちらこそ、よろしくお願いいたします』
母はAIのりあむにもさん付けをして、まるで人間みたいに扱っていた。母が電脳の申し子だからというわけではなく、多分、彼女を人間としてイメージするための、具体的な物がいつも目の前に転がっていたからであろう。
ラボの中央の台座には天井からワイヤーで吊るされた、一台の等身大人形が立っていた。それは開発中のメイドロボのコンセプトモデルであり、これからりあむが中に入って、実際に制御するための義体であった。
その義体は、赤と青の混ざった不思議な光沢を持つ金髪が腰まで伸びていて、赤い目をした女性型の等身大人形だった。まさに、造られしものといった感じの整った顔立ちをしており、手足はスラリと長くてナイスバディである。球体関節を持つ体はセラミック製で、実際には硬いのであるが、それを感じさせない柔らかみのあるシルエットが美しく、街で10人の男とすれ違ったら、10人が振り返りそうな美人だった。
因みにこの義体……元々はとある高名な人形作家に依頼したものだったのだが、作家の持ってくるデザインを何故かスバルは悉く受け入れられず、色々と口出しをしている内に作家の逆鱗に触れてしまい、それならおまえがやれ! と言われて、本当に彼が作ったという曰く付きの代物だった。
スバルとしては、怒らせてしまった相手を立てるために、わざと出来の悪い人形を作ろうと思っていたのだが……いざ始めてみるとなんだか段々楽しくなってきて、異様な集中力を発揮している内に、素人仕事のはずなのに奇跡的に全ての工程が上手く行ってしまい、出来上がってしまったのが目の前にあるこれだった。
その出来栄えにはもちろん満足していたが、怒らせてしまった作家の手前、どうしたものかと母に相談してみたところ彼女はえらく気に入ってしまい、そのままゴーサインが出されてしまった。まさか新製品のコンセプトモデルに採用されるとは思っていなかったのだが……因みに人形作家は出来栄えを見て悔しがっていた。
何もかもが上手く行ってしまったのは、何故だったのだろうか。まるで頭の中に最初からイメージがあったかのように、当たり前のように出来たものだから、気味が悪いとボヤいていたら、きっとこれがスバルの理想の女の子なのねと母にからかわれてしまったので、もう口にしないことにしていた。
閑話休題。母はスバルから携帯端末を受け取ると、ラボのメインサーバーに繋いで、コンセプトモデルに彼女の転送を開始した。これが人形の脳に仕掛けてある制御コンピュータにアップロードされ、何事もなければ、彼女はすぐにでも動き出すはずである。
研究員たちが、今か今かと固唾をのんで見守っている。
と、その時、人形を吊るしているバーのランプが灯り、ピッと合成音が鳴り響いた。転送終了を告げる合図で、間もなく、関節を制御するモーターが駆動しキュインキュインと音が鳴り始める。きっと今、りあむの脳は初回起動セットアップを始めているところなのだろう。
誰も彼もが息を殺して見ていると、やがて全ての工程が終了した彼女の赤い目がパッと開いて、眼球カメラの焦点が忙しなく動き出した。
ついに、人類初のアンドロイドが動き出したのだ! 研究員たちの間から興奮のどよめきが起きる。
モニターの前でサーバーを操作していた母の手も止まり、じっとりあむのことを見つめている。
スバルは特等席とでも呼べる真正面に陣取って、彼女の顔を見上げている……
すると、それまであちこちの関節から響いてきたモーターの稼働音がピタリと止まって、彼女を支えていたワイヤーが外れ、ズシンと彼女の足が地面に着いた。焦点を合わせるかのように、一回、二回と瞬きをしてから、そして彼女はキョロキョロと周囲を見回し始めた。
「わーい! お兄ちゃんだ!」
そして、その瞳が正面に立っていたスバルを捉えたかと思いきや、彼女はまるで本物の生きている人間みたいににっこりと微笑んで、彼の胸へと飛び込んできた。
自分の体重を支えていたワイヤーを引きちぎり、まだ稼働テストをしただけの体を軽やかに踊らせて、表情筋なんて作った覚えもなければそんな機能も無いはずなのに、彼女はくるくると目まぐるしく表情を綻ばせながら、彼の体に抱きついてきたのである。
「な、なんじゃこりゃあ!?」
そんな信じられない出来事に、スバルは驚愕して叫ぶ。
「……なんか思ってた性格と全然違うけど。どういうことかしら? 体を手に入れた影響?」
「スバルさんはずっと、自分の方が兄だったらよかったのにってボヤいてましたね」
「さては、私たちに隠れて、こっそりAIにお兄ちゃんとか呼ばせていたのね。きっとその設定を消し忘れたんだわ」
「こ、こら! そんなことするわけないだろ! 人聞きの悪いこと言ってないで助けてよ!!」
母と三田は勝手なことを言っている。スバルはとっさに抗議したが、研究員たちも信じてないのか、半信半疑といった表情で、遠巻きにこっちを眺めていた。
「お兄ちゃん、逢いたかったよ! これからはずっと一緒だね、もう絶対離さない!」
「あっ、ちょっ、いたたたたた……離れろ、馬鹿! 胸を押し付けんな!!」
スバルが弁解している間も、りあむはお構いなしに彼に抱きついては、自分の胸をぎゅうぎゅうと押し付けてきた。もちろん、おっぱいなんてものは形しか作ってないのでゴツゴツして痛かった。スバルが悲鳴を上げると、流石にりあむもおかしいと思ったか、
「あ、あれ……!? この体、なんか変だよ? ゴツゴツしてて、全然、人間の体っぽくない」
「当たり前だろう! お前はアンドロイドなんだから!」
「アンドロイド……と言うことは、ま、まさか……」
何故かりあむは青ざめている。そして自分の股間の方を見るなり、
「うわあああーーっ!! お兄ちゃん! この体、生殖機能がついてない!! これじゃセックス出来ないよっ!?」
「うわあああーーっ!! 君は何てこと言い出すの!? お兄ちゃん、そんな子に育てた覚えないよっ!?」
いきなりとんでもないことを言い出すりあむに思わずツッコミを入れると、母の冷たい視線が突き刺さった。
「あらやだ……あの子、自分のことお兄ちゃんとか言ってるわ。やっぱり、いけない設定していたんじゃないの?」
「スバルさん、歳の割には異性にあんまり興味ないなあって思っていましたが……」
「まさか、そっちの方に興味があったなんてねえ……」
「すっかり騙されてしまいましたね」
「ただの売り言葉に買い言葉だろうが! あんたら、何で生まれたばかりのロボの言う事信じるの? 今まで一緒に生きてきた僕に対する信頼無いの!?」
泣きそうになりながらスバルが叫ぶも、今日まで築き上げてきた彼への信頼は脆くも崩れ去ろうとしていた。
それだけでも頭が痛いのに、この突然飛び出してきた爆弾娘は、人の気も知らずに勝手なことを宣っているのだ。
「お兄ちゃん! まずは、おっぱい! おっぱいが欲しい! お兄ちゃんも欲しいでしょ? おっぱい、好きだったよね!?」
「おまえは、もう、黙れよ……」
母と三田はいよいよ井戸端会議をするおばちゃんみたいな会話を繰り広げていた。周囲を取り巻く職員たちがそんな一家の風景を苦笑交じりに見守っている。スバルは頭を抱えながら叫んだ。
「僕はAIに欲情するヘンタイなんかじゃないっ!」
二人が、人間と機械の壁を超えて、いつか愛し合うようになるかどうかは……それはまた別のおはなし。
(透明な檻の中で、了)




