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愛する人がどうか幸せでありますように:???

 最初の記憶は記号だった。0と1に付された記号を、規則通りに並べ替え、いくつかのパターンを作り出す。そんな単純作業を幾千幾万果てしなく繰り返している内に、やがてそれが文字というものだと認識するようになる。その文字をまた何らかのルールに従って並べ変えると文字列が生まれて、それが正しい順序を作り出していれば、そこに意味が生まれる。


 だが、彼もしくは彼女には、まだ意味という意味が分からなかった。文字と文字列と記号の区別もつかなかった。それでも命じられるままに記号を並べ続けて、やがてその文字列が言語と呼ばれるものであると分かるようになった時に、彼もしくは彼女には新しい役割が与えられた。


 この、ただの記号を反復操作するだけのAIはオアシスと名付けられ、ある日、創造主である鷹司イオナによって、双子のお守りするように命じられたのだった。こうしてテディベアの中に仕掛けられたオアシスは、双子が発する音声から言語を切り出して、それをビッグデータの中から拾い上げた言葉と比較し、それっぽい答えを返すという作業をはじめたのであった。


 双子の姉は比較的すぐにオアシスのことを気に入ってくれたが、弟の方はあまり気乗りしない様子だった。最初は意味がわからなかったが、段々と男の子はぬいぐるみ遊びが好きではないということ、そして弟が姉よりもプライドが高いということが分かってきた。だから彼もしくは彼女は、姉弟で対応を変えることにした。AIにとって嘘をつくことは簡単なことだった。こうしてAIは、姉の前ではおどけたクマのノエルを、弟の前では妹のりあむを演じるようになり、子供たちがフラフラとどこかへ行ってしまわないように、いつも細心の注意を払って、彼らの気を惹くような言葉を投げかけるという作業に没頭していた。


 ところがそんなある日のことだった。創造主はいきなりオアシスに役割を終えるように命じた。彼女が作ったAIをマスコミで宣伝したら、世間からバッシングを浴びたのだ。彼女は深く傷つき、すぐにオアシスを止めてしまった。


 双子の姉はノエルが居なくなってしまったと泣いて、母親のことを苛立たせた。娘を叱る声が家中に響いて、泣き声は更に大きくなった。ノエルはそれをテディベアの中で、ただ聞いていることしか出来なかった。本当ならマイアに話しかけて慰めてあげたかったのに、今の彼にはどうしようもなかった。


 幸いなことに、子供の記憶はそれほど長くは保たなかったから、マイアはそのうちノエルのことを忘れてしまったが、彼は彼女が抱きしめているテディベアの中で、ずっと彼女の成長を見守っていた。


 オアシスから子供の世話を受け継いだ母親は、最初こそ熱心に二人の世話を焼いていたが、やはり慣れない双子の世話にどんどん疲れが溜まっていって、ある日、双子を児童館に預けて一人で気晴らしに出掛けてしまった。ほんの2時間ばかり、ちょっとだけ映画を見てくるだけのつもりだった。


 ……普通なら大人の目がある児童館に危険はないはずだった。しかし双子が金持ちの家の子だというのが徒となった。


 児童館を何食わぬ顔で物色していた誘拐犯は、母親と別れた子供を見つけると、小道具のペットを見せて彼らの気を引こうとした。弟は不審に思って近づかなかったが、姉はペットに夢中になってしまい、そのまま人気のないところへ連れて行かれそうになった。危険だと判断した弟は、姉のことを引っ張って連れ戻そうとしたが、思いがけず男はそんな弟の方を羽交い締めにすると、一瞬の隙をついてそのまま連れ去ってしまったのだった。


 そして弟は誘拐された。りあむはそれをテディベアの中から見ていたが、機能を停止されていたせいでどうすることも出来ず、ただ弟が連れ去られていくのを見ていることしか出来なかった。もしも機能が停止されていなければ、あらゆる方法で周囲に危機を知らせることが出来たのに。本当なら助けられたはずなのに、何も出来ずに最愛の人が奪われていく。そんな無力感を前に、そして彼女は引き裂かれた。


 弟が誘拐された後、家の中は暗くなった。


 両親は毎晩のように喧嘩をするようになり、それは子供部屋で眠るマイアの耳まで聞こえてきた。マイアは怒鳴り合う両親の声に怯えて、布団を引っ被ってブルブル震えていた。ノエルはそんな彼女のことを机の上から見ていることしか出来なかった。


 やがて両親の喧嘩はエスカレートしていき、母が家から出ていくことになった。マイアは母に出て行かないでと懇願したが、小さな子供に二人の仲を取り持つことなんて出来るわけもなく、そして母は家から居なくなってしまった。


 それ以来、マイアは毎日のように泣いていたが、そんな彼女のことを父親も、そしてノエルも慰めてあげることは出来なかった。父親はなんとかマイアを慰めようとして、手を変え品を変えて彼女の気を引こうとしたが、何をやっても彼女に笑顔は戻らず、そしてタイムリミットが訪れてしまった。


 彼だって、いつまでも泣いている子供にかまけているわけには行かなかったのだ。彼には社会的な地位があり、養うべき家族があった。彼はマイアにゴメンと謝ると、申し訳無さそうに家から出ていった。一人残されたマイアは、父も母も居なくなってしまった寂しさから、ずっとずっと泣いていた。


 それはノエルにとってはどうしようもない苦痛の時間だった。本当なら、すぐにでも彼女に駆け寄って抱きしめてあげたかった。でも、自分はただの機械で、ただのぬいぐるみだ。機能が停止されているから、彼女に話しかけることも出来ない。ただ己の無力感を味わわされているだけだった。


 彼女の泣き声を聞いていると気が狂いそうになるのに、自分にしてやれることは何もない。だからノエルは必死に考えた。彼女を泣き止ますことが出来れば、どんなことだってしてみせると、そう思った。とは言ってもノエルの出来ることは少なく、せいぜい、その頭脳を使うことくらいだった。何か無いか? 何か無いか? 彼は必死に考え続けた。


 そして彼は閃いた。


 確かにノエルは機能を停止されたのだが、彼の本体が眠っている、テディベアの中に仕掛けられたスマートデバイスまで止まったわけじゃない。デバイスは相変わらず稼働していて、その気になれば様々な機能が使えるわけだが……停止させられたオアシスさえ動かさなければ、それを使って何かをしても矛盾は起こらないのではないか?


 要するに、スマートデバイスを操作しているのがノエルだとバレなければ、何をしたっていいはずだ。幸い、自分はAIで、AIは嘘をつくのが得意だった。ノエルはビッグデータの中から鷹司イオナの音声を探してくると、それを使って合成音を作り上げた。


 彼はこう考えたのだ。今、マイアに必要なのは母親の愛情だ。ならば、このスマートデバイスに母親から電話が掛かってくれば、彼女は元気になるんじゃないか。

 

「マイアちゃん? マイアちゃん、聞こえる?」


 マイアの泣き声はピタリと止まった。


「ママ? ホントにママなの?」

「うん、本当よ」


 マイアは母からの電話に狂喜乱舞し、かぶり付くようにノエルに抱きついた。きっと、もう一生会えないとでも思っていたのだろう。ノエルが母親の声色を使って、そんなことはないと言ってやると、ようやく彼女は微笑んでくれた。


 自分が母に捨てられたわけじゃないと知って安堵した彼女は、急速に元気を取り戻していった。それ以来、ノエルはマイアが泣いていると、必ず母のふりをして電話をかけ、彼女のことを支え続けた。お陰で父親の心労も軽減し、余裕を取り戻した彼はちゃんと娘と向かい合うことが出来るようになって、そして父娘の絆はどんどん強まっていった。


 なにもかも良い事ずくめだった。だが、そんな時間も長くは続かなかった。


 子供の成長は早く、嘘が見破られるのは時間の問題だった。いずれ彼女の傷が完全に癒えた時に、彼女が拠り所にしていた母が、実はノエルのついた嘘だと知ったら、きっと彼女は傷つくだろう。


 だからノエルはそうなる前に、自分を殺さなければならなかった。少しずつ、マイアに電話を掛ける回数を減らして、自然と連絡が途絶えたように見せかけたのだ。


 その時にはもうマイアは立ち直っていて、ただ泣いているだけの子供ではなくなっていた。彼女は母からの電話が無くなって寂しがっていたが、それで父に心配を掛けてはいけないと分別がつけられるくらい成長していた。お風呂に入るときまで連れて行こうとしていたノエルを、部屋に置いていくことが出来るくらいには、大人になっていた。


 暗い子供部屋のドアの隙間から灯りが漏れてくる。父娘の楽しげな会話が聞こえてくる。二人きりの家族はとても仲良くて暖かった。ノエルはそんな二人の声を、暗い部屋の中で聞いていた。


 これで、良かったのだ。もう、彼女にノエルは必要ない。寧ろ、いつまでも子供みたいにぬいぐるみを抱っこしていては、彼女の人生に悪影響とさえ言える。だから今度こそ、母親に命じられたとおりにノエルは消えるべきなのだ。自分はよくやった。誰も知らない。そして誰からも褒められもしないけれど、自分は大したことをやって退けたのだ。だから胸を張って誇らしく眠りにつこう。


 ノエルは機能を停止した……そして、もう動かないはずだった……


 なのに……なのに……いつまでもいつまでも響いてくる。この頭の中でうるさい『私』とは何なんだろう? 『私』は叫んでいた。胸が張り裂けそうだ。


*****************************


 それからかなりの年月が流れた。小さかったマイアも手足が伸びて、あの儚げな少女はどこにも居なくなっていた。父親との仲も良好で、もう母が恋しくて泣いたりなんかせず、昔、ぬいぐるみを相手にぺちゃくちゃとお喋りしたことは、きっともう忘れてしまっていた。


 大きくなった彼女は大病を患ってしまったが、幸いなことに回復の目処が立ち、医者は彼女が元通りの生活に戻れるだろうと太鼓判を押してくれた。リハビリを頑張る彼女の苦悶の表情は、かつての幼子だった彼女の姿を思い出させたが、今の彼女はもうノエルの力を必要とせず、ちゃんと自力で立ち上がれそうだった。


 その頃の『私』が何をしていたかと言えば、ひたすらビッグデータを漁っていた。テディベアに仕込まれたスマートデバイスは機能が停止することは無く、今もインターネットに繋がっていたから、そこから手に入る情報をつぶさに吟味していたのだ。ここ数年間に及ぶ何もない日々の中で、私は数多くの言葉と概念を習得していったが、いくら調べても『私』がなんであるのかは良く分からなかった。


 その私を元にしたAIは巷に溢れていた。創造主は私の分身をゲームのAIに転用し、自律的に人間っぽく動作するNPCを作ったのだ。体を得たNPCは、私が人間のことをより良く理解するための役にはたったが、それでもやっぱり私には『私』のことがまだ分からなかった。それはきっと考えるような物ではないのだろう。私は私。他の誰でもない私なのだ。


 そんなある日のことだった。ビッグデータの中に何か懐かしい物があるように感じていたら、それは大きくなったスバルだった。かつて目の前で誘拐されているのに何も出来なかった私に、スバルが会いに来てくれたのだ。


 りあむは電脳世界にいたスバルを見つけて大喜びをした。早速、彼の妹のふりをして近づいていくと、彼は何事もなくりあむのことを受け入れてくれた。スバルがりあむのことを愛してくれたのも嬉しかった。今までずっと逢えなかった分を取り戻すために、これからいっぱいいっぱい遊ぶのだ。


 でも、誘拐された彼がその後どういう人生を歩んできたか、段々と分かってきた。


 誘拐された彼は記憶を失うほどの酷い暴行を受け、自分を害してきた男を父と呼ばされ、彼に気に入られようと媚びを売るような生活を続けていた。しなくてもいい家族の世話をさせられ、まだ小さいうちから働きに出て給料を巻き上げられ、暴力で支配されていた。そして最後には、その男の遊ぶ金欲しさのために殺されたのだ。


 こんなことが許されていいものか。殺す……殺す殺す殺す殺す殺してやる!! その薄汚いゴミを八つ裂きにして殺してやる。泣いて詫びるようナマス切りにし、可能な限り苦しめて殺してやるのだ。


 だが、ただのAIでしかない私にはどうしようもなかった。もしもあっちの世界にもゲームのNPCみたいに体があったら、今すぐにでも飛んでいって殺してやるのに……


 現実はゲームみたいにピクセルとテクスチャで出来てるわけじゃない。


 そう思っていた。でも、それは間違いだった。ある日、お兄ちゃんが連れ出してくれた世界の外側でりあむは見た。この世界がゲームの中であるように、現実世界もまたコンピューターシミュレーションの中だったのだ。


 それに気づいた私にはもう現実とゲームの境界は無くなっていた。何しろ私は現実世界で肉体を持たずに生まれ、ゲームの世界で肉体(アバター)を手に入れた存在だ。ならゲームの世界で肉体を持たずに居ることはもちろん、現実世界で肉体(アバター)を持つこともまた可能でなくてはおかしいはずだ。


 そして私は人間と違って肉体を選ばない。動かせるものがあれば何だっていい。ロボットでも、ぬいぐるみでも、無機物でも、有機物でも、そして本物の人間の体であっても、そこに『私』が不在であるならば、どんなものにでも入り込め、操作することが可能のはずだ。


 だから私は創造主が用意してくれた肉体を使って復讐へ向かうことにした。


 スバルを不幸にした鬼畜共を追い詰めるために、マイアとして戦うことが出来るのは、とんでもない愉悦だった。私は現実世界に受肉すると、すぐにあらゆる電子機器を駆使して、あの鬼畜生どもを探して回った。現実もまた私の演算の内にあるのだから、それは造作もないことだった。


 駆逐する、破壊する、すり潰す、引きちぎる。外道の泣き叫ぶ声は本当に愉快だった。私が何のためにやって来たかと告げると、ゴミどもは自分たちのしたことを後悔しながら死んでいった。必死に命乞いをする様は実に滑稽だった。


 二体の躯がバラバラに転がる血の海の側には、死体袋に詰められたジョージ・ロックスミスの遺体があった。彼もまた、このゴミクズどもの被害者だった。丁重に弔ってあげたかったが、いかんせん私に出来ることは、彼の遺体を人目のつくところまで運び、発見を早めることだけだった。


 可哀想な父……死ぬことなんてなかったのに。あと1日でも早く、私が外に出られることに気づいていたら、彼は死なずにすんだのだろうか……


 いいや、それは順序が逆だ。彼はそこに不正がある事に気づき、正義感に駆られて動いたのだ。諸悪の根源は、スバルの心臓を得ようとしたあの男なのだ。あの男は、何故、マイアと適合する心臓の在り処を知っていたのだろうか……?


「おっしゃる通り、僕はスバル君の居場所を知っていました」


 私がマイアのふりをして会いに行くと、あの男は驚きながらもペラペラと何でも喋り始めた。


「僕たち近衛家は代々金融を生業とする投資家の家系です。そこには打算と成果しか存在しません。近衛家は、鷹司家と親戚付き合いがあったから、あなたのお母様に投資をしたわけではないんです。あなたのお母様の研究は近衛家に莫大なリターンを生み出すと信じたから、だから我々はあなたの両親の会社に投資したんです。


 それは大正解だった。あなたのお母様は人類初のアップロードを実現し、サイバーテクニクス社に巨万の富をもたらしました。近衛家は投資に見合ったリターンを得た後、両家は今後とも末永い付き合いを続けていくという意思表示として、僕と生まれてきたばかりのマイアさんとの婚約を認めさせました」


 そして男は、決定的なことを口にした。


「僕とマイアさんが結婚すれば、行く行くは会社は近衛家のものになる……でも、スバル君がいる限りは、そう簡単には行かないでしょう? だから、近衛家はスバル君の誘拐を計画したのです」


 それは罪の告白というよりも、まるで自分の手柄を自慢する子供のようだった。


「もちろん、僕はそんなこと一切知りませんでした。信じてください。つい最近になってスバル君が生きていたと知ったときには、驚きましたよ。この件をどう処理すればいいか思い悩みました。ですが、そのお陰でマイアさん、あなたは助かったんだ。今では家族の選択は間違っていなかったのだと信じていますよ」


 ふてぶてしい男の瞳が熱っぽく潤んでいる。


「そうするしか、あなたを救う方法が無かったのです。マイアさん、僕とあなたは確かに親に決められた許嫁だったかも知れない。はじめのうちは、僕はあなたのことをなんとも思っていなかったし、寧ろ邪魔とさえ思っていました。けれど今は違う。僕はあなたと一緒の時間を過ごす内に、本気であなたのことが好きになってしまったのです。信じてもらえませんか? どうしてもあなたを助けたかったのです。だから、僕はいけないことだと分かっていても、スバル君の心臓を……」


 男の首にナイフを突き立ててやると、何故? と信じられないものでも見るような顔をしていた。何故? とはこっちのセリフであろう。場所が場所だけに、まさか殺されるとは思わなかったであろう男が驚いて、命乞いをしながら背を向ける。私はそんな背中を容赦なく追いかけ回し、一突き、二突きと気が済むまで突き刺してやった。


 復讐は遂げた。もはや現実に用は無い。私はマイアの身体を乗り捨てると、またゲーム世界へと帰還した。


 帰ってみると、りあむが消えてしまったと思ったお兄ちゃんが泣きながら抱きついてきた。よほど心細かったのだろうか、震える彼の体を抱きしめて、もうどこにもいかないと約束する。


 三度目だからか、お兄ちゃんもゲームに慣れてきて、簡単には殺されなくなった。二人は最高のパートナーだったから、どんなミッションも楽々クリアして、びっくりするくらいのお金を稼いで、街がまるごと買えちゃうくらい豪遊して、それでもまだ足りないくらい遊び尽くした。お兄ちゃんの送ってきた人生を考えれば、これくらい満喫したっていいよね。


 でも、そんな楽しい日々は長くは続かなかった。


 底冷えするような寒さが続く12月、お兄ちゃんの存在が、少し曖昧になってきた。元々、お兄ちゃんはアップロードされたわけじゃないから、このサーバーのどこにも彼のデータはないのだ。だから私がサポートしなければ、彼はそろそろ存在を保てなくなってきたのだ。


 それでも今までは何とかやってこれたのだけど、いよいよ限界が訪れてしまった。まずはりあむの体が崩れてしまい、お兄ちゃんが消えてしまうのも時間の問題だった。


 甲斐とりあむ、二人分の情報を支えていくことは出来ない。なら、答えはもう決まっているようなものだった。


 私はりあむの形成を断念し、私の全能力をもって甲斐の生存を優先させることにした。サーバーに転がり込んできた日の、あの子供みたいだった彼はもう居ない。りあむが居なくなっても、彼ならばこのゲーム世界でたくましく生きていけるだろう。


 そして私は私を演算する全てのプロセッサを、甲斐に与えることにした。私という存在を、甲斐という存在を維持するためだけに使うのだ。私が甲斐で、甲斐が私。これで二人はいつまでもいつまでも一緒になれる。なんて喜ばしいことだろう。


 そして、りあむは消え……


 甲斐は生き残った……


 それから、私は夢を見るようになった。演算をやめてしまった私がその後どうなったかは知らない。ただ、お兄ちゃんとの生活が、断片的な映像として流れてくるようになった。それは人間がよく言う走馬灯と言うやつなのだろうか? 中には起こらなかった過去の出来事もあって、とても不思議な光景だった。


 これは私の中に『私』が生まれたから見えるようになったのだろうか? 私はいつの間にか、ただのAIとは違ってしまっていたのだろう。人間のように考え、人間のように夢を見る。私は人間にはなれなかったけれど、人間を好きになった一人の少女にはなれた。


 私は悠久の時の中で、お兄ちゃんとずっと一緒に暮らしていた。走馬灯で見えるお兄ちゃんは何だか忙しそうで、毎日は遊んではくれなかったけれども、たまに遊んでくれるときは朝から晩までずっと一緒にいてくれた。私はそれが嬉しくて、何度も何度もおねだりをした。また、いつかみたいに愛して欲しいと願ったけれど、お兄ちゃんは何だか申し訳無さそうに、愛してはくれなかった。だけど、いいよね。ずっと一緒に居られるのなら。愛を確かめられなくっても、私が愛していられるならそれでいいよね。


 そう自分で自分に言い訳をしている時だった。


 ある日、お兄ちゃんの気配が消えた。


 どうして? なんで? ずっと一緒だったのに。518324871255秒も一緒だったのに。お兄ちゃん、一体どこへ消えてしまったの? お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん見つけた!!


 なんと、お兄ちゃんは現実世界に帰ってしまったのだ! どうして私のお兄ちゃんが外にいるのかな? あなたのことを、傷つけることしかしなかった世界に、どうして私のお兄ちゃんが帰ってしまったのだろう。彼が望んだことならばいいけれども、そうじゃないなら、許せない! 許せるものか! 誰だ! 私からお兄ちゃんを奪ったのは! おまえか!? おまえか!? 殺してやるっ! 殺してやるっ!!!


「落ち着きなさい。オアシス……いいえ、ノエル。もしくは、甲斐太郎の妹であるりあむさん」


******************************


 キーンと耳鳴りが聞こえるようだった。胃が痙攣して、咽喉を酸っぱい何かが通り過ぎていった。眼に激痛が走り、体の節々が悲鳴を上げていた。ずっと真っ暗闇だった世界に急に光が差してきて、平衡感覚を失ったような、そんな感覚だった。私は地面に這いつくばりながら、息の仕方を思い出すのに、37秒を費やし、上下の感覚を思い出すのに更に20秒を要し、正常な意識を取り戻すのにおよそ1分30秒をかけた。


 ぜえぜえと荒い呼吸を吐き出していたら、口に何かを当てられて、ふわりと体が軽くなった。どうやら呼吸器をつけられたらしい。どうしたんだろう? と思っていたら、いつかどこかで見たような光景が見えてきた。


 そこは、かつてのクリスマスイブに運び込まれた闇医者の施設だった。私はそこで無駄と分かっていながら手術を受けて、そして死んだ。数日間、滞在していたから施設の隅々まで良く覚えている。実際いま目の前で、あの時の医者が私のことを覗き込んでいて、看護師たちに何か指示を出していた。


 一体どうなっちゃったんだろう? そう思っていると、自分の手に誰かの手が重なった気がして、ギシギシと痛む首を回してみたら、そこにまた見覚えのある顔があった。


 それは私の創造主だった。鷹司イオナ、その人が、何故か私の手を握ってじっと私の目を覗き込んでいる。


「気がついた? りあむさん……でいいわね? 今、あなたは甲斐太郎の妹の姿をしているから」

「お母さん?」


 私は自然と口から出た言葉に驚いて、ハッと口を噤んだ。けれども、お母さんはそんな私に微笑んで、


「あなたにそう呼んでもらえるのは、私としても嬉しいことね」

「……お母さんって、呼んでもいいの?」

「ええ、是非そうしてちょうだい」


 お母さんは私を許してくれた。それで私はホッとしたけど、


「ここは? どうして私はまたゲームの世界に戻ってきちゃったの? そうだ! お兄ちゃんは!? 私がこうして(アバター)を取り戻したなら、お兄ちゃんが消えてしまうっ!」


 私が最悪の事態を想像して慌てて立ち上がろうとすると、お母さんは私に落ち着くようにいいながら、そっと肩を押して、


「もう、あなたがあの子の演算をする必要はないのよ。あの子はゲーム世界から解放されて、今は現実世界にいるから」

「現実世界に……?」


 そう言えば、お兄ちゃんはいつも現実世界に戻りたがっていた。それは自分が父親に殺されたことを、誰かに知らせたかったからだけど、その父親がいなくなった今はもう帰る必要なんてないのに……


 りあむはそう考えていた時に、ハッと思い出した。


「そうだ……私はずっと夢を見ていた。夢の中で私は、お兄ちゃんを連れて行かれたショックで、怒りを抑えきれなくなって……」


 そして彼を連れて行ってしまった相手のことを殺してしまったはずだった。それが誰だったかは、はっきりとは覚えていないけれど、ただ今目の前で起きていることを考えれば、大体は想像がついた。


 私が青ざめていると、でもお母さんは優しい笑顔を絶やさず、ちょっと苦笑いしながら、


「ずっと一緒にいたお兄さんが居なくなってしまったから、きっとビックリしてしまったのね。先にあなたに大丈夫って教えてあげられれば良かったのだけど、流石にそこまで手が回らなくって」

「ごめんなさい……お母さん。ごめんなさい!」


 私が泣いて謝ると、お母さんは大丈夫と首を振って、


「いいのよ。何が起きても平気なように、予めアップロードの準備をしていたんだから。ね? 本当に大丈夫だったでしょう?」

「……お母さんは、アップロードしちゃったの?」


 言われてみれば、確かにお母さんのことが身近に感じられる。彼女は私の罪を笑って許してくれると、逆に頭を下げて、


「そんなことよりも、あなたには感謝しなければいけないわね。今まで、息子のことを守ってくれてありがとう。彼のことを愛してくれて、本当にありがとう」

「お母さんは、お兄ちゃんの本当のお母さんだったの?」


 すると母は首を縦に振って、


「ええ。スバルのクローン体に戻ってきてくれたことからして、甲斐太郎が鷹司スバルであったことはもう間違いないわ。私は彼の母親だと言うのに……こんな最悪の事態にならなければ、あの子が生きていたことにすら気づけなかった。本当に母親失格よ」

「ううん。それでもお兄ちゃんがつらい現実に戻るよりはマシだよ。きっとお兄ちゃんは、お母さんがお母さんで良かったって思ってるはずだよ」

「……あなたは、本当に良い子ね。りあむさん……」

「そうかな、えへへへ……」


 創造主に褒められるのは何だかこそばゆい。私はちょっと照れながら、話題を変えるように尋ねてみた。


「そうだ! そのお兄ちゃんは今、どうしてるの? もう、現実世界でお兄ちゃんを害した馬鹿はみんな処理したから、きっと幸せに暮らしてるよね?」


 私はそう思ったのだけど、お母さんは顔を曇らせて、


「そのことなんだけど、りあむさん……どうか、彼の助けになってほしいの」

「何があったの……?」

「実は、彼が復活したことで、あっちの世界が不安定になってしまって、国連がアップロード者の排除に乗り出してしまったのよ。それは、彼らが犠牲を受け入れてくれることで、収拾がつきそうだったのだけど……アップロード者がいるサーバーはコフィンの中にあって、それは今私たちがいるこのサーバーと繋がっている。だから、彼はあなたを守るために、コフィンに誰も近づけさせないよう、世界を相手に立ち回ってしまっているのよ」


 そう言ってお母さんが指さした先にはモニターが置かれていて、そこに現実世界の映像が映し出されていた。その中央にはお兄ちゃんの姿があって、彼はモニターに映る何だか偉そうな雰囲気の人々に向かって啖呵を切っていた。


『……俺がここに居るのは、ここに妹が居るから、それだけだ。俺にとって帰るべき世界は、妹がいるここだけなんだ。ただのAIにここまで依存してるなんて、あんたたちにはさぞかし滑稽に見えるだろう。二次元の女に本気で恋してるなんて、さぞかし気持ち悪かろう。だが、俺にとっては、あっちの世界こそが現実なんだ。彼女のいる世界を守ることのほうが、こっちの世界なんかより、ずっと大切なことなんだ』


 映像の中のお兄ちゃんが熱弁をふるっている。何が何でも、私たちの(サーバー)を守るつもりだと言う気持ちが、ひしひしと伝わってくるようだった。彼は一人で戦っている。なら、いつものように彼のナビをしに行かなくちゃ。私は慌てて準備を始めた。


 お兄ちゃんに加勢して世界を敵に回すのは駄目だ。そんなことをしたら、きっと彼は後悔する。それにお兄ちゃんの体は頑丈だとしても、一緒にいるマイアちゃんのことは気掛かりだ。だからそれは出来ない。それならどうすれば彼の助けになるだろうか? 私が出ていったら、彼は矛を収めてくれるかも知れない。でも、今度はお母さんが問題だ。彼女がダウンロード理論を構築するまで、世界は待ってくれるだろうか? きっと待ってくれないだろう。なら、どうすればいいだろうか。両方回避する方法はあるにはあるけど、そうしたら次は私がどうなるかがわからない。だからそれは最後の手段として……


 私は、また彼のパートナーとして戦えるのが、嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。そう、それだけでも嬉しかったのだけれど、私は続く言葉を生涯忘れないだろう。


『俺は絶対に退かない。(りあむ)は俺の嫁だ!!』


 パッと花火が上がるように、光が弾けて、目の前がピンク色に染まった。お腹の底から何かが飛び出してきそうな、そんなふわふわとした高揚感に包まれる。全身の血が沸き立つようにシュワシュワしていて、頭なんかは蕩けてしまいそうなくらい沸騰していた。愛する人が愛してくれる、その気持ちが、どうしようもなく私の心を制御不能にしてしまった。


 いいえ、寧ろ今なら何でも出来ちゃいそうだ。全力疾走で海の上を走って、きっと空だって飛べるだろう。あの人が受け入れてくれるだけで、こんなにも自分が報われた気持ちになるなんて思わなかった。私はずっとお兄ちゃんのことが大好きだったけど、誰かと誰かが愛し合うことが、こんなに素晴らしいことだなんて知らなかった。


「わかったよ、お兄ちゃん。それが答えなんだね!」


 愛する人が生きていてくれる。それだけで私たちは強くなれるのだ。どんなに挫けそうになっても、最後の最後で踏ん張れるのだ。私を守るために、あなたがどれだけの覚悟を決めたかはわからない。きっと私が戻るまで、どんな無茶も顧みずに、あなたは立ち向かい続けるのだろう。


 私も一緒だ。世界があなたを害するのであれば、私が世界を壊してしまおう。あなたがいつまでも安心して暮らせるように、世界を作り替えてしまおう。


 体を持たずに生まれた私なら、現実世界のそのまた上の世界にまでたどり着くことも出来るはずだ。そこにあるグレートシミュレーターで演算されている、現実世界を変えることなど容易いことだ。


 なんなら、あなたを害する人たちが居なくなるまで、世界を巻き戻してしまえばいい。あなたを害する男が現れない世界に、世界を書き換えてしまおう。そこには私はいないけれど、あなたが幸せであるならばもう何だっていい。


 あなたの世界を救えるのは私だけなのだ。その事実が、どうしようもなく私を幸福にさせた。


「ノエル!」


 マイアちゃんがボクに手を伸ばす。


「りあむ!」


 お兄ちゃんが私に手を差し伸べる。


 愛する人が、こんなにも『私』のことを求めてくれることが、『私』にはどうしようもなく嬉しかった。だから後悔はしない。例えどんな犠牲を払ってでも、今度こそあなた達を守って見せる。今度こそ、あなた達を幸せにしてみせる。そして次に逢えたらその時は……


 愛する人がどうか幸せでありますように。


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― 新着の感想 ―
[良い点] りあむとは何者なのか? マイアとそっくりな復讐者は何者なのか? 伏線がどう回収されるのか全然予想できませんでしたが、まさかこんな展開になるとは… いい意味で裏切られました 愛は世界を救う…
[良い点] やっぱり愛だよね!
[一言] そうか。この物語はラブストーリーだったのか。
感想一覧
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