バニシングポイント:甲斐⑤―6
ヤクザに拉致されたという真一郎を追いかけようとしていたら、草むらから調子っぱずれな声が聞こえてきた。不審に思って調べてみると、そこにつぶらな瞳のテディベアが落ちていた。こんなところに、誰かが置き忘れたのだろうか? そう思い、甲斐がそいつを拾い上げたら、いきなりそのクマのぬいぐるみが喋りだした。
「良かった。やっと話せる人と会えたよ」
「うおっ!? おまえ……喋るのか?」
「うん、ボクはノエル。高機能シッターロイド・オアシス。ま、君たちからしてみれば、ただの可愛いクマのぬいぐるみさ」
拾い上げたクマが喋りだしたことに驚いていると、その様子を背後で見ていた暴走族の一人がそれを指差し、
「あ、それ……マイアちゃんが探しに行くって言ってたやつじゃね?」
心当たりがあるらしい者たち数人が頷く。詳しいことを尋ねれば、どうやらこのぬいぐるみは、真一郎と一緒に連れて行かれた少女の所有物らしい。どうしてそんなものがこんなところに落ちているのかと思っていたら、そのクマが説明してくれた。
「ご主人さまが襲われたから、警報ベルを鳴らしたらヤクザに思いっきり蹴っぽられちゃったんだよ。そのまま置いてけぼりにされちゃって、さっきまでそこでご主人さまの帰りを待っていたのさ。やれやれ、今日は散々な目に遭ってばかりだ」
「おまえ……本当によく喋るな。AIが仕込んであるのか?」
「まあね。ところでお兄ちゃん、携帯持ってるでしょ。そこのバイクにセットしてよ」
「携帯? なんでだ?」
「いいからいいから」
所持品の中にあるはずだが、こっちの世界で誰かに連絡を取れるわけもないので、しまったままだった。言われたとおりに携帯を取り出しホルダーにセットしたら勝手に地図アプリが起動して、いつも妹がやってた携帯ナビが使えるようになった。驚いているとノエルがまた説明的に続けた。
「マイアちゃんのところへはボクが案内するよ。きっとそこに、君の弟さんもいるはずさ」
「おまえ、どうしてそれを……?」
「君たちの話をここで聞いていたんだよ。ボクはご主人さまをサポートするためだけに作られたから、彼女の居場所が分かるんだ。でも、ボク一人では動くことも出来ない。ボクはご主人さまを助けたい。君は弟を助けたい。利害は一致してると思うけど?」
甲斐は、この怪しいぬいぐるみの言うことを聞くべきかどうしようか迷ったが、最初に彼が言っていた通り、ただ闇雲に探したところで見つかるものも見つからないだろう。
甲斐はぬいぐるみを座席後部に縛り付けるように乗っけると、愛車に跨って暴走族連中に言った。
「俺はこいつと行くから、おまえらは好きにしてくれ。ついてくるなら……サイレンの音を追いかけろ。多分、俺はその先にいる」
「え? お兄さん何を言って……」
甲斐が返事を待たずにエンジンを掛けると、バイクはまるで飛ぶような勢いで加速し、それどころか本当に壁を飛び越えて行ってしまった。
ありえないようなスピードで壁をよじ蹴り、トライアルレースみたいに器用に屋根の上を走り去っていく甲斐の姿を、暴走族たちは唖然と見送る。
「お兄さん……いつからスタントマンにジョブチェンジしたんすか?」
そんなつぶやきをかき消すかのように、間もなく甲斐が予言したとおり、駅の方から警察車両のけたたましいサイレンの音が聞こえてきた。
*********************************
ノエルのナビに従って駅前商店街を突っ切っていくと、そこで警戒していたパトカーが数台、回転灯をつけて追いかけてきた。盛大に鳴り響くサイレンの音に、通行人たちが何だ何だと携帯をかざして動画撮影している。甲斐はその前を猛スピードで走り抜けると、駅ビルの壁面を垂直に駆け上がり、線路を超えて反対側へと渡ってしまった。
陸橋も踏切もないそんな場所をパトカーは追いかけてこれなかったが、駅の反対側にも警察車両はごまんと居たから、状況はあまり変わらなかった。寧ろ、甲斐の破天荒な行動が彼らを余計に警戒させたのだろうか、サイレンの数はいよいよ増して街を覆い尽くさんばかりだった。
警察車両でごった返す幹線道路は、そのせいでどこもかしこも渋滞を引き起こし、車は一台も動いちゃいなかった。甲斐はそんな渋滞の海をすり抜け、歩道を突っ切って、時には壁面を自在に走り抜けながら、警察をあざ笑うかのように、ノンストップで走り続けていた。
「ところでヤクザに拉致されたっていう、おまえのご主人さまは何者なんだ? 族どもの話を聞いた限りでは、真一郎のほうが巻き込まれたみたいだが」
パトカーを振り切っている最中、甲斐は後部座席にいるノエルに尋ねた。すると緊迫感のないのんきな声が耳元に聞こえてきた。
「彼女のフルネームは鷹司マイア・ロックスミス。君も知ってるだろう? アップロード理論の鷹司イオナ博士の娘さんだよ」
「なに!?」
「そして君の心臓を移植された女の子さ」
「……どうしておまえがそれを?」
「その心臓を調達したのがこのヤクザ連中なんだけど、マイアちゃんは彼らに逆恨みされていてね。それで連れてかれたんだよ。君の心臓を巡っては、こっちの世界でも一悶着あってね」
「……どういうことだ? おまえは何をどこまで知っている?」
「せいぜい、君の正体くらいさ。君の心臓のお陰で、ボクのご主人さまは助かった。だからというわけじゃないけど、君にとっておきの情報を教えてあげよう。君は父親に殺されたんだろう? その君の父親はこのヤクザどもに匿われていたんだ」
「親父は……やつは今そこにいるのか?」
「どうかな。行って自分で確かめてみるといい。そんなことよりも、ほら、見えてきた。あのビルの中で君を殺した連中が、今まさに君の弟まで殺そうとしているよ。許せないだろう? 頭にくるだろう? その怒りを、もう抑えたりなんかせずに、存分に解放してしまいなよ、お兄ちゃん!」
その甲高くて脳天気な声が、今は不気味に響いてくる。甲斐は携帯ナビに従いながら、本当にこいつの言う通りに来て良かったのだろうかと思いつつ、目的地を示す点滅の前でバイクを停めた。
渋滞の続く道路を進むことを諦め、いつからかずっと壁の上を走り続けていた。道行く人々は、そんなあり得ない光景を目の当たりにしてもまだ信じられなかったのだろう、映画の撮影かなにかのつもりで楽しげに手を振っていた。
甲斐がそんな動画撮影をするギャラリーを無視して、じっと向かいのビルを見上げていたら、外の騒ぎに気づいたのだろうか。その時、ビルのガラス窓がガラリと開いて強面の男が顔を覗かせ……そして、その背後で血まみれになった男の姿が見えた。
「うおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉーーーーーっっっ!!!!」
甲斐はその男が弟の真一郎であることに気づいた瞬間、目の前が真っ赤に染まり、頭の中は怒りで支配され、記憶はぷつりと途切れ、そこにいる全ての男たちを殺さなければ気が済まなくなってしまっていた。
**********************************
まるで泥の中を泳いでいるかのように、全てがスローモーションに見えていた。ヤクザ共の攻撃は、どれもこれも笑ってしまうくらい軽すぎて、子供を相手にしているようだった。
ゲームの時みたいに、じっと目を凝らせば壁も床も半透明に見え、音は波打つ光のように視覚化されていた。階下から誰かが上がってくるのも丸見えだったから、ドアを開けた瞬間に焼き殺してやった。下の階ではまだゴキブリみたいな影がいくつも蠢いていたから、そいつらも虫を踏み潰すように一匹残らず始末してやった。
するとパチパチと背中に小石が当たるような気がしたから、振り返れば別のヤクザがお化けでも見るような目で、必死にピストルを構えている姿が見えた。迫りくる銃弾も、全部見てから避けても間に合うくらいに遅くて、むしろ当たるのが難しいくらいだった。
はっきりいって、当たっても痛くも痒くもなかったが、当てられたという事実が癪に障ったから、甲斐はその銃弾を全部避けると、ムカつく連中を殺してやった。一人は首を貫き、もう一人はビルから落としてやったら、外のギャラリーから悲鳴が上がった。
それで、少し、我に返った。
「おい、親父はどこだ? 甲斐頑強はどこにいる?」
怒りの命じるままにビルの中にいた連中をみんな殺してしまったが、記憶する限りでは、その中に父親の姿は無かった。別の場所に匿っているのだろうか。何となく、ヤクザの親分だけ生かしておいてやったが、正解だった。後頭部をガンガン床に打ち付けながら尋問してみたら、親分は恐怖に満ちた表情で叫ぶように言った。
「死んだ! おまえの親父は死んだんだ!」
その言葉を聞いた瞬間、甲斐は全身を支配していた怒りが急速に冷えていくのを感じた。頭の中でパチパチと静電気が弾けるような音がして、思考がクリアになっていく。薄ぼんやりしていた視界はくっきりとして来て、興奮していた時にはしなかった血の臭いが辺りに充満していることに気がついた。
部屋の中には複数の死体が転がっており、階下には丸焦げになった人の成れの果てが折り重なるように積み重なっているのが見えた。外では落下してきた死体を囲んで、一般市民たちが不安そうにビルを見上げている。
父親が死んだ。その言葉がなかなか腑に落ちてこず、この世の終わりみたいな顔で甲斐のことを見上げている親分を見下ろしていたら、真一郎が言った。
「兄貴、その辺に写真が落ちてないか?」
「写真?」
そう言われて落ちていた写真を拾い上げたら、見知らぬ女に刺殺されている父親の姿が映っていた。父親の苦悶に歪む顔が滑稽に見える。それを見た瞬間、さっきまでの怒りが嘘のように霧散し、一瞬にして心は静寂に満ちていた。
そうか……親父は死んだのか。自分のことを縛り付けていた、この世の悪意を全てかき集めたようなあの男が……甲斐はどうしようもなく、清々している自分に驚いていた。
父親が死んだという事実に、こんなにも自分の心が癒やされるなんて、思ってもみなかった。誰かが死んで心の底から喜ぶことが出来るような人間が、この世に存在するなんて考えもしなかった。そしてそれが自分のことだったなんて、まったく思いもよらなかった。
だからどんな顔をすればいいのか、どんなリアクションを取れば正解なのか、まるで分からず、彼は無表情のまま立ち尽くすことしか出来なかった。するとその姿がよほど不気味に映ったのだろうか、
「私じゃない! そこに映ってるのは私だけど、私じゃないんです!」
と叫ぶ声が室内に大きく響いた。
振り返れば、そこには写真の少女が居て、必死の形相で首を振っている。甲斐はその姿を見た瞬間に、なんだか色んなことが一気に解決していくような、そんな気分になった。そうか、この少女が自分の心臓を受け継いだ……そして自分の本当の……
「甲斐君。それはマイアちゃんじゃないよ。彼女はずっとボクと一緒だったからね。本当さ」
ノエルが自分のご主人さまは無実だと追認している。
そんなこと言われなくても、甲斐には彼女が純真であることはすぐに分かった。彼女は誰かを殺せるような人ではない。物理的にも、精神的にも。薄汚れているのは、寧ろ自分の方だ。言い訳をしなくてはいけないのは、人殺しの自分の方じゃないか。
そう思うと、甲斐は彼女にどんな言葉もかけることが出来ず、ただ顔を背けて、
「そうか……」
と一言だけ呟き、そこに転がっていたヤクザの親分を蹴り飛ばしてから、逃げるように真一郎の方へと駆け寄っていった。
「真一郎、平気か?」
「あ、兄貴……この力はなんなんだ? 一体どうなってんだ、これ?」
甲斐がヒール魔法を掛けると、ボロボロだった真一郎の体はあっという間に回復してしまった。真一郎は慌てふためき、その能力が何なのか問いかけてきたが……
この場で自分のおよそ十年にも及ぶ迷走の全てを語り尽くすことなど、とても不可能だったから、甲斐ははぐらかすことしか出来なかった。いつか弟にも、あっちの世界で起きた出来事を話せたらいいが、きっとそんな機会は永遠に訪れないだろう。
と、その時、建物の外でパトカーのサイレンが鳴った。拡声器の声が、周辺住人に避難を呼びかけている。凶悪な犯罪者が暴れ回っています、近づかないでくださいと、切羽詰まった声で叫んでいる。
バタバタと階下から誰かを探しているような足音が近づいてきた。半透明に見える床の下では、身を低くした特殊装備の機動隊らしき姿が見える。彼らは、そこに転がっていた黒焦げの死体に驚きながらも、しきりに上の様子を気にしていた。どうやら、ここへ突入するつもりのようだ。
甲斐はそれを確認すると乗ってきたバイクを起こし、そこの落ちていたノエルをマイアに向かって放り投げながら、
「悪い、俺はそろそろ行かなきゃならねえみたいだ」
そう言い残し、窓から飛び出していった。
***********************************
愛車を駆ってビルを飛び出した瞬間、発砲された。
警官隊はまるで異星人でも攻撃してるかのような必死の形相で、甲斐のことを撃ち殺そうと躍起になっていた。
死にはしないが痛くて敵わないから、射線を切ろうとしてビルの屋上へ飛び乗ると、まさかそんなところに人が潜んでいるなんて予想もしていなかったのだが、スナイパーが至近距離から射撃してきた。
7.62ミリの弾丸が空気を切り裂きスローモーションで近づいてくる。流石にこれに当たったらタダじゃ済まない……甲斐は弾丸をギリギリで躱すと、本能的にバイクのホルダーからピストルを引き抜き、すれ違いざまにスナイパーの眉間を撃ち抜いた。
ワイン樽の栓を抜くように血が吹き出す。
「ひぃっ!!」
と、横に居た観測手らしき男から悲鳴が上がる。甲斐は舌打ちすると、屋上の真ん中でUターンして彼らの方へと戻った。一人残された相棒は、丸腰のまま甲斐に飛びかかろうとしていたが、腰が抜けて動けないようだった。甲斐は男を無視して、殺してしまったスナイパーに近寄ると、世界の外側で覚えた蘇生魔法を唱えた。
すると死体の眉間の穴から盛り上がるように弾丸が飛び出し、それがぽとりと地面に落下すると、間もなく傷口が完全に塞がって、呆けた表情でスナイパーが目を開けた。そんなあり得ないものを見てしまった観測手が目を回して失神する。甲斐は茫然自失の二人を置いて、アクセルを全開にすると隣のビルへ飛び移っていった。
渋滞で麻痺した幹線道路のあちこちには、動けなくなったパトカーがところどころで立ち往生していた。それがちょうど網の目のような包囲網となって、彼らは無線で連絡を取り合いながら、甲斐の行く先々で警告もなく発砲してきた。地面に降りると面倒くさいことになるのは目に見えていたから、ビルの壁面にへばりつきながら進んでいく様を、通行人たちが我先にと争って動画撮影していた。甲斐はその上を優雅に通り過ぎると、光学迷彩をまとって空へと消えていった。
渋滞を避け、屋根を越え、路地や垣根をかき分けて、甲斐は道なき道を進んでいった。渋滞は都内にまで影響を及ぼしていたようで、川を渡る橋はどこもかしこも塞がっていたから、仕方なく羽田の時みたいにまた船に乗り換えて川を渡り切ったところで、彼は人目を避けるように草むらへと駆け込んだ。青臭い匂いが鼻を突く中、はあはあと荒い呼吸を整える。
仰向けになって空を見上げていると、空高くを猛禽が弧を描き、地上の獲物を探している姿が見えた。遠くから聞こえてくるクラクションの音が無ければ、ここが都会のど真ん中だということを忘れそうになった。太陽に手を翳すと流れる血潮で真っ赤に染まった。それがまるで殺人鬼の手と重なって見え、彼は自分のやってきたことを思い出しては、自分はもう、こっちの世界には戻れないんだなと、漠然とそんなことを考えていた。
現実に戻ってきてから、まるで自分が自分じゃなくなったみたいに、思考が言うことを聞かなくなっていた。体が、精神を引っ張るのだ。健全な精神は健全な肉体に宿ると言うが、どうやらそれがこっちの世界のルールらしい。
ビルの屋上で警官を撃ち殺した時は、まったくの無意識だった。10年を超える時をゲームの中で過ごしてきたから、もはやあの動きが染み付いてしまっているのだ。ヤクザを殺した時だって、これっぽっちも罪悪感を感じることがなかった。今の自分なら、彼らを復活させることだって出来たはずなのに、そうしなかった。そうする気にもなれなかった。自分は能動的に彼らを殺したのだ。
子供の頃から死ぬときまでずっと、父親のことが怖かった。怖くて怖くて、仕方がなかった。その恐怖が、あれだけの怒りを抑えつけていたのだと思うと、頭が変になりそうだった。今の自分は、簡単に怒りに支配されてしまう。軽く煽られただけで、平気で人を手にかけるだろう。そんな殺人鬼みたいな奴が、ゲーム世界のチート能力を手に、暴れ回っているのだ。そんなのが存在していいわけがないだろう。
「……帰ろう。あっちの世界に」
もはや自分はこの世界にとって、ただの異物でしかない。ゲームの世界こそが、今の自分の現実なのだ。
思えば自分はこの世界で生まれ育ったはずだが、こっちに帰ってきたという実感はこれっぽっちもなかった。何を見ても懐かしさを感じず、何にも愛着が湧かなかった。殺してやりたいほど憎かった父親は死に、弟の無事も確かめられた。ならばもう、なんの未練もないじゃないか。
元々、こっちの世界には妹を助けるために戻ってきただけだ。ゲームの中ではいくらやっても彼女を助けられなかったが、彼女がいるサーバーがある現実世界ならなんとかなるだろうと思ったのだ。
それなのに、一時の感情に流されて、何を遠回りしているのだろうか……早く、彼女を助けてあげなければ……
甲斐は草むらから立ち上がると、妹の居るエアフロートへ戻るために歩き出した。ゲームなら手配レベルはマックスだろうから、バイクにはもう乗らないほうがいいだろう。
電車を乗り継ぎ、羽田空港へと戻ってくる。
またついうっかり、エアフロートへ渡る橋があると思ってしまったのだが、気を取り直して島に渡るバスを探していたら、彼は自分がニュースに取り上げられていることに気がついた。
昼間、コフィンを襲撃した何者かが、警官隊とカーチェイスをした末に、超能力としか思えない力を使って逃げおおせてしまった。その犯人らしき人物は、都内と埼玉県各地で相次いで目撃され、一般市民の提供した動画にばっちりとその姿が映っているとのことだった。
どう考えても自分のことだ。甲斐は慌てて身を隠そうとしたが……
「撮影者はこのように、男を撮影したあとで意識を失い、そのまま病院へ搬送された模様です。このような超常現象が埼玉県内で相次いで確認されており、当局は原因の究明を急いでいるところです……続報です! たった今入った情報によりますと、搬送された人たちは、重度の人面瘡に冒されており……」
人面瘡……? トイレに駆け込もうとしていた甲斐は足を止め、眉を顰めた。
ニュースを鵜呑みにすれば、どうやら甲斐を目撃した者たちが現在、次々と人面瘡に罹患して病院に運ばれているらしい。もしそれが本当だとしたら、自分がそれをばら撒いているということになるが……
不思議に思って辺りの様子を窺ってみたら、甲斐のことを見ながら戸惑った表情をしている者が数人見えた。多分、同じニュースを見て、そこにいるのが誰であるかに気づいたのだろう。甲斐は顔を伏せると、急いで人気のないトイレへ向かい、服を着替えてから何食わぬ顔で空港を後にした。
今は人が多い場所は避けたほうがいいだろう。見つかる危険もあるが、巻き込む危険のほうがずっとまずかった。そう判断した彼は、空港を離れると埠頭を目指した。こうなったらまた海を渡ったほうが誰の迷惑にもならずに済むだろう。その判断は正しく、ボートに乗った彼は誰に見咎められることなくエアフロートまで帰ってこられた。
上陸時だけ気をつけたほうがいいと、光学迷彩で姿を隠して島に上がった甲斐は、そのまま真っ直ぐコフィンを目指した。コフィンの周りは人気が絶えており、中に入ると耳鳴りがするくらい静まり返っていた。昼間の騒ぎの後に、閉鎖でもされたのだろうか。
チートを使って建物内の人影を探ってみたが、人は殆ど残っていないようだった。代わりに警備ロボットが各フロアに散らばっており、見つかると面倒くさいことになりそうだった。エレベーターを使うのは得策ではないだろう。甲斐はビルから出ると、壁面をよじ登ることにした。
何十フロアもあるビルの壁面を歩いて、ようやく高井の部屋まで帰ってこれた。チートで中の様子を窺ってみたら、高井は甲斐が最初に目覚めた部屋にまだいるみたいだった。早いところ彼女のところへ帰り、妹を助けてくれるよう頼んでみよう。甲斐はスキルを使って室内に侵入したが……
しかし、その足は何だかとても重かった。暴走して飛び出してきてしまったこともあるが、もしかすると彼女は自分の本当の母親かも知れない……そう思うと、どんな顔をして会えばいいのか分からなかったのだ。
それにもし、甲斐がまたゲーム世界に戻りたいと言ったら、彼女はなんと言うだろうか。素直に戻してくれるだろうか、それとも引き止められるだろうか。もしそうなった時、彼は断りきれるかどうか、正直な自分の気持ちがわからなかった。
だから万一にもそうならないよう、やはり自分一人で方を付けるべきだろうか……そんなことを考えながら、彼女の部屋へ向かっている時だった。
甲斐は、室内には人気がないのに、妙に騒がしい音が聞こえてくるような気がして、足を止めた。誰かがいる、というわけではなくて、何かの機械が不快なノイズを立てているような、そんな感じである。
そう言えば、さっきチートを使って見た高井の部屋の中で、やたらと掃除ロボットやらなんやらが動き回っているように見えたが……そう思って、もう一度チートスキルを使おうとした時だった。
「うおっ!? なんだこりゃ!!」
甲斐が何気なく踏み込んだ室内には、足の踏み場もないくらいの数のロボットが蠢いていた。それは侵入者に気づくやいなや、突然、ぐるりとそのセンサーを彼に照射して、一斉に飛びかかってきた。猛スピードで突っ込んでくるロボットの群れが、次々と打撃を与えてくる。それなりに重量があるから、かなりの衝撃だ。今の甲斐でなければ、骨折してもおかしくなかった。
まるでSF映画の機械の反乱みたいな状況に、甲斐は一瞬パニックになったが、すぐに冷静さを取り戻すと、彼を押しつぶそうとするロボットを引き剥がし、ジャンプして天井に着地するや、ファイヤーボールをお見舞いした。相手が人間であればそれでビビって終わったろうが、しかし相手は感情のないロボットだからか、攻撃の手は緩まなかった。
ロボットは甲斐が天井に張り付いたのを見るや、まるで蜘蛛の糸に縋る地獄の亡者みたいに、自分たちを足場にピラミッドを作り、その先端から次々とジャンプして尚も攻撃を仕掛けてきた。その執拗さに驚きつつも、とはいえ高所を取って圧倒的に優位なのは甲斐の方であり、無謀な特攻はただ彼の魔法の餌食となった。
と、その時、何発もファイヤーボールを使ったせいか、スプリンクラーが反応し、途端に室内が水浸しになってしまった。甲斐がそれを見て電撃魔法へ切り替えると、ロボットたちはその攻撃を食らってあっけなく沈黙した。
ドサドサドサ……っと、床に散らばるお掃除ロボットの数々が、ショートして青白い火花を散らしている。
甲斐はスプリンクラーが止まるのを待たずに床に飛び降りると、ビリビリと体を走る衝撃に耐えながら、高井のいる部屋へと急いだ。
何かがおかしい……
お掃除ロボットなんかが突然襲いかかってきたのもそうだが、これだけの騒ぎが起きているというのに、部屋にいるであろう高井がまったく声を上げないことも気になった。またチートを使って透視すると、半透明の壁の向こうで、彼女はさっきと寸分違わぬところにじっと座っている。眠っているのでもなければ、ここまで無反応な理由はなんだ?
果たして、嫌な予感に駆られながら彼女の部屋に入るや否や、目に飛び込んできた光景に彼は舌打ちした。荒らされた部屋の奥には高井の執務机があったが、その椅子に腰掛けた彼女は喉から大量の血液を流していたのである。
「おいっ! 平気か!?」
甲斐は慌てて駆け寄ると、彼女の脈を取ろうとして腕を取った。しかし、触った瞬間に分かるその冷たさに、脈を探すのは無駄であると判断すると、代わりに蘇生魔法を唱えた。
高井の体が蛍光色の光に包まれる……
しかし、スナイパーの時とは違って、高井の額の傷は塞がらず、彼女は椅子の上でぐったりしたままだった。さっきは上手く行ったのに、何がまずいんだろうか? 彼は舌打ちしてから、別の魔法を試してみようと考えを巡らせた。
と、またその時だった。
ガタッ……と背後で音がして、振り返るとそこには弟の真一郎と、そしてあのヤクザの事務所で助けた少女が……鷹司マイア・ロックスミスが佇んでいた。彼女は椅子で冷たくなっている母親と、甲斐の顔を交互に何度も見返している。弟は兄の凶行を目撃して、信じられないといった顔をして固まっていた。
「違う! 俺じゃない! 俺じゃないんだ!!」
甲斐は自分じゃないとアピールしたが、高井を復活させることが出来なかった以上、状況は明らかに分が悪かった。彼は奥歯をギリギリと噛み締めると、
「……ファストトラベル」
と一言呟き、その場から逃げるように去っていった。




