リスポーン:甲斐⑤―5
ぐるぐると回る走馬灯も、もう何回も見過ぎて今やただの風景だった。灰色の中を影のように流れる思い出の数々に、自分がどれほど死後の世界に依存していたのかを思い知らされ、打ちのめされた。楽しかった思い出は、ほぼ全てが妹で埋め尽くされていた。彼女を助けるために同じ時間を幾度も繰り返した甲斐は、気づけば現実と同じくらいの時間をゲームの中で過ごしていた。もはやゲームのほうが、彼の現実と言えるくらいだった。
でも今は現実に戻らねばならない。尤も、高井に言わせればそこもまたコンピューターの中だなんて、何の因果なのだろうか。そんな虚無な感情に流されないように意識を集中させながら、彼は世界の外側にいる自分を探った。
いや、自分を探す必要など無い。世界を変える必要なんてない。自分こそが世界なのだから。だから彼は朝目覚めるような気安さで、ただゆっくりと目を開けた。すると時計の針が時を刻むように、何かがカチッとはまるような感覚がして、気がつけば目の前には新たな世界が開かれていた。
いつもなら、とっくに妹にベッドから落とされている頃だろうに、目覚めた彼は代わりに仰向けに寝そべりながら、見知らぬ天井を見上げていた。耳鳴りがするくらい静かな空間で、白い壁に囲まれて、彼は微妙に硬い寝台の上に寝かされ、肩口の広いゆったりとした病衣みたいな服を着せられていた。
成功したのか? と体を起こそうとしたら、まだ覚醒しきっていないのか体が言うことを効かず、いつもとは勝手が違うぞ? と思っていると、突然、電気が走るようにビリビリとした痛みが全身を通り抜けて、急速に感覚が戻ってきた。カラカラに乾いた眼球を癒やすかのように、涙が溢れ出してきて、視界がぼやけている。ギクシャクしながら、なんとか上体を起こしたら、すぐそばに誰かが佇んでいる姿が見えた。
「……高井か? ダウンロードは、上手く行ったのか?」
ぼんやりする頭で眉間を指で押さえながら話しかけるも、高井は緊迫した表情をしたままピクリとも動かず、じっと甲斐の姿を凝視していた。自分の体に何かおかしなところでも在るのだろうか? そう思って体を確認していたら、高井がいる方とは逆の壁にあるモニターに、ベッドの上に座っている自分の姿が映し出されていた。
髪型は変わっていたが、顔はいつもの自分のままだった。だが、何となく違和感を覚えた彼はじっとモニターの中を見ながら、
「……これは、本当に俺の体か? 少し違和感があるんだが。何となくだが、いつもより一回り大きいような……」
「あなたがちゃんとした栄養を得て育っていれば、そうなっていたのよ」
甲斐が自分の体を確かめていると、ようやく放心状態から我に返った高井が話しかけてきた。また振り返って彼女の方を見れば、高井は自分の口に手を当てて信じられないといった表情で甲斐のことを見下ろしていた。
「どうやら成功したようだな? ここはどこだ?」
「ここは東京湾岸エアフロート、中央研究棟の中にある私の私室よ……あなた達には、コフィンと言ったほうがわかりやすいかしら。あなたの身体を作るには、ここの設備が必要だったのよ」
「コフィンの中だって? じゃあ、やっぱりあんたはあの……」
自分が閉じ込められていたゲームの開発者であり、アップロード理論のパイオニアである、鷹司イオナで間違いないだろう。甲斐がそんな有名人の顔をマジマジと見ていると、彼女は少し戸惑ったように視線を逸らした。甲斐は、何でそんな罪人みたいに後ろめたそうな表情をしているのだろうと思いながら、
「そうか。俺の生前のDNAから身体を生成したんだな。しかし、どうやって手に入れた? 俺の死体は処分されてもう残っていなかっただろうに」
それとも、実家の遺留品から採取した髪の毛あたりから再生したのだろうか? 今の技術ならそれくらい可能だろう。そんなことを考えていると、
「いいえ、違うわ。その体のDNAは、甲斐太郎から採取したものじゃない」
「……俺じゃない?」
突然、何を言い出すんだろうと眉を顰めていると、高井は何とか絞り出すような声で、
「私の娘には、双子の弟がいたのよ。でも幼い頃、私の不注意で彼は誘拐されてしまった……その後、犯人からの連絡もなく、警察の捜査も打ち切られて、殺されてしまったのだと思っていたのだけど……私がその身体を生成するのに使ったのは、その、行方不明になった私の息子の物なのよ」
「あんたの息子? それじゃ俺は、他人の体を使って復活したってのか? しかし……これはどう見ても俺の体としか思えないんだが……?」
甲斐は困惑気味にモニターに映る自分の体を確かめた。それは生前……つまりゲームに囚われる前の自分の姿と、どうやっても瓜二つにしか見えなかった。高井が言うことが本当なら、何故、彼女の息子が自分と同じ姿をしているのだろうか……?
その時だった。
突然、全身を貫くようなビリビリとした衝撃が走って、甲斐の体は寒くもないのに勝手にブルブル震えてきた。まるで呼吸する方法を忘れてしまったかのように、ハッハッと小刻みな息をしながら、彼はふらつく体を両手で必死に支えなければ、起きていることすら困難になっていた。大量の脂汗が顔中から吹き出し、胸を突き破りそうなくらい大きな鼓動で、体が跳ね上がりそうなくらいだった。
「ど、どうしたの!? 体に何か異変が起きたのかしら?」
突然の甲斐の豹変に驚いて、高井が彼の様子を診ようと近寄ってくるが、
「どけっ!!」
「きゃあっ!!」
ところが甲斐はそんな彼女のことを乱暴に突き飛ばすと、勢い余って寝台から転げ落ち、そのまま地面に這いつくばり、血走った眼で虚空を見据えながら、獣のような叫び声を上げた。
「あの野郎……あのあのあの、あの野郎……殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス!!!!」
彼は突然、壊れたスピーカーみたいにそんな言葉を口走り、これまた壊れた玩具みたいに体をガクガクと震わせながらゆっくり立ち上がった。全身から吹き出す汗のせいで、体からは湯気が立ち上って見えた。その目を見るだけで、彼が正気を失っているのは誰にでも分かった。
彼は、体のどこかがおかしくなってしまったわけじゃなかった。ただ、抗いようのない強烈な怒りに、支配されていたのだ。その時の彼の頭の中は、たった一人の人物への憎しみ一色に染められていた。それが彼の全ての思考を奪い去り、他には何も考えられなくなってしまっていたのだ。
高井には、いや、鷹司イオナには双子の子供がいた? その息子のDNAから生成されたクローンが、自分と同じ姿形をしているというのは、どういうことだ? そんなの、考えるまでもないではないか。
自分がもしも誘拐された彼女の息子なのだとしたら、その自分を誘拐したのはあの男で間違いない。自分には本当に幼い頃の記憶が無かった。それは子供の頃からずっと虐待を受け、家畜のように扱われ、いいようにこき使われたストレスのせいに違いなかった。
許せない……だが、それ以上に許せないのは……自分でも本当の父親だとは思っていなかったが……まさかここまで他人の人生を目茶苦茶にしてくれていたなんて……
「頑強……甲斐頑強……あの男……どこだ! どこだどこだどこだどこだ! あのあのあの男コロスコロコロスコロススコロス!!!」
強烈な憎しみに支配された甲斐の視界は真っ赤に染まった。彼は体の奥底から湧き上がってくる憎悪の炎に抗えず、ただ一人の男を殺すことだけに頭の中が埋め尽くされてしまい、まともに体を動かすことすら出来なくなってしまった。
「落ち着いて! 怒りに飲み込まれないで!」
平衡感覚を失い、地面を這いつくばるようにして蠢く彼のことを心配して、高井は何とか手を出そうとしていたが、まるで気が触れてしまったかのような彼の瞳に気圧されて、近づくことすら出来なかった。
そして、そんな彼女がまごついている時だった。
地面を転がる甲斐の体が突然、謎の光を発したと思いきや、空をつかもうと伸ばした彼の手が、何もない虚空に吸い込まれ、そしてその中から何かをズルリと引きずり出したのである。
普通に考えたら絶対にあり得ない物理現象を目の当たりにして戸惑っている高井の前で、甲斐は虚空から自分の愛車を取り出すと、それによじ登るようにして乗り込んだ。そして、2ストロークのエンジンが重厚な音を轟かせ始動すると、甲斐はまるでそうするのが当然であるかのごとく、壁に向かってバイクを走らせ、驚いたことに、そのまま壁の中に吸い込まれるように消えてしまった。
ガソリンと、排気ガスが混じった臭いが鼻を突き、室内には薄っすらと黒い煙が充満している。
「分かっていたはずよ……こ、この世界もまたシミュレーションだと分かっていたつもりだけど……こんなことが、まさか、現実に起きるなんて……」
そんな部屋のど真ん中で、置いてけぼりを食らった高井は、腰を抜かしてへたり込みながらも、科学者らしくたった今起きた現象を理解しようと努めていた。
「……おそらく、生まれたての体を手に入れたせいで、感情がむき出しになってしまっているのね。精神が肉体に引っ張られるのは、完全に想定外だったわ。あの魔術みたいな能力も。ゲーム世界で手に入れたスキルをこっちに持ち出せるなんて、いくら何でも想定外よ。どうしよう……? とにかく、すぐに追いかけなきゃ。行き先は大体想像がつくけれども、でも今の彼を止められるかどうか……」
高井が親指の爪を嚙じりながらそんなことを考えていると、いつの間にか家中のお掃除ロボットや警備ロボットが集まってきていた。その数は10や20では済まない。甲斐が暴れたせいで部屋はこれ以上なく散らかってしまっていたが、それにしては数が多すぎるような気がするが……
彼女がそんな不可解な現象に首をひねっていると、ふと、部屋の中に風が吹いたような気配がして、顔所は咄嗟に風の吹く方へ目をやった。するとスーッと部屋のドアが音もなく開いて、その向こう側に人影が立っているのが見えた。
「……そう。そうね。魂のない義体が立ち上がるのは、魂がない証拠よね。彼は彼の。私は私の責任を取らなければならないわ」
弧を描くように隊列を組んだロボットたちのまん中で、高井は冷や汗を垂らしながら、そんなセリフを漏らした。その人影は、彼女には馴染みがないが、良く見知った姿をしていた。
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絶え間なく襲ってくる憎しみに、頭が割れそうだった。動悸とめまいで意識が混沌としていて、何かにしがみついていなければ、地面を突き破って地球の奥底まで落下してしまいそうだった。
甲斐は自分が何をしているのか殆ど無意識のまま、いつものようにインベントリを開いて乗り物を装備し、出てきた愛車のアクセルを全開にすると、迫りくる壁に衝突する寸前で、これまた無意識的に「ファストトラベル!」のスキルを使って、衝突を回避していた。
そのチートスキルを使用したら、普段なら世界の外側まで飛び出してしまうはずなのだが、しかし、こっちの世界では少し勝手が違ったみたいで、甲斐は世界の外側には飛び出ずに、ビルの別階層へと瞬間移動してしまったようだった。
視界が一瞬暗くなったと思ったら、次の瞬間、彼は天井が高くて少し開けたホールの中にいた。そこはコフィン内の職員が集う広間になっていたようで、大勢の人たちが行き交う中に、突如前触れもなく現れた暴走バイクを目の当たりにした人々から、悲鳴があがった。
甲斐はその悲鳴で一瞬我を取り戻したが、すぐにまた怒りに飲み込まれると、身を竦めている職員のギリギリをバイクで掠めて通過していった。どこからともなく現れたバイクを避けようとする職員たちが左右に飛び退き、海が割れるかのように道が開かれる。
甲斐はそのど真ん中を突き進みながら、周囲の景色に強烈な既視感があることに気がついた。それもそのはず、ここはゲームの中で何度も襲撃を繰り返したコフィンの中なのだ。彼にはその構造が手に取るように分かっていた。
甲斐は職員たちの間をすり抜けると、迷路のように入り組んだ廊下を、ほぼブレーキ無しで走り続けた。
あっという間に警備ロボットが集まってきたが、彼は、「邪魔だ!」と一喝するなり、ファイヤーボールで一掃してしまった。そのせいで廊下は火の海になり、スプリンクラーが回りだした。水浸しになった床が滑ってハンドルが取られ、イライラした彼は苛立ちを爆発させると、
「どけどけどけっ!!」
と、逃げ惑う職員を追い立てるかのように、手近な室内にバイクごと飛び込み、慌てふためく職員たちを避けながら、窓に向かってアクセルを全開にした。
はめ殺しの窓は銃弾すらも弾くはずだったが、甲斐のバイクみたいな目茶苦茶な重量には耐えきれるはずもなく、バシャッと水しぶきを上げるかのように粉々に砕け散ってしまった。
気圧の変化で強烈な風が吹き付ける。書類の束が紙吹雪のように舞って、よろけた職員たちが床に這いつくばっている。甲斐のバイクは窓の外へとダイブして、真っ逆さまに落ちていったが……
次の瞬間、まるでテレビ画面をぐるんと90度回転させたかのように、彼の周囲の重力だけが切り替わってしまったとしか思えないような軌道で、甲斐を乗せたバイクはビルの壁面に着地したかと思えば、そのままものすごいスピードで地上階へ向けて走り出した。
たまたまコフィンの見学に来ていた団体は、突如、上層階で何かが割れたかと思いきや、ガラス片と共に壁を伝って真っ逆さまに下りてくるバイクを目にして、逃げることも忘れてあんぐりと口を開いてポカンと見上げていた。
甲斐は地上階に到達する寸前で、クイッとハンドルを持ち上げると、また画面を90度回転させるかのように重力が切り替わり、そんな団体客の上を飛び越えてバイクは地上へふわりと着地した後、タイヤ痕を少しだけ残して、一瞬にして走り去っていった。
コフィンの壁面で加速したバイクは最高速度200キロを超えたまま、観光客でごった返すエアフロートの商業施設へ突っ込んでいった。邪魔に思った甲斐は、今度は重力をひねるように90度回転させて、ビルの壁面に着地して、そのまま真横に突き進んでいった。そんなあり得ない光景を目の当たりにした人々が、悲鳴のような声をあげている上を甲斐は悠々通り過ぎると、人工島から羽田空港へ続く橋の方へと一直線に進んでいった。
しかし、彼は忘れていたのだが、現実世界にはそんな橋など存在せず、たどり着いた場所には東京湾の真っ暗な海が広がっているだけだった。だが甲斐は今更引き返せないとそのままバイクで海に飛び込むや否や、着水する直前で虚空からボートを装備し、水を切る石のように海面を幾度も飛び跳ねながら、真っ直ぐ進んで、そのままの勢いを維持したまま羽田の滑走路まで到達し、またバイクへと乗り換えるのだった。
羽田の管制塔は、きっと突然現れたバイクに慌てたことだろう。甲斐は今まさに離陸しようとしているジャンボ機の真下をくぐり抜け、ターミナルビルへと一直線に進んでいった。続いて滑走路へと向かおうとしていた飛行機が急停止し、中から悲鳴が聞こえてくる。
タラップ車とシャトルバスを追い越し、搬入口からビル内へと侵入した彼は、慣れ親しんだ通用口から広間へ突入し、利用客の悲鳴をかき分けながら警備員の制止を振り切り、回転ドアの横のガラスを突き破ってバスターミナルへと飛び出した。
そこは懐かしの首都高湾岸線と地続きになっていて、間もなく料金所を破壊しながら高速道路へ突入した彼は、遠くから迫りくるサイレンの音を聞いていた。上空を警視庁のものらしきヘリがパタパタと音を立てて追いかけてきており、甲斐は一瞬、バズーカで撃ち落としてやろうかと思ったが、辛うじて残っていた理性でなんとか押しとどまり、代わりに速度を上げた。
大井ジャンクションから首都高に入り、右手にレインボーブリッジを見ながら進んでいくと、前方に検問が待ち構えていたが、高速道路の壁面を垂直に走ってその上を通過し、唖然としている警官隊を尻目に環状線を霞が関トンネルへ向けて進路を変える。
検問が敷かれていたのは、上空のあのヘリのせいだろう。甲斐はトンネルに入ると、すぐさまバイクを装備欄から外して、代わりにインベントリから一般車両を選んで装備した。突然、走っていたバイクが車に変身した様を見てしまった気の毒なドライバーが、ハンドル操作を誤って壁面に激突し、そのままズリズリと壁を擦って停まってしまった。
トンネルを抜けるとバックミラーに黒煙が上がる出口が見えたが、ヘリからすればきっと甲斐が事故を起こしたように見えたのだろう。上空を旋回し始めたヘリを置き去りに、甲斐は流れに乗って埼玉方面へ急いだ。
板橋本町から下道へ下りて道なりに進み、荒川を越えてついに埼玉県へと入った。オール・ユー・キャン・暴徒の世界では、どう足掻いても行くことが出来なかった自分のホームタウンが見えてくると、甲斐は本当に現実世界に帰ってきたのだと実感し、少し冷静さを取り戻してきた。
とは言え、頭の中は今すぐ父親を殺してやりたいという怒りで満たされており、とても信号待ちなんて出来るような心境ではなく、当たり前のように無視して走り続けていたら、またサイレンの音が聞こえてきて、こうなっては四輪に乗ってる方が分が悪いと、またバイクに乗り換えて走り始めた。
歩道を突っ切り、壁面を垂直に走り抜け、そして甲斐はついに自分の地元に帰ってきた。
実家のすぐ近くまで来た彼は、これ以上警察に追われていては面倒くさいことになると思い、バイクから降りると光学迷彩を使って姿を晦ました。あちこちから応援に駆けつけてきた警察車両が困惑気味に右往左往している駅前を通り抜け、中学生だった彼を何の事情も聞かずに雇ってくれたパチンコ屋の前を通り過ぎ、昔ながらの工場街へと入る。
いよいよ、あの馬鹿親父に会えると思うと、心臓が張り裂けそうなくらいバクバクと鳴っていた。それが憎い奴を殺すことが出来る歓喜の雄叫びだと思うと、その痛みが愛おしく思えるくらいだった。甲斐は全身に汗をびっしょりとかきながら、よろめくように狭い道を走り抜け、そしてついに、懐かしの我が家へと帰ってきた。
すすきの穂が実る殺風景な空き地の向こうに、今にも崩れ落ちそうなボロ屋が見える。妹と二人で暮らしていた安アパートを10倍くらい古くしたようなその建物の階段を登ると、甲斐は一番奥の部屋の扉を蹴り破って侵入するなり声を張り上げた。
「おらぁっ! 頑強このクソ野郎! 出てこい、糞がぁ!! 殺すっ! 殺してやる! 殺すぞっっ!!!!」
語彙力を失ってしまったかのように殺すと連呼しながら室内に駆け込んでいった甲斐は、しかし、それ以上何も出来なかった。久しぶりに帰った我が家はしんと静まり返っており、まるで人の気配がしなかった。カビの臭いがして、本当に、何ヶ月も誰も住んでいないような、そんな感じがした。
いつも外をほっつき歩いている父親と、家に帰ってこない弟はともかくとして、頭がイカれちまった母親は居るはずだ。そう思って室内を隈なく調べてみるが、家の中はもぬけの殻だった。
「くそがっ!!」
甲斐は地団駄を踏んだ。すると腐りかけていた床が抜け、ズボッと足が地面に突き刺さってしまった。あまりの脆弱さにイライラし、甲斐は足を引き抜くのではなく寧ろ破壊するつもりで、ドンッ! と思い切り床を打ち付けたら、グラグラと建物全体が揺れて、本当に床が抜けてしまった。
「ちくしょうがっ!!」
すっぽりと開いた穴から一階に落下してしまった彼は、舞い上がった埃で全身ススだらけになりながら、悪態をつき、着ていた病衣を脱ぎ捨て、インベントリから適当な服を装備した。
もう何年も人が住んだ形跡のない部屋の中に埃が充満し、ゲホゲホと咳き込みながら一階の部屋から抜け出すと、外では緊迫した表情の老人がこちらの様子を窺っていた。甲斐がじろりと睨みつけると、彼は一瞬蛇に睨まれた蛙のように硬直していたが、すぐに目の前にいる男が誰であるかに気づいたらしく、一転して軽蔑したような横柄な態度で詰め寄ってきた。
「あ、おまえ、甲斐の倅だな!? なんてことしやがんだ、この馬鹿もんが!」
「ああ?」
「家壊しやがって、弁償だ。弁償しろ! おまえら家族には散々迷惑かけられた上に、家まで壊しやがって、この野郎! 今すぐ金払え! 訴訟するぞ!」
もう体感時間で10年以上も留守にしていた甲斐には一瞬それが誰か分からなかったが、どことなく見覚えのある顔をよく見れば、それはこのボロ屋の大家だと気がついた。何年も前から甲斐家に出ていって欲しくてあの手この手で嫌がらせをしていたが、逆に父に脅されてどうにもならなくなった気の毒な老人だった。甲斐はそんな彼に申し訳なく思って、いつも下手に出ていたのだが、それで増長してしまったのだろう。他の家族に掛けられた迷惑の鬱憤を晴らすかの如く、老人は甲斐にだけはいつも強気だった。
だからこの時もそのつもりで近づいてきたのだろう。しかし、今の甲斐にはそんな老人の気持ちを慮る余裕などなくて、彼は顔を真っ赤にして掴みかかってきた老人のことを、ただ危険人物だと判断し、
「あっ? いたたたたた……ひぎゃっ!?」
いつもゲーム内でそうしていたように、老人の手をひねり上げると、顔面を殴打してノックアウトしてしまった。
地面に突っ伏している大家が、泡を吹いて白目を剥いている。
甲斐はそんな気の毒な老人を上から見下ろしながら、自分のやってしまったことに驚いて、しばしの間呆然と佇んでいた。
ゲームに閉じ込められていた時間は長かったとはいえ、自分はこんなに粗野な男だったろうか? いきなり掴みかかって来られたのは確かだが、これではあの馬鹿親父と変わらないじゃないか……
そんな自己嫌悪の気持ちが彼を追い詰め、途端に胸が苦しくなる。甲斐は目眩のようにクラクラする頭を抱えながら、老人の横に跪くと、妹のために世界の外側で手に入れたヒール魔法を彼に使った。すると老人の体が蛍光色に光りだし、暫くすると彼は意識を取り戻して、目をパチクリさせながら甲斐のことを見上げていたが、
「ひぃっ!」
やがて正気を取り戻すと、一転して恐怖の表情に変わって、甲斐のことを押しのけるようにして走り去っていった。
甲斐はそんな老人のことを、コメカミを指で突きながら見送っていた。何だか頭が重いというか、気分が悪いというか、どうにも体の調子がいまいちしっくり来なかった。もしかして、ダウンロードの弊害なのだろうか? そう思っても、自分にはどうしようも出来ないでいると、
「あのー……もしかして真ちゃんのお兄さんじゃないっすか?」
甲斐が脳みそが痒いと言わんばかりに頭をガンガン叩いていると、横合いから声がかかった。見ればどこぞの暴走族みたいな特攻服を着た男が、まるで死人でも見るかのような表情で甲斐のことを見ていた。その背後には数台の改造バイクに跨った男たちの姿があって、どこぞの暴走族どころか、間違いなく暴走族であろうことが窺えた。
甲斐はその顔に見覚えがあるような気がしてじっと見つめていたら、男は少し気後れしたように控えめに自分の顔を指差し、
「やっぱり、真ちゃん……真一郎くんのお兄さんですよね? ほら、俺のこと覚えてませんか? ガキの頃、何度か家に遊びに行ったことありますよね?」
「……ああ、真一郎のツレの」
「お久しぶりっす! しばらく見ない間に、なんか雰囲気変わったっすね。見違えちゃいましたよ」
男は甲斐の顔を強張った表情で見ている。先程の大家もそうだったが、そんなに酷い顔をしているのだろうか? 甲斐が眉間にしわを寄せて顎を擦っていると、暴走族は緊張気味な表情のまま、戸惑うような口調で続けた。
「つーか、お兄さん、やっぱ生きてたんじゃないすか!」
「あ? どういう意味だ?」
「いや、悪い意味じゃなくて、実は真ちゃん、もしかしてお兄さんが死んだかも知れないっつって、ずっと探してたんすよ」
それは思いがけない情報だった。どうやら真一郎は、甲斐が殺されたことに気づいていたようだ。甲斐は自分の死を悼んでくれた人が、この世に一人でも居たということに安堵しつつ、
「そうか……心配掛けたな。真一郎はどこだ? そう言えば、家には母ちゃんも居なかったが」
「それなんすよ!」
甲斐が真一郎の所在を尋ねると、暴走族の男はまた緊迫した表情で前のめりになって、
「実は真ちゃん、ヤクザと揉めてて……さっき、そいつらに連れてかれちゃったみたいなんすよ!」
「はあ!? あいつ、何やってんだ!」
「いや、真ちゃんが悪いんじゃないんすよ。奴らが女の子さらってて、それで……」
「……どういうことか、もうちょっと詳しく説明しろ」
その内容は穏やかじゃないのに、いまいち説明不足な言葉に苛立って甲斐が詰め寄ると、暴走族は気圧されるようにのけぞりながら、
「いや、俺ら、ずっとお兄さんのことを探してたんすけど、そしたら真ちゃんの親父を匿ってるヤクザが探すなって脅してきて」
「親父を匿ってるヤクザだあ? どこのどいつだ、それは!?」
「いや、それがわかんないんすよ! そんで俺ら無視してたんすけど、今日、マイアちゃんって女の子と知り合ったんすけど、そしたらあいつら何かマイアちゃんのこと知ってたみたいで、いきなり襲ってきて、そんで連れてかれちゃったんすよ」
「あ~……もう! 何いってんかわかんねえな! とにかく連れてかれたんだな? どこに!?」
「いや、だから分からないんだって! で、俺らも探してたとこなんすけど……」
甲斐は尚も要領を得ない彼の説明に、チッと一つ舌打ちをすると、これ以上付き合ってられないとばかりに、インベントリから愛車のバイクを取り出した。
「うおおおぉーーーっ!? なんすか、それ!? お兄さん、いつから手品師にジョブチェンジしたんすか!?」
いきなり飛び出してきたバイクに暴走族たちが驚いているのを無視して、彼は颯爽とバイクに跨ると、
「とりあえず、手分けして探そう。俺は街の西側を調べる。おまえらは……」
甲斐が暴走族たちに指示を出している時だった。
「待って、お兄ちゃん! 闇雲に探したところで、見つかるものも見つからないよ」
突然、どこからともなく、調子っぱずれな声が聞こえてきて、甲斐は眉を顰めた。それは海外の子供向けアニメの吹き替えにでも出てきそうなフザけた声で、甲斐は最初暴走族の誰かがやってるのかと思って一瞬殺伐とした目を向けたが、
「お兄ちゃん、こっち。こっちだよ!」
よく聞けば、声は家の前の草むらの方から聞こえてくる。一見したところ、すすきの穂の生い茂る空き地には誰もいないようだが、こっちこっちと尚も聞こえてくる声に、甲斐たちはお互いに顔を見合わせながら、草をかき分けてその声の主を追っていった。すると、
「良かった。やっと話せる人と会えたよ」
すすきの穂をかき分けて進むと、空き地の中央付近の草むらの影に、クマのぬいぐるみがぽつんと落ちていた。甲斐がそれを拾い上げると、つぶらな瞳のぬいぐるみは、おどけた声でそう言った。




