ダウンロード:マイア④―1
早朝。近衛睦月殺害の容疑で、いきなり警察に逮捕されたマイアは、その彼女自身の死体が発見されたというおかしな理由で、あっという間に釈放された。発見された死体の指紋と、留置所から採取された指紋が一致したために、晴れて彼女はお咎めなしとなったのだが……何一つ偽りは述べていないはずだが、何を言ってるのかさっぱりわからないから、もうちょっと状況を整理してみよう。
心臓移植を受けて以来、マイアは甲斐という男の夢を見始めた。甲斐はマイアが譲り受けた心臓の元の持ち主らしく、臓器を提供した今は当然死んでいると思われるのだが、夢の中の彼は何故かVRゲームの世界で生き続けており、ログアウト出来ずに困っているようだった。
その話をマイアの父に話してみたところ、彼は最初はただの夢だと笑っていたのだが、途中で気が変わって詳しく調査をし始めたことで、何者かに殺されてしまった。警察が言うには、どうも国際的な違法臓器売買グループが関与しているらしい。
この臓器売買グループを追っていた警察は、父が殺された事件を受けて、マイアの心臓を見つけてきた近衛の関与を疑い、彼を任意で取り調べていた。近衛も父が殺害されてしまったこともあって、犯罪組織と取引したことを認めたようだが、その直後に警察の留置所で殺害されてしまう。
しかも、その犯人は、なんとマイアの姿をしていたのだ。
犯人の姿は留置所の監視カメラにバッチリ映っており、彼女は近衛の収監された独房に当たり前のように入っていくと、彼を殺害してまた当たり前のように出ていった。彼女がどうやって誰にも見咎められることなく警視庁へ侵入出来たのか、そしてどうやって出ていったのかはわからなかったが、とにかく犯人の姿ははっきりと映っているのだから、警察はマイアを逮捕しようとした。
ところが、犯行時刻、当のマイアは父の通夜のために葬儀場におり、あろうことか警察が彼女の姿を見張っていたのだ。故に、マイアは絶対に犯人ではない。だが、監視カメラにはマイアの姿がバッチリ写っている。
困り果てた警察は、取りあえず保護のためにもマイアの身柄を確保しようと逮捕状を取ったのだが……そうしてマイアを警視庁へ連れてきた刑事の下へ、所轄署から犯人の死体発見の知らせが届く。お台場の公園で見つかったという死体の指紋を調べてみたところ、留置所にべったりとついていた犯人の指紋と一致したという次第である。
こうしてマイアはまるでタイムアタックでもしてるみたいに釈放されたわけだが……それで何もかもめでたしめでたしとは、とてもまだ言える状況ではなかった。
マイアの姿をしていた犯人は、何故死体となって発見されたのだろうか。殺されたのか、それとも自殺なのか。そもそも彼女は何者だったのか? どこからやって来たのか? そして監視カメラがある中で、どうやって近衛に近づき殺害出来たのか……? そういったことはまだ何一つ分かってはいなかった。
警視庁のロビーへ続く階段を降りていくと、家政婦の三田が下から見上げていた。
その隣には白衣を着た、いかにも研究者っぽい女性が立っていて、鑑識医かな? と思っていたら、どうやら母の研究所から派遣された人らしかった。年の頃は母と同じか少し上くらい、化粧っ気はなくて短髪の、颯爽としたキャリアウーマンを絵に書いたような感じの人である。
お互いに挨拶を交わして事情を聞くと、今回のマイアの逮捕は関係各所への根回しもなく行われたものだから、当然母には知らされておらず、政府の息がかかっている研究所は抗議するために彼女を派遣してきたらしい。
ところが、いざ怒鳴り込んできてみたら、警察は全く拒むことなくあっさりとマイアを釈放してしまったので、彼女は肩透かしを食ってしまった格好のようだった。彼女は苦笑するような、バツが悪そうな表情で、
「やあ、はじめまして。お母さんの同僚で榊と申します。マイアさんをお助けしようと飛んできたつもりが、なんだかあっさり解決しちゃったみたいで、まったく拍子抜けでしたよ。警察が勇み足を侘びてってわけじゃないですよね。一体、中で何があったのですか?」
「ど、どうも……いえ、それが私にもさっぱりで……」
取りあえず挨拶がてら、上の取調室で起きた出来事を話して聞かせると、最初のうちは愛想笑いを続けていた榊の表情が次第に険しく変わっていき、
「……マイアさんのそっくりさんが、どこからともなく現れたってことですか? 留置所に、直接?」
「はい」
それで近衛のことを殺害したのだと伝えると、家政婦の三田はショックを受けていた。マイアはあまりにも色々有りすぎて、もう感覚が麻痺していたが、これが普通の反応だろう。
マイアは榊にも同じような反応を期待していたが、ところが彼女は近衛殺害という情報には一切興味を見せず、
「そのマイアさんのそっくりさんは、留置所の中を歩いていたんですか? お台場で、死体が発見されたってだけじゃなく」
「え? はい、そうです」
「間違いなく?」
「はあ……牢屋の前の廊下に監視カメラがあるそうなんですが、それにバッチリ映ってましたよ?」
「映像があるんですか!? それは……興味深い……」
榊は、そっくりさんの方に強烈な反応を見せたかと思うと、殆ど反射的といった感じにフラフラとマイアが降りてきた階段を上がっていき……途中の踊り場で、何かを思い出したかのように振り返ると、また忙しなく戻ってきて、早口に、
「すみません。私は抗議の意味も含めて、これから刑事さんとお話してこようと思います。いつまで掛かるか分かりませんから、申し訳ありませんが、先に研究所の方へ帰っていてくれませんか? マイアさんを連れて」
「……私に言ってるんですか?」
てっきり、マイアに話しかけてるのだと思っていたらしい三田が面食らっている。
「これ、車のキーです。研究所に着いたら、まずは地下駐車場に行って、そこの守衛さんに鍵を渡せば停めてくれますから。後は係の指示に従ってください、話は通してあります」
榊はそんな彼女に有無を言わさず強引に鍵を渡すと、返事を聞かずに一段飛ばしで階段を駆け上がっていってしまった。あとに残された二人は、しばしの間呆然と階段の上を見上げていたが、やがてお互いに顔を見合わせて、
「なんなんでしょうか、あの人」
「さあ……」
二人は肩を竦めると、取りあえず車を探しに駐車場へ向かった。
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自動運転に行き先を告げると、車は何も言わず滑るように走り出した。その運転はとても正確で、男たちのそれとは比べ物にならないくらい乗り心地が良かった。しかしハンドルを奪い合うように交代で運転していた彼らの後ろ姿を、後部座席から見ることはもう無いのだと思うと、なんだかとても悲しくなってきた。
父と近衛のことを考えていたマイアは、在りし日の彼らの姿を思い出し涙が溢れそうになったが、しかし、隣に座る三田を心配させるわけにもいかないので、出来るだけ考えないように努めながら、窓の外を流れる景色をじっと見つめていた。
車は汐留から高速に上がると、レインボーブリッジを横に見ながら、そのまま甲斐がいつも利用している湾岸線へ入っていった。やがて羽田空港の沖合に、東京湾岸エアフロートの巨大な塔が聳え立っているのが見えてきて、彼はいつもこの景色を見ているのだと思うと、少々感慨深かった。尤も、ゲームとは違って現実には千葉県があるから、こっちのエアフロートは羽田空港からではなく、アクアラインを通って、海ほたるから少し北上したところにあった。
因みに現実のエアフロートはとんちきな金持ちのタワマンではなく、観光客も楽しめる複合施設だったから、思ったよりも人出が多くて、島内には信号も多数存在した。車はそんな中を徐行しながらコフィンへと向かって走っていった。
流石に政府の研究所だけあって、コフィンの近くは商業施設もなく、観光客もまばらで人気は無くなったが、代わりにガードロボットらしき物は増えていった。監視カメラがあちこちに光る中、車はやがて地下駐車場へと入っていくと、広大なスペースの入口にあった守衛の詰め所の前に、自動的に停止した。
制服を着たガードマンが中から出てきて、彼は手にしたタブレットと車の後部座席に座っている二人を交互に見ながら、榊はどうした? と尋ねてきたが、理由を話すと納得したらしく、二人を下ろして彼は本来の駐車スペースへと車を移動させにいった。
取り残された二人がこれからどうしたらいいんだろうと途方に暮れていると、詰め所の横にあったエレベーターがポーンと音を立てて開き、中から研究者っぽい白衣を着た女性が出てきて、こちらへどうぞと挨拶をしてきた。どうやら到着してすぐ、上の受付に連絡が入っていたらしい。流石、政府の機関だけあると言うべきか、コフィン内ではこんな風に、全ての来訪者が監視されているようである。
女性研究員に案内されて、二人は上層階にあるレストランへと連れて行かれた。そこは展望室のついた小綺麗なビュッフェで、シェフは帝国ホテルで長年コック長を努めた人物らしい。研究者ならいつでも利用可能だそうだが、これが研究者たちのためだけの食堂だと思うと、なんとも贅沢な話であった。そう言えば、朝から何も食べていないことを思い出し、彼女のおすすめのメニューを頼んでみる。
それはさておき、てっきり母が迎えに来るのだとばかり思っていたのだが、どうやらその母は不在であるらしく、聞けば、父の会社の引き継ぎやらなにやらで忙しくて、今はあっちで取締役会を行っているそうである。そういえば、マイアも大株主になるはずだから、そのうち呼ばれるのだろうか……そう考えると、今から憂鬱であった。
その母の住居はこのコフィン内の居住区画にあるそうだが、一般の研究員には入れない場所であるようで、本当なら榊が案内するはずだったのだが申し訳ないと言って、研究員は去っていった。
研究員が居なくなると、三田も自分の職務を思い出したらしく、開けっ放しの目白の本宅が気になるから、自分は一度あちらへ戻ると言って、彼女もまた去っていってしまった。
ところで、流されるままにここまで来てしまったが、マイアも今朝は目白の自宅に居たはずである。なら自分もあっちに戻ったほうがいいんじゃないか? と、一人残されたマイアは、職員たちの好奇の目に晒されながら思った。
母はこの研究所の所長という立場であり、言うなれば会社の社長みたいなものだった。その娘がいるのだから彼らも落ち着かないのだろう。とは言え、こっちだって動物園のパンダじゃないのだから、ジロジロ見られては飯も喉を通らないというものである。せっかくのご馳走を前にしていると言うのに、マイアの食欲はどんどん減退していった。そういえば、ノエルも置いてきてしまったし、やっぱり家に帰ろうかな……
そんな風に肩身の狭い思いをしてたら、
「やあやあ! ほったらかしてしまい申し訳ありませんでした。刑事さんと話してる最中に、そういえば私が居なければ居住区に入れないなと思い出して、慌てて帰ってきましたよ。あれ? お手伝いさんは、どうしたんですか?」
いきなり耳に飛び込んできた大きな声に顔を上げたら、入口の方から榊が手を振りながら歩いてくるのが見えた。背筋をピンと伸ばして颯爽と歩く姿は、その外見も相俟って格好良く見えたが、これまでの経緯から彼女の印象は随分変わってしまっていた。
見れば食事をしていた他の職員もちょっと慌ただしそうにしている。どうも彼女を苦手としている人は多そうだ。マイアが、三田は本宅の方へ戻ったことを伝えると、
「あ~……それは彼女に悪いことをしてしまいましたね。仕事があると知っていたら、こんなこと頼まなかったのですが。言ってくれれば良かったのに」
いや、そんなこと言う隙も無かったではないかとマイアが言う前に、
「それでは、早速お母さんのお部屋までご案内しましょうか。エレベータに乗ったら、すぐですよ。あ、ご飯はそのまま残しちゃって平気ですよ。また頼めばいいんです。なんせタダですから」
榊は不愉快そうな顔をしている給仕係の横を、何事もないように通り過ぎていく。マイアはペコリとお辞儀をしてから、申し訳無さそうに彼女の後を追った。
エアフロートは海の上の人工島という場所柄、アクセスする方法が限られているから、職員の半分くらいはこのビルに職住一体の形で暮らしているそうだった。精神アップロードが日本の基幹技術となった現在では、この場所は国家機密に関わるから、その人選はかなり厳しいもののようである。
そんな中で、マイアの母である鷹司イオナは、他の居住者と比べても相当高待遇で迎えられているらしく、他の職員は1フロアに20世帯が暮らしているのにも関わらず、彼女だけは1フロアをまるごと一人で使っているそうである……掃除が大変なんじゃないだろうか? と言ったら笑われてしまったが。
因みに、榊に言わせればそれは特別なことでも何でもなくて、母はこの研究所の主任研究者でもあるから、その研究内容が絶対外部に漏れないように隔離しておく必要があるらしく、彼女の部屋は防火区画によっても物理的に隔離されているとのことだった。
そんなすごい場所で、母は一体どんな研究をしているのだろうかと、返事が返ってくることなど全く期待せずに呟いたら、意外にもあっさりと答えが返ってきて、
「お母さんの今の研究内容は、専らダウンロードのことですよ」
「ダウンロード……?」
榊はこっくりと頷き、
「精神をアップロードしたのなら、それをまた元の肉体にダウンロードをしたくなるのが人情というものでしょう。人間の精神をコンピュータ上に再現することが出来たのなら、それを元に戻すのは容易なはず……
元々、インプラント者やベイジングスーツの着用者は、現実世界と仮想世界とで交互に精神の切り替えが出来ていたんです。だからアップロード者も、新たな肉体を用意すれば現実世界に戻ってこれると、そう考えられていました。ところが、これがいくらやっても出来ないんですよ。
アップロード者は一度死んだ人間ですから、その精神を元に戻すのは死者を復活させるようなもの……それは神への冒涜だから出来なくって当然だ、という考え方もあります。ですが、科学的には出来ないほうがおかしいでしょう? それで、我々はまだ見逃している何かがあるんじゃないかと、日夜研究に研究を重ねているわけです」
「お母さんは、死んだ人を生き返らせようとしているんですか?」
「有り体に言えばそうです。それが、彼女の悲願でしたから……」
榊は至極当然のように頷いている。しかし、マイアはその事実に薄気味悪い印象を抱いた。それは神への冒涜とかそういう気持ちではなくて、母は一体、誰を復活させたかったのだろうか……そう思って、胸の中にモヤモヤとしたものが広がっていくのを感じていたのだ。
対象的に榊はその技術に確信を得ているのに、周りが懐疑的なことを、辛酸を嘗めるような苦々しい表情で、
「しかし、未だにそれが実現出来ていない今となっては、アップロード技術の信憑性までもが疑われ始めているんですよ。ダウンロードが出来ないのは、実はアップロード自体が成功していないからじゃないかって。今ここにいるアップロード者たちは、みんな、ただAIがそれっぽく演じてるだけの偽物なのではないかって……アップロード技術を持たない第二世界や、相続権を主張するハイエナみたいな人たちには、その方が都合いいですからね。
もちろん、アップロード者たちも日本政府も、そんなわけないと、我々の技術を今のところは追認してくれています。ですが、早急にダウンロードが実現出来なければ、それもいつまでもつか分からない……というのが、今の我々に突きつけられた課題といいますか、現実でしょうか」
つまり、母のここでの権威も、いつまでも安泰というわけではないという事だろうか……
ポーンと機械音が鳴り響いて、ふっとマイアの体が軽くなる。エレベーターの扉が開くと、そこにはふかふかの絨毯で埋め尽くされた広大なスペースが広がっていた。マホガニー製の応接セットとダイニングキッチン、綺羅びやかな装飾品の施された家具が並び、そこには夥しい数のトロフィや賞状が並んでいる。
奥へ続く廊下が左右にまた伸びていて、中央にはスロープ状のゆるやかな階段があり、ロフトになってる中二階までカーブを描きながら続いていた。壁際にはいくつもの扉が見えて、このフロアにはまだまだ沢山の部屋があることを暗に示していた。
そのドアをパタパタと開いて、お掃除ロボットが何台も通り過ぎ、その様子を窺っていると、奥の廊下から執事ロボットがやってきて『おかえりなさい』と挨拶をした。榊が、ロボットの頭に持っていたカードを乗せると、ロボットは『こちらへどうぞ』と二人を先導するように動き出した。榊が言う。
「このカードがマイアさんのここでのIDになりますから、無くさないでください」
ロボットに連れられて階段を登ると、中二階にもいくつもの扉があった。ロボットはその内の一つの前で止まると、カードキーを差し込むように丁寧にお願いしてきた。言われたとおりにドアノブについてる穴にカードを差し込むと扉が開いて、中には豪勢な家具が並び、真っ白なシーツでピンとベッドメイクされているダブルベッドが置かれていた。
どうやら普段は客間にしているそれらの部屋の一つを、母はマイアに貸し与えてくれるようだ。本宅の自分の部屋の倍はあるんじゃないか? という広い部屋の中央に立ったマイアは、開放的というよりかえって萎縮するような圧迫感を覚えていた。
「それでは、私はこれで……」
そんな風にマイアが借りてきた猫みたいに縮こまっていると、部屋の出入り口でその様子を見ていた榊が暇を告げてきた。マイアはドアを押さえて行儀よく待っている執事ロボットを追い越して、今まさに階段を降りようとしていた彼女の背中に声をかけた。
「あの! ……お母さんの研究は、あまり上手くいってないんですか?」
すると榊はニヤリと確信するような笑みを浮かべて振り返り、
「いいえ、ダウンロードは出来ますよ。今日、その糸口が見つかったんです」
彼女はそんな思わせぶりなセリフを残して、また颯爽と去っていった。
だだっ広い部屋に取り残されたマイアは、まだおりこうにドアを押さえて留まっていた執事ロボットに礼を言うと、暫くの間、中二階から階下の応接セットを眺めていた。こんな王侯貴族みたいな部屋の中で、母は普段一人でどんな生活をしているのだろうか……
玄関ホール兼応接室の奥にはまだいくつも扉があり、廊下も奥まで続いているのだが、家主が不在の中で家探しするような真似は気が引けたから、結局、マイアは何もせずに与えられた部屋の中でぼーっとしていた。
しかし、夕方が過ぎても母は帰らず、三田からの連絡もなく夜が来て、マイアは執事ロボットが持ってきてくれたディストピア飯みたいな食事を終えると、母を待つのに嫌気がさしてさっさとベッドに潜り込んだ。
もう少しすれば、もしかしたら母が帰ってくるかも知れなかったが、一体、どんな顔をして会えばいいのか、相変わらず距離感がつかめず、グズグズ考え事をしているうちに、そして彼女はいつの間にか眠りに落ちていた。




