ホワイト・クリスマス・イヴ:甲斐④―3
TAKAを世界の外側に連れて行ったあの日から……もう何ヶ月もの月日が経過していた。
現実の人間に会えるかも知れない。そう期待してやり始めたマルチミッションでは、毎回必ずと言って良いほど、現実の人間っぽいプレイヤーと遭遇した。だが、いざ仲良くなってアドレス交換をして、そしてあの世界の外側へと連れて行っても、最初の二人の時と同じように、その悉くが消えてしまった。
一応、毎回ちゃんと追跡調査も行っていた。それによると、世界の外側で消えてしまった人物は、戻ってくると甲斐と出会ったこと自体を忘れてしまっており……また、同じ記憶を共有する第三者の記憶からも、二人の関係性は消えてしまっていた。
丁度、TAKAの記憶が消えてしまったあと、通り魔が『甲斐とTAKAは知り合いじゃない』と言っていたようにだ。
マルチミッションは、もう何百回と繰り返しており、かなりの人数を世界の外側に連れて行ったのだが、今のところ一人として例外に当たったことはなく、今となってはもう、このゲームには本物の人間など居ないのではないかと思い始めていた。
もしくは、自分ひとりだけがおかしな空間取り込まれているとか……夢を見てるだけなんじゃないかとか……
一度、時間を掛けてこの現象を考察したこともある。
世界の外側へ出て、周辺を見回してみると、今まで自分が居たマップだけではなく、他のプレイヤーが現在進行形で遊んでいるらしきマップも無数に存在していた。つまり、プレイヤー一人ひとりは、実際には一つの世界に存在しているわけではなく、みんなそれぞれ別々の世界を見ているわけだ。
どうしてこんなことになっているのか?
文字通り、ここがゲームの世界だと考えればわかりやすいだろう。
我々が普段オンラインゲームをする時は、それぞれ別々のPCなり携帯なりの端末を使って『サーバー』にアクセスしている。ゲーム自体は手元にある端末で『クライアント』ソフトを起動して行われ、敵を倒して得られる経験値やお金、アイテムなどのデータはサーバーに記録される。
そして他プレイヤーとの会話や共闘も、サーバーを介して行われている。この時、手元にあるクライアントの画面には、他プレイヤーのアバターが映っているが、これはサーバーから送られてきた相手のプレイ記録をクライアントが受け取って、見た目だけが表示されているだけだ。現実に、他プレイヤーがそこにいるわけではない。
これを世界の外側に行った時に当てはめて考えてみよう。
あの時、甲斐とTAKAは同時に世界の外側へと行ったが、実際には二人は別々の世界に居て、お互いの姿や会話は、サーバーを介して表示されていたに過ぎなかった。だから、侵入禁止区域に入った途端、サーバーはプレイヤーの位置をロストし、通信が途切れてしまったと考えれば、いきなりTAKAが消滅してしまった現象を説明できる。
だが、言うまでもなく、これには問題がある。
仮にそれで相手のアバターが消えたとしても、記憶まで消えるはずがないのだ。あの場で一時的に二人の通信がロストしたとしても、こっちの世界に戻ってきて、また電話なりなんなりして再会すれば、同じ記憶を共有しているのが筋だろう。相手のことを覚えていないというのは、どう考えても不自然過ぎる。しかも、第三者の記憶までもが改ざんされてしまうのだ。こんなことがあり得るだろうか?
相手がNPCだったと考えれば、そういうこともあるかも知れないが……少なくともTAKAも通り魔も、マルチミッションで出会った全てのプレイヤー(らしき人)たちも、とてもAIが適当にでっち上げた人格とは思えないのだ。
こうなってくると、もう、おかしいのは相手ではなく、自分なんじゃないかとさえ思えてくる。
世界はちゃんと法則通りに動いているのだが、自分だけがそこから逸脱しているのだ。みんなの記憶が消えているように思えるのは、実際には自分の記憶だけが書き換えられているのだ。もしくは今まで起きた出来事全てが夢だったとか。思えば現実の自分は既に死んでいるのだ。ここが天国だと考えれば、無くもない話だろう……ただの思考停止かも知れないが。
何ヶ月もの間、同じミッションを受け続けて、そこで出会う人々を今度こそ本物だと期待しては裏切られて……そんなことを繰り返しているうちに、段々と自分が生きていた時のことは考えなくなっていった。弟がどうなったかとか、自分は両親の本当の子供じゃなかったんじゃないかとか、父親に殺されたんじゃないかとか……そんな事はもう、どうでもいいように思っていた。
そうして現実への帰還を諦めた今となっては、寧ろゲームを楽しんで、稼ぎを得ることの方が大事になっていた。同じミッションを繰り返していたとはいえ、それはエンドコンテンツでもあったから目茶苦茶稼ぎがよくて、気がつけば甲斐は巨万の富を得ていた。
TAKAや通り魔みたいに、そこで知り合った人物たちとの交友も広がり、気がつけば街の顔役みたいになっていた。因みに仲間達は、全員一度は世界の外側へと連れて行ったことがある連中だった。同じ人物と二度仲良くなるというのは不思議な感覚だったし、今でも彼らが人間でないというのは信じられなかったが、もう深く考えないようにしていた。現実の人付き合いだって、存外そういうものではないのか。
彼らと犯罪シンジケートを作り上げ、甲斐は今そこのボスとして君臨していた。もちろんチートスキルは使っていたが、使わなくても、プレイヤーとして今の彼の右に出る者は居ない。何しろ、ずっとゲームの中で暮らしてるのだ。そんな彼の名声は轟き、いつしか街のNPCたちまでもが、彼のことを当たり前のように知っていた。
そんなわけで、敵対組織にでも遭遇したらすぐに交戦になってしまうので、住んでいた安アパートは引き払って、今は六本木の高級マンションで暮らしていた。一部屋なんてケチなことは言わずに、一棟まるごと買ったのだ。
もちろん妹との爛れた関係は今も続いていて、今や彼女は甲斐にぞっこんだった。働く必要もなくなったから、ナビの仕事はもうやめて、いつも家で彼の帰りを待っていた。相変わらず炊事も洗濯も出来なかったが、あっちの方は大したもので、甲斐も負けじと彼女の体に溺れる日々を過ごしている。
ぶっちゃけ、最近では外から持ち込んだスキルを使うのは、専らそっち方面ばかりだった。妹の反応が楽しくて、つい無茶をしてしまうのだ。危険なドラッグを使っているわけではないが、もう彼女は彼無しには生きられないだろう。彼女は完全に、生活の全てを甲斐に依存していた。
でも、本当にそうか?
依存しているのは、寧ろ自分の方ではないのか?
作り物めいた美貌の彼女に、作り物の服を着せて、着せ替え人形みたいに見せびらかして街を歩くのは爽快だった。甲斐が彼女を連れて歩けば、街の殆どの男が振り返った。羨ましそうに、時には悔しそうに……
たまにシンジケートの仲間と遭遇することもあり、中にはAIと付き合っている甲斐のことを不快に思ってそうなのも居たが、大抵の人は妹を連れてることを笑ったりはせず、寧ろその美しさを羨ましがった。どこで手に入れたんだ? とか、どうしたらここまで完璧に人間ぽくなるんだ? とか、彼らはそんなことばかり知りたかったが、正直なところ甲斐にもよく分からなかった。
この世界で目覚めた時から、彼女は当たり前のようにそこに居たのだ。ただのナビAIのはずだが、他のプレイヤーには同じようなAIが居ないのだろうか?
いや……彼らはプレイヤーであるとは限らない。NPCがプレイヤーのフリをしている可能性の方が高いのだ。だから、話を合わせてるだけかも知れない。
ただ、妹がどこか特殊なNPCらしいということは確からしく、それがまた甲斐の虚栄心を擽った。そんな彼女を着飾らせたり、綺麗な箱に飾っておくのが、今の彼にはこの世界における重大事になっていた。
本当に……いつからこんな下らないことでしか、アイデンティティを保てなくなったのだろうか。こんなんじゃ、甲斐を殺したあいつと違わないのではないか。
甲斐の臓器を誰かに売り渡したことで、父親がいくら受け取ったのかは分からない。でもきっと大した額ではないのだろう。今現実を振り返ってみても、自分の人生が無価値だったことなんて、馬鹿にだってわかる。だからきっと自分は端金で売られたに違いない。
他人の命を、端金で売る親がいるなんて想像できるだろうか。でも、今となってはそんなことどうでも良かった。お陰でこうして巨万の富を得られたのだから。世界一の金持ちたちから金を巻き上げて、世界一の犯罪シンジケートを作り上げて、もう生活には絶対に不自由しない。寧ろ、ざまあ見ろとさえ思っていた。
自分は理不尽に殺されたというのに、それで良かったのだと……そこから抜け出せない自分がいた。
「お兄ちゃんってば! もう、聞いてるの?」
ぼんやり考え事をしながら歩いていたら、いきなり洋服の袖を引っ張られた。我に返って隣を見たら、妹がキラキラした瞳で甲斐の肩越しに空を見上げていた。
「ほら、見て……雪!」
彼女の指差す方を仰ぎ見ると、白い粉雪がパラパラと舞い降りてきた。いくつかの結晶が顔に降りそそいで冷たかった。こんな感覚まで再現するものだから、この世界がゲームの中だなんて、つい忘れてしまいそうになる。いつだってこの世界は、現実よりも驚きに満ちていた。
「ホワイトクリスマスだねえ」
12月24日。クリスマスのイルミネーションが見たいと言う妹に連れ出されて、表参道までやって来ていた。みんな同じことを考えるからか、道路は酷く渋滞していて、車では近づくことすら出来ないから、久しぶりに徒歩で街を歩いていた。
いつもなら妹の姿に振り返る街の賑やかし連中も、今日は自分の相手が居るからだろうか、甲斐たちに注目する者は誰もいなかった。街路樹を形どるように散りばめられたオレンジの光が、道路の両側を一直線に伸びていて、まるでホタルみたいに引き寄せられた恋人たちが、みんな同じような顔をしてうっとりと眺めていた。
雪が降るとは凄い偶然だと思っていたが、冷静に考えればここはゲームの中なのだから、多分、毎年この日には雪が降るのだろう。現実世界では雪が見れないから、みんなゲームの中に見に来るのだろう。
こんな日にゲームするくらいなら、例えロマンチックじゃなくても、現実で楽しめばいいのに、みんなそんなにゲームが好きなのだろうか?
……いや、現実では楽しめないのだ。
現実に一緒に過ごす相手がいなければ、そもそも楽しみようがない。現実では家族の絆なんてものは、とっくの昔に形骸化していた。甲斐なんてあっちではお金だって持ってないのだ。きっとみんなこのゲームをやっていなければ、寂しいクリスマスを過ごしていたのだろう。
見せかけだけのクリスマスイルミネーションを眺めて、命令一つで見た目が変わる恋人を連れて、遠い昔に誰かに押し付けられたイベントを楽しんで、まるで幻想を見るマッチ売りの少女みたいに。
でも、それはいけないことなのだろうか?
例えそこにいる妹が本物じゃなくても。あまつさえ、そこにいる全ての恋人たちがNPCをだとしても。この世界を本物だとして楽しんじゃいけないんだろうか。
ぽつんと、鼻の頭に雪がぶつかる。
「雪って、冷たかったっけ……そういえば」
「何を当たり前のことを言ってるの?」
無意識的にそんな感想を漏らしたら、妹は呆れたようにそう言っていた。雪の冷たさなんて忘れてしまった方が幸せなことが、現実ではよく起きていたのだ。クリスマスケーキを楽しげに頬張る家族3人の団らんを、甲斐は一人ドアの向こうで聞いていた。つむじ風に粉雪が舞って、手が真っ赤にかじかんでいた。お父さん、ごめんなさい、開けてくださいと泣いていたのだ。自分が、何をやったのかすら覚えてないのに。自分は、一体どんな失敗をしてしまったのだろうか?
「わあ、見てみて、素敵だね」
妹にぐいと引っ張られて、彼女の指差す先を見れば、今度はビルのでっかい電光掲示板に、誰かのプロポーズの言葉が映し出されていた。
『良子さん好きです。僕と結婚してください。良男』
それが映し出されると、少し離れた場所にいた一際にぎやかな集団から歓声が上がった。きっとあの輪は、良子と良男の仲間たちなのだろう。
果たして彼らを世界の外側へと連れて行ったら、どうなるのだろうか? みんなやっぱり消えてしまうんだろうか。そして良男は、良子を忘れてしまうのだろうか。今までの傾向からして、その可能性は極めて高いと言えるだろう。この世界に、本物の人間は本当にいるのだろうか。
ふと思う。では、あれは誰が誰に送ったメッセージなのだろうかと。
どうして、この世界には、本物の人間としか思えないNPCが、こんなにも大勢いるのだろうか。あれは本当に、本物の人間じゃないのか。何かの間違いで、TAKAも通り魔も記憶が巻き戻ってるだけなんじゃないのか……
2070年現在、チューリングテストを突破したAIはいくらでもある。だから作ろうと思えば、ああいうNPCは作れるだろう。しかし、初心者狩りだとか、政府の要請でコフィンを攻略しようとするAIとか、世界の外側に行くまで自分のことを人間だと思い込んでるAIだとか……そんなものを作って何になるんだ?
もしも、この世界にいる本物の人間が甲斐一人だけだとしたら……どうして自分はそんなものを見せられているんだろうか……?
「お兄……ちゃん……」
なんだか右肩がグイッと引っ張られるような感覚がしたと思ったら、いきなりドサッ! っと鈍い音を立てて、妹が道路に寝そべっていた。足を引っ掛けてしまったのだろうか。それとも、慣れないヒールが折れでもしたのか。見事なダイブに周りの恋人たちから注目を浴びる。
「おい、りあむ。何してんだよ?」
抱き起こそうとして横にしゃがんで彼女の腕を取った。しかし、握り返してくると思った手はピクリともせず、脱力したまま動かなかった。どうしたんだろう? と顔を覗き込めば、眉間に皺を寄せて歯を食いしばり、顔全体でものすごく汗をかいている。
「りあむ……おい! どうしたんだよ!」
最初は何の冗談だ? と思ったが、明らかに様子がおかしかった。甲斐が慌てて彼女の体を抱き起こして膝に乗せたら、彼女は辛うじて片方の目だけを薄く開けて、殆ど絞り出すような声で、
「お兄……ちゃ……助けて……」
どうやら妹は本気で苦しんでいる。あまりにいきなり過ぎて、何が起こっているのかはわからなかったが、甲斐はおぶるように彼女を抱き起こすと、様子を見ようと集まってきた野次馬たちを押しのけて、彼女を病院へ運ぼうと走り出した。




