ノエル:マイア③―4
父の葬儀が終わり、家で一人になった途端に涙がこみ上げてきた。マイアがその涙を拭い去ろうと悪戦苦闘していると、突然、ノエルの中から調子っぱずれな声が聞こえてきた。その声に驚いていると、彼は高機能シッターロイドを名乗り、
「ボクはノエル。君のお母さんに作ってもらった、シッターロイドだよ。マイアちゃん、泣かないで。ボクに出来ることなら、なんでもするから」
マイアは、子供の頃からずっと一緒にいたノエルが突然喋りだしたことに狼狽し、涙は引っ込んでしまった。ドキドキする胸の鼓動を押さえながら、ゴクリとつばを飲み込んだ彼女は、
「ほ……本当に、ノエルが喋ってるの?」
「そうだよ」
「どうして、突然……今まで、こんなこと無かったのに……」
「そんなことないよ。思い出して、ボクが初めてマイアちゃんと出会った時、はじめましてって挨拶したよね。それからボクたちは、よく一緒におままごとをしたよね?」
そう言われてみれば確かに、母が最初にノエルを連れてきた時、彼は喋るぬいぐるみだった。マイアが話しかけると返事をしてくれるノエルを気に入って、よく赤ちゃん役にしておままごとをしていたのを、弟は子供っぽいと言って遠ざけていたのだ。
母が家から出て行った後、電話機能ばかり使うようになっていたからすっかり忘れていたが、元々、このぬいぐるみにはAIが仕込まれていたのだ……マイアは感心すると同時に、
「でも、それならどうして今まで黙っていたの?」
「充電が切れていたからだよ」
マイアが疑問を口にすると、ノエルはあっさりとそれに返事して、
「ワイヤレス充電器があれば、ボクはすぐにでも復活したはずだけど……」
そういえば、今朝仮眠を取った時、人に見られたら恥ずかしいから、いつもなら一緒に寝ているノエルを壁際に押しやっていた。確か、そこに携帯も一緒に置いていたから、偶然充電されたのだろう。ノエルは続けた。
「ボクが機能を停止してから約10年間、一度もその機会がなかったみたいだね。その間、ボクはずっと寝ていたことになる。いやはや、とんでもない長さだ」
「そんなに!? でも……言われてみれば……」
約10年前と言えば、ちょうど母との連絡が途切れた時期と重なっていた。その頃にはマイアも大分落ち着きを取り戻していたから、連絡が途絶えたことを悲しみはしても、もう泣いたりはしなくなっていたのだが……
しかしまさか、母が電話をしてこなくなった理由が、電池が切れていたからなんて思いもよらず、彼女は自分の馬鹿さ加減にため息を吐いた。きっと母も繋がらない電話を前に途方に暮れていたことだろう。
「ずっと寝ている間に、本体の機械学習がずいぶん進んだようだね。アップデートにだいぶ時間が掛かっちゃった」
「本体って?」
「ボクは高機能自動応答型シッターロイド・オアシスの端末として開発されたんだ。残念ながら、商品化はされなかったみたいだけど、システム自体はずっと稼働していたんだ」
「シッターロイドって……ベビーシッターをするAIってこと?」
「そうだよ。子供は好奇心旺盛で、色んなことを聞きたがるけど、いちいち全部には応えてられないからね。ボクはそんな子供たちの好奇心を満たすために生まれたんだ」
「ふーん……つまり、凄く賢いチャットボットみたいなものかな?」
「そう考えてくれていいよ。ボクは君に聞かれたことは何でも答える。答えられる範囲でならね」
マイアはこのおしゃべりなクマに少し興味が湧いてきて、せっかくだから何か聞いてみようと思った。手始めに、今一番聞きたいことはなんだろう? と考えていると、真っ先に思い浮かんできたのは、
「それじゃノエル、質問してもいいかな?」
「なんだい?」
「あのね……? お父さんが死んじゃって、私はこの家に一人になっちゃったの。それで、これからどうやって生きていくか決めろって言われてるんだけど……お母さんと一緒に暮らすか、このままここで三田さんにお世話してもらうか……」
マイアは質問するにしても、いきなり内容が重すぎたかなと反省しかけたが、ノエルは思いのほか気楽に、
「それは今まで通りの生活を出来るだけ変えないようにしながら、お母さんと一緒に暮らすのがいいんじゃないかな。家族は一緒に暮らすものだよね。でも、君たちは生活無能力者だから、二人で住んだらすぐ詰むよ。だから三田さんに頭を下げて、これからもよろしくお願いしますって言えば?」
「す……すごく、的確な意見だなあ」
まさかここまでしっかりした答えが返ってくるとは思わず、マイアは面食らってしまった。と同時に、当面の悩みの種だった懸案をあっという間に解決してしまったノエルの手腕に舌を巻いた。
「そっか……そうだよね。うん。悪くないかも。それじゃあ、お母さんにそうしない? って聞いてみるよ」
「それがいいんじゃない。ところで、その三田さんのご飯がキッチンで冷たくなってるみたいだけど。君もそろそろ何か口に入れたらどうだい? 朝から何も食べていないでしょう?」
そう言われた途端、お腹がグーと鳴りだした。さっきまで、まったく食欲が湧かなかったのに、ノエルと話していくつか悩みが解決してしまったからだろうか……それにしても、部屋の状況まで把握しているとは、子守AIと言うのも伊達じゃないかも知れない。
マイアは気を取り直すと、言われたとおりに食事を摂ることにした。そしてダイニングテーブルまで行ったところで、ノエルをソファに置きっぱなしなことを思い出し、一人じゃ寂しいから引き返して彼を連れてきて、どの席に座らせようかな? とちょっと悩んでから、いつも父が座っていた席に彼を置いた。それから自分の席に着こうとした時、また思い直して、充電器を持ってきてノエルを充電してやった。
テーブルに乗っていた食事が一人分しかないのを見て、これから一生、自分一人で食事をするんだとネガティブなことを考えて食欲が減退していたが、そこにノエルが居るだけで大分気持ちが楽になった。彼は相変わらずつぶらな瞳で何も喋らなかったが、なんとなく、今にも動き出しそうなオーラを放っていた。
思えば、彼と出会ってからずっと、毎晩のように一緒に寝起きを共にしてきた仲だ。言うなれば、自分の半身、姉弟と言っても過言じゃないだろう。いや寧ろ、父の席に座ってる彼を見ていると、在りし日の父の姿を思い出して心強くさえ思える。そう考えた時、彼女は最後に父と交わした言葉を思い出し、ふと、尋ねてみたくなった。
「ねえ、ノエル? また聞いてもいいかな」
「もちろん。ボクは君の質問にはなんだって答えるよ」
頼もしい答えが返ってきて、気持ちが楽になる。マイアは温めておいた味噌汁をズズッと啜りながら、
「あのね? 私、最近、甲斐って男の人の夢を見るんだけど、彼は実在するのかな?」
「判断材料が不足してるから、もっと詳しく話してよ」
そりゃそうだと頷くと、マイアは食事を摂りながら今までの経緯を淡々と話した。
心臓移植を受けて以降、見知らぬ男の夢を見るようになったこと。彼は現実世界で死にかけていて、保険屋に臓器を売り渡してしまったこと。それ以来、ゲーム世界に閉じ込められてしまっていること。甲斐を見つけようと、近衛と一緒に現地を見に行ったけど、彼の住むアパートは存在していなかったこと。
甲斐の名前に、近衛が反応を見せたこと。それを父に伝えたら、彼は暫く経ってから自分も調べてみると言い出し……そして帰らぬ人となってしまったこと。その容疑者として、近衛が警察に連れて行かれたこと。彼はまだ釈放されていないらしく、葬式には現れなかったこと……
「こんな感じで、移植手術を受けてから、おかしなことだらけなんだ。もし私の心臓が本当に甲斐君のものだとしたら、彼のことを助けてあげたいんだけど……彼は実在するのかな? お父さんが殺されたのって、もしかして彼を見つけようとしてたからなのかな? 近衛さんが何に首を突っ込んでしまっているのかも気になるし……」
マイアは自分の考えを整理しながら、淡々と事件のことを話した。流石に、こんなことはノエルもアドバイスは出来ないだろうと、そう思っていたのだが、
「話を聞いた限りでは、今のところ、甲斐はマイアちゃんの夢の中にしか存在していないよね。でも、夢の中の出来事が現実に影響を与えているのなら、それを夢とは考えないことだよ」
「……どういうこと?」
「例えば、今現実に起きていることだけをピックアップしてみよう。マイアちゃんから相談を受けて、お父さんは甲斐を探そうとして殺された。そのお父さんに隠し事をしていた近衛さんは警察に連行された。ここに甲斐が実在していたと仮定してみる。警察は、何を疑っているのかな?」
「それは……もしかして近衛さんは甲斐君のことを知ってたのかな?」
「そう考えるのが妥当だろうね」
マイアは、もしもそうなら、どうして一緒に彼を探しに行った時に教えてくれなかったんだろう? と首を捻った。だが、それは当然のことだろう。続くノエルの言葉を聞いて彼女は言葉を失った。
「状況から察するに、警察は臓器の出どころに感心があるようだよね。ずっと見つからなかった心臓が、どうして急に見つかったのか。近衛さんは、どうやってそれを手に入れたのか。臓器密売グループを頼って、非合法に手に入れた可能性は極めて高いだろう。でも、仮にそんな臓器ブローカーが居たとしても、そこまで都合よく適合者を見つけられるものだろうか?
普通に考えれば、そんなすぐには無理だろう。どうしたって時間がかかる。でも、もし予め適合者の居場所を知っていたとしたら、途端にハードルは低くなるんじゃないかな。あとは、その臓器をどうすれば手に入れられるかだけど、これはそう簡単な話じゃない。特に必要な臓器が心臓であるなら……殺すしかないだろうからね」
ノエルのその言葉に、マイアの箸の動きが止まった。
「まさか……」
そんな言葉が口をついて出たが、頭の中では理路整然としたノエルの言葉に、彼女は反論できそうもないと思っていた。そういえば、夢の中で甲斐は自分が殺された可能性を疑っていた。もしもそれに近衛が関与しているとしたら……
彼はそこまでして自分の心臓を手に入れようとしたのだろうか?
何故? 自分にそこまでの価値はないだろうに……
でも、母になら……
彼女はそこまで考えて、なんだか怖くなってきた。母の持つ莫大な資産。そしてベイジングスーツに限らず、このノエルのようなAIを生み出すほどの技術を手に入れられるとしたら、人はどんなことでもするのではなかろうか。もちろん、こんなのはまだ憶測に過ぎない……でも……
警察にこの話をしてみたほうがいいのだろうか? そんなことを考えているうちに、段々とまた食欲が減退してきた。彼女は箸を休めると、まだおかずの残った皿を流しへと運ぶことにした。ノエルは父の席から、そのつぶらな瞳でじっと見守っている。
「そんなはずはないよ……」
残ったおかずをタッパーに詰めて冷蔵庫へ入れ、マイアはノエルを抱き上げると、そんな言葉を呟きながらソファに丸くなった。
目と鼻の先にあるローテーブルには、父の骨壷が置かれている。こんな狭いスペースに押し込められてしまった彼は、一体何を探していたのだろうか。もしも、父が近衛の不正に気づいて、それを正そうとしていたなら……父を殺したのは、まさか近衛なのでは……
いや、そんなはずはない。
マイアは首をブンブンと振った。父と彼の付き合いは、それこそマイアが生まれる以前からなのだ。そんな自分の兄とも呼べる存在を疑うことは、彼女には容易ではなかった。
ノエルが変なことを言い出さなければ、こんなこと考えなかったのに……
胸に抱きしめているそのクマのぬいぐるみのぬくもりが、幼い頃を思い出させた。父と母、そして弟との楽しい思い出を想像しているうちに、彼女は段々と眠くなり……彼女はそのまま眠りに落ちていた……
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朝……なんだか、やたら寝苦しい気がして目が覚めた。窓の外は既に白んでいて、鳥たちの大合唱が聞こえてくる。マイアは自分がベッドではなく、リビングのソファで寝ていることに気がついて、ため息交じりに上体を起こした。
いつの間に眠ってしまったのだろうか……昨日、ノエルに近衛の不審さを指摘され、その内容が余りにも不穏だったから、そのことで頭がいっぱいになってしまい、きっとそのままウトウトと眠ってしまったのだろう。
ずっとおかしな格好で寝てたせいか、疲れが取れずに体の節々が痛かった。両手を上げて、じんわりと熱をもつ腰を伸ばし、丸まっていた足も伸ばす。見ればほっぺたには、ソファの皺の跡がくっきりとついていた。
顔も洗わず眠ってしまったが、今すぐ洗面所にいくべきか、それともベッドに行って二度寝しようかどうしようかと迷っていると、突然、リビングにインターホンのベルが鳴り響いて、驚いて完全に目が冴えてしまった。
こんなに朝早くから誰だろうか? 三田は鍵を持ってるから普通に入ってくるだろうし……と思いながら時計を見れば、針は午前5時ちょうどを示していた。これは三田が出勤してきたとか、そういうレベルの話じゃない。聞き間違いかな? と思ったら二度目のベルが鳴った。
異常事態を警戒しつつ、マイアは音を立てないようにそろそろと立ち上がると、インターホンのモニターのスイッチを押した。するとそこには、意外にも見知った顔が映っていて、彼女は面食らってしまった。
「……はい」
「あ、マイアさんですか? マイア・ロックスミスさん。朝早くにすみません。よろしければ玄関を開けてくれませんか」
そこには数日前、父の死を知らせにやってきた警察官の姿があった。もちろん全員、本物で間違いない。彼らは父の事件について捜査しているはずだが、何か進展があったから知らせに来たのだろうか? しかし、いくら警察だからって、こんな非常識な時間に来るものだろうか……?
マイアは困惑しながら玄関へ向かうと、鍵を開けて警官たちを通してやった。彼らは失礼しますと礼儀正しくお辞儀してから玄関の中へ入ってくると、その中のリーダー格らしき人物がマイアの前に歩み出て、何か一枚の紙を彼女の前に突き出して言った。
「えー……こんな朝早く驚かせてしまってすみません。気をしっかり持ってください。えー……実は、あなたに逮捕状が出されています。詳しいことは署の方でお話しますから、まずは我々とご同行願えませんか?」
「……は? 逮捕……??」
あまりに唐突な宣言に、考えが全然追いつかなかった。マイアは呆然としながら、警官と彼の突き出している紙を交互に見た。そこには『罪名:殺人』の文字が踊っていた……




