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別れは唐突に訪れる:マイア③―3

 母が去ってからは一度も眠気に襲われることもなく、朝まで線香を絶やさずにいられた。7時頃に三田が喪服を持ってやってきたのだが、知り合いの顔を見て安心したのか、一気に眠気がきて大変だった。彼女が作ってきてくれた軽食をつまんで、軽く休憩室でうたた寝をする。


 8時前に父の秘書が会社の人たちを連れてやってきたので、眠い目をこすりながら挨拶に行く。手伝いのために駆り出されたようだが、誰一人として不満を漏らすこと無く、みんながみんなシンクロナイズドスイミングみたいな笑顔を向けてくるのは、将来的にはマイアが大株主になるからだろうか。


 こんなに大勢、必要ないのでは? と思ったが、9時近くになって弔問客がちらほら訪れるようになって認識が変わった。斎場の開門と同時に、あっという間に記帳台の前には弔問客がずらりと並んで、それは最寄り駅の出入り口まで行列を作っていた。秘書はまだまだこんなのは序の口だろうと得意げだったが、何故そんなに嬉しそうなのだろうか。笑い話にもならない。


 当然、そんな人数が葬儀場に入れるわけもなく、秘書によって選びぬかれた賓客だけが席につくことを許されたのだが、その偉い人たち一人ひとりに挨拶をして回らなきゃいけなくなり目眩がした。実際のところは、あまりにも忙しすぎてそんなことを考えている余裕もなかったのだが。


 結局、彼らが父の仕事とどういう関係があるのか分からずじまいのまま、通り一遍の挨拶を済ますと、弔問客の記帳が全然終わってない状態で、時間が来て葬儀が始まってしまった。


 これぞ坊主の勝負服と言わんばかりの、紅白歌合戦みたいなもの凄い袈裟を着て、昨日のお寺さんが颯爽と現れた。そういえば今朝から一度も姿を見かけなかったし、いつ来たのかも気づかなかったが、挨拶もせずに良かったのだろうか? と思ってると、弔問客が数珠を取り出してむにゃむにゃやりだしたので、慌てて挨拶を切り上げ自分も席に着く。


 秘書に促されるまま最前列の席に座ると、坊さんがこちらをじっと見ていたのでぺこりと頭を下げると、彼は厳かな態度で目礼で応えてから、ピンと伸ばした背を向け、すぐさまお経を読み始めた。弟子なのかアシスタントなのか、よくわからないお付きの僧侶がポクポク木魚を叩き、彼の方はお経に集中してるようだった。


 葬儀が始まってしまったが、そういえば母の姿が見あたらない。どうしたんだろうか……? と一人、お誕生席みたいなところに置き去りにされて心細くなっていると、気遣ってくれたのか三田がやってきてすぐ斜め後ろに座った。その彼女にヒソヒソ声で尋ねてみるも、母はまだ戻ってきていないとのことだった。


 礼を言って前を向こうとした時、「あの子、全然泣かないわね」という声を聞くともなしに聞いてしまった。気づかないふりをして、背を向けて、数珠を握り、目をつむる。


 きっとその人にとって、悲しみと涙は繋がっているものなのだろう。しかし悲しみとはパフォーマンスのことではない。誘拐事件後……泣かない母のことを、マスコミは責めた。見知らぬ人々が彼女のことを冷血と侮蔑し、弟が殺されたのもみんな彼女のネグレクトが原因だったのだと断罪した。絶望していることくらい、顔を見ればすぐ分かるだろうに。気持ちを察するより、お気持ちを表明することにしか興味が向かないのだ。


 坊さんのお経を読む声が段々と大きくなっていって、木魚を叩くスピードが上がった。朗々たる声が葬儀場に響き渡り、人々の好奇の声をかき消していく。誰一人として意味の分からないその言葉に、何の意味があるのだろうか。願わくば父の魂が安らかであるようにと思うが、誰もそれを証明できない。最後まで人混みは途切れず、記帳台でUターンしていく。そんな人々の前を棺桶は通り過ぎ、いつの間にか葬儀は終わった。


 棺桶を乗せた霊柩車が火葬場に運ばれる後を、遺族を乗せたマイクロバスは追った。遺族と言っても、それはマイア一人だけだったのだが、思ったよりもバスには人数が乗っていた。その殆どが誰かよくわからない人だった。


 火葬場に到着してバスから降りている間に、霊柩車だけが施設の奥へと入っていった。追いかけなくていいのか? と思ってると、ツアーガイドみたいな職員が手を上げながらやってきて、彼に案内されて歩いていくと、火葬炉の前に父の棺桶が既に降ろされていた。


 銀色の配膳台みたいな台車に乗せられた父の棺桶は、もう釘を打ち付けられて開けることは出来なかったが、顔の前に付けられた小窓がぱかっと開いて、中の様子が覗けるようになっていた。その様子を人々の一番うしろからぼんやりと眺めていたら、あなたがいなければ始まらないからと押し出されて、棺桶の前まで歩み出る。


 坊さんと職員が向こうにいる手前で、棺桶を挟むようにして父の顔を凝視していたら、最後の別れだけど良いか? と問われて、何が良いのか分からず返答に困った。駄目と言ったら何が駄目なのか、逆に良いと言ったら何が良くなるのか。そんなことを考えていると、返事を待たずに小窓はパタンと閉じられて、父の入った棺桶は火葬炉の隔壁の向こう側へと送られていった。


 人間を焼くには、数十分かかるらしい。


 それを待つ間、火葬場に併設された施設の待合室でお茶を飲むことになった。会議室みたいなところに数十人が押し込められ、パイプ椅子に並べられる。弔問客はみんなそれぞれ顔見知りのようだったが、マイアはその内の一人として知らなかった。必然的に、友達の輪からあぶれた者同士、坊さんとペアにされたが、二人の間に共通の話題なんてあるわけがなく、ひたすら説教を聞く羽目になった。


 それにしてもこの人は、どうしてずっと喋り続けることが出来るのだろうか……? 坊さんは、朝の挨拶がなかったことがやはり不満だったらしく、ネチネチと遠回しに嫌味を行ってくるので、はいはいと頭を下げて謝罪の言葉を述べ続けていたら、それを見かねたのか三田がやってきて、


「お嬢様。奥様からご伝言がございます。少々よろしいでしょうか?」


 と、慇懃無礼な態度で連れ出してくれた。あとに残された父の秘書が坊さんのマシンガン口撃を受けて心細そうにしていたが、有り難い僧侶だと自分で言ってたんだから甘んじて受け入れて欲しい。


 母から連絡があったというのは、マイアを連れ出すための嘘ではなかったらしく、リノリウムの床をカツカツ鳴らして、施設の端っこにある階段の踊り場までやってくると、階下を眺める手すりに捕まりながら、三田が話してくれた。


「葬儀の最中に、奥様からご連絡がありました。今日はもう戻れそうにないことを、マイアさんに謝っておいて欲しいと。それから、今後、どうやって生きて行くのか決めたら、連絡して欲しいそうです。もし、マイアさんが望むのであれば、今まで通り私と一緒に、今の家で暮らしていてもいいとのことです。その場合のお給料と生活費は、全て出してくれるとおっしゃっていました……」


 三田はそこまで淡々と喋ってから、区切るように大きく息を吸って、


「まったく……あの人は……」


 長々とため息を吐いた。


「奥様はこうおっしゃってますけど、本音ではマイアさんと一緒に暮らしたいと考えておいでですよ、きっと。ただ、昔色々あったから、こういう言い方しか出来ないんだと思います。そこは、分かってあげてください。もちろん、マイアさんが本当に今の家が良いと言うのなら……」


 彼女はそこまで言いかけてから、蛇足だったと思ったのか口を噤み、


「いえ……何があっても、私はあなたの味方であるということは覚えておいてください。明日の朝も、いつも通り、お家に伺いますから……では」


 彼女はペコリとお辞儀すると、待合所へ帰っていった。マイアはその背中を見送った後、同じ場所に帰るのもどうかと思って、そのままそこに留まって、階下の様子を眺めていた。


 それから暫くすると、ビーッと警報音が鳴り響いて、マイアの名前が館内にアナウンスされた。火葬が終わったので取りに来いとのことなので、階下へ下りていったら案内の職員が待っていて、遅れてやってきた弔問客と一緒に、遠足みたいに列をなして火葬炉へと歩いていった。


 真っ白な灰になるなんて言葉があるけれども、父は本当にどこまでも真っ白になってしまっていた。時折、色が混じった骨もあったが、何の色素が沈着したのか、まったく判別はつかなかった。弔問客が左右に別れて、二人ずつ流れ作業で骨を拾っていく。人一人を焼いた骨は大量で、思ったよりも大きい骨壷が、あっという間にいっぱいになってしまった。


 秘書を相手に説教をして気が晴れたのか、にこやかな笑みを浮かべながら坊さんが一つ一つの骨について、どこどこの部位と解説し続けていた。第二頸椎のことを喉仏といって、大事な骨だと言っていたが、その違いはよくわからなかった。最後に残ったマイアは、言われるままに坊さんと一緒にその骨を拾い上げ、骨壷に詰めると封がされた。


 火葬場の入り口にある駐車場へ向かうとマイクロバスが待っていて、そこで弔問客は三々五々別れていった。


 せいぜい、3日と離れていなかったのに、何だか懐かしく思える家の玄関をくぐると、廊下はひんやりとした空気が漂っていた。


 葬儀場から送られてきた大量のダンボールが玄関の中に積み上げられていて、これはなんだろう? と思ったら、全部香典と電報の山だった。正確な数字は数えてみないとわからないが、下手をすれば億を下らないのではなかろうか……その殆どが、誰からもらったものかわからないのだから、恐れ入る。


 これら全部にお礼を書かないといけないのか? と思うと気が滅入ったが、冷静に考えるとそんなこと物理的に不可能なんだから、あとで秘書に丸投げしてしまおう……そんなことを考えつつ、一緒に送られてきたテディベアのノエルを手にリビングへと向かう。


 喪服のジャケットをソファに放り投げ、ローテーブルに父の入った骨壷を置いた。お皿の上に横倒しに置いた線香から、リビングに薄っすらと煙が充満していくのを、ぼんやりと眺めていた。ダイニングテーブルには三田が作り置きしていった夕飯が置かれていたが、到底食べる気も起きず、そのまま脱力するようにソファに腰を埋める。


 火葬場の台車の上に、あんなに大量に置かれていた父の骨は、こうして骨壷に入ってしまえば思ったよりも小さくて、広いリビングの中では余計に寂しく映った。考えても見れば、あれだけ大きかった父が、たったこれだけのサイズに押し込められてしまったのだ。思い出も、彼の言葉も、今まで蓄積されたものに限らず、本当ならこれから二人で作り上げていくはずの未来も、失われた物の方がずっと大きいのだ。


 もうこの家の中で、彼の姿を見ることは決して無い。この家に出来てしまった隙間は、もう決して埋まらないのだ。


 そう思うと、ようやく自分が一人きりになってしまったという実感が沸いてきた。この数日、怒涛のように押し寄せてきた不幸の数々が、あまりにも非現実的すぎて飲み込めずにいたのが、精神の麻痺が解けるにつれて、段々理解できるようになってきたのだろう。


 骨壷の横に置かれた父の遺影の中で、彼が笑顔を向けている。しかし、その顔を記憶の中で再現しようとすると、いまいち線がまとまらなかった。別れは容赦なく突然やってきて、覚悟を決める時間も与えてくれないのだ。


 あの時、火葬炉の前で最後のお別れと言われた時、どうしてもっとちゃんとその姿を、目に焼き付けておかなかったのだろうか。


 一人きりになった途端、涙がこみ上げてくるなんて……どうしてその寂しさを想像することが出来なかったのだろうか。後悔しても、過ぎ去った過去はもう戻ってこない。父は失われ、母は帰ってこない。


 この世に彼女は一人きりで、これからの人生をどう生きていけばいいのかも分からない……


「お母さん……」


 殆ど無意識的に漏れ出た言葉が、壁に反射して自分の耳に返ってきた時、彼女の視界が薄っすらとぼやけた。それまでフラットだった感情の針が一気に触れてしまったかのように、悲しみが突然こみ上げてきて、息をするのが難しくなる。ひっひっとしゃくり上げるような呼吸をしながら、なんとか涙を押し込めようと無駄な努力を続けていると、鼻水が垂れてついに呼吸が出来なくなった。その瞬間、瞼がじんわりと熱を帯びて、涙の雫がぽたりぽたりと溢れ出した。


 その、母を呼ぶ声が引き金となって、ずっと堰き止められていた感情の閂が外れてしまったのだろう。マイアは慌てて両手で顔を覆うと、次から次へと溢れ出てくる涙を乱暴に手で拭った。


 もう何年も前から分かっていたことだ。どうせ泣いたって、父も母も帰ってはこないだろう。誰も見てないところで、一人で泣いてたって、誰の同情も買いはしない。無駄なのに、どうして溢れる涙を止めることが出来ないのだ。自分の感情なのに、どうしてコントロールが出来ないのだ。彼女は悔しくて、悔しくて、早く泣きやめと自分に言い聞かせながら、真っ赤になった目を何度も何度も擦っていた。


 と、そんな時だった……


「泣かないで、マイアちゃん」


 突然、調子っぱずれでちょっと間の抜けた声が、どこからともなく彼女の耳に飛び込んできた。家には自分ひとりだけと思っていたマイアは、心臓が跳ね上がるかのように驚き、周囲を見回しながら問いかけた。


「誰!?」


 リビングをぐるりと見回してみても、どこにも人の姿は見当たらない。そもそもそんな声は今まで聞いたこともなかったから、もしかして幻聴かと思いかけた時、また、


「ボクはここだよ。マイアちゃん。元気だしておくれよ」


 思ったよりも近くから聞こえてきたその声に、マイアの肩がビクッと震える。驚きながら声のする方へ顔を向ければ、そこにはテディベアのつぶらな瞳があった。その姿を見た時、マイアは幼かった頃の記憶を思い出していた。いつも、彼女が悲しくなると、母は必ず彼女に電話を掛けてきてくれた。


「もしかして……お母さん?」


 彼女が声をかけると、するとノエルの方から声が聞こえてきて、


「ううん。違うよ。ボクはボク。高機能自動応答型シッターロイド、通称オアシス。君が昔名付けてくれた個体名は、ノエル、だよ」


 テディベアのつぶらな瞳は微動だにせず、ただ声だけがその中から聞こえてきた。マイアは突然話しかけてきたノエルに驚き、声も出せずにただその瞳を覗き込んでいた。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 正にザ・葬式ですね。 喉仏のくだりは毎回する必要あるんでしょうか? まあ、坊さんも毎回違う話をするのはしんどいでしょうけどね。 [一言] 年を取るとだんだん葬式に出る頻度が上がっていく…
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