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現実は待ってくれない:マイア③―1

 自分の心臓が真っ当な手段で手に入れた物では無いかも知れない、ということには薄々勘付いてはいた。しかし、それで命が助かってしまった身としては非難するわけにもいかず、ずっと気づかないふりをしていた。多分、それは父も同じ気持ちだったろう……それに父と近衛は本当に仲が良くて、仮に彼が悪事に手を染めていたとしても、父ならきっと目をつぶったに違いない。


 その父が何故、突然、近衛を詰問したり、心臓の出どころについて調べ始めたのか? そして無謀にも、たった一人で犯罪組織に首を突っ込み、消されてしまったのか? 警察に引っ張られていった近衛は、何を知っていて何を隠していたのだろうか? 今はまだ、わからないことだらけだった……


 殺害されたその日、結局父は家には戻ってこれなかった。


 警察は今回の事件を、犯罪シンジケートを一網打尽にする機会と捉えており、司法解剖を念入りに行うつもりのようだった。家に事情聴取にやってきた警察官たちはそのことを詫びつつ、今は一人でいるのは不安だろうと、警護を付けるからホテルへ宿泊したらどうかと勧めてきた。


 今にして思えば、多分、容疑者(殺人ではなく、臓器密売の方の)として疑われていたのだろう……父が殺されたからといってマイアまで狙われるわけはないのだが、その時はそんなことは考えられず、本当に不安だったから彼らの意見に従うことにした。


 その晩は実際に警官が護衛しているホテルに泊まり……翌朝、わざわざ心配して迎えに来てくれたお手伝いの三田と一緒に、警察署へ父の遺体の確認をしに行くことになった。警察署というか、警察病院の霊安室なのだが、そこでマイアは無言の父と3日ぶりに再会した。


 たった3日しか経っていないと言うのに、父はまるで別人みたいに変わってしまっていた。いつも見上げるようにしていたはずの大きな体は、今はやけに小さく縮んでしまったかのように見え、いつも自信に満ちた瞳をランランと輝かせていた面影は無くなってしまい、弛緩した表情筋のあちこちに縫合された痕がミミズ腫れのように這っていた。


 父の遺体は発見当時、酷い暴行を受けていたらしい。体が小さく見えるのは、解剖で物理的に体の中身を取られてしまったからだろう。これでも大分綺麗にしたのだと言われても信じられなかった。その様子を見るからに、どれだけの苦痛を彼が耐えざるを得なかったのかと思うと、悲しくて、とても正視していられなかった。


 案内してくれた監察医は、マイアの気分が優れないのを見て取ると、椅子を勧めながら今後どうするつもりかと尋ねてきた。どうすると言われても何がなんだかわからないのでまごついてると、するとどうも、医者が聞きたいのは葬儀のことらしく、霊安室にいつまでも置いてはおけないので、早めに方針を決めて欲しいとのことだった。


 現実は待ってくれない。ゆっくり悲しんでいる暇もないのかと、そのドライな態度には少々腹も立ったが、実際問題、こんな場所にいつまでも父を置いておく方がよほど親不孝だろう。とは言え、葬式なんてやったことがないので、何をしていいか分からない。すると隣で話を聞いていた三田が機転を利かせて、今はちょっとわからないから、父の会社の秘書と相談させてくれと提案して時間を稼いでくれた。


 父の秘書は既に警察から連絡を受けていたらしく、電話をするとすぐに飛んできてくれた。CEOを突然失ってしまったサイバーテクニクス社は、現在上を下への大騒ぎらしい。大株主となったマイアには、いずれ会社の方にも顔を出して欲しいと頼まれ、気の抜けた返事しか返せなかった。


 ともあれ、助っ人がやってきてくれたお陰でその後の方針は決まった。結局のところマイアは何も出来ないので、大人二人があれこれ手配をして、彼女がそれを追認するという方針だ。


 その結果、葬儀は会社から近い斎場で、意外にも日本式で執り行われることになった。


 父はアメリカ人だが無宗教だったので、自然とこうなったらしい。若いうちに日本にやってきた彼は、両親にも先立たれ、この国に親戚は一人もいなかった。


 更に大金持ちになってからは、その親戚づきあいも避けていたから、唯一交友がある叔父から、後日、来日するとだけ連絡があった。何とも寂しい限りであるが、金持ちになるとはこういうことなのだろう……


 警察病院に横付けされた霊柩車に乗り、無言の父と共に斎場へ向かう。


 斎場に着くと、先に来ていた秘書と僧侶が話し込んでいた。とても有り難いお寺さんに来ていただけたのだと秘書がペコペコしながら言っていたが、よくわからないので首だけでぺこりとお辞儀をしたら、まあそこに座りなさいと言われて、長々と説教をされた。話の長さもさることながら、とにかく正座する足の痺れのほうが気になって、内容はこれっぽっちも入ってこなかった。


 そうこうしていると、斎場の職員が痺れを切らしたのか、そろそろと耳打ちしてきて、それでようやく説教は終わったのだが、痛い足を休める間もなく、そのまま職員に連れられて式場へと移動し、いつの間にか着替えていた坊さんが読経を始めた。


 流れがさっぱりわからなかったが、どうやらもう通夜が始まっているらしい。棺桶に移し替えられていた父の前で、作法もわからないまま見様見真似で焼香し、これまた見様見真似で顔を伏せて手を合わせていた。


 坊さんの話は長かったがお経も長くて、それは永遠に続くかと思えるほどだった。秘書に言わせれば、たくさんお経を読んで貰うのはとても名誉なことらしいが、やっぱりよくわからないので、御礼の言葉が嘘っぽく聞こえて仕方なかった。早く終わって欲しい。


 そうこうしているとようやく読経は終わり、また長い説教のあとに、坊さんは満足した風に帰っていった。秘書が腰を低くして見送りに行ったが、彼がいてくれなかったら、また明日会う時、気まずい思いをしたかもしれない。


 その後、黒子のように付き従ってくれていた三田も帰宅し……深夜、マイアは一人式場で、父の入った棺桶を見守りながら、じっと火の番をしていた。夜が明けるまで線香を絶やしてはいけないと言われたので、それを愚直に守っていたのだが、普段から徹夜などしたことがないから眠くて仕方なかった。


 マイアが不安がるといけないと、三田が気を利かせて、彼女のテディベアを持ってきてくれたのもまずかった。いつも一緒に寝ているそれを抱いていると、ぬくもりがちょうどいい感じに眠りを喚起するのだ。


 やがて彼女は、うつらうつらと船を漕ぎ始めた。夢と現を行ったり来たりしながら、彼女は昔のことを思い出していた。


 多分、父のことばかりを、考えていたからだろう……


*****************************


「スバル」


 呼びかけた声に、小さな少年が振り返った。マイアはそんな少年に笑顔を向けた。嬉しくて、嬉しくて、仕方なかった。


 自分とそっくりでありながら、自分より利発そうなその瞳。運動神経も抜群で、児童会館の天井にまで届きそうな遊具の天辺で、彼はいつも誇らしげに胸を張っていた。ともすると同年代の子達よりもぼんやりしていたマイアは、いつも弟に助けられていた。彼はいつもきちんとしていて、意地悪な男の子がやってきても撃退してくれたし、大人への受け答えもしっかりしてくれたし、怪しい人が近づいてきても……彼はマイアの頭を叩いて、そっちへ行っちゃいけないと叱ってくれた。


 だから彼女は彼に全幅の信頼を置いていた。二人はいつも一緒だった。もちろん、その日も……


 マイアはその日、ちょっとだけわがままを言った。いつもなら弟に叱られたら、涙目になって彼の後についていくのに、その日は何を言われても梃子でも動かなかったのだ。理由は単純で、目の前にフェレットという珍しい動物がいたからだった。


 動物好きのマイアは白くて細長くて可愛い動物にメロメロになっていた。飼い主の男から抱いてもいいよと言われたら、もう周りは見えなくなっていた。弟はそんな彼女を、早く帰ろうと引っ張ったが、やがて根負けして何も言わなくなった。そのうち弟はマイアのぬいぐるみが無いことに気づいて、仕方ないから自分が代わりに探してくると言って去っていった。


 彼女はこれ幸いと、夢中になって小さな動物を撫で続けていた。そして弟はそれっきり帰ってこなかった……


 父母はそれ以来、喧嘩が絶えなくなった。おまえが悪い、あなたが悪いと、非難し続ける声が子供部屋までいつまでも響いた。本当に悪いのは、言うことを聞かなかったマイアなのに……二人は彼女を責めることはなかった。それがかえって彼女を苦しめ、暗い部屋の中で後悔に押しつぶされそうになりながら、彼女は耳をふさいでいることしか出来なかった。


 やがて母が家から出ていって、それで喧嘩は無くなったけれども、マイアは塞いだままだった。父は部屋から出てこない娘のことを心配して、何度も何度も声を掛けてくれたけれども、彼女はそんな父に対する罪悪感から、何も返事ができず、ただ泣いているばかりだった。


 父だっていつまでも娘のことばかりに構っていられるわけもなく、仕事が忙しくなるに連れて、父娘はすれ違うようになっていった。マイアは一人ぼっち暗い部屋の中で、それも自業自得だと自虐的になりながら、泣いていることしか出来なかった。


 と、そんな時だった。


「マイアちゃん、マイアちゃん」


 ぬいぐるみから声が聞こえてきたのは。


 テディベアのぬいぐるみの中には、娘が不安にならないように、母がこっそりと端末を仕込んでいたのだ。母はその端末で娘の様子をこっそり覗いていて、彼女が泣いていると知ると、堪らず声を掛けてきたのだ。


「一緒に居られなくてごめんね? でも、ママはマイアちゃんのことが大好きだよ」


 それ以来、忙しい父に代わって、マイアが寂しくしていると、決まって母が電話をかけてくるようになった。彼女は本当に娘のことを心配しているらしく、どんなときでも彼女が悲しそうにしていると、必ず声を掛けてくれた。


 やがて父がいる時でも、父にバレないくらいの小さな声で応答してくれるようにさえなった。マイアはそんな母の気持ちが嬉しくて、テディベアに顔をうずめるようにギュッと抱きしめながら、ヒソヒソ声で会話を楽しんだ。


 その関係は、彼女が元気になるまで続いた。母はもう返事をしてくれなくなってしまったけれど、もしもこの時の母の支えがなかったら、マイアは今でも塞ぎ込んでいたかも知れない……


***********************************


「……お母さん……」


 自分の声が思いのほか大きかったのだろうか、そのせいで眠りから覚めた。静電気が弾けるような感触がパチパチと頭の中で鳴っていて、視界の隅がにじむように明滅している。椅子に座りながら居眠りをしていたから、腰が曲がってじんわりと痛い。斎場の空気が乾燥していて喉が渇いていたが、水を飲みに行こうにも、全身の血流が足りないのか、まだ覚醒には至っていなかった。


 あとひとつ何か切っ掛けが無ければ起きれない……などと自分に言い訳しながら、微睡みに身を任せている時、彼女はようやく線香の火のことを思い出し、反射的にハッと頭を上げ慌てて椅子から立ち上がった。


 しかし、結論から言えば、その必要はなかった。マイアが祭壇に目をやると、香炉の前には既に先客が居て、途絶えそうになっていた線香の火を彼女の代わりに繋いでくれていた。消えてしまったところで、実際に父の魂がどうこうなるとは思えなかったが、確実に寝覚めは悪くなるだろうから、代わってくれたその人に感謝しようと声をかける。


「あ、あの……ありがとう……」


 祭壇の前に佇んでいたその人は、いきなり背後から声を掛けられて驚いたのか、ビクッと肩を震わせると小動物みたいに縮こまって、近づいてくるマイアの方をおずおずと横目で盗み見ていた。


 斎場の職員だろうか? マイアはお礼のついでにその顔を覗き込もうとしたが、照明が逆光になっていてよく見えなかった。だが彼女には、その小柄な体と、その挙動不審な態度、そして少し猫背な輪郭線を見ただけで、それが誰だか無意識的に分かってしまった。


「お母さん?」


 マイアの口から自然と漏れ出た言葉に、母はまたビクッと体を震わせてから、


「……ひさ……しぶり……」


 蚊が鳴くようなか細い声が辛うじて耳に届いた。彼女は数年ぶりに再会した娘のことを相変わらず正面から見ようとはせずに、被っていたトークハットのベールの影から、チラチラと視線だけをこちらに投げ続けていた。


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