それじゃ見に行こうぜ:甲斐③―5
放置自転車をパクって逃げてる最中、また面白いものを発見した。背後に迫るサイレンの音に追われながら、ひいこら例の用水路を渡ったら、その途端に何故かパトカーが引き返していったのだ。
どうしたんだろう? と振り返って様子を窺っていたところ、今度は前方からサイレンの音が聞こえてくる。仕方がないので、少々不安に思いながらも引き返すと、また用水路の橋を渡ったところで、パトカーがUターンしてしまった。
これでピンときたのだが、どうやらこの用水路を渡ると警察はプレイヤーをロストしてしまうらしい。考えても見れば、ここは神奈川県と千葉県の境目という、あり得ない場所なのだ。もしかするとNPCでしかない警察には、容疑者が瞬間移動しているように見えているのかも知れない。もしくは県を越えたら管轄が違うとか。どこの合衆国だ?
なんにせよ、これを利用すれば、手配レベルを下げるなんて造作もないことだ。橋の真ん中に立って反復横跳びすればいいのだ。これからはドジを踏んでも、ここまで逃げてくれば100%逃げ切れるだろう。これは妹にも教えてやらねば……
などと思いつつ、電車に乗って意気揚々と帰宅したら、玄関のドアを潜った瞬間、
「もう、お兄ちゃん! どこ行ってたの!? 心配したんだからね!!」
突然、掴みかかってきた妹にゲシゲシ向こう脛を蹴られた。痛い。
「ちょっとちょっと、いきなり何すんだよ?」
「それはこっちのセリフだよ! いきなり渋谷で騒ぎを起こしたと思ったら、連絡もしないで今までどこほっつき歩いてたの!? お兄ちゃん、いくらなんでも呑気すぎ!」
言われて甲斐は思い出した。そういえば、今日は渋谷で待ち合わせしていたところ、初心者狩りに遭遇してひどい目に遭わされたのだ。幸いと言っていいかどうかはわからないが、死に戻り出来ることを利用して上手いこと撃退したわけだが……
考えても見れば、その結果、まだ初心者狩りが事件を起こす前にやっつけてしまったわけだから、何も知らない妹からすれば、甲斐が突然乱心したようにしか思えなかったのだろう。おまけに妹が取ってきてくれた約束もブッチしてしまったわけだし、彼女が怒るのも無理はない。
「お兄ちゃんがどうしてもって言うから、知り合いの伝をいくつもいくつも頼ってさ、何とかアポが取れたんだよ? それなのに、事件起こした挙げ句すっぽかすなんて……あちらさん、すっごい怒ってたからね!」
「マジで? 弱っちゃったな……」
「明日謝りに行ってくるけど……今度すっぽかしたら命はないからね!」
確か今日会う予定だったヤクザは、東京を仕切ってる三大勢力の一つだかなんだか、そういう話だった。これからは警察だけではなく、ヤクザにも追われることになるのだろうか……? それは正直御免被りたかったが、
「でも、仕方なかったんだよ。あのまま放置してたら、チート野郎が殺戮ショーを始める未来が確定してたんだ。止めるには、先手を打って殺るしかなかった……僕だって逃げられるなら逃げたかったさ」
「はあ? 何言ってるの、お兄ちゃん」
「ほら、この世界はゲームだって、前にも言っただろう?」
「はぁ~……またその設定?」
妹は呆れた素振りで肩を竦めてため息を吐いている。確かに、こんな話を信じてくれというのは無理があるのは承知してるが、本当のことなんだから仕方がない。
それにしても、あの男は一体何だったんだろうか? ある意味、あの出来事があったお陰で、今回世界の外側を発見出来たわけだが……そのヒントとなった男が、実はプレイヤーじゃなくてNPCだったなんて。どうしてそんなNPCがいるのかも、さっぱり意味がわからない。
やっぱり、あの男はプレイヤーだったんじゃないのか? でも、そうだとしたら、巻き戻り現象が生じるわけがないのだが……
ともあれ、今はチート野郎のことよりも、妹への言い訳をするほうが先決だ。まずは彼女に話を信じてもらう必要があるが、それについては秘策があった。
「りあむが信じられない気持ちはわかるよ。僕も最初この世界に来た時は、本物と間違えそうになったくらいだ。でも聞いてくれ、今日はこの世界がゲームだって裏付ける、はっきりとした証拠を見つけてきたんだよ」
「証拠ぉ~? へえ……本当にそんなものがあるんなら、見せてみてよ」
妹は鼻くそでもほじりそうな表情で、胡散臭そうな瞳で眺めている。甲斐は、不遜な態度の妹の度肝を抜いてやろうと、かめはめ波みたいに両手を腰だめに構えたが……すぐに思い直して、窓を開け放して、外に誰も居ないことを確認して、それからまた元の場所に戻ってきて、
「ファイヤーボール!!!」
腰だめに構えた手のひらを正面に突き出しながら彼が叫ぶと、その指先あたりからボウっと炎の玉が飛び出して、窓を通り抜け空へと上がっていった。そんなこと全く想像もしていなかったであろう、それを見ていた妹は腰を抜かして、
「ふ、ふぇ、ふゎわああああ~!? びっくりした! なにそれーっ!」
「ふっふっふ、見たかね、りあむ君。これがチートの力だ」
「すっごーい! 今のどうやったの? 全然タネわからなかったよ」
妹は甲斐の手を取ると、目を丸くしながら矯めつ眇めつ眺めている。その言動からして、どうも手品と思っているらしい。甲斐は手を振り払って唇を尖らせ、
「バカ、手品なんかじゃないってば。よく見てろよ? ……ファイヤーボール!」
種も仕掛けもないことをはっきり分からせるために、今度は妹が見ている眼の前でやってみたが、彼女はそれを間近で見ても、
「凄い……本当に全然タネがわかんない。お兄ちゃん、もしかしてこれ、お金取れるんじゃない?」
「だから本物なんだってば、くそ! どうしたら信じてくれるんだよ?」
「どうって言われても。今どきそんな子供だまし、誰も信じるわけないでしょ」
妹は端から信じてくれるつもりが無いらしい。何一つ嘘などついていないというのに、頭ごなしに痛いやつ呼ばわりされるのは心外である。甲斐は悔しくて地団駄を踏んだ。しかし、実物を見てもまだ信じられないのではどうすることも出来ない。
甲斐は諦めて別の話題に切り替えようとしたが……その時、不意にいいことを思いついた。
「あ、そうだ……それじゃ見に行こうぜ」
「見に行くって、何を?」
「世界の外側だよ」
場所は既に分かっているのだし、単に川を遡るだけなんだから再現性も高いだろう。運営が気づいて穴を塞がれてしまったらそれまでだが、さっき行ったばかりでアップデートされてるわけもない。
あれを見れば、いくら頑固な妹だって、この世界がゲームだと信じないわけにもいかないだろう。そうと決まれは話は早い。
「横浜までちょっと遠いけど、車ならすぐだからさ。ほら、さっさと支度してよ」
「えー、今から? 本気で言ってるの?」
「夕飯まだでしょ? ついでに夜景の綺麗なレストランにでも寄ろうぜ。奢るからさ」
「なら今日はそこのホテルで朝までセックスだね!」
「野獣のような妹だね!」
もちろん、大好きだけど。甲斐はルンルン気分でパンツに香水を吹きかけた。
二人は家の前のコンビニに入ると、手慣れた手付きでバックヤードの扉を押し開け、裏口を通って幹線道路までショートカットした。バイト店員はその一部始終を見ていたが、特に注意することもなくスルーした。危険人物と見做されているのか、それともやる気がないのだろうか。どっちかはわからない。
大通りへたどり着いたら出来るだけ格好いい車の前へ飛び出し、ドライバーと肉体言語で交渉して譲ってもらい、二人でカーラジオから流れる歌を交代で歌いながら、高速道路をかっ飛ばした。背後から聞こえてくるパトカーのサイレンの音にさえ目をつぶれば、湾岸線は今日も気持ちがいい風が吹いていた。
横浜を通り過ぎ、例の用水路のある高架を渡って千葉県に入ると、手配レベルはあっさり消えた。そのまま最初の出口から下道へ降りて暫く進むと、助手席で携帯をいじっていた妹が、
「あれ? 横浜に行くんじゃなかったの?」
と言っていたから、彼女も何かおかしなことが起きていることには気づいているようではあった。ただ、感覚がそれを受け入れられないのだ。
例の用水路に架かった橋のど真ん中で、甲斐が上流を指さしながら、ここを遡っていくんだと言ったら、彼女は難色を示していたが、そのまま堤防の階段を降りるために横浜方面へ入ったら、また何かおかしいと感づいたらしく、しきりに首を捻っていた。
堤防から川へ降りる階段を伝って用水路に侵入し、バシャバシャと透明な水を蹴飛ばしながら進むと、妹はよほど居心地が悪くなってきたのか、
「ねえ、お兄ちゃん……なんだかここ、凄く嫌な感じがするんだけど」
「なら尚更、この先になにかある気がしないか?」
「……もうわかったからさ、引き返さない?」
「平気平気」
ここへ来てやたら帰りたがるようになった妹の手を引いて強引に橋の下をくぐると、覚悟を決めたのか、それとも何かが変わったのか、妹は急に大人しくなった。黙ってついてくるので本気で嫌がってる感じではなかったが、顔色は青ざめて、何かに怯えているような表情をしていた。
流石に可哀想になってきたから引き返そうとも思ったが、それじゃ何しにここまで来たのか分からないという気持ちが勝って、最終的には奥まで進むことに決めた。妹に、この世界がゲームだと証明するにはこれしか方法がないのだ。
そしていよいよ、世界の外側に飛び出してしまった付近までくると、甲斐は妹の手を離して、代わりに戸惑っている彼女の背中をグイッと押した。
「き……きゃあああーーーーーっっ!!」
妹は一歩踏み出した途端、そこにあるはずの地面がないことに気づき、慌てて手足をばたつかせながら奈落に落ちていった。
甲斐はそんな彼女を心配させまいと思って一緒に飛び降りると、目茶苦茶に振り回している彼女の手を取って、その体を引き寄せた。妹はそれでも暫くの間パニック気味に暴れていたが、やがて兄にしがみついていることに気づいて大人しくなり、代わりに周囲の景色を見ながら、
「ここは……こんな……嘘……?」
真っ白な空間の中で、たった今まで自分たちの居た世界を見上げた彼女の顔は、強張り、驚愕に打ち震えていた。足元に地面がないことに気づいた彼女は、そこに重力もないことには気づかず、落下しないよう必死に兄にしがみついていた。
甲斐はそんな彼女のことを少し可哀想に思いながらも、ようやく自分の主張が勝ったと満足気に、
「な? 僕の言ってたことは本当だったろ?」
「嘘……だって、こんな……あり得ない。私は……そんな……私は人じゃなかったの? ……でも……だって、私はあなたの……あなたと……彼女を……」
すると妹は焦点のいまいちあってない視線で彼のことを凝視したかと思えば、まるで壊れた機械みたいにぶるぶると小刻みに震えだして……
「お、おい……!?」
「嘘……だって……この世界は偽物なの? ねえ……お……にいちゃ……蝌倥□縺」縺ヲ縺ュ縺医♀縺ォ縺?■繧」
「おい、ちょっと……ちょっと! おい!」
ぶるぶる震える彼女の体に、何かノイズみたいな線が走る。すると、それまで手のひらに感じていた彼女のぬくもりが消え、感触もなくなって、甲斐は妹の体をすり抜けて、前につんのめった。
「蝌倥□縺」縺ヲ縺薙s縺ェ縺ゅj蠕励↑縺?ァ√?縺昴s縺ェ遘√?莠コ縺倥c縺ェ縺九▲縺溘◎縺?ァ√?縺?▽縺九≠繧薙◆縺ョ遘√′縺ゅ↑縺溘→蠖シ螂ウ繧」
妹をすり抜けた甲斐は、そのままグルンと一回転して体勢を整えると、慌てて妹の方へ振り返り、彼女の手を掴もうと腕を伸ばした。しかし、その腕は空を切り、もはや彼女には決して届かなかった。
見れば、いつの間にか彼女の体は半透明に薄れ、真っ白な背景に溶け込んでしまいそうになっていた。その端正な顔は奇怪な蝋人形のように強張り、まるでホラー映画の如く黒く落ち窪んだ巨大な瞳が、虚空を映し出している。体にはまるで走査線みたいな横線がいくつも走り、それがチラつくたびに彼女の姿は少しずつ薄れていった。
「……あれ?」
虚しい独り言だけが辺りに響く。やがて彼女の体は、ただの小さな光の礫となって、それさえもついに霧散して消滅してしまった。後には何も残らず、そこにはただ呆けた顔をした男が一人、佇んでいるだけだった。




