現実とゲームの境界:甲斐③―3
はあはあと肩で息をしながら、甲斐は男が消滅した路上をじっと見つめ続けていた。もしかするとあの男が復活して、即復讐に来るんじゃないかと警戒していたのだ。1分ほどしてようやく落ち着いてきたが、心臓はバクバクと早鐘を打っていた。まるで別の生き物みたいだ。
そろそろ安心していいだろうと、ため息を吐いて銃座の背もたれに体を預けると、額からは滝のように汗が流れ落ちてきた。と同時に、どっと疲れが押し寄せてくる。思った以上に、体力を消耗しているようだった。
それにしても、人を殺すのも殺されるのも初めての経験だったが、なんとも締まらない気分ではあった。何しろ、自分はいくら死んでも何度だって復活するのだし、相手は死体すら残っていないのだ。そういえば、自分が死んだ時は、暫くの間上空にプカプカ浮かんでいたが、もしかしてあのチーターも今、甲斐のことを上の方から眺めてるのだろうか?
そう思うとまた落ち着かなくなってきて、どこかに半透明になったアバターが見えるんじゃないかと上空ばかり気にしていたら……パン! っと乾いた銃声が聞こえてきて、甲斐はびっくりして反射的にチート武器のトリガーを引いていた。
ズババババババッッ!!! っと、なんかもう銃撃とは思えない音がキンキンと耳を貫いて、対戦車ライフルみたいな巨大な弾が、ドバッと高射砲みたいに上空に吸い込まれていった。その瞬間、交差点のあちこちから悲鳴が上がり、銃声もそれに比例して増えた。
何事か? と思って見てみれば、いつの間にか警官隊が周囲を取り囲んでいて、甲斐に向かって発砲を繰り返している。どうやら、チート野郎は撃退したが、お陰で手配レベルがマックスになってしまったようだった。
「やばっ……」
幸いと言っていいか分からないが、彼の落としていったチート武器のお陰で銃撃は届かないようだったが、このまま囲まれ続けていては手配レベルが下がらず、いつまで経っても状況は改善しないだろう。
しかし、逃げたくってもこんな戦車みたいな兵器の中ではどうしようないじゃないかと、両手のレバーをガチャガチャやっていたら、
「お……おお!?」
突然、周囲の景色が糸をひくようにグイーっと引き伸ばされたかと思ったら、次の瞬間、甲斐はスクランブル交差点から、全然別の場所へと瞬間移動していた。どことなく見覚えのあるこの坂は、確か公園通りだったろうか? 現場からは500メートルも離れてないので、まだ遠くの方から銃声と叫び声が聞こえてくる。
そういえば、初心者狩りも瞬間移動していたことを思い出し、そのつもりで意識してレバーを倒してみたら、今度は坂を登りきって代々木公園の前まで瞬間移動していた。どうやらこの球体、そういう乗り物でもあるらしい。
突然現れた謎の球体に、歩行者が目を丸くしている。スクランブル交差点の騒ぎは、まだここまで伝わっていないらしく、奇異の目では見られたが、恐れられてはいないようだ。とはいえ、それもいつまでもというわけにもいかないだろう。こんな物はさっさと乗り捨てて、手配レベルを消しにかからねば……
そう思ってターレットから降りようとするのだが、その球体にはどこにも出口が見当たらなかった。というか、そもそも、どうやって入ったのかすら定かでない。無理をすれば隙間から出られなくもないが……うっかり尻でも引っ掛かったら、今度こそ警官隊に蜂の巣にされてしまうだろう。
そんなことを考えている時、甲斐はそう言えばここはゲームの中だったと思い出し、
「ステータス!」
画面を開けば、案の定、武器の装備欄に文字化けした謎の物体が表示されていて、フリックしたら、それは跡形もなく消えてしまった……まあ、アイテムボックスという名の無限ストレージに収まっているわけだが。
甲斐は物騒なお荷物を片付けることに成功し、ホッと安堵の息を漏らすと、突然現れた球体が今度は突然消えてパニクってる人々を後目に、近くに路駐していた車のドアをこじ開け、すたこらさっさととんずらした。
****************************
参宮橋から首都高に乗り、車が流れているのを見てようやく人心地つけた。まだ手配レベルはついたままだったが、このまま環状線を流していれば、そのうち消えてしまうだろう。ここは現実とは違って、警察が検問を敷くことはない。だからパトカーも追いつくことが出来ないのだ。
自動運転に任せてる間に妹と連絡を取ろうとしたが、携帯電話を持っていないことに気がついた。どうやらチーターに突撃した際、車の中に置きっぱなしにしてきてしまったようである。それで足がつくということはないだろうが、暫くナビ無しで行動しなくてはならないのは不便だった。
それにしても……こうして落ち着いて考えられるようになって改めて思ったが、この世界は本当にどこまでもゲームの中だと実感させられる出来事だった。
理不尽な目に遭わされても文句を言うだけで抵抗しない人々、破壊されてもしばらくすれば元通りになる建物、警察は問答無用で射撃してくるし、プレイヤーは物理法則を無視したチートまで使ってくる。これでも妹はここが現実だと信じているのだから、不思議でしょうがない。
ところで、ちょっと思ったのだが、あんなんじゃゲームにならないから、多分、運営がチーターを取り締まっているのだろうが、その運営は普段何をしてるのだろうか? 事件が起きてから飛んでくるのだろうか? それとも、プレイヤーの中に紛れ込んでいるのだろうか?
ずっとプレイヤーの中から協力者を得ようと考えていたのだが、もしも運営とコンタクトが取れるなら、こっちに窮状を伝えたほうがいいのかもしれない。運営なら、プレイヤーよりも事細かに調べてくれるはずだ。まあ、信じてくれるかどうかは別の話だが……
もしかして、通報機能のようなものがついてないかと思い、ステータス画面を探してみたが見つからなかった。それじゃプレイヤーは普段、チーターと遭遇したらどうしてるんだろうか? 一度ログアウトしてから、ゲーム以外の手段で通報しているんだろうか? 意外と面倒くさいな……などと考えている時、ふと思った。
そういえば、あのチーターは……あの後どうなったんだろうか?
リスポーンして復讐に来るんじゃないかと思って、あの後少し現場にとどまっていたわけだが、結局彼は戻ってこなかった。自分と同様、幽霊状態で浮いてるんじゃないかと思って上空を調べても見たが、特にそんなこともなかった。
彼はチーターだから、通常の手続きを踏んでこの世界にいるわけじゃない。だから銃撃によって物理的に消えると共に、その存在自体もサーバーから消えてしまったということだろうか? そう考えれば辻褄は合うが……
甲斐はなにか重大なことを見落としているような、そんな違和感のようなものを感じていた。何かがおかしい……何かが……
「そうだ……変だよ。おかしいよ!」
と、その時、彼はピンと閃くものを感じて、思わず独りごちていた。
おかしいのはチーターでも、彼が持っていた武器でもない。さっきまで甲斐は何度も死んで、そして死んだら世界が巻き戻っていたわけだが、あれはどうやって処理していたのだ?
ボス戦前にセーブポイントを設けて、リトライをさせるゲームはいくらでもある。プレイヤーが死んだらいつでも復活できるように、この世界でもオートセーブが頻繁に行われていることも考えられる。
だが、それで巻き戻るのは、ゲーム内の時間だけだ。現実世界の時間は巻き戻るわけがないのだから、自分とNPCは巻き戻ったように感じたとしても、他のプレイヤーまで巻き戻ることはない。
だから普通に考えれば、甲斐が地下街で殺された後も、チーターはスクランブル交差点で殺戮を続けていなければおかしい……それなのに、彼は甲斐が復活するたびに、他のNPCと同じようにまた交差点に湧き直していた……
「あいつ、まさか……NPCだったの!?」
どこからどう見てもプレイヤーにしか思えなかったが、状況は彼がNPCだったことを告げていた。SFと違ってAIが人を騙すのは当然だ。じゃなきゃ勝負にならないのだから。だから初心者狩りというNPCが存在してもおかしくはないが……
でも、そんなものを作って、何の意味があるのだ? 初心者狩りはいけませんよという、啓発のつもりだろうか? 寧ろ逆効果じゃないか? はっきり言って、わけがわからない……なんでそんなことをする必要があるのだろうか?
ともあれ、あれがプレイヤーでなかったのだとしたら、普段から良く見かける、警察に追われていたり、銀行強盗をしてるような連中も、実はプレイヤーじゃなかった可能性がある。しかし、そこまで信じられなかったら、一体誰が本物の人間と呼べるのだろうか。
この世界でちゃんと中身の入った人間に出会うことは、想像以上に大変なことなのかも知れない。しかも、その中から、信用のおける人間を見つけ出さなければならないなんて、果たしてそんなことが本当に可能なのだろうか……
地道にミッションをこなしてここまで来たが、これから出会う人々の中にも、こういう紛らわしいNPCが混じってると考えると、どうやってそれを除外していけばいいのか、頭が痛かった。
ところで、
「妙だな……」
おかしなことは更にもう一個あった。これは現在進行形の話だ。首都高をぐるぐる回る予定が、いつもの習性で湾岸線をそのまま横浜方面へと向かってしまった。そのこと自体にはすぐに気づいて、別にそれならそれで構わないだろうと直進していたのだが、いつまで経っても高速道路の終わりが見えてこないのだ。
それで、何か変だぞ……と思っていたら、視界の隅を『舞浜』と書かれた標識が掠めた気がして、思わず目を疑った。
いつの間に、千葉県にあるはずの東京ディズニーランドは神奈川県に移転していたんだ?(ややこしい)もちろん、そんなわけはなく、慌てて高速を下りて反対方向へと引き返せば、暫く進むとまた横浜に戻っていた。どうやら、湾岸線はどこかこの辺りでループしているらしいのだ。
現実にはありえない話だが……実は、このゲームは東京を舞台にしているのだが、逆に言えば東京以外の地理は存在しない。東京から出ようとすると、道が上手いこと隠蔽されていて、元の場所に戻ってしまうように出来ているのだ。
だから例えば、埼京線に乗ってさいたま新都心に行こうとしても、池袋を過ぎたら次は池袋と、ひたすら同じ区間を繰り返すように出来ている。高速道路もこれと同じように、ループしていたというわけである。
「なるほどなあ~……」
と感心しつつ、高速を下りて、今度は上には戻らず下道を引き返していった。マップの継ぎ目を見てみたいと思ったのだ。
中々それっぽいものは見つからなかったが、手配レベルも消えたので、車を捨てて徒歩で探してみたら、ようやく見つけた。見ただけではわからなかったのは当然で、境界は川の中にあった。
何の変哲もない橋を渡ると、こちら側は神奈川県であちら側は千葉県という、これまたどこにでもあるような用水路が見つかった。現実の千葉県と神奈川県には、そんな県境は存在しないので、つまりここだけ空間が無理やり捻じ曲げられているというわけだ。
川を間に挟んでいるから、お互いの街の建物が干渉し合うことはない。だから違和感を感じなかったわけだが、しかし、大陸移動説じゃないんだから、横浜の隣に舞浜の地形はすっぽりとは収まらないだろう。
この2つの街は、どうやって隣接してるんだ? と気になって、上流に向かって歩いてみたら、1キロくらい進んでも対岸に渡れる橋が一つも見つからなかった。
どうやら、対岸に渡れるのは、高速道路がある付近の一箇所だけで、後は延々と川の向こう岸が『描画』されているだけのようである。
つまり、テクスチャが貼られているだけで実在しない。絶対に誰も渡れないなら、川の向こう岸は見た目だけがあればよくて、実際の地形なんて考える必要はないと言うことだろう。
なんというか、よく出来ているというか、割り切ってるな……と思いつつ、最初の橋に戻ってきて川底を眺めて見た。そこに線は書かれていないが、この川の中央付近に日付変更線みたいなものが存在して、そこを過ぎたら左右の街の座標が切り替わるのだろう。なんとも不思議な話だった。
さて……そう結論したなら、もうこんなことは忘れて、さっさと家に帰ってしまえば良かったのだろう。だが、その時の甲斐は思ってしまった。
「……この川、遡ってったらどうなるんだろう?」
橋という経路が無いなら、NPCなら対岸に渡ろうなんて考えもしないだろう。しかし、甲斐はプレイヤーだ。その気になれば橋はなくとも、川を泳いで渡ることだって不可能ではない。
普段ならこんな汚い用水路に入ろうなんて思わなかっただろうが、その時の甲斐は少し違った。チーターに遭遇して何度も死んだり、手配度マックスで逃げ回ったりしていたので、気が大きくなっていたのかも知れない。
用水路は壁面が垂直なコンクリートで出来ていて、川底まで3~5メートルくらいの高さがあり、下に降りられるようなハシゴも階段もなかった。それで諦めれば良かったろうに、彼はキョロキョロあたりを見回すと、駐車場の境界を示す警告色のロープを引っこ抜いて、欄干から川底へと垂らしてしまった。
こんなので下に降りて、どうやって戻るんだという話ではあったが、その時の彼はそんなことはまったく考えず、仮に戻れなければ海まで下ればいいとそう考えていた。そんな無計画に下りてきてしまったが、幸いにも水深はくるぶしくらいまでしか無く、川底に降り立った彼はじゃぶじゃぶと水を蹴飛ばしながら、さしたる苦労もなく上流に向かって歩き始めた。
臭いがきついんじゃないかと覚悟していたが、そんなこともなく、そういえば最近の東京の河川は鮎が遡上するくらいだと聞いていたから、水質が良いんだなあとかそんなことを考えていた。水底にはざらついたコンクリートが見えていて、ゴミ一つ落ちて無く、透明度は非常に高かった。
清掃が行き届いている……とは思えないから、多分、ここはそういうゴミなどが溜まらないように設定されているんだろう。思えば、街を歩いていてもあまりゴミは見かけないから、もしかすると世界自体がそうなってるのかも知れない。
そんなことを考えながら、漫然と空を見上げて歩いていると……突然、ふわりとした感覚と共に、ドボン!! っと、水の中に落下してしまった。足元を見ていなかったが、急に深くなっていたらしい。
頭のてっぺんまで、ものの見事に川にはまり込んでしまった甲斐は、ぶくぶくと息を吐きながら慌てて両腕をばたつかせて浮上しようと試みた。
ところが、彼がいくら水を掻いても、バタ足しても、何故か水の感触が伝わってこない……上手いとまでは言わないが、甲斐は決して泳げないわけじゃない。それに、息を止めてじっとしてれば、人間は浮くように出来ているはずだ。なのに、全く浮上する感覚がないのだ。
何かがおかしい。彼は焦って更に手足をばたばたさせ、必死に上へ上がろう上がろうと躍起になった。ところがいくら藻掻いても、体は一切浮上しようとはせず、一定のスピードでどんどん落下していくばかりだった。水の中では体の自由が効かず、息も続かず、頭にどんどん血が昇ってくる……
このままでは死んでしまう!!!
……そう考えた時、甲斐は急激に冷静さを取り戻してきた。死ぬんなら、死んでしまえばいいではないか。どうせ巻き戻るだけなんだから。
この世界はゲームなのだ。思えば、この体の自由が効かない感覚も、システム的な制限が掛かっているせいじゃないのか? ここは見るからに製作者が侵入を想定していない場所である。そんな場所に無理矢理入ったから、世界が異物を排除しようとしているとは考えられないか?
そう考えたら、この不自由な感覚が、死んだ時にふわふわ宙に浮かんでいた時に似ているような気がした。そう意識した途端、落下はピタリと止まって、甲斐は普通に息も出来ることに気がついた。なんてことはない。どうやら想定外の事態が起きて、甲斐の体はエディット飛行モードに切り替わっていたのだ。
ただし、今回浮かんでいるのは彼の方ではなくて、世界の方だった。
見上げればそこに、たった今まで甲斐が暮らしていた街の風景が浮かんでいた。それは映画のセットみたいにペラッペラで、何もかもがハリボテだったのである。




