卑怯とは?:甲斐③―2
「お兄ちゃん……お兄ちゃん……返事して、お兄ちゃん!!」
『あ、はい』
地下街の床に転がっていた甲斐の死体のイヤホンから、妹の声が漏れていた。彼を射殺した初心者狩りのチーターは、死体からルートしようと近づいて、それに気づいた。
「なんだあ? おめえ? プレイヤーじゃなくて……ボットか?」
「あんたこそ何者よ! 殺す! 絶対殺してやる!!」
「ははは!! マスター殺されて怒ってんのかよ。よく調教されたボットだなあ!」
「このーっ!! そこ動くんじゃないよ! 今すぐ殺してやるから!!」
『やめて! 私のために争わないで! ……なんてな』
妹とチーターの口論は続いている。甲斐はそんな二人の会話を(ついでに蜂の巣になった自分の蓮コラみたいな死体を)、渋谷地下街の天井よりほんのちょっと上の方から、なんというか俯瞰視点で見下ろしていた。ぷかぷかと。冷静に。
順を追って説明しよう。
スクランブル交差点にチーターが現れた後、甲斐は狩られないように渋谷地下街に逃げ込んだのだが、そこに先回りしていたチーターによって射殺されてしまった。
チーターの持っていたチート武器はものすごい威力で、警察にちょっとくらい撃たれてもすぐには死なない今の体であっても、即死するほどの威力だったのだが……
ヤバい! と思った瞬間にはもう甲斐の魂(?)は体から抜け出て、今みたいにプカプカと空に浮かんでいたのである。
視線を自分の死体ではなく、浮いている方の体に向ける。すると、そこには半透明になった洋服や腕が見えた。いわゆる幽霊状態とでも言うのだろうか? そんな感じで意識だけが自分の体から分離して、空に飛び出してしまったのだ。
『多分これって、死んじゃったってやつだよね?』
この世界がゲームであることを意識して以来、死んだらどうなるんだろう? という疑問は絶えずつきまとっていたが、その答えがこれだった。ついさっきまであった重力はもう感じられず、サンドボックスゲームのエディット飛行みたいな感じで自由自在に空中を動き回れる。壁抜けも出来て、今も地下街の天井に半分めり込んでいるのだが、壁の中から外の様子もちゃんと見え、ついでにステータス画面を開くことも出来た。
チーターが、死体から持ち物を漁っている様子もばっちり見える。だから、けしからんと、
『ちょっと、あんた。チート使ってPKした上にルートまですんのかよ。悪趣味が過ぎるぞ。永久BANされちまえよ』
と抗議してみたのだが、残念ながらこっちの声は聞こえてないらしく、何のリアクションも返ってこなかった。それは妹も同じらしくて、彼女は未だにチーターに向かって呪詛を吐き続けている。
なんというかその汚い言葉は、いつも大らかな彼女らしくなくて早く止めてあげたかったのだが、いかんせんこっちの声が届かないのでどうしようもない。
それにしても、このあとどうなっちゃうんだろうか? 流石に一生このままってことはないよな……と思っていると、一瞬、視界が暗転したかと思いきや、
「……お?」
次の瞬間、ガタンゴトン……と、電車の走る音が聞こえてきて、グンッと体に重力が戻ってきた。脳内でパリパリと静電気が弾けるような感覚がして、視界は水彩絵の具みたいに滲んで見える。それが徐々に落ち着いてきて焦点が合うようになったら、そこには見覚えのある地下鉄の車内が広がっていた。
見覚えがあるのは、いつも乗っているからという理由もあったが、この場合は少し違った。
『次は渋谷……渋谷……』
車内アナウンスが流れると、駅で降りる乗客達が立ち上がった。その人たちの着ている服や立ち居振る舞いが、まるで白昼夢を見ているかのようにデジャヴとなって重なって見える……間違いない。これはついさっき見たばかりの光景だ。
ホームに降りると携帯が鳴って、イヤホンからは妹の声が聞こえてきた。
「お兄ちゃん、着いた? あちらさんはこれから事務所出るって。すぐ行くからハチ公で待っててって」
「……りあむ、ちょっと変なこと聞いていい? 僕、さっき死ななかったっけ?」
「はあ? 何言ってるの? ヤクザ屋さん相手に緊張してるのかも知れないけど、逃げちゃダメだよ。逃げるともっとややこしくなるから」
「いや……逃げないけどさ……」
妹からは、さっきの殺伐とした雰囲気が嘘みたいに消えている。
甲斐は何だか嫌な予感がして、乗り換え客を押しのけるようにして改札をくぐると、一段飛ばしで地上への階段を上がり、待ち合わせのハチ公前ではなく、スクランブル交差点の信号のところまでやってきた。
交差点は現在、道玄坂方面へ抜ける車両が流れていて、暫くすると信号が変わり、今度は人の群れが一斉に交差点へと流れ込んでいった。青信号になっても渡ろうとしない甲斐のことを、迷惑そうに睨みつけながら人々が追い越していく。
彼が人で入り乱れる交差点の中央付近をじっと見つめていたら……
その時、一瞬だけ七色に光る何かが交差点の中央で揺れたと思ったら、次の瞬間、今まで光学迷彩で隠れていましたと言わんばかりに、ゆっくりと巨大なボール型の銃座に乗った男がそこに出現した。
「ぎゃははははは! 初心者のみなさーん! オール・ユー・キャン・暴徒の世界へようこそ! 楽しい楽しい殺戮の時間ですよー!」
突然、どこからともなく現れた男に通行人たちが戸惑っていると、彼はそんな人々を無視して狂ったような笑い声をあげ、問答無用で360°ぐるぐる回転しながら銃弾をばら撒き始めた。
血しぶきがスプリンクラーのように吹き上がり、交差点の上で風に煽られ、赤いカーテンみたいに揺れていた。パニックになった人々が逃げ惑って転倒し、そこかしこで折り重なった人々が、すぐに死体の山へと変えられていった。どこを向いても泣き声と叫び声だらけで、立ち向かおうなんて人は一人も居ない。
甲斐はそんな地獄絵図を前に、唖然と佇んでいた。そして多分、流れ弾が当たって、いつの間にか死んでいた。
「お兄ちゃん……お兄ちゃん!? いやああーーーーっ!!」
地面に転がる自分の死体のイヤホンから、妹の叫び声が聞こえてくる。甲斐はその光景をスクランブル交差点のちょっと上空から、ぼんやりと俯瞰していた。
暗転。
『次は渋谷……渋谷……』
グンッと重力に横殴りされたような重さを感じて、地下鉄のシートの上でよろける。隣に座っていた乗客が迷惑そうに咳払いし、それはガタゴトと揺れる列車の音に溶けて消えた。視界が徐々に輪郭を帯びてきて、甲斐はまた既視感に満ちた世界の中で意識を取り戻した。これはもう間違いない。
「もしかして、もしかしなくても……死に戻ってる?」
隣の乗客が変人を見るような、ぎょっとした表情でこっちを見ていた。
とにかく、話はわかった。アクションRPGなんかでは、よくあるシステムだ。強いボス戦の前にセーブポイントが置かれていて、負けたらそこからやり直すことが出来るという。いわゆる、リトライというやつである。コンティニューでも、何でもいいが……
どうやら甲斐は、この世界で死んだとしても、すぐにやり直しが出来るらしい。そりゃまあ、ゲームなんだから当然と言っちゃ当然ではあるが、今まで必死こいて警察車両から逃げ回っていた身としては、なんとも肩透かしな話であった……もう少し、早く教えて欲しいものである。
電車が減速し始め、乗客たちがバラバラと立ち上がる。
キンコンキンコン鳴り響いているドアを潜ってホームに降りると、甲斐は今度は人の流れには乗らずに、空いていたベンチに座った。
「お兄ちゃん、着いた? あちらさん、ハチ公で待っててって」
「はいはい」
彼は立ち上がらずに妹に生返事を返しつつ、改札に向かう人の流れを眺め続けていた。
待ち合わせ場所に行ったところで、多分、無駄足になるだろう。もう少ししたら、例の初心者狩りがやってきて、渋谷駅前はパニックになるのだ。そんなところへノコノコ上がっていって、また殺されるのは御免だった。
それより、これからどうしたらいいんだろうか?
恐らく、これから起きる出来事のせいで、待ち合わせは無かったことになるだろう。どうせまた出直すのであれば、このまま逆方面の電車に乗って家に帰ってもいいが……それにしてもちょっと癪ではあった。
何しろ二度も殺されたのだ。こっちは何もしていないというのに。初心者狩りというクソみたいな理由で……出来れば、あの馬鹿者に報復をしたいところであったが、しかし、相手はチーターで、ゲームの仕様を無視した攻撃と、瞬間移動までしてくるようなやつである。漫然と立ち向かったところで敵いっこない。おまけに、自分は丸腰だ。
妹とこの数日間こなした依頼は殆どがドライバー関係で、敵とドンパチするようなものではなかった。必然的に、武器など使う機会は無かったし、それがどこに売っているのかさえ甲斐は知らなかった。
そういえば、駅前に交番があったから、そこで拝借すればなんとかなるかも知れないが……チーターと接触する前に、警官隊に追われることは必至だろう。
いっそのこと、やつが来る前に手配レベルを上げておいて、共倒れを狙うという手もなくはないが……
「初心者……みぃつけたあ~~!!!」
甲斐がそんなことをぼんやりと夢想していた時だった。横からあの不快な声が聞こえてきて、ハッとして振り返れば、そこに奴が立っていた。ニヤニヤしたいやらしい笑みを浮かべて、あのアメリカのクレージーな射撃イベントみたいなターレットに乗って。
甲斐はゴクリと生唾を飲み込んだ。
何故、こんなピンポイントに見つけることが出来たんだ?
考えると同時に思い至った。自分も死んだ時、壁の中から下界が見えていたではないか。相手はチーターなのだ。多分、全方位が透過して見えたり、プレイヤーとNPCの見分けがついたりするような、特殊なチートスキルを発動しているのだろう。
パンと乾いた音が鳴って、甲斐の額に穴が空いた。
「くっそ……」
一歩も動くことが出来ずに銃撃を食らった甲斐は、そのまま体から飛び出し、ぼこぼこの穴だらけに変えられていく自分の死体を見つめているしかなかった。
妹の泣き叫ぶ声が聞こえる。もう、何度目だ? 次はどうやったらこのループから逃げられる? あるいは……
奥歯を噛み締めながらそんなことを考えていると……視界が暗転し、また電車の中に逆戻りしていた。
ガタンゴトンと規則正しい音が聞こえる。肩が当たって隣の乗客が舌打ちしている。周囲を取り囲む人々は、もう何度も見ているせいか既視感が酷く、脳がバグってる気がして頭痛さえしてきた。甲斐は周りを見ないよう、両膝の間に頭を入れるくらい前傾姿勢になって、額に手を当てながら項垂れた。
『次は渋谷……渋谷……』
車内アナウンスが聞こえてきて、電車はゆっくりと減速し始めた。片足に力を込めて踏ん張りながら、到着前にドアの側に陣取ろうと動き出す人の足元を見ていた。彼らの後には続かず、このまま地下鉄に乗り続けていればいい。次の駅まで行ってしまえば、流石にあのチーターも気づくことはないだろう。
「……ああ、もう、あったま来んなっ!」
しかし、甲斐はそう叫ぶや否や、ぎょっとして振り返る人々を押しのけて、今まさに開こうとしているドアにかじりつき、それが開いた瞬間ホームへ飛び出した。そしてまだ電車から下りられてもいない乗客たちの前を全力疾走で駆け抜けると、階段を上がった先にある改札をハードルを飛ぶように通り抜けて、地下街の出口へ一目散に向かった。
仮に武器を持っていたとしても、相手はチートを使っているのだから、まともにやっても勝ち目はない。普通なら相手せず回避するのが正解だろう。ただ、やられっぱなしは面白くない。借りを返せるのであれば、きっちり返して置くべきだろう。それに、こっちにも一つだけアドバンテージはあった。相手がこれからどこにどうやって現れるのか、それを知っていることだ。
甲斐は階段を一段飛ばしで駆け上がって地上へと踊り出た。ただし、今度はハチ公口ではなく、スクランブル交差点のすぐ真横にである。どこからか甘栗を蒸す良い香りが漂ってくる中、キョロキョロと車道を通り過ぎる車列を見ていると携帯が鳴り、
「お兄ちゃん? 着いた? 先方はハチ公口で……」
「りあむ! 今こっちの様子ってモニター出来てる?」
「ふぁ? 突然どうしたの?」
「今すぐ足が必要なんだよ。車を奪いたいんだけど、この携帯からでも衝突回避システムをハックできるかな? 可及的速やかに」
「やってやれなくは無いけど……」
信号が変わり、歩行者が動き出す。甲斐は返事を待たずに飛び出すと、交差点を渡るのではなく、横断歩道の手前に停まっている車に向かって一直線に駆け寄った。
そして彼は信号待ちしている車からドライバーを強引に引きずり下ろすと、
「え? ちょっと……なに? なになになに!?」
「急いでるんだよ。あんたも死にたくなかったら、今すぐこの場から離れな」
まんま強盗みたいなセリフを吐いて、困惑しているドライバーを蹴り飛ばし、甲斐は運転席に滑り込んで携帯電話をコンピュータに繋いだ。その瞬間、コックピットに映し出されていた計器類が明滅を繰り返し、バグった文字列がモニターに流れる。
強奪する場面をばっちり見ていたのだろう、間髪入れずに交番から警官が飛び出し、トランシーバーを耳に当てながら小走りに駆け寄ってくる。甲斐はチッと舌打ちすると、力いっぱいハンドルを叩いて盛大にクラクションを鳴らした。更にサイドブレーキを引きながら思いっきりアクセルを踏み抜き、空回りする後輪をアスファルトで削って、悪臭とともに黒煙を周囲に撒き散らした。
そのただならぬ様子に、交差点を横断していた歩行者たちも異変に気づいたらしく、今にも突っ込んできそうな車から逃れようと押し合いへし合いしながら駆けて行く。歩行者がカオスに入り乱れていたスクランブル交差点は秩序を取り戻し、まるで波が引いていくように人が居なくなった。
と、その時、甲斐はその交差点のど真ん中で、空間が歪んで虹色の光学迷彩を纏った何かが現れるのを見た。瞬間、彼がサイドブレーキを解放すると、後ろに抑えつけられるようなものすごい重力と共に、グンッと車が急発進する。
「ぎゃははははは! 初心者のみなさーん!! ……って、あれ?」
交差点のど真ん中には、今まさにあのチーターが出現して殺戮を繰り広げようとしていたが、彼は用意していたセリフを言うよりも前に、交差点に侵入してきた車に追突されて……
ドンッ!!! っと言う盛大な音を響かせ、
「しぎゃぴーーーっっ!!??」
情けない悲鳴をあげつつ、チーターは昔のカートゥーンアニメみたいに吹っ飛んでいった。
その場には彼の使っていたチート武器だけが残されており、その巨大な丸い物体にひしゃげた車が突き刺さっていた。
エアバッグに挟まれていた甲斐は這々の体で車から這い出ると、そこにデデンと鎮座しているボールターレットを仰ぎ見た。
流石チート武器だけあって、物理法則をも無視しているのだろうか? 車の激突にさえも、びくともしなかったそいつにうんざりとする。そういや、チーターはこの『中』に入っていたはずなのに、どうやって吹っ飛んでいったんだ? と思いながら手を触れたら、
「……お?」
パッと甲斐の体が瞬間移動し、次の瞬間、その中にすっぽり収まっていた。いきなりすぎて面食らったが、多分、テレビゲームで言うところの装備したってやつだろう。使い方も直感的に分かった。今自分が両手に握っているレバーのボタンを押すだけだ。
「ああああー!? てめえ! 卑怯だぞ!! 返せよ! 返せよーーー!!」
そんなことを考えていると、交差点の向こうまで吹っ飛んでいったチーターが涙目でこっちを指さしていた。あれだけ盛大に飛んでいったくせに、ほとんどダメージは受けていないようである。きっとアバターまでチートの塊なのだろう。卑怯とは?
「ぎゃああーーっ!!」
そんな相手に話は通じないだろう。甲斐が何も言わずにボタンを押すと、発射された弾丸は思い通りのところへ全弾吸い込まれていった。
チーターが、まるでゲッダンするかのごとく、ブルンブルン荒ぶっている。もはや人間の動きではないことは言うまでもなく、その体の削れ方も人間のそれではなかった。
その男の体からは血の一滴も流れることはなく、よくわからない破片を周囲に撒き散らしながら、鉋がけみたいに削れていった。やがて全部が粉々になると、辺りに散乱していた彼の破片は、時間を置いて跡形もなく消えてしまった。




