夢のまた夢:マイア②―2
やけに夢見が悪くて、まだ暗いうちに目が覚めた。窓の外からは鳥たちの大合唱が聞こえてきて、それはザンザンと降りしきる雨のように、脳にけたたましく鳴り響いていた。汗ばんだ肌にシーツがまとわり付いて気持ちが悪い。体はまだ眠りを欲していたが、瞼を閉じてももう眠れるような気配はなかった。早起きは三文の徳と言うが、だからといって無条件に気分爽快というわけでもなく、鏡を見れば目の下にはくっきりとクマが浮かんでいた。
気が重い理由は言うまでもない。それは昨日見た男の夢の続きであった。昨日、近衛とゲームの世界を見に行って、そこに甲斐という青年はいないと確認したはずなのに、もう二度と見ないであろうと思っていた彼の夢を、当たり前のようにまた見てしまったのである。
しかも、その内容がまた強烈なのだ。
夢の中でドナーカードにサインした彼は、その後いつまで待っても訪れない死に当惑しつつ、自分がいつ消えるか分からないという恐怖の日々を送っていた。やがて精神に支障を来した彼は何もかも捨てて逃げ出そうとするが、妹のお陰で辛うじて踏みとどまり、ようやく自分の来し方を考えられるくらいに回復するが、そこで新たな疑問が芽生えるのだ。
もしかして、自分は殺されたんじゃないのか?
甲斐という男の身の上を考えると、それは真実であるように思えた。昨日、近衛が指摘した保険屋の嘘もある。もしもそうなら、絶対に許せないが……しかしマイアは素直に怒ることが出来なかった。
何故なら、それが本当なら、彼が殺されたのはマイアのせいだからだ。彼の心臓は今、マイアの胸の中にあるのだから。
「マイア、どうしたの? 気分が悪いの?」
朝の食卓でマイアが夢のことに気を取られていると、娘の様子がおかしいことに気づいた父が声を掛けてきた。マイアは努めて平静を装おうとしたが、すぐに無理と諦めた。父に不安を隠したところですぐに見抜かれるだろうし、余計に心配をかけるだけだ。
彼女は、実は昨日の夢をまた見たんだと切り出した。
「うちのゲームに取り込まれちゃったって男の人の話かい? マイアの心臓の持ち主かも知れないって言う」
「うん」
「でも昨日ムツキと、彼は居なかったって確認しに行ったんじゃなかったの?」
その話はまだ父にはしてなかったが、近衛から聞いたということだろう。二人はマイアの知らないところで、頻繁に情報交換しているようだ。
「そうなんだけど……また夢を見ちゃったんだよ。それもちょっと、嫌な感じのとこで終わったっていうか」
「嫌な感じって、どんな?」
「えっとね……夢の中の男の人が、今度は自分は殺されたんじゃないかって疑い始めるんだ。彼は生前ご両親に恵まれなかったから、もしかして保険金目当てで殺されたかも知れないって……そう考えたところで目が覚めちゃって」
「ははあ。それはまた、ある意味ドラマチックだね。それで気になってるんだ?」
マイアはこくりと頷いて、
「もしもそれが本当なら、彼は私の心臓のために殺されたってことになるでしょう?」
父は少し苦笑気味に、
「マイア……それは流石に考えすぎだよ」
「わかってるよ。それに、昨日近衛さんとも話したんだけど、そんな保険は存在しないらしいんだ。だから、仮に甲斐君が殺されたんだとしても、それは無駄死にってことになっちゃうから……」
「甲斐君って?」
「あ、それは夢の中の男の人の名前で」
「へえ、名前まで付いてるんだ、その夢は。それは気になるねえ」
父は感心した素振りで何度も頷いている。気になると言ってはいるが、どちらかと言えば気にしすぎだと言いたげである。マイアも自分でそう思いはしていたが、やはりどうしても夢の中の男のことが気になって仕方がなかった。
そういえば……昨日、この名前を出した時、近衛は何か知ってそうな素振りを見せたことを思い出し、
「お父さんは、甲斐太郎って名前に聞き覚えある?」
尋ねてみたが、父はぽかんとしながら首を振って、
「いいや、全然。芸能人とか、物語の主人公とかも、特に思いつかないなあ」
「そう、だよねえ……近衛さんは何か気にしてる感じだったんだけど……」
「ムツキが? ふーん……なんだろうね?」
どうやら父は本当に何も知らなさそうだ。この様子では、近衛が反応したように見えたのも、マイアの気のせいだったかも知れない。そう思ってため息をついていると、父は時計を気にしながら少し早口に、
「多分、昨日、実際に彼の住居を調べに行ったせいで、かえってその夢を誘発しちゃったんじゃないかな。殺されたってのも、きっとムツキと保険の話をしたせいだよ」
「そうかな」
「やっぱり、誰かの心臓を貰ったってことが、無意識的に精神に負担をかけてるのかも知れないね。一度、検査ついでに、病院でカウンセリングを受けてみるのもいいかも知れない。気になるなら、今日これから行ってみるかい? パパ、付き添うけど?」
父はそう言っているが、本音は早く会社に行きたいのだろう。マイアは首を振って、
「ううん、どうせもう来週の予約を入れてるでしょう。その時でいいよ」
「そっか……それじゃ、パパはそろそろ出かけるけど」
そう言う彼と同時にマイアは立ち上がると、玄関まで父のことを見送りに行った。彼はいつものようにマイアのほっぺにチューをすると、何事もなかったように時計を気にしながら出掛けていった。
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父の出勤後、その日もマイアは朝から学校の課題をやらされていた。
看守の三田に見張られながら、ひいこら課題の山を崩していくが、昨日と違って作業は遅々として進まなかった。ここは近衛の登場を期待したいところだったが、こっちから電話するのは何だか待ち焦がれてるように思われても癪なので、孤立無援のまま頑張っていたのだが……結局、午前中に彼が来ることはなかった。
そういうところだぞ……と気の利かない婚約者を呪いつつ、昼食休憩をしていると、その彼からではなく、珍しく父から電話が掛かってきた。
「あ、マイアかい? ちょっと聞きたいんだけど……君が見た夢の男の人の名前って、なんて言ったっけ?」
これまた唐突な質問に面食らう。
「どうしたの急に?」
「仕事の最中になんか気になってきちゃってね。本当に彼が実在するなら、死亡届か戸籍かがあるはずだから、興信所を使って調べられないかなと思って」
「あ、それは私も気になるかも」
「でしょう? 物は試しさ」
マイアが甲斐の名前を伝えると、父はすぐに何か分かるとは思えないけど、また夕飯のときにでも話そうと言って電話を切った。父がどのくらい本気で彼のことを探すつもりかは分からないが、マイアが漠然と調べるよりはずっとマシだろう。
電話のあと、また課題の山に取り組んだが、結局、この日は近衛はやってこず、課題の方も全然進まなかった。その後、夕飯の支度を終えた三田が暇乞いをして去り、ようやく勉強から解放されると、マイアは手足を伸ばしてソファに寝転がった。
一日中、勉強ばかりしていたせいか、大分肩が凝ってしまった。夕飯は父が帰ってきてからにして、それまで何をしてようかな? と思っていると、ふと、リビングに出しっぱなしだったヘッドギアが目についた。
昨日、近衛がセッティングしたままの状態で、それはリビングのテレビにつながっている。これならマイアにもすぐ使えるだろう。もう散々調べ尽くしたつもりだったが、他にやることもなく、なんとなくヘッドギアを被ると、マイアはまたあのゲームにログインした。
今日はログインした瞬間リスキルされることもなく、彼女はPKに気をつけながら昨日と同じバスに乗った。大通りで下りて、三叉路へ向かい、コンビニとアパートがないことを確認する。
ここまでは全く予想通りだったので、別に落胆することも無くマイアはその場を後にした。今日確かめようと思ったのは、アパートの方ではなくて、甲斐が保険屋に呼び出された公園の方だった。
甲斐兄妹が住んでるアパートは無かったが、それ以外の、例えば大通りや三叉路はあったのだから、もしかしてと思ったのだが……案の定、記憶を頼りに道を歩いていくと、そこに夢で見た公園があった。
さて、これでマイアの見た夢は、少なくともただの夢じゃないということが確定した。甲斐が実在するかどうかはさておき、夢で見た彼が住んでいる街はこうして実在している。ところが、マイアは生まれてこの方、この街に来たことも無ければ、街の名前を聞いたことすらなかったのである。
マイアには無いはずの記憶が存在する。では、これは一体、誰の記憶だと言うのだろうか?
考えられるのはやはり、最近移植した心臓の持ち主の記憶だろう。そしてその持ち主は甲斐の可能性が高い。今はまだ、その存在は曖昧だが、もしも父の調査が実を結んで本当に彼が見つかったら……
甲斐は殺されたかも知れない……
マイアはゲームからログアウトすると、ヘッドギアを取ってよろよろと立ち上がり、どっとソファに腰を埋めた。彼女は深い溜め息を吐いた。
まだそうと決まったわけではないが、もしもそうなら自分はどうすればいいだろうか?
甲斐を殺したのは恐らく彼の父親の可能性が高い。しかし、それを立証出来るような証拠は何もない。何しろ、彼女が甲斐という人物を知ったのは、夢の中での話なのだ。そこで死んだはずの甲斐が、自分の殺人を疑っているというだけなのだ。こんな怪談みたいな話を、警察が信じてくれるだろうか?
「困ったなあ……」
かと言って、何も出来ないからと、それを忘れて生きていくのも具合が悪い。彼は自分の命の恩人なのだ。敵討ちとまではいかないが、弔いはきっちりしておかねばなるまい。ともあれ、まずは父と話し合うのが一番だろう。興信所の調査結果を待って、難しい話はそれからだ。
「それにしても……お父さん遅いなあ」
食卓の上には、三田が作り置きしていった料理が、すっかり冷めてしまった状態で置かれていた。父が帰ってきたら一緒に食べるつもりだったが、そろそろマイアのお腹も限界に近かったので、一人で先に食べることにした。
その後、お風呂に入って髪を乾かし、自分の部屋でコーヒーを飲んでから、コップを流しに置きにリビングに下りてきたが、食卓にはまだ料理がそのまま残っていた。時計は23時を回っている。多分、父は今日、帰らないつもりなのだろう。別におかしなことはない。立場上、忙しい人だから、何も言わずに外泊することはよくあった。
マイアは料理にラップすると、冷蔵庫にしまった。こうしておけば、翌朝三田がいい感じにアレンジして出してくれるだろう。それを終えると、彼女は洗面所で歯磨きし、その日はもう寝てしまうことにした。
……翌朝、彼女はまた甲斐の夢を見た。
しかし、その内容はあまり覚えていなかった。と言うのも、今日はあまり大した内容でもなかったからだ。
甲斐は自分が殺されたかも知れないと考え、なんとかして現実世界に戻ろうとするが、上手く行かずに右往左往するとか、なんかそんな内容だった。だから目覚めて暫くベッドの上でぼーっとしてる間に忘れてしまった。
多分、今日は夢のことよりも、昨日帰らなかった父のほうが気になっていたからだろう。リビングへ下りていくと、食卓には昨日の夕飯の残りがアレンジされて置かれていた。食器はマイアの席に一組しかなく、どうやら父はまだ帰っていないようである。
三田に尋ねてみると、彼女が今朝家にやってきてもガレージに父の車がなく、冷蔵庫には昨日の残りが入っていたので、部屋をノックして不在を確かめたらしい。父の無断外泊はよくあることなので、彼女も特に気にしていないようだった。
どうしちゃったんだろうね? と二人で会話しながら朝食を終え、昨日と同じく三田は家事に、マイアは課題の続きへとそれぞれ向かう。
課題は昨日苦戦したが、苦戦しただけあって難しい部分は結構片付いており、今日はそれなりのペースで進めることが出来た。
それでもやっぱりわからない問題はあったので、どうしたものかと悩んだ挙げ句、今日は見栄を張らずに、近衛に電話してみることにした。
彼の携帯に電話すると、いつものように数コールで出たが、何だかちょっと元気がない。それでどうしたのか? と尋ねてみたら、
「実は、昨日CEOから電話がありまして、マイアさんの夢について、もっと詳しく話せと根掘り葉掘り聞かれちゃいまして……」
「根掘り葉掘り?」
それはまた穏やかでない。どういうことだろうと、こちらも詳しく聞いてみると、
「CEOはどうも僕が、マイアさんのドナーが誰であるかを、初めから知っていたんじゃないかと疑っているらしくて……もちろん、そんなこと知るわけがありませんから、知りませんとそう言うんですが、中々信じてもらえず……知っていることを洗いざらい話せとか、訴えられたくないなら正直に言うんだとか脅され、終いにはそのドナーの名前は甲斐太郎というんじゃないのかと、だいぶしつこく詰問されて……」
要約すると、どうやら父はマイアの心臓を近衛が非合法な手段で手に入れたんじゃないかと疑っているようだ。そして、その心臓の持ち主は、マイアが夢で見た甲斐なのではないかと、強く信じているらしい……
いくら親ばかでも、そんな荒唐無稽な話を信じられては困ると、近衛は非難がましい口調で、愚痴っぽく吐き出した。
マイアは、父がそんな風に勘ぐっているのは、昨日、近衛が甲斐の名前に反応していたように見えたと、彼女がうっかり口走ってしまったせいだと思い、
「ご、ごめんなさい。もしかしたら、私が不用意なことを言ったせいかも知れません」
「そうなんですか?」
「はい。お父さんが帰ってきたら、ただの気のせいだったと言っておきますから」
マイアはそう言ってそそくさと電話を切った。中途半端に課題が残ってしまったが、もう勉強の質問なんてする雰囲気ではなく、諦めて明日また頑張ることにした。
それにしても……彼女は近衛に悪いことをしてしまったと反省しつつも考えた。
近衛も言っていたが、いくら父が子煩悩でマイアのことを可愛がっていると言っても、子供が見た夢の話まで無条件に信じるなんてことは、流石に無いだろう。しかも、そんな曖昧なものを根拠に、仲が良い近衛を疑うなんてことも、ちょっと考えにくい。
なのに、そうしたということは、父は甲斐につながる何かを発見でもしたのだろうか? もしくは近衛が非合法な手段を使った証拠を見つけたとか……
どちらにしろ、話を聞いた限りでは、父もまだ疑いの段階を越えていない感じではあった。彼が何を見つけ、何を考えているのかは、本人に直接聞いてみるしかないだろう。
彼女はそう思い、父の帰りを待つことにした。流石に2日続けて外泊することはないだろうと思っていたが……しかし、夕方になり、三田が辞し、夕食の時間が過ぎても、また今日も父からの連絡はなく……彼が家に帰ってくることもなかった。
もちろん彼の立場を考えれば、こういうことがあってもおかしくはないのだが……マイアはなんだか嫌な予感を覚えながらベッドに入った。父のことが気がかりだったせいか、その日は甲斐の夢は見なかった。




