第40話 あの日のこと
「やった、それちょうどいいとこー! 実は、お醤油切らしてるのに気付いてなくてさ。良ければ、買ってきてくれない?」
『オッケー、了解だ』
「よろしくねー」
その日、私は電話越しに秀くんにおつかいをお願いしていた。
『そうだ、今日は他にもちょっとしたお土産があるから』
ふとした調子で、秀くんがそんな言葉を付け足す。
「ホント? 楽しみー!」
詳しくは聞かない。
ふふっ、何だろう……って、予想するのも楽しい時間だから。
「それじゃ、待ってるから……」
それで、通話を切る……ちょうど、その時だった。
──カチャン……バタン
玄関の鍵と、扉が開閉する音が聞こえてくる。
「あっ」
一瞬、秀くんが帰ってきたのかと思った。
だけどそれは、直前までの会話と辻褄が合わない。
だったら、合鍵を持ってる家族の誰かかな……?
……という予想までは、当たっていたんだけど。
「えっ?」
顔を出したのが、予想外の人物で。
思わず指が滑って、通話が切れた。
「お、お婆様……!?」
「………………」
私の呼びかけに応えることなく、お婆様はジッと私のことを見つめてくる。
「っ……!」
ソファで足を投げ出す姿勢だった私は、慌ててその場に正座し直した。
お婆様の目が、「なんだいそのだらしない格好は?」って私を責めているように思えたから。
「ほ、本日は、何用で……?」
そうは言いつつも、用件なんて一つしか思い浮かばなかった。
「結婚のこと……あたしに連絡も無したぁ、随分と不義理な孫だねぇ」
果たして、開口一番の言葉は予想に違わないもので。
「そ、れは……」
お婆様に睥睨され、言葉に詰まる。
実際、不義理を働いてしまっているのは事実だったから。
「……申し訳ございません、でした」
とりあえず謝罪して頭を下げるけど……緊張と不安で、胸はドキドキと不快に脈打っている。
「わた、しを……連れ戻しに、来られたのですか?」
「そう思うのかい?」
うぐっ……これは、「他ならないお前自身が一番わかっているだろう」って視線……!
「わ、私は……」
昔っからお婆様には反発していたけれど、それには多大な勇気が必要だった。
「私はここを、動きません!」
それでも、どうにか振り絞ってお婆様を見上げる。
「……そうかい」
私の行動をどう思ったか、お婆様は少しだけ目を細めた。
「別段、構わないよ」
あれっ……? 思ったよりあっさり、諦めてくれた……?
……なんて。
「始めてちょうだい」
私の甘っちょろい願望は、すぐに打ち砕かれることになる。
『はいっ!』
お婆様の合図を受けて、作業着姿の男の人たちが家の中に入ってきた。
「えっ、誰……? 何……?」
私が困惑している間に、男の人たちはリビングの家具に手をかけ持ち上げて……って、まさか……!?
「まっ……待ってください!!」
私の大音声での叫びに、男の人たちがビクッとして動きを止める。
「やめて……ください」
お婆様の考えが、読めたかもしれない。
私を連れ戻すために……私が拒絶するなら、私がこの場を動かないと言うのなら。
この場を……私の居場所を、無理矢理にでも取り上げようってこと……なんじゃない……?
お婆様なら、そこまでやりかねない気がする。
そんな想像を……空っぽになった『私たちの部屋』を想像すると、たまらなく怖くなって。
「私は……家に、戻ります」
私は、か細い声でそう言うことしか出来なかった。
「戻りますから……どうか」
本気でお婆様が動けば、私に抵抗出来るだけの『力』はない。
「ここには……この部屋には、手を出さないでください……」
出来るのは、ただ自分の身を差し出す代わりに懇願することくらい。
「……はぁ」
「っ……」
お婆様の溜め息に、反射的に身体が震える。
「あたしゃ」
「どうか、お願いします!」
怖くてその顔を見れなくて、私はより深く頭を下げた。
「……はぁっ」
もう一度、さっきより大きなお婆様の溜め息。
「この子は、昔っからこういうところがあるんだよねぇ……」
呆れたように言うけれど、何のことかはよくわからない。
「わざわざ来てもらったとこ悪いけど、今日のとこはこれで撤収しておくれ」
『は、はいっ』
踵を返すお婆様の後に、ちょっと困惑した様子の男の人たちが続く。
私も、その後にノロノロとした足取りで続きながら……だけど、この家を守れたことに少しだけホッとしていた。
私自身が連れ戻されるのばもう仕方ないにしても……秀くんとの思い出が詰まった場所が奪われるのは。
いつか帰る場所までなくなるのは、何より耐えられなかったから。
◆ ◆ ◆
といったあれこれを、思い出し。
「……んんっ!?」
私は、ちょっと混乱し始めていた。
あの時はそれしかないって思い込んじゃってたけど、確かに思い返すと何かおかしいような気も……?
「あの、でも、お婆様……私を、連れ戻しに来たって……」
「あたしが、そう言ったかい?」
「言って……ないかも……ですが……」
でも、なんかそれっぽいことは言ってたし……!
「だ、だったら、私が戻るのを拒絶したら急に家具を運び出そうとし始めたのは何だったんですか!?」
「別段、運び出そうだなんて思っちゃいなかったよ」
「えっ……?」
「嫁入り道具を運び入れるために、ちょいと家具を移動させようとしただけさ。アンタの拒絶とかは、特に関係なくね」
「嫁入り……道具……?」
何を言っているのかよくわからず、思わずオウム返しに繰り返してしまった。
「アンタ、聞けばほとんど何も持って行かなかったそうじゃないかい。それじゃ烏丸の名に傷が付くってもんで、いくつかあたしの方で見繕ったんだよ」
「あ、はぁ……ありがとうございます……?」
徐々に、お婆様の言葉が頭の中へと染み込んでいく。
「えっと、でも、私、現に実家に連れ戻されて……」
「アンタが勝手についてきただけだろうに。あたしの話を禄に聞こうともせず、セルフくっ殺状態になって」
「お婆様、なんでそんな言葉知ってるの!?」
や、じゃなくて……。
「え? つまり、お婆様は最初から私をどうこうするつもりはなかったってこと……ですか……?」
「そう言っているよ」
ここに来て、私もようやくそれを理解し始めた。
頬が、強烈に熱を持っていくのを自覚する。
つまり、結局これって……!
「おごぁ……!? 穴があったら入りたい……!」
私が一人でゴリッゴリに勘違いして、一人でなんか変な悲壮感を漂わせてただけってことだよね……!?
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