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巨獣黙示録 G  作者: はくたく
第8章 過去の傷
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8-4 ゼイラニカ

「ええ。妻はマリーといいます。フランス生まれでしてね。少し、のどに障害があって言葉が話せないのですが、こちらの話す内容はよく理解していますから」


 シャンモンは、これからご近所づきあいすることになるであろう初老の女性と気さくに挨拶を交わしていた。

 マリーは、そんなシャンモンの後ろで少し恥ずかしそうに微笑んでいる。

 二人の立つドアの向こうには、まだ片付いていない引っ越し荷物が山積みになっている。

 その隙間から、五歳くらいの男の子がひょいと顔をのぞかせた。


「まあ。お美しい奥様ですこと。よろしくお願いしますね。あら? お子様もいらっしゃるの?」


「一人息子のジャンです」


「こんにちは」


 ジャンは流暢な広東語で老婦人に挨拶した。


「あら、お利口さんね。おばさんのうちにも遊びに来てね」


 急にしゃがんで顔を近づけた女性に少し驚いたのか、ジャンは母親の後ろに隠れた。

 シャンモンとマリーが二人で暮らし始めて五年が経っていた。

 二人の間に生まれた男の子は、幼稚園に通い始めていた。手狭になったため、同じ上海市内の高級マンションに引っ越したのだ。

 初めて「命の泉」で会ったあの夜、マリーが宿した命である。

 マリーと同じ薄い茶色の髪をした息子を、シャンモンはジャンと名付けた。

 ジャンは、母親と同じようにさえずりで話すことも出来たが、普通の人間同様に話すことも出来た。

 男の子であったことで、巨大化するのではないかとシャンモンは危惧していたが、今のジャンにはその兆候は見られない。むしろ普通の子供より小さいくらいだ。

 このままジャンが、普通の人間として育ってくれれば……それだけがシャンモンの願いであった。


 その頃、シャンモンは昨年新しく発足した国際組織、MCMOへ出向となっていた。

 上海にはMCMOのアジアにおける最大拠点が置かれており、シャンモンはそこに勤務していたのだ。

 世界中に現れている巨獣の出現頻度は、減るどころか増すばかりである。巨獣因子を世界中にばらまいた元凶であるGも、この五年、相変わらず休眠と出現を繰り返していた。

 巨獣による被害は甚大なものであった。

 巨獣が存在する限り、最悪の事態を想定して戦闘態勢を組む必要がある、と判断した国際連合は、MCMO、つまり国連巨獣管理機関を発足したのだ。

 とはいえ、各国の軍事組織や行政組織からの寄せ集めで発足したばかりのMCMOを、一つの組織として統合するための作業は膨大だった。毎日忙しく世界を飛び回るシャンモンは、週末以外ほとんど自宅にいることがなかった。


「マリー。実は、また来月出張なんだ。今度は海外……日本だ。

 MCMOの世界会議に中国代表として出席しなくちゃいけない。G細胞の研究機関発足についての会議だから、今度は二週間以上はかかりそうだ。たまにはジャンを連れて村に帰ってくるといい。」


『あなた、ありがとう。祖父やみんなも喜びます』


 マリーは手話を使って答えた。

 マリーとの会話は、手話か筆談で行われている。シャンモンは「囀り言語」を少しは聞き取れるようになってはいたが、その発音はほぼ無理といえたからだ。

 対してマリーはシャンモンのしゃべる言葉を普通に聞き取れる。


「うん。いつも通りヘリを用意しておくから、気をつけて行っておいで」



***    ***    ***    ***    ***    ***



 二日後。

 マリーは息子のジャンを連れて、自分の生まれた集落のほど近くにある村に到着していた。

 上海からは二千km近い距離である。

 この村にはヘリポートがない。

 だから、シャンモンがチャーターした民間ヘリは、ここからさらに離れたところにある小さな町までしか行ってくれないのだ。

 そこで昔シャンモンの部下だった軍関係者と落ち合い、丸一日以上軍用車で移動して、やっとマリー達は、親戚一族が住むあの隠れ里に、もっとも近い村にたどり着いたのであった。

 マリーが里帰りするのは初めてではない。

 いつもならマリー達は村に入らず、まっすぐ森の中へ入る。

 そこには、マリーの従兄弟に当たる者達が……とはいっても身長十六mの毛むくじゃらの巨人であったが……迎えに来ているはずであった。

 普通の人間の足では更に半日以上かかる道程も、彼等に運んでもらえば一時間で着く。巨大な親戚の肩に乗せて運んでもらうことを、ジャンは楽しみにしている様子だった。


『どうしたのママ? 早くおじさんたちのいるところへ行かないの?』


『久しぶりに帰るんだもの。まだ時間もあるし、村のみんなに少しおみやげを仕入れていこうかと思うの』


 二人は、周囲の人間には聞こえないように、小鳥の囀りでひそひそと会話した。


『村には、特に砂糖とかお酒が少ないからね。おじいちゃん達、喜ぶわよ』


 村は祭りの時期らしい。ちょうど市も立っていた。

 奥地にある村には野菜の種類も少ない。喜々として商品を選び始めたマリーは奇妙なことに気づいた。


『おかしいわ……』


 具合の悪そうな店主が多いのだ。

 土気色の顔をした彼等は、言葉や態度こそ普通だが、何かに操られてでもいるかのように動きも足取りもふらふらとして頼りない。

 村の者達はまったく気づいていないようだが、半分以上、別種族の血が入ったマリーの鋭い五感は、彼等の異常を確実に捉えていた。彼女たちの種族が長い間、人間と共通の伝染病などに冒されず、細々とながらも血脈を受け継いできた理由はこうした能力に依るところもあったのだ。

 この市は規模が大きい。露天商は、周囲の村々はもちろん、かなり遠方から来ている者も多いと聞く。

 もしかすると、悪い伝染病が流行しようとしているのかも知れない。あまり長居をしない方が良さそうであった。


『ジャン……ちょっと』


 マリーは物珍しそうに商品を物色しいている息子をそっと呼び寄せた。


『顔色の悪い人達……分かるわね? 近寄らないようにしなさい』


『……はい』


 ジャンは怪訝そうな表情をしながらも、素直にうなずいた。



***    ***    ***    ***    ***    ***



 村から少し離れた森の中。

 二人の毛むくじゃらの巨人が、手持ち無沙汰な様子でマリー達を待っていた。

 この周辺は、侵食された石灰岩層の切り立った小山が多く、その場所は小山のオーバーハングした陰にあたる場所であったから、上空からも見えないし、万が一普通の人間がそのあたりにやって来ても彼等が見つかる心配はなかった。

 彼等--マリーの故郷、隠れ里に住む者達、人間の亜種ともいっていい彼等を獲猿かくえんの一族、と仮に呼ぼう--は、ずっと人間にその存在を隠し続けてきただけあって隠蔽技術にも長けていた。

 全身に泥や草木をなすりつけちょっと見ただけでは周囲の草木と区別が付きにくい。

 しかも移動は夜間のみ、となれば、たとえ上空からでもそうそう彼等を見つけることはできないのである。


『あいつら遅いなあ。ファロ兄貴、日にちを間違えたんじゃねえのか?』


 少し小柄な方の獲猿かくえんが隣に座る大柄な個体に話しかけた。


『いや、今日で間違いない。どちらにせよ、日が落ちなくては動けないのだ。焦るなモンド』


『早くジャンの顔を見てえんだよ。あいつ、可愛いからなあ』


 モンドと呼ばれた小さい方の獲猿かくえんは目を細めて、自分の又従兄弟またいとこにあたる小さな少年の顔を思い浮かべた。


『それより……村の方の様子がおかしくないか? さっきから妙な臭いが漂ってきているんだが……』


 大柄な獲猿かくえん・ファロは少し顔をしかめた。


『ん?……この、この川底の泥みてえな臭いか? 村で溝浚どぶさらいでもやってんじゃねえのか?』


『だといいんだが……何だか、嫌な感じがするんだ』


 ファロは村の方を透かしてみるように、眉根を寄せて密林の奥を見つめた。



***    ***    ***    ***    ***



 ようやく日が暮れかかろうとする頃。

 マリーはジャンと共に市場を離れようとしていた。

 本当はもっと早く立ち去りたかったのだが、大量に買い込んだ食料品を不自然に見えないように村の外れに運んでもらわなくてはならないため、馴染みの商店主を捜していたのだ。


『今日の村の様子は何かおかしい。リャンさんも、今日は戸締まりをしっかりしておいた方が良いですよ』


 商店の中で支払いを済ませながら、メモ帳にすらすらと書き込んだマリーは、人懐こそうな感じのその商店主にそれを見せた。


「へえ……何かおかしいって言われましても、私にゃ全く分かりませんけどねぇ」


 マリーが言葉を喋れないことを知っている商店主は、慣れた様子でそれを読みながら答えた。


「じゃ、お支払いはいつも通り……」


 そう言いかけたリャンの言葉を遮るように、通りの方で悲鳴が上がった。

 大の男が上げるとは思えない、怯えきった声だ。

 と同時に、表でマリーを待っていたジャンが真っ青な顔で駆け込んできた。


『どうしたの!?』


 マリーはジャンに問いかけた。

 その、あまりの慌てように目の前に商店主がいることも忘れて囀り言語で話しかけたマリーは、外の様子を見て硬直した。


『ママ!! あの人が!! 急に!!』


 ジャンの指さす方向で、一人の通行人が体の穴という穴から何か青黒いモノをうねうねと突き出して地面をのたうっていたのだ。

 触手のようにも、何か寄生虫が這い出してきたかのようにも見えるその物体は、男の体内から湧き出すかのように、後から後から現れた。


「うわ。うわーっ!!」


「なんだコイツは!!」


 悲鳴があちこちで上がり始める。

 どうやら、同じ状態の者が何人もいるらしい。

 しばらくのたうっていた男は、急にふくらみ始めると内部から弾けて動きを止めた。血飛沫が数m以上も飛び散る。

 倒れ伏した男の屍体から、うねうねと蠕動運動しながら離れた無数の生物が、尺取り虫のような動きでマリー達の方へも向かってきた。

 ザラザラした質感でありながら粘膜に覆われた青黒い生物。その特徴的な動きにマリーは見覚えがあった。

 雲南の密林には、ヤマビルの仲間も珍しくはないし、沼の中には水性のヒルもいるのだ。


『あの動きはヒルだわ。きっとヒルが巨獣化したんだ……すぐあの人に……シャンモンに知らせないと……』


 中国国内でも最近、更に巨獣の出現が増えている。

 対巨獣専門官であるシャンモンなら、即座に対応してくれるはずだ。

 だが、町はすでにパニック状態である。停電も起き始めている上、携帯のつながる地域ではない。電話をかけられるかどうか……。

 それなら、まずは息子のジャンの安全だけでも確保しなくてはならない。


『逃げるのよ!! おじさん達が来ている場所へ、すぐに!!』


 マリーはジャンの手を握ると、荷物をすべて捨てて走り出した。



***    ***    ***    ***    ***    ***



「イーウェン……あなた……なんだかおかしいわ」


 祭りの支度をしていたイーウェン=ズースンレンは妻に呼ばれた。


「どうしたんだ? イエユェン?」


「村が騒がしいのよ。見て来てくださらない?」


 そう言われて窓をのぞいたイーウェンは、息を呑んだ。


「なんだ!? これは火事か?」


 既に薄暗くなっている時刻のはずだが、空が明るいのだ。村の方角の夜空が赤く照り返している。

 その中に立ち上がる異形の生物の影を見て、イーウェンは叫んだ。


「逃げろイエユェン!! 巨獣だ!!」


 大きさは分からない。だがその影は村々の建物を遙かに見下ろし、微妙にフルフルと震えて見えた。大きさだけではなく、形すら刻々と変えているように見える。


「とんでもない大きさだ……イェユェン!! はやく逃げるぞ!?  イェユェン!?」


 あまりのことに、その姿を食い入るように見つめていたイーウェンは、はっと我に返って振り向いた。すぐに逃げる準備を始めるはずの妻の返事がない。いったい……


「うわっ!! うわーっ!!」


 振り向いたイーウェンの、目の前にあったのは、妻であったもの……青黒い不気味な触手に覆われた人間大の塊であった。

 無数のヒルに群がられ、体液を吸い尽くされようとしている人間の姿である。

 助けを求めるように伸ばされた手がゆっくりと萎れ、下に落ちていく。

 恐怖でイーウェンの血が逆流した。

 助けようという判断はなかった。怖気が体中を巡る。

 逃げようとしても足が言う事を聞かない。震える太ももを拳で殴ると、ぎくしゃくとではあったが動けるようになった。


「そ……そうだシーツァン……シーツァンは……」


 部屋から逃げ出す寸前になって、ようやくイーウェンは一人息子のことを思い出した。

 そして気づいた。

 ヒルの塊と化した妻の足下に、更に小さな塊がある……。


「まさか……シーツァン……」


 一人息子は、とっくにヒルの餌食になっていたのだ。

 いや、ヒルに襲われた息子が助けを求めて妻にしがみつき、母子共々犠牲になったのだろう。


「くそっ!! 畜生!! なんだってこんな事に!!」


 窓を蹴破って飛び出したイーウェンは泣きながら前の道を駆け出した。

 道は人であふれていた。いや既に人ではない。村の人々だったものが、幽鬼のように歩き、ふらふらと襲いかかってくる。


「ヒルに……操られているのか……」


 その時、すさまじい叫びが響いた。

 聞いた事のない動物の声……いや、伝説には聞いた事がある。

 特徴的な甲高い響き。

 小鳥のさえずりのような……それでいて腹の底まで響くような……太い叫び。


「リウウウウルルルルルルルルル!!」


 その声の上がった場所には黒々とした影が立ち上がっていた。。

 燃え上がる民家の屋根よりも大きな黒い影。


「か……獲猿かくえん……」


 この辺りに伝わる昔話で聞いたことがある。

 鳥のような声を発する、巨大な猿。

 伝説の中だけであったはずの、その怪物達が町中に現れたのだ。


「なんでこんな時に……一体どうなっているんだ!?」


 イーウェンはその場にへなへなと座り込んだ。

 

 手に太い丸太を持った獲猿かくえんは、宵闇にそびえてゆらゆらと蠢く巨大なヒルに襲いかかっていった。


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