08 休日の寮生活(4)
結局、どこに行けばいいのかわからない山原は止まって待っていたので、遅れて飛び出してきた宗谷たちは簡単に追いついた。
「で、猫はどこいったんだ? 寮の外に出て行ったみたいだが……」
「雨か雪でも降ったあとなら足跡で簡単にわかったかもしれないが、晴れている今は難しいな。猫くらいの体重では地面に足音が残りにくい」
「ねー、猫の習性を利用して探せないかな? なんかないの?」
これに朽木が答える。
「倉庫にあった昔の本で読んだことあるが、猫は哲学だってするんだぜ? きっとオレたちの裏をかくはずだ」
「そうそう、猫はサバイバルも上手いからな。まあ、室内飼いじゃなくて野生の猫に限るが」
「野性だったら猫に限らず人間以外の動物はみんなサバイバル上手いだろ。そうやって生きてるんだから」
宗谷のツッコミを聞いて、佐波も朽木も黙り込んでしまう。
もちろん山原もだ。
「うーん、困ったね。どうしよっか」
「……おや?」
困り果てた四人のもとへ、とことこと一人の女子がやってきた。
グラウンドで運動していたのか、半袖シャツとハーフパンツの体操服姿の長瀬である。
「やあ君たち、こんなところで何をしているんだい?」
「あ、長瀬さん。えっと、おはよう。時間的にはこんにちはだけど、一番最初のあいさつはおはようって感じだよね」
「ん、だったら山原は遅いよう。それで、さっきからきょろきょろと、あっちを向いたりこっちを向いたりして君たちは壊れたコンパスか? 北はあっちだよ」
親切心からか律儀にも正確に北を指差す長瀬だが、宗谷たちはもちろん方角を見失っているわけではない。
「ああ、いや、北は大丈夫。ちょっと猫を探しているんだ」
「服を探していると言ってもいい。サバイバル訓練ではなくて、綺羅富士に着せる服を探しているのさ」
「ほう……。つまり綺羅富士には服がないのか?」
「そうなんだよ。あいつなら今は食堂にいて、パンツとカニだけで体を隠しているはずだ」
「カニで? 裸ならわかるけど、カニ?」
端的に説明したつもりの宗谷の言葉がいまいち理解できなかった長瀬は両手をピースにして、きょとんと首をかしげる。
これに佐波、朽木、山原の順で説明を加えていく。
「ああ。きっとカニの左右のはさみをうまく使って乳首を隠すために、今頃あくせく奮闘していることだと思うぜ」
「いや、顔にカニをどんと貼り付けて、カニ仮面参上! とかやってそうだ」
「どーだろ、むしろ堂々と仁王立ちしてそうだよ。猫みたいにカニは口にくわえてさ」
それぞれの説明を聞いた長瀬は困惑が深まるばかりだ。
「うむ、どうにも話が見えないな。綺羅富士がカニで遊んでいる光景は見えるけど」
「そうだぞ、お前ら。あんまり長瀬を困らせるな。えっと、そうだな。とにかく綺羅富士の着る服があればいいんだよ」
「ふむふむ、話が見えてきた。それで君たちはさっきから困っているのか? ……なら、ワタシが着ているこの体操服を持っていくといい。制服と違って伸縮性があるから、無理をすれば綺羅富士にもサイズが合うだろう。ワタシはスタイルがいいからな」
「いいのか?」
「見ればわかるだろ。服の上からじゃわからないか?」
「スタイルの話じゃなくてだな、お前の服をもらってもいいのかってことだよ」
「別によかろう、ブランド品でもない服の一枚や二枚くらい。どれ、ちょっと待っていろ」
と言って、ためらいもなく自分が着ている体操服を脱ぎ始める長瀬。
それを見て焦るのは宗谷だ。
「……って、お前! 体操服の下は下着じゃないか!」
「ん? そりゃそうだろう。同じものが出てくるマトリョーシカじゃないんだから。お前は当たり前のことを言っているぞ?」
「お、おう……?」
「だ、駄目だよ、長瀬さん、こんなところで服を脱いだらさ!」
あっけにとられて何も言えない宗谷に代わって、慌てた山原が止めに入ろうとする。
「いいじゃないか、別に減るもんじゃなし。ほら、受け取れ」
びっくりする四人の反応を目にしても長瀬は構わず、脱ぎ終えた上のシャツを投げ渡す。
そこで止まる長瀬ではない。
「次は下だな」
「なわ! だ、だから駄目だって!」
「もう遅いよ。ほら!」
「あ、ああ……?」
執着がないのか無駄に気前のいい長瀬はハーフパンツも宗谷に投げ渡して、上下とも下着姿になった。
スタイルがいいというのは本当だな、と男子一同は感想を一つにする。
だが、我に返るのも早かった。
「ちょ、ちょっと待とうぜ! さすがに駄目だろ! これなんかのルール違反だろ!」
「いいから宗谷、それ返して! あと長瀬さんはこっちに来て! 早く!」
怒ったような山原は宗谷から体操服を受け取ると、恥じらう様子もない長瀬の手を引っ張って物陰へ向かう。
「どうしたんだ、山原。そんなに恥ずかしいのか」
「僕も恥ずかしいけど、長瀬さんも恥ずかしがらなきゃ。ほら、まずはこれを着てよ」
顔を赤くした山原は目をそむけながら体操服を渡す。
「仕方がないな。山原が着ろと言うなら素直に従っておこう」
何が何でも抵抗するつもりはないらしく、山原から体操服を受け取った長瀬は素直に着始める。
衣擦れの音がして黙っているのも気まずいので、背を向けたまま山原は話しかけた。
「ねえ、どうして長瀬さんはそんなに……そんなに、何も気にしないでいられるの?」
「そりゃあ答えは一つだな。特に気にすることもないから、としか答えられないよ」
その答えが今のことだけを言っているわけではない重みを伴っていたので、それを察した山原はたまらず問いかける。
「まさか、長瀬さん。もう何もかもどうでもいいって、そう思ってるの?」
これに、ほんの少しだけ考える時間を必要とした長瀬が端的に答える。
「そう思わないほうが無理だろ? もう何事もなるようにしかならないんだよ」
「そんなことないよ。だって、長瀬さんはここにいるんだよ? ここにちゃんと存在しているんだから、自分の意思を持って何かをすることだってできるはずだよ」
「……君たちには感心するよ。でもね、ワタシは自分の意志でここにいるんじゃない。周りに流されて、なんとなくついて来ただけだからさ。そして今でもここに残っているのは、それでもいいかと思っているからに過ぎないんだ」
あまりにそれが心細そうに響いてきたので、もう服は着終えているころだろうと判断した山原は振り返って伝える。
「そんなの寂しいよ」
「寂しい?」
「うん。もっと、もっとさ、もっとちゃんと抵抗して生きようよ……」
その言葉が優しさから出てきていることはわかるので、それを聞いた長瀬は嬉しくも思った。
ただ、半端な優しさだけで自分が変われるとも思っていない長瀬はある種の諦めを吐き出すように答える。
「そうだな、君が言うように抵抗して生きるのはいい。でも具体的には誰に抵抗すればいい? 何かに抵抗したとして、それで何を得ればいい? 無抵抗に生きているワタシのどこが駄目で、今のままだとワタシたちの何がいけないって言うんだい?」
「駄目ってことはないけど……。僕はね、長瀬さんの自分を見せてほしいんだ。だって、僕にとって長瀬さんは大切な友達で、大事な仲間だから。流されるまま自分の意見がないなんて、長瀬さんがいなくなっちゃったみたいで悲しいよ」
「悲しい、か。そんなこと初めて言われたな」
「みんな言わないだけだよ。いつだって思ってくれている」
「みんな言わないだけ、か……。それが本当なら山原は優しいな。みんなが言わないことを、わざわざ言ってくれるなんて」
「ううん、みんな恥ずかしがっているだけだよ。優しいのは僕だけじゃない。だからね、長瀬さん。もしよかったら、長瀬さんのほうからみんなに近づいてよ。もっと、今よりもっと、もっともっと自分を主張してさ」
「ふふ、そうだな。だったらまずは、目の前にいる山原に自己主張してみよう」
「僕に自己主張? ……って、なわわ! また服を脱ぎだそうとかしないでよ! せっかく着てくれたのに!」
「ははは、やめてくれと頼まれたってワタシは止まらないよ? たった今、自分を見せろと君に言われたばかりだからね。ちゃんと改心したんだ」
「ぼ、僕が耐えられない! ごめん長瀬さん、あまりの恥ずかしさに僕は離脱するよ!」
「あっ、おいおい。……まったく、逃げなくってもいいじゃないか」
からかうために脱いだ振りをしていた長瀬は身だしなみを手で整えて、微笑みながらつぶやくのだった。
その後、食堂に戻ってきた宗谷たち。
「さてと、結局は猫なんて見つからないまま食堂に帰ってきちまったが……。綺羅富士にはどう説明するべきか」
「それよりも綺羅富士の奴、とっくにカニを食べちゃったんじゃないか? 一人で孤独のグルメしやがって。おいしんボッチか?」
「あーあ、貴重な食料が……栄養源が……」
馬鹿どもの帰りを待ちくたびれていたわけでもないが、本日の食事当番として厨房にこもりっぱなしの主任が顔を出す。
「おお、お前ら。やっと戻ってきたのか」
「ずいぶん遅かったわね。もうほとんど夕方じゃない。昼食じゃなくて晩飯よ」
こちらも待っていたわけではないだろうが、たまたま食堂に来て座っていたリオだ。
宗谷がくたびれた様子で席に着く。
「すまねえ。猫を見失っちまってさ。フェンスの外に逃げられたんなら俺たちにはお手上げだ」
「猫? もうカニは戻ってきたんじゃないの? 追いかける必要ある?」
「あ、あの、もしかしてこの子かな?」
学ランの件は知らないリオの隣に座っていた真由が膝に抱えている猫を示す。
その猫を見て山原が目を輝かせる。
「あ、その子だ!」
「なんだ、とっくに帰ってきていたのかよ。走り回って損した」
「あれ? じゃあ綺羅富士は? カニ仮面は?」
「カニ仮面……? それは知らんが、あいつなら一匹で戻ってきた猫から学ランだけ奪い取ってどっか行ったぞ」
そう答えた主任に佐波が食いかかかるように尋ねる。
「カ、カニはっ? 綺羅富士が持っていたカニは!」
「落ち着け、安心しろ。まだ食べる部分は残ってる。あいつにはカニ味噌だけくれてやった」
「カニ味噌……だけ? それは善意なのか、それとも悪意か?」
「喜んでいたみたいだし、別にいいんじゃないの? 好きな人はすごく好きでしょ」
宗谷とリオが肩をすくめ合っていると、安心した佐波が胸をなでおろした。
「まあ、まだカニが残っているのなら問題ない。味噌の部分が悪いわけじゃないが、俺にとってカニの本体は足だ」
「カニだ、カニ~」
よほど嬉しいのか、山原は両手をピースにして踊る。
それを見た朽木も笑顔だ。
「山原、お前はピースウォーカーだな」
「だとしたらカニは平和の使者だよね。フンや羽根の掃除が大変なハトよりもずっとそう」
「横にしか動けないけどな。いつまでたっても到来しないわけだ」
そんなに深い意味を込めたわけではない宗谷の一言を最後に会話が止まり、ともかく今が頃合いと見た主任が声をかける。
「それよりお前ら、早速カニ食うだろ?」
「当前だ。ちょうどいいくらいに腹も減っているからな」
「ほらよ、そう言うと思って準備しといてやったぜ」
「やったね! 今夜はカニパーティーだ!」
「よし、それじゃ食べるか。いただきますっと」
それから主任が茹でたカニを持ってくると、全員そろって食べ始めるのだった。
ある意味では休日をたっぷり楽しんでいた山原たちの喧騒を知らない校長室では、全員のまとめ役であるリーダーと生徒会長の御手洗が二人きりの静かな食事をとっていた。
「リーダーはいつもの質素なメニューでいいんですか? 普段は手に入らないような食材もいただいたんです。顔を見せにくいなら、俺が代わりに食堂から持ってきてもいいですが」
「俺はいい。思う存分、あいつらに食べさせてやってくれ」
「ですが……」
まだ何か言おうとする御手洗をリーダーが手で制した。
「気にするな。あれは、今も変わらず俺を信じてくれている彼らへの礼のつもりだ。……ただし。もしも誰かに聞かれたら、俺もちゃんとご馳走を食べていると言ってくれ」
「構いませんが……。それは彼らに変な気を遣わせないためですか?」
「それだけじゃないさ」
自嘲するように呟いたリーダー。学生帽を深く被り直して下を向く。
「徐々に追い込まれ始めている、ということを知られたくはない……」




