07 休日の寮生活(3)
一方そのころ。
「あら、ネコさん……? カニに、学ラン?」
昼食を食べるため一階の食堂に来た真由は、どこかから逃げ込んできた猫を抱え上げる。
そこへ、ドタバタと足音を立てて宗谷たちがやってきた。
「……ったく、いつまで逃げ回ればいいんだよ! 寮も学校も迷路じゃないから、追っ手を振り切るのは難しいっての!」
「最初はオレらが追いかける側だったのに、今やもう追われて逃げるほうで……。人生は無情だよな。だから不良なんてもんになりたくなるんだ。真面目に生きるのってつらい」
「この世界は弱肉強食だもんね。僕、自然界だったら生きてく自信ない」
「そんな世界で生き残るためにはどうしたらいい? あれか? 最強のサバイバル術、身代わりか?」
「それ忍術じゃね?」
ドロン、と言って指で印を結んで、忍者の真似をする宗谷。
みんなが視線をやるだけで、何も起こらないから恥をかくだけだ。
その隣でこっそり忍者の真似をしていた朽木は静かに印をほどく。
「それよりお前たち、ここに等身大の鏡を置いて、綺羅富士に自分の姿を敵だと思わせるのはどうだろう? 扉と間違えて不思議の国に行ってくれるかもしれないぜ」
無理だと思う、とすっかり弱気になった山原は正直に言って続ける。
「やっぱりさ、どうにかして学ランを返せば許してくれそうじゃない?」
「その学ランがどこにあるんだよ? カニをくわえた猫ごと消えちまったぜ」
返せるもんなら今すぐにでも返してやるけどな――と言いたげにゲシゲシと床を蹴りながら宗谷が悔しがっていると、その話が聞こえたのだろう。
行儀よく椅子に座っていた真由が腕の中の猫をなでながら声をかける。
「あの、ネコって、もしかして、この子?」
「え?」
「あ、見つけた! 僕たちの勝利だ!」
「やったぜ! 何の成果を得られませんでしたってこともない!」
宗谷たちの声に気づいた主任が料理を中断して、厨房から顔を出してくる。
「おいうるさいぞ、お前ら! 食堂で騒ぐな! カニは取り戻せたんだろうな!」
「ごめんごめん、でもカニなんかより学ランだよ、主任! 僕たちの勝利だ!」
「カニより学ランって……。お前ら、腹が減ったからってそんなものを食うのか?」
「いくら困ってもそれはない。いやサバイバル的に挑戦する価値がゼロではないがな」
世の中には万が一の場合に無理をすれば食べられるものがいろいろある、なんてことを佐波が考えていると、歩いて彼らを追いかけていた綺羅富士が重々しい足取りで食堂に入ってきた。
「ほほう、ここにいたか。てこずらせてくれたな」
もちろん逃げざるを得ない山原たちだったが、出入り口から歩いてくるので逃げるに逃げられない。
ポキポキと指を鳴らしながら来るので、四人は完全に恐れをなしている。
「なわー!」
「やばいぜ、綺羅富士に見つかった! 逃げ道は……どうする!」
「絶望した! バッドエンドが見えたぞ! 死に戻りしたい!」
「ここはサバイバル術的な命乞い、土下座だ。綺羅富士、どうか助けてくれ!」
「……ようやく追い詰めたぞ。さあ覚悟しやがれ」
あ、もう終わりかもしれない。そう思った宗谷は真由を指さす。
「ほ、ほら、猫ならここに……じゃなくて、学ランならここにあるぜ」
「うるせえ、宗谷。学ランなんてもうどうでもいいんだよ。服なんて寮の部屋にいくらでもあるからな。俺はお前らを絶対に許さない。逃げようったってそうはいかねえ、地獄の果てまで追いかける!」
「ちょ、ちょっと待って! やめてあげて……!」
怒りを隠そうとしない綺羅富士は遠目にはプロレスラーにも見えるパンツ姿で、キャアキャアと叫びながら逃げ惑う四人を食堂の隅に追いつめる。
ところが、椅子から立ち上がった真由が猫を抱えたまま彼らを庇うように前へ出てきたので、綺羅富士とぶつかって尻餅をついた。
「きゃんっ!」
「……ったく、殴り合いの喧嘩で勝てるわけもない女子ごときが俺の邪魔するんじゃない」
「ご、ごめ……!」
ドスの利いた怒声に身をすくめた真由は恐怖で声を震わせ、今にも泣きそうな顔で綺羅富士を見上げる。
すると綺羅富士はしばらく沈黙して、何があったのやら急速に力を抜いた。
「……と、言うつもりだったが。今日のところは、こいつに免じて許してやる。お前らはこいつに感謝するんだな」
「……え? ど、どうして?」
事態が呑み込めない山原から当然の疑問が出た。
少し迷いつつ、綺羅富士は答える。
「俺は今まで、どんな正義も、どんな理想も、何一つとしてこの胸に届くことなく、ひたすらに暴力に訴えてきた。だが、俺は今初めて知ったことがある。それは、きっと世界を平和に導く鍵だ」
そこまで言った綺羅富士は言葉をためて、びくびくして上目遣いに彼を見上げている真由に視線をやりながら続ける。
「……かわいいものに、人は暴力を振るえない」
「可愛いは、正義……。キュートアグレッションを発動しないやつで助かった」
「綺羅富士、お前男だよ……。ベストサバイバル賞をやりたいくらいだ」
朽木と佐波が馬鹿を言っているのを聞き流して、綺羅富士は真由に語り掛ける。
「ふん。とにかく俺は自分の学ランさえ手に入れば部屋に帰る。さあ、それを渡してくれ」
「あ、はい……! ど、どうぞ……!」
こくりと頷いた真由は、恐る恐るといった手つきで猫を綺羅富士の前に抱え上げる。
しかし綺羅富士は手を引っ込めた。
「悪いが、お前が代わりに取ってくれないか。俺は猫に触れないんでな」
それを聞いた朽木がムムムと訝しみながら顎に手をやる。
「マジか……。もしや可愛いからか? お前、可愛いものアレルギーか? 可愛くてゴメン?」
「単なる猫アレルギーだろ」
余計なことを言うと話がこじれるかもしれないから黙ってろと宗谷が朽木を下がらせた。
「えっと、それじゃあ、ちょっと待っててください」
ビビりながらではあったものの、真由は両腕に抱えていた猫を床に下ろす。
そして綺羅富士に猫から受け取ったものを手渡した。
「はい、どうぞ。これでいい?」
「おう、確かに……と言いたいところだが、誰か代わりにツッコミを頼む」
そう言った綺羅富士に、すかさず山原が元気いっぱいな声で反応した。
「それは学ランじゃなくてカニだよ、真由ちゃん!」
「代理ツッコミか。よくやった、山原」
「ツッコミは綺羅富士のキャラじゃないから仕方ない。下手にやると真由を怖がらせるから遠慮したんだろ。サバイバル処世術だな」
「ニャー!」
しかも猫はテンションが高く荒ぶってしまい、学ランを背中に乗っけたまま走り去った。
「……え? ち、違ったの? ご、ごめんなさい」
何か失敗したらしいことを悟った真由は目を潤ませる。
しかし綺羅富士は怒るでもなく彼女の頭に手を乗せた。
「……いや、今日はカニで一日過ごす。だからお前は気にするな。俺は大丈夫だ」
「真由を泣かせまいとする心意気には惚れるが、カニで過ごすって無理だろ」
「そうだそうだ! カニは俺たちの昼食だぞ!」
思わず宗谷と佐波が余計なことを言ってしまったので、一度は許したはずの綺羅富士がキッと鋭い目を向ける。
「……は? だったら服を持ってこい!」
「うわー、俺たちが原因だから当たり前だけど、真由とは対応が全然違うな」
と、相手を刺激しない程度に首をすくめるのは宗谷である。
「おい、いっそのこと女装してオレたちも許してもらおうぜ」
「待て、朽木。女装しても俺らは可愛くならないぞ」
「それより早く行こうよ。綺羅富士君だって、パンツとカニだけじゃ風邪引いちゃうよ」
全員を急かすように山原が言うので、心配した宗谷が綺羅富士に声をかける。
「まさか綺羅富士、服の代わりにカニを本気で使うのか? やめとけよ」
「いいから早く行きやがれ!」
「シュタタタタ!」
「あ、逃げるなよ、山原!」
怖くなって真っ先に食堂を出て行ってしまう山原を追いかける三人であった。




