06 休日の寮生活(2)
一目散に逃げる一匹の猫を先頭に、そう広くない寮の廊下を四人が走る。
「待ちやがれ、そこの猫! せめてカニだけは置いていけ!」
「はあはあ、その前に宗谷が待ってよ……。僕の足じゃ追いつけないよ!」
それほどの距離を走ってはいないものの、すでに疲れ始めている山原である。
その背を押しながら隣を走るのは、体力のある佐波だ。
「遅いぜ、山原。サバイバル生活で培ったこの足で追い越しちまうぞ!」
ほぼ同じタイミングで反対側から隣に並んだ朽木が大げさに腕を振って山原を励ます。
「走れ走れ! とっとこ走れ!」
「とっとこって、そんな、猫から逃げるハムスターじゃあるまいし。今の僕たちは猫を追いかける側だよ」
一人で前を走っている宗谷はペースが落ちている三人へと顔だけで振り返った。
「あーもう、じれったいな。ぐだぐだしゃべってないで走れよ。とっとこでも、すたこらでも、何でもいいからよ!」
「ちょっと、宗谷ったら馬鹿を言わないでよね。駄目だよ、そんな走り方じゃ」
「そうだぜ」
「ああ、最も速い走り方といったらこうだ!」
顔を見合わせた後ろの三人が声をそろえてポーズを決める。
「「「シュタタタタ!」」」
もちろん宗谷は相手にしない。
「どうでもいいから早く走れ! ポーズもフォームも適当でいい! お前らが遊んでるから猫に逃げられるだろうが!」
よはいえ、すでに疲れていた山原は自らを奮い立たせるべく顔を上げた。
「うん、わかった! ――シュタタタタッ! シュタタ! すたこらさっさ!」
「声だけは威勢いいのな! スピードが出てないから顎は引いたほうがいいぜ!」
それから数分。
ちょこまかと逃げる猫を追いかけながら走る宗谷の息もさすがに上がりつつあった。
「くそ、あの猫どこ行った? 上か、下か、まだ寮の中にいるとは思うんだが……」
「猫を追いかけるのって大変だね、すばしっこくて見失っちゃうもん」
もうほとんど走ることを諦めて山原が猫の敏捷さに感心していると、猫つながりで朽木がどうでもいいことを思い出した。
「そういえば昔、猫とネズミが追いかけっこするようなアニメがあったっていうな……」
「マジかそれ、ネズミにとってはまさにサバイバルだな。それを見世物にするとは残酷なショーもあったもんだ」
佐波が不遇なネズミに同情を寄せる。しかし朽木は首をかしげる。
「んー。でも家の倉庫にあった文献とかだと、世界的に有名なキャラクターって猫よりもネズミのイメージもあるな。実物だったらネズミより猫のほうが可愛いと思うんだが」
そのなんでもない疑問に山原が反応した。
「あー、確かに僕も、なんたらマウスとか、なんとかチュウってキャラクターなら聞いたことある気がするよ。あと青いハリネズミとか」
「ネズミじゃなくて猫のほうなら、有名な猫型ロボットがあったり、ハローしてそうな猫がいたり、人間みたいな猫耳娘がいたりしたらしいが……」
そのとき、これまた何気ない朽木のセリフに宗谷が思わず反応してしまう。
「猫耳娘? 名前から想像すると猫の耳がついてる女の子ってことか? 人間の体に?」
「たぶんそうなんだろうが、へえ、朽木みたいに宗谷もそういうの興味あるんだな」
それほど興味なさそうに佐波が言ったら、朽木が何やら目を見開いた。
「……はっ! もしかして、この大抑圧な今の時代にこそネズミっ娘ブームが本格的にくるんじゃないか! 小さなネズミみたいに家主や猫から逃げ隠れて、こそこそ生きるのがトレンドになるだろ! ライオンみたいに主張する時代は終わった! 承認欲求よさらば!」
「そうなの? そして宗谷は猫耳娘だけじゃなくてネズミ耳娘にも反応しちゃうの?」
山原と朽木が両サイドから挟んでくるので、狭い廊下では宗谷に逃げ場がない。
「あーもー! どーでもいいから行こうぜ!」
雑談の内容はどうでもいいと思っているのか、佐波は一人で猫に感心する。
「それにしても猫はちょこまかとすばしっこいな。野生の忍者だぜ」
「あ、それは僕も思うよ。ジャンプ力もすごいからね。でも猫って臆病で荒ぶりやすいところがあるっていうか、変なところでテンションがマックスになるから忍者には向いてないかもね」
横から話を聞いていた朽木が呼吸を落ち着かせながら言葉を吐く。
「そうだな……。普段クールに装っている分、驚いたときとか甘えてくるときのギャップが激しくて可愛いんだよな……。まさに猫かぶりとはこのことを言う!」
これには宗谷も呆れを隠せない。
「朽木って猫が好きなのか? 別に意外ってほどでもねえけど」
「……むむっ。わざわざ聞くなんて無粋だぞ。いいか、不良は猫が好きって相場が決まっているんだ! それに猫は基本的にツンデレだから、不良みたいに素直じゃないタイプの人間と引き合うのさ」
「なわわ! そうだったのか! ……ツンデレって何?」
「説明しよう!」
「待て待て、そんな説明は聞かなくていい。馬鹿の言うことを真に受けたら馬鹿になるから気をつけろよ、山原」
「そしたら、誰もまともに取り合わなくなるよな、俺たちのクラス。馬鹿しかいねえし」
自虐というまで悲観的ではないにせよ、自分を含めて鼻で笑う佐波だった。
さすがに何か言ってやりたくなった宗谷だったものの、少し離れた前方に見失っていた目標を見つけると、即座に声を張り上げた。
「お、いやがったぜ、あの猫!」
「シュタタタタ!」
ターゲット発見の報を受け、声だけは威勢よく山原も走ったが、もちろん追いつかない。
たまらず宗谷は逃げる猫に向かって右手を伸ばす。
「おい猫、ちょっと待とうぜ!」
それを聞いた佐波が馬鹿にしたように笑う。
「待てと叫んだところで猫が待つわけがないだろ。芸を仕込んだ犬ならともかく、勝手に住み着いた野良猫に人間の言葉は伝わらないんだから」
「にゃー! みゃー!」
と、これは猫ではなく朽木の声だ。
それに驚いたのか、全身の毛を逆立てた猫はどこかへ飛ぶように走り去った。
「……朽木、まさか今のそれ猫語のつもりか? お前もう不良じゃなくてただの馬鹿だろ。今ので猫が寄ってきてくれると思ったのか?」
「んだと、宗谷! 思っちゃ悪いか! ひーとひとひと! にんにん、にんげーん!」
「ねこねこねーこ!」
などと、いがみ合いを始めそうになった二人に割って入るのは佐波だ。
「まあまあ、むなしいだけだから同じレベルで争うな。馬鹿同士、みんなで仲良くしようじゃないか。それより、俺に考えがある。逃げる猫を捕まえるためには罠にはめるのが一番だと思わないか?」
「なるほどー、罠かあ……。それじゃあ佐波君のサバイバル術が役に立つね」
「そうだな、今から罠に使えそうな道具を取りに部屋に行ってくる。ちょっと待っててくれ」
「おっけ、わかった。お前が帰ってくるまで、俺らは適当にうろついて猫を探してるぜ」
「そうしてくれ!」
くるりと身をひるがえしながら宗谷に答えて三人と別れると、同居人の邪魔にならないように足音を殺した佐波は自分の部屋へ侵入する。
「久しぶりに自分の部屋に入ったけど、ものの見事に俺の荷物がなくなっている。片付けられたというより、処分されたんだろうな。……まあ、まだぐっすり寝ているみたいだし、同居人である綺羅富士の制服をいただいていこう」
めぼしい道具を見つけられなかった佐波は壁にかけてあった綺羅富士の制服――学ラン――を奪い取ると、くるくる丸めて腕に抱えてから部屋を飛び出す。
「ん、ああ?」
その綺羅富士は佐波の立てた物音に出て行った後に気がついたのか、ゆっくりと目を覚ます。
「あん? 俺の制服がないだと……」
ベッドに腰掛けた彼はパンツ一枚の姿で不機嫌に眉をひそめた。
一方、部屋を出た佐波はしばらく探し回って三人に合流した。
「よう、待たせたな!」
「おお、佐波。やっと来たか。で、猫を捕まえるトラップってのは?」
「まあ見てくれ、宗谷。これさ」
「見てくれったって……学ランじゃね?」
「ああ、Lサイズの大きな上着だよ。これを廊下の曲がり角にうまく設置して、網の代わりに猫をひっとらえるのさ。早速やってみようじゃないか」
トラップよろしく学ランを曲がり角に設置して、気配を悟られないようにと距離を置いて見守る一同。
それなりに長い間ずっとドキドキワクワクして眺めていた山原が、そろそろ飽きそうになってきたころに声を上げる。
「あ、猫が来たよ!」
「え、まさか本当に来るとはな……。よっしゃ、誰か罠のほうに追い込んでくれ!」
「任せろ、俺が行ってやる!」
思いのほか待たされたので、ついにその時が来たとやる気満々になっている宗谷は横から回って猫を罠に追い込む。
「ふみゃー!」
と、驚く猫。
その場の成り行きで雑に立てられた作戦は都合よく成功して、能天気に歩いていた猫の上に学ランが覆いかぶさった。
「やった! かかった!」
「捕まえたか?」
「ふにゃー!」
とは、いきなり発せられて次第に遠ざかっていく猫の鳴き声だ。
喜んでいた山原はびっくりして廊下にしりもちをついた。
「なわぁ! なんてこったい! 猫が学ランごと走って行っちゃった!」
「不良のオレにはわかる。あの猫、なめんなよって言ってるみたいだったな」
「いいから追いかけっぞ!」
そう叫ぶや否や先陣を切って走り出した宗谷だったが、わずか数歩で足が止まった。
クラスで一番ガタイのいい綺羅富士がパンツ一枚の姿で廊下に出てきたのだ。
「おいこら、待てよ! なんでお前はパンツ姿なんだよ!」
「なんで、だと? 部屋の壁に掛けておいた俺の制服が見当たらなかったからだが?」
「あ、やば……まだ起きてこないと思ってたぜ」
猫を捕まえた後でこっそり返すつもりだったのに……と、うっかり佐波がもらした呟きを耳ざとく拾った綺羅富士は射殺さんばかりに目つきを鋭くした。
「貴様……その反応、何か知ってやがるな? そういえば一応は俺と同室だったはずだな」
問われた瞬間、見るからに不機嫌な綺羅富士に答えるのではなく、冷や汗を浮かべた佐波は他の三人に告げる。
「に、逃げろみんな! 本物の不良である綺羅富士に学ランは猫が持っていったなんて知られたら、ぼこぼこに殴られるだけじゃすまないぜ!」
「非暴力主義の不良であるオレと違って、お前が泣くまで殴るのをやめない、ってされるな! いっそ先に泣いちゃうか? ごめーん! って」
「ええー? あの学ランって綺羅富士君のだったの!」
その山原の叫びが決定的になったらしい。綺羅富士は犯人を四人に見定めた。
「やっぱりお前らの仕業か……。覚悟しろ。一人ずつ追い詰めて、味わうようにしばく!」
「やっべ、逃げるぞ! 命が惜しい奴は続け!」
「ちょ、ちょっと待ってよ、宗谷! 僕、足、遅いんだってば!」
「盛り上がってきたぜ、まさにサバイバルだな!」
「綺羅富士、お前もまずは四十秒くらい待ってくれ! 三分間でもいい! 落ち着いて素数で数えるんだぞ!」
「…………」
「駄目だあいつ、全速力ってわけじゃないが、会話を無視して無言で追ってきてる!」
「危ないね、怖いね、とにかく逃げようね! シュタタタタ!」
そんなこんなで逃走を開始する四人。
カニのために猫を追いかけていた時よりも本気だ。
「つ、追跡者って怖ええ!」
「もう走れないよ~。綺羅富士君が本気を出して走るタイプじゃなくてよかった……!」
体力に自信のない朽木と山原がそろそろ限界そうなので、佐波が走りながら提案する。
「こうなったら逃げるんじゃなくて、あいつの怒りを鎮めよう。サバイバル的に生きる知恵を総動員するんだ」
「そいつはいいが、一体どうやって?」
「簡単なことだ。あいつは服を探してるんだろ? 授業はサボってばかりなんだから制服はいらないだろうし、学ランの代わりになる服を渡してやればいいんだよ」
「んー、たとえば?」
いい加減もう走りたくない山原が聞けば、提案した佐波よりも先に朽木が答える。
「オレにいい案がある。正直者にしか見えない服はどうだ? 渡す振りだけして、肝心の服が見えなくてもあいつのせいにしよう」
これに宗谷が対抗する。
「いや、俺のほうがいい案を持ってる。ここにいる俺たちの誰かが今すぐ服を脱いで渡せばいいんじゃないか? サイズが合うかは微妙だが」
いい案かどうかはともかく山原も続く。
「だったらさ、新しい服だって言い張ってタオルを渡してみようよ。ファッション業界なんて何が流行してもおかしくないんだしさ」
「いや、そんなんじゃ駄目だ。あいつが納得しない」
「んじゃ、どうすんだよ?」
三人の視線が佐波に集まる。
期待と責任を押し付けられた彼にも名案があるらしく、ポケットから一本の筆を取り出した。
「ボディペインティングだ。これなら服を着ているように見える。サバイバル生活で着る服がなくなったときは役に立つんだぜ」
「嘘付け、絶対虫に刺されるぞ」
「でもよー、あの不良にかわいい服とか着せてみてえな。オレより不良っぽいの困るし、威圧感をなくすためにフリルとかリボンとかいっぱい描いてやろうぜ」
「ねえ、誰が綺羅富士君にボディペインティングするの?」
本質を突いた山原の質問に全員が黙り込む。
「あはは、無理だよね~。たぶん黙ってキャンパスになってくれないもん」
「よし、ここに筆を置いていこう。きっとあいつ、つい手を出したくなるぜ」
「おい、佐波! 綺羅富士が来たぞ!」
「無言で歩いて追ってくるのが不気味だな。叫んだり走ったりしないぞ、あいつ」
「それより作戦決行だ。朽木たちも下がれ、ここは俺に任せろ。……へい、綺羅富士。ここに筆を置いてくぜ! 服がないなら描いちゃいな!」
最後まで残っていた佐波はこれ見よがしに筆を床に置いて逃げる。
しかし綺羅富士は止まらない。
「綺羅富士の野郎、スルーしやがった!」
「まあ、当たり前だよね。誰だってスルーするもんね、あんなの!」
逃亡劇はまだしばらく続きそうだった。




