39 行き詰まり(1)
校舎の屋上で、宗谷と山原が距離を置いて向き合う。
その距離は実際には十メートルもなかったかもしれないが、二人にとってはそれよりもっと長くに感じられた。
「ねえ、宗谷。僕はきっと、このままじゃ誰にも追いつけないよ……」
「追いつけないことなんてないだろ。だって、いつだって俺がそばにいるだろ? それにさ、今はみんながいるじゃないか」
「白々しいね。本当に馬鹿だよ、宗谷は」
「ああ、いいよ、俺は馬鹿でも。認めてやる。な、だからさ……」
助けるために一歩踏み出す宗谷。
しかし山原が拒絶した。
「近づかないで!」
「……くっ! わかった! 近づかない!」
予想よりも強い反応が来たので驚いて動きが止まる宗谷。
「あのね、僕はただ、宗谷に話を聞いてほしいんだ。僕も色々わかったから、宗谷はそこで聞いてくれるだけでいいんだよ」
「安心してくれ、もちろん聞くさ。最後までちゃんと聞く。だから、絶対に早まるなよ?」
「あはは、早まるって何さ? むしろ遅いくらいだったよ」
「遅いって、一体何がだよ? わけがわからないって」
「だってさあ、宗谷……。こんなことでもしない限り、誰も僕の相手をしてくれないんじゃないかな?」
「こんなことでもって、なんだよ? 誰も相手してくれないなんて、なんでだよ?」
「つまりさ、こんな風に自分を命がけで主張しなくちゃ、結局、みんな僕のことを無視しちゃうんだ」
「そんなことないって! ここにいる誰も、お前のことを無視しちゃいない! こんなことしなくても俺たちは友達だろ!」
「友達かぁ……。宗谷はさ、そんな対応で友達だって胸を張れるんだね。でもね、僕はここ最近、とてもじゃないけど友達なんて誰もいないかのように思っていたよ。だってほら、僕はみんなのことが大好きなんだ。だって宗谷、僕は何もかも求めすぎるんだ。今まで一度たりとも、心の底から満足できたことがないんだよ」
「満足できたことがないって……」
「うん。僕はみんなを独り占めしたいし、僕のことだけをずっと見ていてほしい。絶対に一人にはなりたくはないし、いっそみんなと一つになりたい」
「一人になりたくないってのは誰だってそうだろうが、俺たちがいる限り、お前は決して一人になんかならないだろ。そもそも、みんなと一つになる必要はないって。友達はそんなんじゃないだろ。みんな違うからこそいいんだろ」
「そうなのかな? ねえ、宗谷。宗谷はきっと、色々なものに追いつくことができるんだね。だからそんな風に明るく言えるんだよ。でも僕はね、宗谷。誰にも届かないんだ。どうやっても、いつまでも届いた気がしないんだ」
「そんなことないって」
「ううん。だから宗谷、もう僕は帰るよ。宗谷、ありがとう。ありがとう、宗谷」
「ちょ、ちょっと待とうぜ!」
山原は宗谷に背を向けて、屋上から飛び降りる。
宗谷は駆け寄ってフェンス越しに抱きとめようとするが、間に合わずに空を掴む。
「どうして? どうしてだよ、山原……」
宗谷はその場で膝から崩れ落ちた。
その後、三年の教室。
運営委員会を除いたいつものメンバーが集まっている中、元主任の末広が宗谷に声をかけた。
「なあ、宗谷。ここに俺たちを集めたのはお前なんだ。大体の事情はもう伝わっているんだが、お前が口を開いてくれないと、俺たちもなかなか尋ねにくい」
「ああ。そうなんだが、すまない。すぐには……」
落ち着かせるように朽木が宗谷の背中に手を当てる。
「別に無理はしなくていいんだ。でもさ、オレたちだってちゃんと事情を聞きたい。リーダーと御手洗には話したそうだが、もちろんオレたちにも話してくれるんだろ?」
「もちろんだ。そのためにお前らを呼んだんだからな。でもさ……」
自分も泣いてしまいそうなリオが顔をのぞき込む。
「うん、何?」
「俺、まだ信じられないっていうか、信じたくないっていうか……」
ゆっくりと朽木が背中をさする。
「つらいんだろ? ……オレもつらいんだよ。正直、嘘や冗談だったらって思いたい。でも目の前の現実を受け入れなくちゃいけないんだよな? そのためにも宗谷、ここは苦しいのを我慢してオレたちに本当のことを教えてくれ」
「……そうだよな。俺はそのつもりで、こうしてみんなに集まってもらっているんだ」
自分が黙っていては話が進まない。
そのことに気づいた宗谷は何度も深呼吸して、少しずつ落ち着きを取り戻す。
みんなが自分が話すのを待ってくれている。
だから、胸が苦しくても宗谷は頑張って声を絞り出した。
「山原が……。山原を追いかけてさ、俺は屋上に行ったんだ。でも、山原はそのまま……」
そこで言葉に詰まり、宗谷は苦しい顔を見せる。
「……その、飛び降りたって本当なの?」
重々しく口を開いたリオ。
責められたわけではないが、罪悪感を覚えた宗谷はうなだれてしまう。
「すまん、本当にすまん、近くにいたくせに俺、あいつのこと守れなかった」
「よせよ、宗谷。お前のせいじゃない。オレたちにだって責任はある。お前だけが気に病むことじゃない」
「そんなことない。悩んでいたあいつを、落ち着くまで放っておいてくれって、お前らに頼んだのは俺なんだ。あいつを助けられるのは俺のはずだった」
悔しそうに握りこぶしを作る宗谷。
ダン! と机に叩きつける。
「ああ、くそ! どうしてだよ、どうしてこうなっちまったんだよ!」
「なあ、宗谷。お前の悲しみも悔しさもわかるが……」
言われた瞬間、背中に置かれたままの朽木の手を振り払う。
「いいや、わかってないだろ! お前らは冷静すぎるんだ! だって、だって山原が死んだんだぞ! これで冷静でいられるわけないだろ! 俺にとっては昔からの親友だったんだよ!」
「宗谷……」
これ以上は刺激しないように朽木が一歩下がり、今度は末広が近寄る。
「お前こそわかってるのか? 山原は俺たちにとっても大切な親友だったさ。だからその悲しみも憤りも、お前だけのものじゃない。だがな、みんな暴れたいのを我慢してるんだ。なのに一番の友達だったお前が周囲にあたり散らすだけじゃ駄目だろ」
「……くっ。そんなこと言われなくたって、俺だって理解しているさ。でも、心はどうしようもないだろ……」
「だったら、いっそ感情に流されてしまうがいいよ」
「え?」
長瀬を振り返る宗谷。
「どんなにつらい出来事だって、最終的には受け入れなくちゃいけないけれど、そうだね、今は泣き叫んでみるのもいいかもしれないよ」
「……そうね、宗谷は今までずっと頑張ってきたんだから、たまには弱音を見せるのも可愛げがあっていいわよ。ほら、私たちがついていてあげるから、存分に涙しなさい」
「お前ら……」
長瀬とリオに続いて、主任と朽木も優しい言葉をかける。
「仕方ないな。お前が馬鹿だってことはもう知れ渡っているんだ。今さら気丈に振る舞おうとしても、お前には無理だろう」
「そうだな、宗谷。時には涙もいいものだぜ」
宗谷はみんなに優しく囲まれる。
「ごめん、みんなごめん。だけどありがとう。……みんなからこうされて、やっと俺はわかったよ。きっと、たぶん、いや、間違いなく……。山原にも、こうしてやるべきだったって」
男子寮、綺羅富士の部屋。
「綺羅富士先輩、頼まれた通りに真由先輩とエミ先輩を連れてきました」
一年の高宮が、綺羅富士のところへ真由とエミを案内してきた。
綺羅富士は立ち上がる。
「おお、二人とも来てくれたのか。わざわざ呼びつけてすまないな」
「ううん、大丈夫」
綺羅富士は二人に適当な場所に座るように促した。
「もうリーダーとの対立は終わっていて、俺が直接あいつらに会いに行けば済む話なんだが、どうやらあいつらも運営会議で近寄りにくくてな。こうしてお前たちに足を運んでもらうことにしたんだ。迷惑をかける」
「そうですか、でも気にしないでください」
「うん……」
「そうか。それで、早速本題に入らせてもらうが、今回の騒ぎの原因は……」
真由が震えながら口を開く。
「……あのね、や、山原君が、山原君が……」
「山原さんが、校舎の屋上から飛び降りたという話を聞きました。ですが、私は未だに信じられなくて……」
「そうか……」
目を閉じて、考え込んでしまう綺羅富士。
彼の代わりに、同じく事情を知りたがっている高宮が尋ねる。
「……大丈夫だったのですか? その、山原先輩は?」
「わかんない。けど……たぶん……」
グス、と涙ぐんで鼻をすする。現実が受け入れられないのか、話すのもつらそうだ。
誰かに直接聞いたわけでなくとも、狭い空間であれば噂などすぐに広まる。
おおよその想像ならついている綺羅富士が首を横に振る。
「大丈夫だ。それ以上は言わなくてもいい」
「あ、うん……」
「すみません」
謝るのは俺だ、と綺羅富士が後悔をにじませる。
「今回の件、リーダーたちの方針というよりは、あいつらに反対した俺の振る舞いが山原を精神的に追い込んでしまったのだろう……。実際に俺はあいつに乱暴を振るってしまったが、それは何も、あいつをこんな風にするためじゃなかった」
「さすがに僕も、今回ばかりは自分の非を認めますよ。最悪の場合には弱者を追放するしかないというのは、あくまでも僕たちが生きるためであって、自分たちの手で直接的に誰かを殺すつもりなんて……いや、これも言い訳でしかないんですけどね」
言いながら涙声になってきたのを気にしたのか、逃げるように席を外した高宮が涙をぬぐいながら部屋を出て行った。
しばらくして話すことがなくなったエミも外に出たものの、真由だけが残った。
出て行ってくれ、と言いたかった綺羅富士。
しかし実際に口を開けば違う言葉が飛び出していた。
「……くそ! だってしょうがねえだろ! 俺たちはそうやって厳しく育てられてきたんだ!」
「……うん」
「子供のころから毎日のように殴られて、ののしられて、ひどい目に合わされて! それが嫌なら、おとなしく従うか、暴力でやり返すしかなかった! ああ、そうだよ! 暴力で返すのが一番よかったんだよ、今までは!」
「……うん」
「周りの大人たちがみんなそうやって俺に当たってくるから、生きるためには俺だってそうするしかなかった! そうしなきゃ、誰も俺の話を聞いてくれなかっただろ!」
「……うん」
何を言っても真由が優しく聞いてくれるので、綺羅富士も涙をこらえられなくなってきた。
「……でもよ、本当はそれが嫌だったんだ。変わりたかったから逃げるようにここにきて、もう二度とあんな生き方はしないと心を入れ替えたつもりで我慢して、だけど結局は我慢できないから誰とも顔を合わせないように引きこもって、なのに俺は!」
「……うん」
「俺たちの行き場所なんて、生きる場所なんて、一体どこに探せばいいんだよ……」
「綺羅富士君……」
「くそ……! あの狂ったスパルタ社会の中で、俺を殴らなかったのは俺よりも弱くて、俺よりも傷つきやすい優しい人間だけだったんだ。俺を避けなかったのも、罵らなかったのも。だから俺は、そういう人にこそ救われたいと思っていた。けど、結局は弱くて可憐な人ほど先につぶれていく。みんな誰かにつぶされて、俺の前からいなくなっていく」
泣きながら、綺羅富士は天井を見上げた。
「ああ……。本当はそういう人のためにこそ戦えばよかったんだよな、俺は……」
運営会議が予定されていたわけではなかったが、校長室に御手洗が入ってきた。
先に入っていたリーダーはくたびれた様子で椅子に座っている。
その姿を見て、自分もひどい状態かもしれないと思った御手洗は頑張って声を明るくした。
「お疲れ様です、リーダー。とりあえず俺たちは千藤と協力して、例の現場にはブルーシートを敷き、立ち入り禁止のコーンも置いておきました。リーダーのほうは……」
「ああ、こっちもやるべきことはやった。ひとまずは布団を敷いた台車の上に寝かせて、上から毛布をかぶせている。いつでも動かせるようにと、台車は体育館の隅に安置した。埋めるにしても、外部に引き渡すにしても、できるだけ早く決めたほうがいいが……」
「リーダー、その、あまり一人で思い詰めないでください。山原のことはリーダーだけの責任じゃありませんから」
「慰めはいい。因果関係がどうであれ、あらゆる責任を取ることが俺の一番大事な仕事なんだ。そして俺は、こういう場合の責任の取り方を知らない」
御手洗の後から入ってきた千藤も無力感を漂わせている。
「それはリーダーだけじゃないさ。俺たちだって、どうしていいのかわからない」
「とはいえ、さすがに何事もなかったかのように隠し通すわけにはいかないでしょう。運営委員会としても何かしら誠意を見せなければ、今回の一件が大きな波紋を巻き起こす可能性も考えられます。それからもちろん、山原のためにも」
沈黙が流れる室内。
考える気力がなくなりつつあるのか、いつもより弱々しい口調でリーダーが口を開く。
「もしかすれば、俺たちは過ちを犯しただけなのかもしれない。今回のことだけでなく、三年前の時点でな」
「リ、リーダー?」
「スパルタ制度が始まって弱い者から次々と死んでいき、このままじゃ国が駄目になると、当時の俺は本気でそう思ったんだ。だからこそ俺は命を懸けて行動に出た」
「それは俺たちだって同じことです」
「ああ、それは俺も信じている。今もな」
「なら! 間違いだったなんて!」
「……俺たちが頑張れば、情けない大人たちが作っている国や社会を、よりよいものに変えられたのかもしれない。けれど、それはこんな破滅的な方法じゃなく、もっと冷静に考えて、慎重に行動するべきだったんだ」
「それは……」
「いいか? このままじゃ誰も救えない。誰も救われない」
「……ですが」
「だったら俺は、もう腹を決めるしかないよな」




