37 見捨てないでよって!(2)
そんなことがあって、しばらく。
「あーあ、まったくもう、みんな本当に馬鹿馬鹿しいよね。誰もちゃんと話を聞いてくれないし、綺羅富士君なんか一人で突っ走っちゃうし。ほんと、こうなったら僕がしっかりしなくちゃ。うん、手始めに綺羅富士君かな?」
ため息を漏らしながら、一人で寮に向かう山原の姿があった。
そして入口の前まで来ると、中には入らずに大声で呼びかける。
「ねえ、綺羅富士君! いるなら出てきてよ!」
だが、すぐには出てこない。
「綺羅富士君、綺羅富士君! きーらーふーじーくーん!」
それでも諦めずに何度も呼んでいると、外から響いてくる声に気づいた高宮が顔を出した。
「山原先輩?」
「あ。高宮君だ。ねえ、綺羅富士君に会わせてくれないかな?」
「……ふむ。いいですよ? 少々お待ちください」
どんな用事があるのかと疑問に思いつつも高宮は寮の中に戻り、奥の部屋から綺羅富士を連れて来る。
「どうした、山原?」
「綺羅富士君に言いたいことがあるんだ」
「言いたいこと、だと?」
「うん。僕は前にも言ったよね? みんな仲良くしなくちゃ駄目だって。なのにさ、どうして綺羅富士君は和を乱そうとするのさ?」
「……山原、それは本気で言っているのか? いくらこちらの本気を見せるためとはいえ、この前は悪かったな。一方的に殴られたお前が怒るのはわかる。だが、こっちだって詰め寄られれば同じことをしないと約束はできない。いくらお前でも手加減はしないぞ」
「あはは、おかしな綺羅富士君! 本気で言ってるのかって? そりゃ簡単だよ、僕が冗談で言うわけないじゃない。もちろん本気に決まっているよ!」
「そうか、それじゃ俺もふざけずに言ってやろう。今すぐ帰れ、山原」
「ほら、すぐそれだ。まーた、そうやって他人との距離をとってさ。綺羅富士君は逃げているだけだよ。いろんなことから目をそらしているだけだもの。……ねえ、綺羅富士君には僕が見えないの? こうやって手を伸ばしている僕の姿が視界に入っていないの?」
「見えていて拒絶している。俺にはお前の手を取る理由がない」
「いや、いやいや、綺羅富士君はみんなの手を握り返すべきだよ。それは暴力じゃなくて、話を聞いて、仲間に入るってことなんだ。……ね、綺羅富士君! ほら、綺羅富士君ってば!」
山原は綺羅富士に迫り、顔のすぐ前まで手を差し出す。
ほら、ほら! と、手を握るまで続けそうなくらいだ。
「いい加減、いつまでも子供じみたことを抜かすんじゃない!」
常軌を逸した山原のあまりのしつこさに、うっとうしくなって追い返そうとした綺羅富士は力を制限して手を出した。
しりもちをついて痛がるかと思えば、クククと山原は嬉しそうに笑い始める。
「ぐふっ、ぎゅふふ……! あー、よかった、綺羅富士君はこうして邪魔だと思えば殴ってくれるんだ。ふふ、それはちゃーんと、目の前の僕に気持ちを伝えようとしてくれている証拠だね」
「……ああ?」
「ほらね、綺羅富士君、安心して! 僕は殴られたって怒らないし、全然君を怖がらないよ? だってね、僕は誰かに無視されるのが一番悲しいんだから」
そして立ち上がった山原は再び綺羅富士に歩み寄っていく。
もちろん笑顔で、当然のように手を伸ばす。
「ああ、嬉しいなぁ! 綺羅富士君が僕の相手をしてくれて!」
「意味わかんねえぞ!」
抱き着いてくる勢いで小走りになった山原に対して、恐怖心すら覚えた綺羅富士はもう一発ぶち込む。
一度は痛がって後ずさった山原だったが、すぐに笑顔を浮かべた。
「ぐふふふふ、はは、そうだね! いっそ僕のことなんか殺してくれたっていいよ。だって、そうしたら綺羅富士君は絶対に忘れちゃったりしないでしょ? 僕のこと!」
「……お前、それは正気で言っているのか?」
「もちろんだよ綺羅富士君。ねえ、なんでもいい。愛でも怒りでもいいんだ。僕のために、僕に感情を向けてよ! 手を! さあ、手を!」
「ふざけるな……!」
また近づいてくる山原。
もう一度止める必要があるのかと、こぶしを握る綺羅富士。
そこへ、たまたま通りかかって様子を眺めていた真由が恐る恐る声をかける。
「ね、ねえ、やめてよ、綺羅富士君。山原君も……」
「真由か、近づかずに離れていろ。こいつ、なにやら頭がおかしくなってやがる」
「ねえ、真由ちゃん、真由ちゃんも綺羅富士君に言ってあげてよ、ほら」
「え、えっと……」
望んだような反応が得られなかった山原が足を止めて真由に向き直る。
「真由ちゃん、どうしたの? 真由ちゃんは僕の味方だよね?」
「真由、こいつの言葉に耳を貸すな」
最初からずっと距離を取っていた高宮もうなずく。
「そうですね、どうやら山原先輩は精神的に病んでいるようです。変なことに巻き込まれたくないなら真由先輩も今は相手をしないほうがいいですよ」
「あ、えっと……」
真由は胸の前で手を組み合わせて、どう動くべきか悩んだ。
様子のおかしい山原の心配をしつつも、彼の手をとれない。
綺羅富士にも強く言えない。
「そっか、真由ちゃんも僕を否定するんだね。そうか、そうなんだ」
「え、いや、その……」
「いいよ、もう。みんなそうやって一人になっていけばいいんだよ!」
怒りを露にした山原は立ち去ってしまうのだった。
寮を離れた場所で、山原はエミとすれ違った。
「あ、山原さん、真由を見かけませんでしたか? こちらに行ったみたいなんですが」
問われた山原は冷たく言い返す。
「真由ちゃんなんか、もう知らないよ。僕のことなんて、どうでもいいみたいだし」
「どうでもいいって、真由が山原さんをですか? そんなことないと思いますが……」
「ううん、真由ちゃんもやっぱり、僕の手を振り払ったんだ。綺羅富士君も同じ。みんな僕のこと嫌いなんだよ、絶対」
「嫌いって、そんな。考えすぎだと思いますよ、山原さん」
そう言ったエミに対して、笑顔を浮かべた山原は手を伸ばした。
「……じゃあエミちゃん、エミちゃんは僕の手を取ってくれる?」
「え? 手を?」
「うん、そう。これから僕のことを否定したり拒否したりしない? 僕のことを誰よりも絶対だと思ってくれる? 僕のことを決して見捨てたりしないって約束できる?」
そしてエミに向かって一歩を踏み出す。
「……ねえ、僕のことをちゃんと認めてくれる?」
何が何やらわからず、エミはわずかに後ずさる。
「え、えっと、それはいくらなんでも度が過ぎるというか……」
「ふふ、やっぱりね。エミちゃんはどんなときも真由ちゃんの味方だものね、僕のことより真由ちゃんのほうが心配に決まっているよ」
「べ、別にそんな意味では……」
「いいよエミちゃん、無理しなくって。僕はもう覚悟できているし」
「山原さん、そんなの山原さんらしくないですよ。褒められるような考え方じゃないと思います。いつもの明るい山原さんはどうしたんですか?」
「ううん、もともと僕はこんなやつさ。それに比べてエミちゃんはすごいよね。これからもみんなを褒めてあげればいいと思うよ。それって僕には出来ないことだから」
「……ですけど、私、こんな状況で一体誰を褒めたらいいんでしょう? だって、みんな殺伐とした雰囲気で……。とてもそんな気持ちにはなれません」
「そうなの? それは残念だなぁ……」
「残念?」
「うん。だってさ、エミちゃんみたいに僕を褒めてくれた人なんて今までいなかったよ。だからね、僕にとって君は特別だったんだ。人を素直に褒められる人って、すごいと思うよ。周りから全然褒められずに育ってきたスパルタ世代の僕らにとって、それは想像も出来ない」
「そう……でしょうか?」
「そうだよ。だからエミちゃんは、今まで通りにみんなを褒め続けるだけで十分いいんだと思うよ。たとえそれが嘘でも、優しい嘘は力になる励ましだから。ただね、エミちゃんの見る世界に僕がいないことだけが残念なんだ。……きっと僕だけは、もう二度と誰にも褒められやしないのだろうね」
「え?」
寂しそうにつぶやいた山原はエミを残して立ち去った。
とぼとぼと歩いていた山原は宗谷に声をかけられた。
「あ、山原じゃないか。お前どうしたんだよ、こんなところで?」
「宗谷か、それにみんなも……」
様子がおかしな山原を見てリオが心配する。
「あんまり元気ないみたいだけど、大丈夫?」
「あはは、やっぱりそう見える? はは、よかった。僕を心配してくれるんだ」
「当たり前だろ? 何を言い出すんだよ、山原」
「だってみんな最近ずっと不安な顔をしてさ、僕のことなんか意識の外側に追いやっていたじゃないか」
「不安だったのは間違いないけどさ、別にお前を意識の外に追いやったわけじゃ……」
「ううん、ずっと僕のことを無視してきた宗谷には言われたくない。そもそもさ、みんなはもっと僕のことを頼ってくれていいんだよ。リーダーや綺羅富士君ばかりじゃなくて、僕のことを信頼してくれたっていいんじゃないの?」
「お前のことは信頼しているけどさ……」
「だったら……宗谷。ねえ、僕じゃ駄目なの?」
「え? あっ、おい……」
「ねえ、どうして駄目なのさ? そんなに頼りない? そんなにおかしい?」
「いや、おかしくはないって」
「ねえ、僕の声は誰にも届かないの? 誰も理解してくれないの?」
「落ち着けって、山原!」
「なんで、何でだよ! どうしてだよ!」
「……や、山原?」
「もういい! だったらさ、もういいんだ!」
立ち去る山原。
「ねえ、宗谷。山原は大丈夫なの?」
「大丈夫……じゃあ、ないのかもしれないけど……」
友達として、どう対応すればいいのかわからなくなる宗谷であった。




