29 ここは学校ですよ?(2)
それから数週間後、三年教室。
背もたれに体重を預けたリオがくたびれた様子で溜息を吐き出す。
「わかっていたことだけど、もう無理よ……」
「そんなことないよ、リオちゃん!」
「だけどこんな生活、もう続けられないわよ。山原だって本当はそう思ってるんじゃないの?」
「思ってないよ、大丈夫だよ! みんなで協力すれば、きっと!」
「協力したからって、よくなる? だって、これからますます厳しくなっていくのよ? 食事だって一日一食しかまともに食べられていないのに、どうするのよ?」
見かねた宗谷が声をかける。
「こんな状況だ。誰だって不安に思うのが当然で、悲観するのも無理はないけどさ、後ろ向きなことは言うなよ」
疲れ切っているのかリオが細めた目を宗谷に向ける。
「じゃあ何? 黙っていろとでも言うの? それで事態は好転するの?」
「しないかもしれないけど、だからってネガティブなことばかり言っていても不安を煽るだけだろ? 心を強く持とうぜ」
そばで話を聞いていた真由が恐る恐る、けれど彼女なりに精一杯の声を出す。
「だ、だけど、宗谷君。私も不安だよ。これから本当にどうなるの? 今より厳しくなって、みんな大丈夫かな? 生活は、続けられる?」
「そうですね。真由が言う通り、不安なのは確かです。電気もガスもついに止まってしまいましたし、もし水道まで水が出なくなってしまったら……」
「それでも何とかするしかないぜ。正直に言うとオレはもう空腹で仕方がないんだが、無理をすれば我慢できないわけじゃない。耐えることだけなら、オレみたいなクズにでもできる」
自嘲して笑う朽木にリオがあきれる。
「そりゃ頑張れば我慢くらいできるわよ。我慢するだけならね。でも、いつまでも耐えているわけにはいかないでしょ? 人間には限界ってものがあるのよ」
「それはまあ、そうだが……」
何も言えなくなった宗谷。
静かになった教室で、ぼそっと吐き出された真由の言葉が響く。
「……ね、ねえ、外に逃げ出せないかな?」
「なわわっ! だ、駄目だよ、真由ちゃん! 僕たち、フェンスの外に出たら殺されちゃうかもしれないんだよ?」
思い直すように説得する山原。
けれどリオは本気では彼女の考えを否定できない。
「だけど、このままいたっていずれ……」
「大丈夫だ。死にはしない」
これにエミが反応する。
「朽木さんはさすがのポジティブさだとは思いますが、でも、このまま生活していたって私たちには未来もありませんよね?」
「そうね。だから、たとえば、外部にいる誰かにかくまってもらうとか……」
リオが提案してみれば、それは希望に過ぎないと宗谷が否定する。
「誰かって誰だよ? それができなくて、三年前に俺たちはみんなこの学校に集まったんだろ。もし助けてくれる人がいたとして、その人まで巻き込むつもりかよ?」
「それは……」
何も言い返せずに黙り込むリオ。
話を聞いていたのか、少し離れたところから主任が口を挟む。
「……まったく。お前らさっきからうるさいぞ。ここで何を言い争おうが、もうなるようにしかならないというのに」
「お前は学年主任のくせに考えなさ過ぎるんだよ! もっと熱くなれよ!」
怒ったような朽木の言葉に対して三年の学年主任、末広はふるふると首を横に振った。
「残念だが、俺はもう主任をクビになった。運営委員会からもおさらばだよ。今はもう、ただの一生徒に過ぎない」
「なんだって?」
「だから俺は四月の初めに言ったんだ。ほどほどに生きていられれば十分、目標なんか立てたって仕方がないって。こうなっちまったら、もう適当に生き流されるしかないだろ」
「生き流されるってなんだよ!」
思わず宗谷が声を荒げた瞬間、今まで黙っていた長瀬が口を開く。
「なあ、君たち、いい加減ちょっとは静かにしてくれないか? 無駄なカロリーの消費はよくないよ」
「無駄って……」
宗谷は唖然として、学年主任を解任された末広があきらめたようにうなずく。
「そうだよな。言い争っても腹が減るだけだ」
「ワチャセーイ、ワッツ? お前ら本気で言っているのか? 話し合うことさえ無駄だって言うのか?」
「ああ、そうだ。朽木、少なくともワタシは本気だよ。抗うんじゃなく、目の前の状況を受け入れるしかない」
「長瀬さん、でもそれは……」
何かを言おうとしたエミに長瀬は先んじて首を横に振る。
「でもどうしようもないよ。だって、もう未来は行き詰っているじゃないか」
「なわわ、それはそうなんだけど……」
再び沈黙が始まったとき、運営委員会のメンバーが教室に入ってきた。
「悪い、待たせたな」
「……会長たちか。運営会議は終わったのか?」
「ああ、宗谷。会議なら無事に終わったぞ」
そう言ったのは千藤だ。
運営委員会のメンバーでないはずの彼が一緒に来たことを朽木は不思議がる。
「あれ? 千藤も一緒にいるってことは、お前も会議に参加していたのか?」
「ああ、彼には俺が声を掛けた」
「えっと、リーダーが?」
「そうだ。どこかの誰かは完全な役立たずに成り下がったからな」
これを聞いた末広は苦笑する。
「はは、なんとでも言ってください。俺はもうほどほどに生きると決めてるんです。役職から外されてありがたいくらいですよ」
「まあまあ、言い争いになりそうなことはやめておきましょう。それより、千藤。お前も一応、全員の前で挨拶しておけ」
「だな」
御手洗に促されて教壇に立つ千藤。制服の襟元を正して話を始める。
「このたびの緊急事態に際し、その対策委員長になった千藤だ。よろしく」
「対策委員長?」
「肩書は何でもいいんだが、実質的にはリーダーの補助さ。具体的に何をやるかというと、これは簡単だ。基本的には馬鹿どもの取り締まりだな」
「盗みや暴力、サボりや反抗的な生徒を取り締まらせる。生徒会長の俺だけでは手が回らないからな」
「こんな苦境にこそ必要な仕事だ。そして千藤には、その資質がある」
「と、いうことらしい」
リーダーからの評価をありがたく受け取って、千藤が話を続ける。
「最終的には一番の問題児である綺羅富士を何とかせねばならんのだが、まあ、あいつも寮の部屋に引きこもって黙っているなら問題ない。一部の反抗的な生徒が綺羅富士を新たなリーダーに立てようとしているが、明確な動きを見せれば俺がつぶす」
「つぶすって、本気か?」
物騒な言葉を耳にして、正気を疑っている宗谷にリーダーが答える。
「秩序を乱すものは悪だ。ここのリーダーとして、治安を守るためにそれを見逃すわけにはいかない」
「確かにそうかもしれないが。でもそれって根本的な解決には……」
「朽木、まずは話を聞いてくれ。リーダー、続きをどうぞ」
「……ああ。お前らには今までどおりの授業と、それ以外の課外もこなしてもらう。この状況で、子供みたいに遊んでいられるわけがないことは理解できるよな?」
「……とはいえ、さすがに力仕事は考えていない。食事もろくなものを取れていないんだ。体力的に大変だろう。……ここまでで何か意見はあるか?」
「意見はないけど……」
御手洗の問いかけに、生徒を代表して山原が答えた。
ひとまず問題がなさそうだと判断して、千藤が再び話を始める。
「ならよかった。まずはこのまま、ここで一仕事させてもらうぜ。お前らの役割分担だ。知ってのとおり、リーダーは俺たちの代表であり、そして俺が対策委員長だ。それから御手洗は生徒会長だが、他の生徒にも、それぞれ新しく役職を担当してもらう。いいな?」
それを聞いた末広が頬杖をつきながら発言する。
「だったら、まずは新しい三年の学年主任を決めないのか?」
「安心しろ。それなら俺が兼任している」
「そいつはありがたい。お前なら喜んでやってくれそうだ」
「まさに今、喜んでいるように見えるならそうだろうさ」
そう言って、顔を主任から正面へと向け直す千藤。
「ではそれぞれの仕事だが、今朝の運営会議で、勝手ながら俺たちの手で決めさせてもらった。質問は許すが反論は認めない。責任感を持たせるためにも全員に役職を与えるが、とりあえずは便宜上のものだ。今後は状況を見て変更もありえることを覚えていてくれ」
そして千藤はリオを指さす。
「まずはリオ、お前は食堂管理だ」
「私が?」
「料理もできない男子に食堂を任せられないからな。それから宗谷、お前はパトロールだ。小うるさいお前なら誰にでも注意できるだろ」
「ひどい言い草だな」
「しかし、宗谷、妥協はするな。夜間はより必要な任務だ。特に電気が通じなくなった現状、夜の暗闇にまぎれて女子寮に忍び込む馬鹿が出ないとは限らん。その逆もな。大変だろうから見回りの職務はお前だけでなく俺と御手洗も状況に応じて協力するさ」
「俺は信頼されているって思っていいのか?」
「思いたければ勝手に思え。少なくとも信頼していないやつに任せはしない大切な職務だがな。それから元主任の末広、お前は授業の担当だ。全員が平日の日課をきちんとやっているかどうか、お前が責任を持て」
「面倒だから反対はしないが、そもそも俺がやらなかったらどうする?」
「それ相応の罰を受けさせるさ。そして朽木だが、お前に与える仕事は何がいいかと最後まで迷ったが、最終的には風紀委員に決定だ。宗谷が警備員だとするなら、お前は生徒たちの生活態度を改めさせろ。俺たち運営委員会に対して反抗的な生徒には、お前みたいに少しすれている人間が当たるべきだろう」
「オレか……まあ、別にいいけどな。オレが人として軸がずれているって言いたいのか?」
「言わんでもわかるだろ。そして山原。お前は物資の管理だ。できるか?」
「や、やってみる」
「よし。真由、お前は保健と衛生管理だ。健康だけでなく、掃除や洗濯も徹底させろ」
「う、うん」
「そして長瀬。お前は女子をまとめろ。女子寮の責任者だ。さすがに俺たちが干渉するわけにはいかない場所だからな」
「ああ、ワタシは構わないよ」
「あと、軟禁中の佐波とその妹は新しい罰として農作業に従事してもらう。リーダーは最後まで渋っていたが、この状況で人材を余らせているわけにはいかん。なかなかうまくいかなかった畑をどうにか使い物にしてもらわねばならんしな」
「そうか、佐波たちが……」
「ま、完全に許されたわけではないから監視はさせてもらうがな。で、次は――」
と、次々と役割を与えていく千藤。
「……と、こんなものか。じゃあ俺からは以上だ」
「ふむ、問題はなさそうだな。では俺は戻らせてもらうが、お前らはしっかり勉学に励めよ」
千藤の仕事ぶりを見届けたリーダーは教室を出ていく。
それと前後して御手洗が教壇に立つ。
「よし、とりあえず今日は俺が教師役をやってやろう。ほら、授業を始めるぞ」
「あ、ああ……」
そしてこの日も授業が始まるのだった。




