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祝福の賛歌 10

 シリルは、聖神官達が頭を抱える元となった紙に視線を向けた。

 第五聖神官が書き加えた文字を見て、はっと気が付いた。


「……もしかしてこれは、神代文字がいくつか重なっているんですか?」

「……はい。その文字が示すのは、一つの名ではないのです。ですが、そのすべての名は、お一方の事を示します。その文字は、人には発音できず、口に出すことも出来ません。我々はその名が示す存在を、『畏怖』もしくは『大公』と呼びます」


 頭を抱え、机に突っ伏したまま、第五聖神官はシリルに説明した。

 絵のように見えたのは、文字をいくつも同じ場所に重ねて書き記した文字であるからで、そのうち一つでも書き出してみれば、意味を成す文字になる。

 このように名を記す存在には、この大公だけではなく、他にもいくつか例があるのだという。


「妖精の女王ルシスなども、同じような表記になりますし、精霊王達もみな、この形式で名を記します。神に近しいほど、その名の重なりは増え、末神であれば名は最低でも六は重ねることになります。ファーライズは現在九の名が重ねられていることは確認されていますが、未だに重なっている文字のうちいくつかは判読されていません。……そして大公は、七の名が重なっています。そこに私が書き出したのは、人の手によって判読された、それぞれの名です」


 複雑な模様のように見えたそれが、いくつもの名が重なって出来たものだとは、到底信じられなかった。


「……末神で六、なのに、その方は七、ですか?」

「ええ。大公は、とても特殊な存在です。シリルさんは、魔力の誓約を行う際、あちらの階級のことは学ばれたと思います」

「……はい。魔王を頂点として、その側近から階級が存在する。私はそのうちの、五階級の方としました」

「大公は、その魔を作った存在です」

「……はい?」

「古の時、原始の人を作り出した神は、その人々が争う姿を見て非常に嘆き悲しんだ。その激しい感情によって産まれたのが、大公を初めとした原始の魔の存在です。彼らは神を嘆かせる元となった、人の悪感情を食い尽くしたと言われています」

「感情を……?」

「けれど、悪感情を食いつくし、穏やかになったはずの人々は、その後どんな進化も成長もしなくなった。人は、すべて欠けることなく存在して、初めて人たりえるのだと気付いた神は、ご自身から生まれた感情の欠片である原始の魔が住まう世界を作り上げ、人々の心の内にそこに繋がる環を作った。魔が食い尽くし、消えていた感情を、それによって人に戻したのです。そして、そこに住まうことになった四柱は、喰った人の感情を使い、己の眷属を作りだし、互いに争うようになった。人の世界で争いが絶えずどこかで起こるように、魔の世界でも争乱が起き、最終的に現在、その時の四柱のうち、三柱は消滅。そして残っているのが、大公です」

「……神話の時代から生き残っている、という事ですか?」

「はい」


 頭を抱えたまま、第五聖神官は頷いた。


「……大公は、元は神から別たれた存在です。そして、比較的人に寛容です。しかし、己の力を使わせるとなれば別でしょう。もともと、魔力の環は、人に優位になるように組まれています。あちらから影響を及ぼすためには、あちらからもたらされる畏れに魔術師が屈し、魔力の環を制御できなくする必要があります。その用心のために、その魔術師の余力以上の魔とは、普通契約しません。しかし、大公ほどの力なら、逆にあちらから、魔力の環に影響を与えることは簡単なはずです」


 それを聞いた瞬間、シリルと師匠は、あきらかに動揺を見せた。


「大公の力が表に出れば、普通の魔術師では押さえることなどできませんし、我々ファーライズの聖神官がどんなに封印したところで、神の力には敵いません。……どうして大公ですか。せめてまだ魔王なら、月がどうにか出来たのに」


 深々と二人の聖神官がため息を吐いた。


 ジゼルとしては、魔王なら、という言葉にも驚いたが、そもそも神のような存在が、魔と呼ばれていることの方にもっと驚いた。


「……その大公という方は、神様なのですか?」


 ジゼルの疑問に、第三聖神官はようやく顔を上げた。

 その表情は、どんよりと曇り、その苦悩で目は虚ろだった。


「我々の定義では、神はまず、信徒を定めるとされています。その意味では、大公は神ではありませんし、魔の側に属しています。しいて言うならば、魔にとっては創造主で、神と言える存在かもしれません。」

「……銀の髪というのは、魔の方々はわざと渡しているのですよね。その方は、それをどうしてシリル様に贈らなかったんでしょう?」


 ジゼルのその疑問に、そのメモを凝視していた四人と一羽は、はてと首を傾げた。


「汚れた銀を贈るのは、汚れの証ですから……。ある意味、大公の使う力は神のものと同一と言われていますし、そのせいではないですか?」

「でも、魔法は普通に編めるんですけど……」

「あいにく、神の力とどちらも両方持っている方は存在したことがありませんのでわかりませんね」

「今、シリルさんからは、魔力しか感じません……ね」


 全員が首を傾げて唸る中、第三聖神官は、仕方ないとばかりに肩をすくめた。


「しばらく、シリルさんには私が付きます。五位。今回の帰還、私はこちらに残っていることと、事の詳細を月に伝えてください。これは、さすがに私達ではこれ以上どうしようもない。私がこちらにいれば、いざとなればもう一度神を下ろせる。しばらくは、神のお力に縋るしかありません。神降ろしも、同じ地域で連続して行うのはまずいですが、大公の力を放置する方がもっとまずい。下手をしたら、その力を求めて、この地に魔が召喚されるし、この国の礎である結界に影響を与えても困ります」


 第三聖神官はそう告げると、改めてシリルの髪に目を向けた。


「……神は、戯れにここまで人の世を騒がせることはないのです……が?」


 ぴくりと、第三聖神官の眉が跳ね上がる。同時に、第五聖神官も、びくりと体を竦ませた。

 知らない間に、一つ、四隅に飛ばしていた光珠が、シリルの傍にふわりと舞い降りてきていた。


「え、あ……」


 シリルが、不思議そうに首を傾げ、それを再び飛ばそうと指を伸ばした時、それは起こった。

 光の珠は、指が触れた瞬間弾け、細く伸び、その場に光る輪を作り出していた。


「あ、なに……!」


 シリルの様子から、それがシリルが行っていないことは一目瞭然だった。

 ジゼルは少なくとも、シリルは、視線だけで魔法を使ったのを見たことがない。

 指先の動き、もしくは足捌きなど、体のどこか一部分はその魔法のために常に動かしていた。

 光珠を出す時ですら、指を動かしていたのである。

 そのシリルの様子に、聖神官達の動きは素早かった。

 それぞれ、錫杖と杖を持ち、とっさにシリルに向かって身構えていた。


「シリルさん、それを止めてください!」

「無理、です、これ……術じゃありません」


 その光珠が作り出した輪が、まるで楽しそうに踊っているかのようにくるくると回転し、そして静止した。


 次の瞬間だった。


 ――どこからともなく、その場に狼らしき遠吠えが響き渡った。


「え? 狼?」


 思わず視線を廻らせたジゼルの目の前で、次の瞬間、その光の輪は一段と輝きを増し、そして、そこから、輪にも負けないほど光り輝く何かが飛び出してきた。

 

 聖神官二人がそちらにそれぞれ杖を向け、警戒を露わにする。


 光がおさまった時、机の上にいたのは、人の世にあらざる一匹の狼だった。


「狼……ですか?」


 ジゼルは、唖然としたまま、聖神官に尋ねた。

 その狼は、まるでその一本一本を細工師が作ったような、繊細な金の被毛に覆われていた。

 そして、なによりジゼルを驚かせたのは、その大きさと姿だった。

 大きさは、普通の成犬と変わらない。だが、その狼は、あきらかに子供だったのだ。

 まだ、随所に幼さが見える、丸みを帯びた姿。つぶらな金の瞳は、自分に向けられた人々の視線を不思議そうにきょとんと見つめかえしている。

 犬や狼は、足の太い子供は、将来大きな体になると言われている。

 それから考えるに、この子狼は、あきらかにこれまで見たことがないほど大きく育ちそうなふわふわした大きな足をしていた。


「……狼、だね」


 シリルも、唖然としながら頷いた。


「……これは金狼。大公の騎士です」

「……赤ちゃん狼に見えるのですが、騎士なのですか?」

「赤ん坊でも、立派に騎士ですよ」


 第三聖神官の大きなため息と共に呟くように告げられたその言葉に、机の上の金狼は、うれしそうに胸を張って「キャン!」と鳴いて答えた。


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