祝福の賛歌 9
砦に帰り、まっすぐ会議室に向かうと、シリルは突然魔法を紡いだ。
会議室の中に、いくつもの明かりの玉が浮かび、窓がないためにいつも薄暗いその場所に、真昼のような明るさがもたらされた。
この会議室がここまで明るいのを見たのも初めてだが、それよりも驚いたのは、シリルがそれを、ジゼルのすぐ傍で行ったことだった。
「……シリル様。私がいても、大丈夫でしたか?」
「明かりなら大丈夫……ではあるんだけど、もしかしたら他の魔法でも大丈夫かもしれない」
何かに困惑したように、シリルは己の指先をじっと見つめた。
「魔力の糸が、ジゼルの傍でも、揺れないんだ」
「……え?」
「この魔力で紡いだ糸は、ジゼルの傍でも、逃げない。ジゼルに影響する魔法についてはわからないけれど、少なくとも、紡ぐのには影響がない……。いったい、どうして」
「それをこれから、調べるんですよ」
肩をすくめた第三聖神官が、会議室に足を踏み入れる。
会議室の中は、ジゼル達が出かけた後に砦の兵士達が手を入れたらしく、きちんと元の通り、椅子と机が並べられていた。
祠の前に料理を並べるためにここから持ち出した机も多数あったが、今この場にいる五人が座るのには十分だった。
がたがたと一つの机に椅子を集めると、聖神官達と宰相は、二人に座るように促す。 二人が並んでいた椅子に座った後、すぐさま宰相は、自分の息子の背後に回り込むと、頭を凝視した。
一本一本、丁寧に確認するように、頭髪の根元を確認した宰相は、愕然とした様子で首を振った。
「……やはり、銀はない」
「おかしいですね……魔との契約で、銀が現われなかった事はありません。やはり、契約主について、調べる必要がありますね」
ジゼルは、第三聖神官と宰相の会話を聞きながら、自分の前髪を一房摘んでいた。
「……銀は、魔除けではないのですか?」
ジゼルの疑問に、全員がジゼルの髪に視線を向けた。
「あなたの髪と、契約で現われる銀は、少し違うんです」
第五聖神官は、ジゼルの疑問に、丁寧に答えてくれた。
「魔術師に現われるのは、他の色が混ざった銀なのですよ。銀というのは、純粋なものであれば魔除けになりますが、その色は汚されやすいものでもある。魔除けとして存在する銀細工も、磨かなければあっという間に曇り、その効果が失せてしまうのですよ。魔は、汚れた者の証として、魔術師に混ざり物の銀を贈ると言われています」
「汚れ……?」
「人の身でありながら、魔と通じた者の証。ゆえに、人に在らざる色を、わざわざ魔は贈るのです。その銀は魔術でも染め粉でも、隠せないんですよ」
「染め粉でも、染まらないのですか? でも、あれは髪の外側に色をつけるんですよね?」
「ええ。どんなに染めようと、銀が隠せないのです。どうしても、どんな色にしても、銀だけは外に見えてしまうんだそうです。つまり、今、銀が見えないシリルさんは、その色をお持ちではないことになります。染め粉があるなら、なおさらよくわかるはずですが」
そう言われて、ジゼルは、改めて自分の髪を見た。
「あいにく、今は染め粉がありません。……でも、そうですね。私の髪は、染めれば普通に、その色に染められますね」
かつて、一度だけ、ジゼルは髪を染めたことがある。
小遣いをこつこつ貯めて、行商人から一回分の染め粉を買ったのだ。
オデットのような、濃い茶色に変わった髪を見て、ジゼルはとても言い表せないような、複雑な感情を覚えたのだ。
オデットの髪は、ふわりとしていて柔らかそうなのに、染めた自分の髪は、とても重苦しい物だった。
これで、目立つことはないと、ほっとした気持ちは確かにあった。だがそれ以上に、罪悪感ともの哀しい気持ちになり、翌日には根元に銀が戻ったことで、すぐに落としてしまったのだ。
二人の会話を聞いていたシリルが、なにやら呪文を紡ぐ。ふわりと風が髪を舞い上げ、その次の瞬間、シリルの亜麻色の髪が、根元から黒く染まっていった。
すべてが黒に染まったシリルの髪を、宰相はもう一度確認し、やはり首を振る。
「……やはり、契約主ですかね」
「それしかないですね。シリルさん、魔力の環に書かれている契約主の名前を、紙に書いてもらえませんか」
「かまいませんが……この文字、私にも読めないんです。むしろ、見たことがない。もしかしたら、きちんと書き取れていないかもしれませんが、かまいませんか」
「もちろんです」
力強く頷いた聖神官は、懐から筒状のものを出し、その中から紙を一枚抜き取ると、シリルの前に差し出した。
それは先程、儀式の後に、その証として署名した誓約文書と同じ紙だった。
そんな物を使わせるわけにはと、ジゼルは慌てて会議室に備えられていた議事録を記入するための紙を取りだし、差し出した。
それからジゼルは、頭の花冠とベールを外すと、お茶を入れるためにその場を後にした。
ジゼルの足元には、リスが尻尾をぴんと立てたまま、いつものようについてきていた。
まるで鼻歌でも歌うように、リスは楽しそうに小さく鳴きながら、ジゼルの足元にまとわりついていた。
ジゼルはそれを、微笑ましく見つめながら、足早に廊下を進む。
「ジゼル」
そんなジゼルに、外からブレーズがちょいちょいと手招きしていた。
「どうかしたの?」
「あいつ、髪、どうしたの?」
あの目立つ白銀は、あってもなくても、すぐさまわかる。
見張り台の上にいたはずのブレーズも、やはりそれを見ていたらしい。何事があったのか、わざわざ聞くために降りてきたらしい。
「……今のところ、神様が祝福してくださったという事以外、わからないの」
「祝福で色が変わるのか?」
「それもわからない。だから今、会議室で、魔法のことに詳しい人達が相談しているの」
「そうか。だからおやっさん達はあっちにいるままなのか」
「……やっぱりわかる?」
「おやっさん、魔法からっきしだしな。どうせ、こっちにいても役にたたないから、宴会に残るって言ったんだろ?」
肩をすくめたブレーズに、ジゼルは思わず吹き出した。
ブレーズは、間違いなくあの父の一番弟子である。父の考えも行動も、お見通しらしい。
「同じようなことを言ってたわ。オデットは、私達がいなくなってもわからないくらい盛り上げてくれるって」
「ああ、それも言いそうだなぁ。っておい、酒は飲んでないだろうな」
突然慌てはじめたブレーズに、ジゼルはくすくすと笑う。
「あの子ももう成人したもの。お酒を飲んでも問題ないでしょう?」
「いや、なんていうか、ほら、あの」
「オデットは、飲むと踊りたがるものね。あれは母さんの血なんでしょうね」
陽気な旅芸人の血は、間違いなく普段真面目なオデットにも入っている。恥ずかしがってめったに見せてくれないその踊りは、酒を飲んで本人の箍が外れると現われる。
昨年、成人したばかりのオデットが、祝い酒を飲んで判明した酒癖は、成人したばかりの少女にしては、少々艶やかすぎるものだった。
おろおろとしたブレーズなど、めったに見られるものではないが、事がオデットのことになると、案外簡単に見られるのだ。
ジゼルは改めてブレーズに向き直ると、静かに頭を下げた。
「いままで、お世話になりました。……オデットのこと、よろしくお願いします」
「……え」
「私は、向こうに行けば、なかなかこちらには帰ってこられない。母さんが赤ちゃんを産む時も、オデットやソフィが結婚する時にも、帰ってこられるかわからない。だから、こちらにいる間に、せめてブレーズさんには言っておきたかったの。……オデットは、寂しがりだから、傍にいてあげてね?」
「……知ってたのか」
「父さんは知らない。でも他の家族はみんな知ってるわ。私はね、オデットに直接打ち明けられたの」
「直接……?」
「父さんの中で、私の結婚相手として一番有力だったのは、ブレーズさんだったから」
それを聞いたブレーズは、一瞬虚を突かれたような表情をして、そして困惑したように目を逸らした。
「私は、誰でもいいと思ってたから。オデットから、ブレーズさんのことを打ち明けられて、もし父さんからブレーズさんとの話がでたら、断るつもりだったの。誰でもいいなら、オデットにとって大切な人を取り上げる事はないでしょう?」
そしてジゼルには、シリルが現われた。生涯一緒に過ごしたいと思う、大切な人ができた。
だからジゼルは今、ブレーズににっこり微笑み、オデットを託す。
ブレーズだからこそ、ジゼルは安心して、それを告げられたのだ。
「早く、みんなを安心させてね。父さんにとっては、ブレーズさんも大切なの。お酒を飲んだ時、いつも、早く嫁をもらえって言われてるでしょ」
「……おやっさんの槌を避けられるかねえ」
「さすがに、ブレーズさん相手に、あれは出てこないんじゃないかしら」
多少訓練の時に大変かもしれないけど、という言葉は、さすがに飲み込んだ。
ジゼルが言わずとも、誰より父の事を理解しているブレーズに、わからないはずはないからだ。
ブレーズは、ジゼルの言葉に苦笑しながらも、しっかりと頷いたのだった。
少し時間をかけながら、お茶の仕度を調えたジゼルが会議室に戻った時、中にいた人々は、シリルが書き出したらしい文字に、額を付き合わせるようにして見入っていた。
「……たしかに、見たことがない。普通の、現在使われている文字ではないな」
「それだと、魔力の環には効力がないと思います」
「神代文字……しかも、旧字でしょうか。それが一番近いように思いますが」
「神代文字だとしても、魔力の環を途切れさせずに使えるのか?」
「くるるぅ」
どうやら、人の頭に隠れた場所に、師匠もいたらしい。
『神代文字だというなら、魔の扉には封になりこそすれ、力を取り出すには至らないと思うが』
「くるるるるくぁー。くるるぅ」
頭の中に響く声と、鳴き声の長さが一致しない。
あの鳴き声の中には、いろんな意味が込められているのだと、改めて知らされた。
それぞれに、一端休憩を持ちかけ、目の前にお茶を出す。
そのお茶を飲みながら、全員がやはり紙をじっと見つめていた。
「……あ」
とつぜん、第五聖神官は、何かを思いついたように紙を引き寄せ、シリルが書いた文字のすぐ下に、何かを書き始めた。
まるで絵のような、不思議な文字を書き連ね、それとシリルの書いていた文字を見比べる。
――その瞬間、その表情は、劇的なまでに変化した。
人の顔は、瞬間でここまで色を変化させるのだということを、ジゼルはまざまざと見せつけられた。
蒼白になったその顔に、大量の冷や汗まで浮かび、今までどちらかというと穏やかなままだったその表情も、驚愕で硬直していた。
「……三位、どうぞ……」
震えながら、その紙をそっと第三聖神官の前に滑らせた第五聖神官は、そのまま頭を抱えて突っ伏した。
「どうした」
その紙を受け取り、第三聖神官もじっとそれを見つめた。
そして、しばらく見つめた後、やはりこちらも劇的に表情を変化させ、頭を抱えて突っ伏した。
「『畏怖』か。よりにもよって、大公なのか……」
「大公の扉を、人に付けたんですか、神は。どうするんですかこれ……」
どうやら事情は判明したらしい。
しかしそれが、ファーライズの聖神官達にとってはとんでもない事実だったらしいことが、その姿からにじみ出ている。
それは、その他の面々に、一抹の不安を与えたのだった。




