祝福の賛歌 8
その場の空気を変えたのは、やはり母のひと言だった。
いついかなる場合も変わることのないその態度は、あきらかに緊急事態と言える今ですら、変わることはなかった。
「儀式は終わったのなら、いつまでもここで額を付き合わせていても仕方ありませんから、場所を変えてはいかがです?」
「は? ……しかし」
「もう一度神様をお迎えしなければいけないのでしたら、ここでやる意味もあると思うのですけど、そのようなご予定はあります?」
まるで、近所の子供を呼び出すような気軽さで、母は聖神官に尋ね、第五聖神官は、慌てたように首を振った。
「いえ。神は、写し身でご降臨された後は、数日、眠りにつきます。今はもうお休みになっておられるはずです」
「それでは、ひとまず聖神官様お二人もそろって、砦に場所を移されてはいかがかしら。今は、新婚の夫婦を待ちわびて、扉の外が、少々賑やかすぎますもの。私達が外に出なければ、それだけ外の方々も不思議に思います。一度顔を出しさえすれば、結婚したばかりの二人が砦に帰ったとしても、いくらでも誤魔化しようがありますから」
母の申し入れに、二人の聖神官は困惑したように視線を交わし、そして仕方ないとばかりに頷いた。
「確かに、いつまでも儀式の成立を告げなければ、何かがあったと宣伝しているようなものですね」
第三聖神官が苦笑してそう告げ、立ち上がる。
「――この誓約の成立を、主神ファーライズの御前にて宣言する」
厳かな声で儀式を締めくくった第三聖神官は、肩をすくめていた。
「今更ですけど、一応これを言うまでが儀式ですからね。ご婚姻の成立、おめでとうございます」
第三聖神官の言葉に、ジゼルとシリルは慌てて立ち上がり、揃って聖神官に礼をした。
そして、ようやく儀式は終わりを告げたのだった。
扉の外では、今日の儀式の話を聞きつけ、街の人々が詰めかけていた。
つい先日、やはり儀式で詰めかけたばかりだったが、今度も同じ一家がやはり儀式を行うとあって、好奇心からかやはり前回と変わらないほどの人々が集まっていた。
子供達は、祠にある頑丈そうな扉が開く時を今か今かと待ちわび、今にも机にかじりつきそうなほど身を乗り出している。婚姻が成立しないと、料理も酒も菓子も配られることはないため、それもまた致し方ないことだが、料理の前でそれを配るために待ち構えている非番の兵士達にしても、やけに時間がかかっている儀式に、気が気ではなかった。
途中、中から異様な気配を感じたのもその不安に拍車をかけたのだが、幸いなことにその不安はそれからすぐに解消された。
ようやく開かれた祠の扉から、花婿に手をひかれ、花嫁が姿を現すと、周囲にわっと歓声が上がる。
だが、次の瞬間、その場にいた人々は、揃ってあれ、と首を傾げることになった。
入る前と後で、花婿の髪の色が変わっていたのである。
先の色合いが、人に在らざる白銀であったために、なおさらのことそれは人々の記憶に残っていた。それが今は、王都の近隣でよくある亜麻色の髪に変化していた。
確かに、染めるのは可能だが、儀式としては時間がかかっていても、人の髪を染めるには時間は短かすぎた。
その場に詰めかけていた全員が、その謎に困惑していた。
それを感じたのか、花婿は苦笑し、花嫁を引き寄せると、そのまま耳元に口付け、何事かを囁くと、その場で口付けを交わした。
普通の婚姻の儀式でも、初めにお披露目された時には、そうやって口付けるものだ。貴族の婚姻では行われないその約束を、シリルはソフィーに聞いて、今実行したのである。
二人の背後で、一瞬物騒な気配が漂ったのだが、それよりも先に、花嫁の母が二人の前に身を進め、どこまでも響き渡るその声で、二人の結婚が成立したことを、この場の人々に報告したのである。
「どうか皆様、二人のこれからに祝福を。料理もお酒も、わたくし達からの心づくしです。どうぞお楽しみいただき、笑顔で二人を祝福してください」
その瞬間、花婿の多少の違和感は、その場の人々の目には入らなくなった。
母の宣言で祝宴は開始され、それぞれの料理の卓には、人々が殺到したのである。
それぞれの手に、料理や酒が行き渡り、その場で宴会が開始される中、そっと離れる集団に向かって、花嫁の一家は小さく手を振ったのであった。
宴会場となった祠の前からそっと離れ、シリルは改めて、そちらに顔を向けた。
こちらに移動しているのは、聖神官二人と、シリルとジゼル。そして宰相と、猫二匹と梟一羽。
ジゼルの一家は、それぞれなんの躊躇いもなく、自分達は祠に残ると宣言した。
末のソフィーナまで、何も言わずにそれを受け入れていたのである。
「俺達は、魔法のことはさっぱりわからん。そっちについていったところで、助けになるとも思えんからな」
代表するように告げた父のひと言に、家族は全員頷いた。
「せいぜいこっちを盛り上げて、人が足りないことになんか気付きもしないようにしておくわ。あ、でも、勝手に王都に行っちゃうのはよしてよ?」
オデットの言葉に、シリルは苦笑して頷いた。
「ちゃんと挨拶してから帰るよ。ジゼルを連れて帰るのに、そんな不義理はしない。砦で、帰ってくるのを待ってます」
そのシリルの言葉に、オデットはぐっと親指を立て、きゅっと唇の端を上げたのである。
その様子を思い出しながら、シリルはくすくす笑いながら、ジゼルの手をきゅっと握った。
ジゼルはそんなシリルに、なにごとかと問いかけるような視線を向けた。
「一家の全員が、ずいぶん活き活きと宴会に飛び込んでいったなぁ」
「それはまあ、うちは宴会慣れしてますから。砦は男性社会ですし、宴会はちょっとしたことで行われますしね」
ジゼルの帰還もそうだが、大きな仕事の後には労をねぎらい、酒を出すのは当たり前の流れである。
父は日頃から、兵士達へ、厳しく規律について指導する。
海兵達は、日頃軍港に籠もっている鬱憤からか、街に降りてくると羽目を外すことが多いが、砦の兵達は、そんな事をしようものなら、本来敵に向かうはずの野獣の牙が自分に向かってくるために、大変大人しいのである。
そのかわりに、褒める時はめいっぱい褒め、宴会の時は惜しむことなく酒と料理を振る舞うのである。
西砦の娘達は、そんな中で育ってきたのだ。
「お酒の酌をすることはなくても、料理を運ぶのは私達の仕事でしたから。小さな頃から、宴会場に料理を運んでは、兵士達に囲まれて、自分達もごはんを食べてました」
砦にいる兵士達は、ジゼル達にとって、みな家族であり、兄弟でもあった。
しかし、ジゼルは、その沢山の家族より、たった一人に寄り添うことを今日誓ったのである。
ノルとリスが、ベールの端を見上げながらちょこちょことついてくるのを見ながら、ジゼルはなんの躊躇いも見せずに微笑んだ。
「シリル様、ありがとうございました。おかげで砦のみんなにも、この姿を見せることが出来ました」
「こちらこそ、受け入れてくれて、ありがとう。そして、ごめん。こんな賑やかな場所からだと、うちは寂しすぎるね」
シリルの住まう離れには、ジゼルの他は、母屋から通ってくる、二人の侍女だけしかいない。
乳母であり、侍女長であるマリーは、本来公爵夫人の傍に控えているべき人なので、ずっといるわけではない。
そして、公爵邸から外に出るには手続きが必要であり、気軽な外出もこれからは制限されることになる。
シリルの言いたいことを察して、ジゼルは首を振った。
「大丈夫です。これからは、リスと話が出来ますから」
ジゼルはそう言うと、足元で一緒に移動するリスに視線を向けた。リスはその視線に、「ナニ?」と不思議そうに答え、首をちょこんと傾げた。
「不思議だ。どうやってるんだろう。……私も、ジゼルとリスが会話できないか、道具を考えてたことがあるんだけど、どうしても作れなかったんだ」
「……道具、というと。リスと私が会話できるものですか」
「会話が出来る、というより、相手の話していることがわかるようになるもの。リスは元々、ジゼルの話は聞き取れるから。ただ、リス自身に言語の発音が出来るように魔法を組むと、リスの思考力は逆に落ちるんだ。体を作る魔法言語以外に、もう一つ言語を乗せないといけなくなるから、それだけ複雑になるし。ジゼル自身には、魔法が影響しにくいから、リスの側をなんとかしようと思ったんだけど、こちらに来るまでにそこまではさすがに詰め込めなかったんだ」
シリルの口調が、次第に熱を帯びてくる。
その目はあきらかに研究者のもので、好奇心が現れており、色めいたものはない。
いつもの、仕事の時のシリルの目である。
その様子に、こんな時でもやはりそちらに思考が行くシリルに、思わずジゼルはくすりと笑った。
「リスは元々、猫らしくない時もありますから、お話しなんかしてたら、すぐに猫じゃないと思われますよ。そのままで、話が出来るようになって、よかったです」
ね? とジゼルがリスに確認すると、リスはうれしそうに「ウン」と頷いた。
「ファーライズは、ジゼルの何を変えたんだろう。魔除けの感覚は、今も変わらないのに……」
首を傾げながらジゼルを見つめるシリルに、後ろに続いていた第三聖神官が苦笑した。
「ジゼルさんの場合、内面に変化をもたらすことは、髪と眼の相乗効果によって保たれている魔除けの効果もあって難しい。神の声を聞き分けるのは、魔力を読み取れなければいけませんから、魂に直接祝福を与え、そちらで魔力を読み取って、声にして頭に伝えているのでしょう」
それは、魂に刻まれているはずの魔力の環を簡単に引っ張り出せた姿を見ていたからこそ、納得できる説だった。
「以前、王宮魔術師長様にお会いした時に、私には扉がない、という説明をお聞きしたのですが、それは先程シリル様から出てきた、赤い環のことなんですか?」
「ああ、ヤン=ラムゼンなら、そう表現をしていますね。確かにそうですよ。あれは本来、魔術師以外も持っているものです。あれは精神世界と魔の世界に繋がる道でもあります。そこに、あの魔力の環と特定の魔とつなぎ合わせ、魔力を受け取り、自身の魔力とつなぎ合わせて強固にし、魔法を行使するのが魔術師です。ジゼルさんには、あの円環に相当するものは、元々ありませんし、作れません。それこそが、あなたが無二であると神がおっしゃった所以でしょうね」
ジゼルは、シリルの髪に視線を向けた。
白銀が当たり前だったそれが、今は亜麻色である。どことなく落ち着かない気分だったことが、どうやらシリルにも伝わっていたらしい。
まだ先程の状態で悩んでいたシリルは、そのジゼルの視線を受け、自身の一筋零れた前髪を指で摘んだ。
「……どうして、白銀じゃないんでしょう」
「わかりません。魔術師の契約をしたものは、みな銀が混じる色に変わるものなのに、私の目には、一本一本まで、すべて亜麻色に見えていますね」
第三聖神官は。首を傾げながら、そう告げた。
宰相は、そんな第三聖神官の言葉に頷きながら、ふと顔を上げた。
「本当にすべて、銀が入っていないかは、調べてみないとわからない。そら、ついたぞ」
会話をしている間に到着した砦では、昼に出ていったシリルの、特色のある色が変化している姿を見て、兵士達が祝いを述べることも忘れて、愕然とした表情で出迎えていたのだった。




