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祝福の賛歌 5

 海軍兵達が、全員砦の中に誘導されていく様子を見て、ジゼルは慌てたように妹たちを足止めした。


「あの、シリル様。もう外に出ても、大丈夫でしたか?」


 それを外に出てから尋ねるのも、間の抜けた話である。母などは、すでに外に出て、料理がちゃんと準備されているかを確認するために、素早く調理場に足を運んでいた。


「すみません、ちゃんと確認してから出るべきでした……」

「いや、大丈夫。もう全員拘束してあるから」


 心配そうに表情を曇らせたジゼルの傍に、シリルはふらりと歩み寄った。そして、ジゼルの顔を見て、一瞬顔をしかめる。

 そして、何を思ったか、その場で身をかがめ、ジゼルの足元にずっと寄り添ったままだったリスを持ち上げた。


「……どうかなさいましたか?」


 リスを持ち上げ、ジゼルの顔を見たまま、何かに戸惑うように手を止めたシリルの視線が、身につけている花冠に注がれている事に気が付いたジゼルは、はっとして冠をかばうように手で押さえ、一歩下がった。


「治療が必要なことはなにもありませんよ」

「でも、眼が赤い。……何か、いやなことがあった? 泣きたくなるようなこと。もしかして、結婚がいや?」


 リスを差し出しながら、不安そうに首を傾げるシリルに、ジゼルはきょとんとした表情を向けた。


「……違います。あの、涙は、うれしくても出るんです。だから、これは、その……さっき、ちょっと、感動して泣いてしまいまして……」


 慌てて涙の理由を説明しながら、ジゼルは改めて、シリルがジゼルの感情を読み辛いというその事実を突きつけられた気がしていた。


「うれしいです、シリル様。これが終われば、ずっと一緒に居られます。……家族と離れる不安はあっても、シリル様と共にいられる喜びの方が、ずっと大きいんです。だから、今日の涙は、基本すべてがうれし涙です!」


 真っ赤になりながら、びしっとそう言い切ったジゼルに、シリルは驚いたように目を見開き、そして、晴れ晴れとした笑顔を浮かべていた。

 その背後では、独身の兵士達がやさぐれながら囃し立て、さらにジゼルの顔を熱くしていたのだった。


 ――結局、ジゼルは、腕にリスを抱いていた。


 花冠は死守できたが、じゃあと言ってリスを渡され、その足をしっかりと握っておくようにと言われたのだ。

 四肢を纏めてジゼルに握られ、それでもリスはうれしそうに眼を細め、仄かに笑ったような表情で、ごろごろ喉を鳴らしていた。


「……腕で抱えていても効果があるなら、今までどうして肩に乗せてたんですかっ」


 今までの羞恥を思い出し、怒りで若干震えながらシリルに問うと、シリルはだって、と苦笑した。


「抱いてたら、両手が塞がるから。侍女の仕事も針仕事も、手が塞がっていると出来ないよ?」

「そうですけどっ……」


 リスは、喜びをその全身で示しながら、ジゼルの胸元に頭をすり寄せていた。

 時折、柔らかな肉球がきゅっとジゼルの手を握り返すように動き、その度に目元から熱がひいていく感覚がある。

 相変らず、リスは、ジゼルにとって効果抜群の治癒魔法であった。

 おまけに、その怒りも、柔らかなその体と肉球で四散する。

 なんだかがっくりと気が抜けたジゼルの背後で、勢いよく調理場の扉が開かれた。


「じゃあ、そろそろ行きましょうか」


 母が、外に向けて声をかける。

 その声に導かれるように、料理と菓子を大量にのせた馬車を先頭にして、一家と一部の兵士達は、街に向けて移動をはじめたのだった。



 花嫁の行列は、料理を乗せた馬車を先頭に、ゆっくりと街を練り歩いた。

 馬車の上には、妹二人が乗り、海から吹き上げる風に乗せるように、道に花びらを振りまいた。

 花嫁は、手に白銀の猫を抱え、行列の真ん中をゆっくりと歩く。その隣に立ち、肩に黒猫を乗せた花婿が、花嫁を気遣うように手を添えながら歩き、その後ろに、その親たちが続く。

 このガルダンでも伝統的な様式の花嫁行列は、街の人々に見守られながら粛々と進み、その後ろに行列に気付いた子供達や街の人々を引きつれ、人数を増やしながら祠にたどり着いた。

 祠には、水神の白と青の垂れ幕と、ファーライズの黒の帯が幾重にも飾られ、日頃とはあきらかに違う、華やかな装飾が施されている。

 その正面で、二人の聖神官と一人の水神の神官が、ジゼル達の一行を待ち受けていた。

 三人の先頭に立つのは、第三聖神官。

 旅装を脱ぎ、身に纏っているのは、第五聖神官よりもさらに刺繍とその色数を増した黒の神官衣。さらに神の寵愛を示す額冠を身につけている姿は、初めに見た旅人としての姿からは想像もつかないほどに神々しい。

 シリルとジゼルは、その身から猫をそれぞれ地面に降ろし、礼をした。


「お待ちしていました。では、ご家族と中へお進みください」


 その笑顔まで完璧に、第三聖神官はその手にしていた錫杖を振り、二つの家族を中に導いた。



 扉一枚隔てた場所では、兵士達が持ってきた机を並べ、料理や菓子を並べ、それを待ちわびる客達の喧騒が響いている。

 それなのに、扉を閉めただけで、その空間はすぐさま静寂に包まれた。

 季節の花と、それぞれの神を示すリボンが飾られた広間は、母の儀式を行った時の賑わいが嘘のように、ひっそりと皆を出迎えた。


「婚姻の儀式は、両家の立ち会いの元で行われます。両家立ち会いの方々のご署名をお願いします」

「全員でしょうか?」

「はい。意思ある方々は、使い魔も含めて皆様お願いいたします」


 母の質問に第五聖神官が笑顔で答え、上質な羊皮紙と、触れるのも躊躇いそうな細かい細工が施された水晶で出来たペンが差し出された。

 初めに宰相が、そして父、母とサインしていき、妹たちがそれぞれ、顔をしかめ、その緊張を隠しきれないまま、震える手でサインした。


「……よ、読めるかな……」


 震える文字に泣きそうになったソフィは、頼りなげな視線を聖神官に向けていた。


「大丈夫ですよ。ありがとうございました」


 安心させるような笑顔で第五聖神官は微笑み、それを見てソフィはほっと肩から力を抜いた。

 その誓約書に、優美な文字で梟の師匠が名を連ね、名前がつけられたばかりで定着していないリスと、まだ文字が扱えないノルは、聖神官が書いた名前の横に、ぺたんぺたんとその肉球を捺印した。


「儀式の前に、説明の時間を取ります。何か疑問がおありでしたら、どうぞお尋ねください。儀式が始まってからは、我々には疑問にお答えする余裕はございませんので、今のうちにお願いします」

「どうして今回は、見守るのが家族だけなのかしら。水神様の婚姻の儀式だと、他の方々も入るはずですけど」


 不思議そうに、母は首を傾げていた。先の儀式の時は、この場所一杯に人が入り、さらに後ろで立って見ていた人もいた。婚約が両家だけなのはわかるが、結婚までそうである必要はないと思っての質問だったが、その疑問に第三聖神官は静かに首を振っていた。


「今回の場合、少々事情がありまして。そちらの花婿が、現在すでに誓約をファーライズの様式で二つ、他の様式で一つ抱えた状態です。その調整が若干必要になるため、こちらの呪文が変更されます。その際、出来るだけ人の少ない状態である方がよいので、今回はご家族だけの立ち会いとさせていただきました」


 その答えに、母は納得したようなしてないような、微妙な表情で、シリルに視線を向けた。


「……すみません、私が魔術師なので、神には私の姿が見えにくいんですよ。それも理由だと思います」

「そうなの?」

「ええ。魔術師は、わざと神の目から姿を隠すようにして魔法を使う人達なんですよ。だから、魔術師は普段から、神の声は聞こえても、こちらの声は神には届かないので神と会話は出来ないし、その目にも止められない存在なんです。毎回、儀式のたびに、面倒な呪文が入るので、聖神官の方々にご面倒をおかけすることになるんです。今回は、その上に複数の誓約がからむので、あまり儀式の最中、他の人の目がない方がいいんですよ」

「まあ、大変なのね。聖神官様、よろしくお願いします」

「大丈夫ですよ。おまかせください」


 第三聖神官は、母の言葉を受け、微笑んで頷いた。


 細々とした決まりと、その誓約の内容を告げ、第三聖神官はその錫杖を鳴らした。


「汝、神の前にて偽りの声を発する事なかれ。心と声の相違にて、神の御心は汝を罰する。……誓約の言葉が、その時のあなたの心と反した物であれば、その罰はあなたの体に返ります。口にする言葉には、重々の注意をお願いします。誓約したくないことがあれば、口にしてはいけません。誓約を宣言している間、口に出したことは、神にすべて聞こえてしまいます。婚姻は、長い人生を共にする誓いの儀式。その長い時、誓約の内容が詳細になればなるほど、その成立は難しくなります。……言葉は単純な方が、曖昧に出来て楽ですよ」


 ぱちりと片目をつぶり、場を和ませるように第三聖神官はおどけて見せた。

 その仕草に思わず笑ったジセルは、その事で、自分が息も吐けないほどに緊張していたことに気が付いた。


 諸処の説明も終わり、家族は席に着いた。

 リスやノルは、二匹揃ってソフィの傍で丸くなっている。そのまた横で、梟の師匠が椅子の背もたれに止まり、落ち着いた。

 聖神官の前で、シリルとジゼルはまっすぐに前を向き、その瞬間を待つ。


「では、はじめます」


 第三聖神官のその言葉で、その儀式は始まったのだった。


 第三聖神官の口から、先の儀式で聞いたものとはまた違う、不思議な言葉が紡がれていた。

 歌のような韻を持ちながら、言葉としての呈を成さないその言語は、聖神官が時折振るう錫杖の音で装飾され、その場に荘厳な空間を作り出していた。

 緩やかな舞いのような動きを何度も重ねるように繰り返し、錫杖が一際強く鳴らされる。

 第五聖神官も合わせてその音に重ねるように手にした杖を振るうと、その場に突然、花の香りが満たされた。


「――神の降臨は成されり」


 第三聖神官はそう告げ、錫杖を一際大きくその場で振るい、その場にいた全員を見渡したのだった。

 


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