花開く その思い 22
「ジゼル、大きな布はあるかな」
「布、ですか?」
部屋にいた両親と宰相が外に出た後、二人きりで残されていたジゼルとシリルは、リスと師匠に囲まれた状態で、ジゼルの腕に抱かれたノルの様子を見ていた。
外から、次々に用意完了の報告が聞こえてくる中、シリルは突然、そんな事を言い出した。
「何に使うためのものですか?」
「ローブがないんだ」
その言葉に、ジゼルははっと気が付いた。
「もしかして、手元を隠すためのものですか」
「うん。まさか、こんな事になるとは思ってなかったから、何も持ってこなかったんだ。寝台のシーツとか、カーテンでも構わないから、貸してもらえないかな」
おもわず、シーツやカーテンを身に纏い、ふわふわ踊るシリルの姿を思い起こす。
そのあまりにも切ない姿に顔をひきつらせ、ジゼルは慌てて首を振った。
「さ、さすがにそれは……。ちょっと待っててください」
ノルをクッションの上にそっと横たえさせて、慌てて身を翻し、ジゼルが飛びついたのは、王都から持ち帰った、あの衣装箱だった。
会議室に籠もる際に、花嫁装束を作るならまさにこれが役に立つと、すべてそのまま持ち込んでいたのである。
隅に寄せられていた箱からジゼルが取り出したのは、ジゼルの瞳を思わせる紫の上質な薄布だった。
王都でドレスを作る際には、さらに染めを重ねたのだが、その元になった布の残りを、公爵夫人の厚意で譲られたのである。
ドレスを持ち帰るなら、共布で飾りなども作るだろうし、もし作り替えるにしても、同じ布がなければ難しくなるからと、公爵夫人がドレスに使用した残りを買い取り、渡してくれたのだ。
引っ張り出したその布は、きっちり折りたたまれていたが、ふわりと広げてみると、ちょうど人一人の身を覆うのに十分なほどの広さがあった。
「時間はあるかしら。端が解れないように、簡単に縫っておきますね」
「あー、うん、ありがとう。……でも、使っていいのかい? それ、母さんが持たせたっていう、ドレスのやつじゃないか」
「構いません。白の布は、母が花嫁衣装にしてしまいましたし、他の橙や緑は、妹たちへのお土産です。でもこれは、私の布ですから」
手早く針と糸を用意し、布の端を折ると、素早く端から縫い上げていく。
その手元を見ながら、シリルはぼそりと呟いた。
「……男が自分の瞳の色を送るのは、自分の色で包むとかだったけど、女性からだとなんだろう」
その呟きを耳にしたジゼルは、一瞬ぽかんと固まった。
止まった指先が、針を取り落としそうになりながら猛然と動き始めた時、ジゼルの顔は火を噴きそうなほど真っ赤に染まり、湯気が出そうなほど熱くなっていた。
「ち、違いますよ! 他意はないんですよ! たまたまこの色だっただけなんです!」
慌ててそう言い募りながらも、指先は猛然と縫い進めていく。その手際に関心していたシリルだったが、次の瞬間、ぴくりとジゼルの肩が動くのを見て、慌てて駆け寄った。
ジゼルは、顔を真っ赤にしたまま、指先を口にくわえ、上目遣いでシリルを睨んでいた。
「シリル様が変な事をおっしゃるから、刺しちゃったじゃないですか」
「ああ、ごめん」
シリルは、とっさにその指先に触れようとして、ピタッと手を止めた。
治癒の呪文は、ジゼルの体に触れることなく解け、空に散っていた。
癒せない傷を眉根を寄せて診ながら、シリルは慌てて近くで目を閉じていたリスを呼んだ。
――いつかのように、ごろごろと喉を鳴らすリスを肩に乗せられ、ジゼルは呆然としていた。
「……シリル様、これの意味は……」
「痛み止めと、治癒だよ。直接かけるよりはゆっくりだけど、普通の回復よりは、少し早いはずだから」
「いや、そうなのですけど……」
肩で、しっかりと踏ん張られた猫の足の感覚は、正直に言うならばとても心地よい。爪さえ当たらなければ、ほんのりと暖かく、適度な重みを感じるそれは、ジゼルの疲れすら心地よく癒している。
だがしかし、その姿が大変面白い事になっているのはわかっている。
「前は、頭の痛み止めですから、頭に乗っていたのもわかるのですけど……。今日は指先ですよ?」
「治癒するための力は、頭から体に流れていくものだから、そこでいいんだよ」
「そ、そうなのですか?」
なんだか誤魔化されているような気もするが、ジゼルにはその言葉を信じる事しかできなかった。
実際、それで痛みが引き、すでに血が止まっているのだ。その効果を見れば、否と言えるはずもないのである。
効果覿面の治癒を受け、再び手を動かした結果、それからすぐに肩掛けは縫い上がった。
ジゼルは、出来上がったそれを、シリルの肩にふわりと纏わせた。
その出来映えを静かな眼差しで見つめながら、シリルはまるで世間話でもするように、ジゼルに問いかけた。
「そういえばジゼル。前に渡した指輪は、身につけてるかな」
「あ、はい」
ジゼルは、シリルにそれを見せるため、首にかけたままにしていた指輪付きの紐を襟から引っ張り出した。
それをジゼルから受け取ったシリルは、その紐を指輪から外し、そっと取ったジゼルの指に、ゆっくりとはめて見せた。
そして、その指輪をきゅっと握りこんだシリルの手を見て、はっとしたジゼルはとっさに手を引いた。
「……」
思わず上目遣いになりながら、その指輪を指先だけの感覚で外そうとする。
――案の上すぎる展開に、ジゼルはギギギと音がしそうなほどぎこちなく、口元に笑みを浮かべた。
「シリル様……抜けません、よ」
「うん、細工した」
堂々と言い放たれたひと言に、ジゼルの笑顔が固まった。
「あれほど、前の腕輪の時も言ったじゃないですかっ! せめて抜けるように作ってくださいって!」
ジゼルの抗議に、シリルはにっこり微笑んだ。
「今度のは、ちゃんと抜けるよ」
「抜けないですよっ」
「抜けるって。ほら」
シリルはそう言うと、再びジゼルの手を取って、その指輪を自分の手であっさりと外して見せた。
「……へ?」
ジゼルが唖然としている隙に、再びその指輪はジゼルの手にはめられる。
シリルの手から解放された指を、ジゼルは繁々と見つめた。もう一度、自分の手で抜こうとしたが、先程あっけなく動いた指輪は、まるで必死でしがみついてでもいるように、ぴくりと動く事すらなかった。
「……今度は、どういう事なんですか」
「それが抜けるのは、私の手で外した時と……私の意識が完全になくなった時」
あっさり告げられたひと言に、ジゼルは息を飲んだ。
「死んだ時も、指輪は動くようになる。帰ってきたら外すけど……出来るなら、これからもずっと、つけておいてほしい」
「シリル、様?」
「ジゼル。私はこの指輪の元へ帰ってくる。これが、魔法の目印になる。これと、リスの眼を使って、飛んでくる。だから、私の帰る場所で、これをつけて、リスと一緒に待っていて」
微笑むシリルの表情は穏やかで、その内容の悲壮さを包み隠した。
「別に、戦いに赴くからこれを作った訳じゃない。君に持っていて欲しかったから、王都で作って持って来たんだ。それにね、海賊ごときで私は死ぬ事はできないよ。たとえ剣を向けられ振り抜かれたとしても、それで砕け散るのは剣の方だからね。私が死ねば、王都の結界は遠からず崩壊する。そんな事態になるわけにいかないから、たとえ誰に言われようとどんな弊害があろうと、私は守護の装飾を外せないんだから」
シリルは、自分の手につけられた、今はジゼルの指にあるものと同じ指輪を指し示す。
「私が、君の元へ帰るために作った指輪なんだ。君以外に、それを身につけられる人はいないんだよ」
そう言うと、シリルは、ジゼルの手にある指輪に力を吹き込むように、そこに口付けた。
「リスとノル、そして師匠は、こちらに置いていく。ノルは、しばらく寝る度に今朝のような状態になるから、出来るならこの会議室で、ジゼルも一緒に居てやって欲しい。一応、師匠に任せておくつもりだけど、師匠がジゼルに助力を願った時は、触れて起こしてやって欲しい」
「……わかりました」
「リスは、この結界を維持できるように、魔法を別に持たせておく。……父さんを頼むよ。いざとなれば、あの人も剣を使えるけれど、本職という訳じゃないから、無理させないで」
「それに関しては、私一人の意見でどうこうなる事ではないですから……。そのような事態にならない事を、祈っていてください」
苦笑してそう答えたジゼルに、シリルはようやく、ほっとしたように肩の力を抜いていた。
紫の薄布を身に纏ったシリルが、部隊と共に出かけていくのを、庭から見守る。
小高い丘の上にある砦から、町を一望し、港にある船を見た一家は、その事に気が付いた。
「……あれ、おじさんの船じゃない?」
ソフィーが指差した先にあるのは、父の長兄にあたる、アシルの船。
この港で、もっとも足の速い小型の帆船である。
それが、現在海賊の出現に伴い、出港制限されている港で、慌ただしく出港の準備をしている。
その意味を理解している一家は、その船を見ながら息を飲んだ。
「伯父さんが……船を出してくれたのね」
父は、直接兄に手紙を送ったわけではない。すでにレノーは、兄と絶縁しているのだ。その上で手紙を送るような真似はしなかった。
ただ、商船のギルド長に、陸軍のために一時的に船を借りられないかと手紙を送ったのだ。
たとえ宰相の名が書かれていようとも、海賊の正面に出て戦闘になるとわかっている場に船を出したがる船主はなかなかいない。
確かに、船員達は、荒事には慣れている。たとえ武装は最低限でも、自分の船を守るためならば戦いもする。
しかし、軍のために、戦闘が起こるとわかっているところに船を出すとなれば、話は別である。船や船員に何かあれば、商売すら立ちゆかなくなる可能性だってあるのだ。そんな危険を冒してまで、王都の宰相に繋ぎを取りたがるものなどありはしない。
商船ギルドとて、無理に船を駆り出させるような真似はしないはずなのだ。
それでも、伯父の船は、今まさに出航の仕度を調え、部隊の到着を待っている。
それはつまり、伯父自身が自ら手を挙げた事を意味していた。
「……ようやく少しは、認めてくれる気になったのかしらね」
母は、その船の様子を見ながら苦笑した。
一家と残された砦の兵達の祈りの中、兵達をすべて飲み込んだ船は、出航の鐘すら鳴らさずに、静かに海にすべり出したのだった。




