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花開く その思い 20

 扉は、相変らず父が吹っ飛ばしたまま、修理も間に合わずに廊下に立てかけられている。

 呼ばれた鍛冶屋は、吹っ飛んだ扉を手早く観察して、ひしゃげた金具だけを扉から外し、引き取った。

 あまりにも曲がりがひどいために、作業場に持ち帰り、打ち直すらしい。

 手慣れた様子で預かり証を出した鍛冶屋は、いつものように夕刻には届けるからと、にこにこと笑顔で帰って行った。


 そのあまりに慣れた様子に感心しているシリルに対して、ジゼルはあっさりと、「いつもの事ですから」とだけ告げた。

 さすがにこの会議室の扉は、めったな事では飛ばないのだが、それ以外の扉は、訓練だ喧嘩だ侵入者だと、なんだかんだで鍛冶屋が喜ぶ程度に吹っ飛ぶのである。


 この砦の中で、もっとも頑丈な扉を、鍵もかかってないからとあっさり蹴りで吹っ飛ばした隊長は、現在上座で宰相から手渡された海図を睨みながら、その書き記された範囲を細かく修正していた。

 昨日までは、机も椅子もなかった会議室に、あっという間にそれらが運び込まれ、部隊の中でも海賊討伐を得意とした者達が集められていた。

 ノルを起こせないために、隅っこでは相変らずシリルが横になったままで、その話し合いを聞いている。

 その隣には、普段ならば軍の会議など見る事がないジゼルも、なぜか退室を促されることなく、その成り行きを見守っていた。


 はじめにシリルがはじき出していた海域と、それを出す元となった数字。そして、現在の潮の流れと、漁師達からもたらされた雲の情報を元に、隊長であるレノーがその海図に手を入れているのである。

 それを見ながら、集められていた兵士達も隊長に意見し、そして海図は、ものの見事に、もっとも海賊が出現する可能性の高い海域をはじき出した。

 岩礁と陸からの距離、そしてその視認範囲と、潮位によって変わる潮の流れまで、事細かに書き記されたそれを、父は改めて宰相に突き返した。


「……うむ。これなら出撃命令も出せるな。見事だ」


 宰相は、ひとつ頷き、あらかじめ用意していたらしい書類に記名すると、それを傍にいた護衛の騎士に手渡した。


「その海図は、すぐに写しを作ってくれ。それから、この部隊は、船上の作戦の経験はあるか」

「ここは陸軍の部隊だ。船上経験ありの兵は、半数も居やしません」

「では、その半数に任せるしかないか……この予測は、何日間有効だ」

「雲の様子から、今日から三日ってところだな」


 それを聞いて頷いた宰相は、先程の書類とはまた別のものに、記名した。


「シリルを同行させてくれ。二日で片をつけるように」

「え、ちょっと待ってください! それ、儀式はどうなるんですか!」


 慌てたシリルの静止に、宰相はまったく平静を崩さずに言い放った。


「最悪、一日の滞在延長は認める。儀式は、二日後の午後にしてもらえばいい。どちらにせよ、お前が儀式を受けられるのは、午後だろう。午前は光が強すぎて弱るのだから、そんな状態で儀式など受けさせられん。二日後、午後の儀式の時間に、お前は飛んで戻ってくればいい」

「一日って、そんな簡単に言わないでください。血に飢えた狼だって、そんなに簡単に罠にかかる事なんかありませんよ。どうやって海の上をふらふらしている海賊達を引っ張り出すんですか」

「噂を流す。隣国からの特使に会うために、私が極秘にここに来ていると」

「……はあ!?」


 宰相の言いだした、突飛な作戦に、その場の全員が一斉に突っ込んだ。


「ここの海賊達にとって、レノー小隊長が目障りならば、王家に仇なす者達にとって、継承権持ちの現宰相など、もっと目障りだろう。私が消えれば、継承権云々以前に、国の政治がまず乱れる。その宰相が、極秘の行動で、護衛も最小限にここにいる。狙ってくれと言わんばかりにだ。どんな馬鹿でも狙うだろう。そして、それをやるために、荒事専門の集団を使う事を覚えた誰かは、海賊を呼び寄せる。それを捕獲しろ」

「だからって、特使……」

「宰相が、血相を変えて、馬を潰す勢いで街道を駆け抜ける理由が、今まで結婚の気配など一切なかったはずの息子の婚約の儀式に参加するためだというのでは、誰も信じないだろう」


 きっぱりと言い切った宰相の表情は、真剣だった。

 そして、その言葉に、息子本人もおもわず納得して頷いている。

 部屋にいる兵士とジゼルが、揃ってその息子に白い目を向けていた。誰も信じない最大の原因が、宰相ではなくこっちである事は、ほんの数日の付き合いしかない兵士も理解できたのだ。

 シリルは、ジゼルの視線に気付くと、とぼけるように目を逸らした。

 そんな二人の様子に見ない振りを決め込んだらしい父親達は、二人で睨み合ったまま、その作戦を平然と議論していた。


「ここの兵は、日頃から特定の人物、場所に対する警護の訓練が行き届いていると昨日からの滞在で見て取れた。だからこその作戦だ」

「守るのはかまやしないが、いったい、どうやって噂を流すって言うんだ。そもそも、海の上にいる海賊にその話が届かなけりゃ、のこのこ姿を見せたりもしないだろう。たまたま船を下りた場所で話を聞きつけるってのも、三日じゃ無理があるぞ」

「……噂を届ける方法はある」


 軽く肩をすくめた宰相は、あっさりと言い放った。


「海軍に伝えれば、海賊に伝わる」

「……は?」

「以前から、海軍の中に、内通者がいるらしいとは将軍から聞いていた。それが誰なのかは絞り込んでいる段階だが、少なくとも海軍に情報が伝われば、こちらが目的としている双方に、知らせが届く事になるだろう」

「双方だと」

「王家に対して叛意を持つ勢力と、レノー隊長に対して恨みがある勢力に対してだ」


 宰相の言葉に、慌てたように、お腹の二匹を押さえながら体を起こしたシリルは、父の表情を見て、その言葉の意味を悟るしかなかった。


「特定できたんですか」

「ほぼな。海軍の中に、その家の出身者が数人いる事まではわかっている。この前の、ベルトランの花嫁行列を襲った連中も、そこが買い付けたらしい。海軍の制服を着て行ったわけではないだろうが、現時点では、海軍は味方だとは思わない方がいい。レノー隊長。船を借りるあてはあるか。シリルと兵を運ぶための、足の速い小型の帆船がいい。天候などは気にしなくていい。シリルをこき使え。こんな時のための風の魔術師だ」

「ちょ! ひどい父さん」


 シリルの抗議を聞き流し、宰相はレノーを見つめていた。


「……あてはあるが、すぐに出せといって、動いてくれるかどうかはわからん」

「当てがあるなら、私の要請として名前を出してくれて構わない。その費用は、もし船体に被害があった場合も、責任もって国が出す」


 レノーは、宰相からの要請を、しばらく悩んだ末に受け入れた。

 一通の書状をしたため、そこに宰相からの署名も添えて、兵士を一人、走らせた。

 その横で宰相は、同じように書状を一通作成していた。書いたあとに、刻印を入れるために、家紋の入った指輪を外す。


「シリル。全魔術使用許可は、宰相の名の元に出す。ただ、魔術では殺すな。なにがなんでも、生かして連れて帰ってこい」

「う……わかりました」


 慣れた手つきで、外した指輪を懐から取り出した道具につけると、今まで書いていた書状に軽く叩きつける。手が離れた柔らかな羊皮紙には、しっかりとバゼーヌ公爵の紋章が刻みつけられていた。


「あとは……レノー隊長をどちらにやるかだが。希望はあるか」

「希望なんざ、聞いていただけるんで?」

「聞かねばならんだろう。ここは君の隊だ」

「それなら、船の上で。ここの守護は、うちの兵士なら誰でも出来るが、船上の動きは慣れてない。それなら、慣れてない方の指揮を執りに行った方がいいだろう。こちらの守護は、副隊長のブレーズ=フォルチェを責任者としてくれ。ブレーズ、いいな」


 扉の外に声をかけると、閉められない扉の外から、了解の声が響いた。


 慌ただしく会議室にいた兵達は退出していき、再び出陣のための用意が調えられる。

 今度は船の上という事で、いつもとは若干勝手が違うようで、全員の戸惑いが、会議室に響いてくる声にも現われていた。

 海軍に知られないように行動しなければならないと言われて、ますますその戸惑いは大きくなっていく。

 それでも、残る部隊の面々も協力し、装備を調えていく。


 ――しかし。


 会議室に残った面々にとっては、これからが本題であった。


 会議室のテーブルを挟んで、宰相と隊長が睨み合う。二人の前にはお茶が置かれ、レノーの横に、先程まで部屋の外にいたティーアが、にこにこと笑顔で控える。


 その部屋の隅で、その息子と娘は、二匹の使い魔達のために、大人しく座っていた。

 シリルの上でぐったりしていたノルは、ジゼルの腕の中で、ようやくほんの少し生気を取り戻したように、時折前足をぴくぴくと動かしながら、健やかな寝息を立てている。

 そして梟は、なんとシリルが声をかけた途端に、ぱちりと大きな眼を開け、くああと一度あくびをしただけで、普通に目覚めてジゼルを驚かせた。


「……お、起きた」

「ジゼル……魔術師がみんな、寝起きが悪い訳じゃないよ?」

「そ、そうなんですか?」

「うん、なんだかごめんね。寝起きが悪いのは、そうそう居ないから……。ジゼルの場合、最初の出会いが悪かったね」


 その最初に出会ってしまった寝起きの悪い魔術師が、いけしゃあしゃあとそう述べた。



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