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花開く その思い 19

 昔、まだ父が隊長になる以前、一家は砦ではなく、街に住んでいた。

 母が歌い手として勤めていた酒場の二階に、父と母、そしてジゼルとオデットの四人で、慎ましい生活を送っていた。

 ジゼルの記憶している限り、ジゼルは、外に出ない生活を送っていた。

 外に出ても、玄関から一歩か二歩。大通りから一本入った路地裏にある、狭い階段の二階踊り場までが、ジゼルの世界だった。

 見上げる空は狭く、家の中の方がずっと広い。だから、ジゼルは、まったく外に出られなくても、それを不思議に思う事すらなかった。

 なぜ、父と母が、自分とオデットを外に連れ出さないのか。その理由を知ったのは、ジゼルが三つ、オデットが二つの時だった。

 父はその時、海賊の被害にあった村に警備のために派遣されていて、一週間に一度帰ってくるだけだった。

 母が買い物に行き、ジゼルとオデットだけが家に残されていた時、父の実家から、人が尋ねてきたのである。

 それが誰だったのかはもう覚えていない。だが、その人物は、家に残っていた二人の娘を見るや、憎々しげに何かを呟き、ジゼルに紙筒を投げつけ、帰って行った。

 まだ三つの子供に、罵りの言葉の大半は意味を成さなかった。けれど、自分に向けられていた憎しみは、十分に理解できたのである。

 オデットは、突然襲ってきた恐怖に泣き叫び、ジゼルはそれをなだめられずに、母を求めて初めて一人で家を出たのである。


 家を出て、路地を抜けた先にあったのは、広い広い道だった。


 通りを歩く人々は、突然路地から出てきた小さな子供に、当然のように目を向けた。

 父もおらず、母も見あたらず、守る者のない子供には、その視線はただただ恐怖だった。

 その人々の視線と共に、耳に入ったのは、銀色、という言葉だった。


 ジゼルはその時初めて、自分の髪に、その視線が向けられている事に気が付いたのである。



「髪がこの色で、よかったと思った事は一度もなかった。別の色に染めた事もあったけれど、それで何かが変わったわけでもなかった。ただごまかしているだけ、染めた分だけ、母の言葉を私が否定しているようで、苦しいだけだった。シリル様が、初めて、この髪に意味をくれたの。魔除けだって、教えてもらえて、うれしかった。でも、今度はそのせいで、傍にいられない。どうして、いつも、銀色は、私に嫌な事ばかりを運んでくるの」


 ぽろりとこぼれた涙は、頬に伸びてきていたシリルの手で、そっと拭われた。

 ジゼルの告白を、ただ静かに聞いていたシリルは、その涙を拭った手を口元にあて、しばし思い悩むような仕草をした。

 ジゼルは、たった今吐露した自らの醜い思いを、再び心に押し込めるために、きゅっと口を引き結ぶと、自らの手で涙を拭った。

 しかし、その手を、シリルは再び握りしめ、自らに引き寄せた。


「……あの……きゃっ」


 いつかのように、再びその手を引かれ、体勢を崩したジゼルは、シリルの胸にぶつかるように倒れ込む。

 シリルの胸に、その体を預けるようにもたれ掛かることになったジゼルは、その時ようやく、シリルの耳が、ほんのりと紅く染まっている事に気が付いた。


「……やっぱり、私は馬鹿なんだな」

「え?」

「無理矢理嫌な事を思い出させたあげく泣かせたというのに……。ジゼルが、私の傍に居たがってるんだとわかった途端に、それが嬉しくて、にやける顔を押さえるのに必死なんだ」

「……え?」


 頭をたぐり寄せられ、頬から涙を舐め取られ、ジゼルはびくりと身を竦ませる。

 シリルは、ジゼルの髪を、濡れた頬から剥がしながら、そっと呟いた。


「本当は、起き上がって胸を貸して慰められればいいんだけど……。今起き上がると、上にいる二匹が転がり落ちるから、身動きがとれないんだよなあ。……本当、かっこつかないな」


 苦笑しながらも、その手はずっとジゼルの銀の髪を、愛おしむように撫で、そしてその口は、ジゼルの頬を、涙のあとも許さないとばかりに、口付けし、舐め続けた。


「ジゼル。私にとって、君の銀は、何にも代え難い貴重なものだ。その紫水晶の瞳もそう。だからこそ、これに関して、誠実に答えたい。……魔法を使う仕事の時、ジゼルを傍に置く事はしない。これ以上、君に、その髪や眼を、重荷として受け取って欲しくはない」

「重荷……?」

「君の銀と紫水晶は、魔力を歪める。術者の力量が足りない場合、発動しないだけならまだしも、気付かずに歪められたまま魔術が発動すると、術者の命に関わってくる」


 思わず息を飲んだジゼルに、シリルは苦笑して、銀の髪に口付ける。


「私だけなら、まだやりようもあるけれど……周囲に人がいればいるほど、その人達も巻き込む事になる。そうなった時、君が一番傷つく事になる」

「……わかってます。魔法を使う時には、近寄りません」


 個人のわがままで、すむような事ではないのは、ジゼルにもよくわかっていた。

 今まで、ジゼルが出会った魔術師は、襲ってきた人物を合わせても三人しか居ない。そのうち一人は魔術師長であり、もう一人はシリルである。そのどちらも、この国を代表する魔術師なのだ。

 他の魔術師を、この二人と同列に並べる事が出来ないのは、わかっている事だった。


「でもね、今のノルのように、魔力に苦しんでいる者にとって、君は何よりも救いになる存在でもある。魔力を扱えるようになって、何より辛いのは、慣れないうちに無意識に紡がれる魔力によって、本人の想像以上に、力が奪われていく事なんだ。だけど、君が触れれば、それ以上無理矢理力が引きずり出される事がない。力の流れは乱れても、その引き出される量が大幅に少なくなるんだ」


 シリルの視線の先に、ぐったりとしたノルの姿がある。ジゼルも、その苦しみとは無縁にも見える寝顔を見つめた。

 猫の表情を細かく見分けられるほどに、ジゼルは猫の生態に詳しいわけではない。

 それでも、今のノルは、一見すると、ただ深く眠っているだけのように見える。


「今のノルは、昔の私だ。無理矢理道を開かれて、中身をすべて暴かれ、引きずり出され、どうしようもなくて泣いていた、昔の私だ」


 シリルの手が、ノルの体に伸びて、そっと触れる。


「ジゼル。私と一緒に、ノルを守ってやってくれないか。その銀と紫水晶で、ノルの悪夢を消してやって欲しいんだ。私にとって、ノルは最初の弟子みたいなもの。子供のできにくい魔術師にとって、弟子は我が子も同じなんだ」


 シリルの視線は、ノルに向けられている。その手で、そっと撫でるその手つきと表情を見て、ジゼルは、ようやく何かがすとんと心にはまった気がした。

 シリルの眼差しは、父のような、兄のような、親愛の情に溢れたものだったのだ。


「……仕方ない人ですね、シリル様」

「え?」

「結婚する前に、子供ができましたは、さすがに父には言えませんよ」


 ジゼルの言葉に、驚いたように視線を向けたシリルは、くすくす笑うジゼルの表情に、ようやく自分が何を言ったのか悟ったようだった。

 突然、顔面を蒼白にして、じわりと視線を逸らしていく。


「……言った途端に、また木槌が飛んでくる?」


 あわあわと慌てはじめたシリルを見ながら、ジゼルはただ、笑っていた。先程までの、心の重さも何もかも、すべてシリルが攫っていった。


「銀も紫水晶も、シリル様のお傍にいれば、意味のあるものに変わるんですね」

「……私にとっては、出会った時から、何より意味のあるものだったよ」


 ジゼルの笑顔に答えるように、シリルも微笑んだ。そして、再び顔を引き寄せ、その頬に口付ける。


 その瞬間、会議室の入り口で、凄まじい破壊音が鳴り響いた。

 その衝撃で飛び上がったジゼルは、慌てて音の方向に顔を向けた。

 そしてその方向には、この砦いち頑丈なはずの木の扉が、金具を壊され、ぱたりと倒れた哀れな姿がある。

 その犯人は、考えるまでもなかった。

 この頑丈な扉を、蹴りの一撃で吹っ飛ばしたその人物。

 今日、帰ってくる予定だった父の、頑丈な鋲付きの革のブーツが、そこから覗いていたのである。


「……あらまあ。ちょっとだれかー。鍛冶屋を呼んできてちょうだい」

「え、今からっすか?」

「会議室は、明日も使えないと困るじゃない。海賊はいつ来るかわからないのよ」


 暢気な母と隊員の声とは裏腹に、父の視線は剣呑な光をはらみ、ジゼルとシリルを見つめている。

 シリルの腹にいた師匠は、まるでそれを感じたかのように、ふるりと震え、小さくなった。


「……おい、ティーア」

「はいはい。なあに?」

「宰相もいるから大丈夫って言ってなかったか」

「いらっしゃるわよ」

「いねえじゃねえか。しかも、あれを二人きりにしてどうする」

「宰相閣下もすぐ傍にいるんだから、間違いなんかおこりゃしないわよ。閣下、いらっしゃいませんか閣下~!」


 凄まじく、夫婦の間でその雰囲気の落差がある。

 大変暢気な母の声は、ちゃんと宰相に届いたらしい。隣の小部屋から、騎士が顔を覗かせていた。


「あ、ほら。すみません、夫が帰ってきましたの。閣下に知らせていただけますかしら」

「大丈夫だ、聞いている」


 騎士の後ろから、声と共に姿を現した宰相を見て、父の目はますます険しさを増したのだった。 

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