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花開く その思い 17

 宰相からの答えは、とても単純であった。


「寝なければ起きられる」


 その返答に、意味がわからずぽかんと口を開けたジゼルを見て、宰相は苦笑した。


 慌てて用意された朝食を取りながら、宰相は先程のジゼルの疑問の答えを告げて、その場に沈黙をもたらしていた。


「……昨夜はお休みではありませんでしたの?」


 母が不思議そうに問い、宰相は頷いた。


「こちらの寝台に不備があるわけではない。長年の習慣だ。短い仮眠を夜の間に数回取る。昔、まだ隣国と頻繁に諍いがあった時からの癖のようなものでな。屋敷以外で、熟睡することがないのだ」


 苦笑した宰相を見て、ジゼルはなぜか、ほっとしていた。


「一切お休みにならないと言われたら、どうしようかと思いました」

「さすがにそれでは、今頃生きてはいないだろう」


 胸をなで下ろしているジゼルに、宰相が告げると、ジゼルはふるふると首を振りながら、現在この部屋の隅で、昨日のようにノルと、そして師匠に乗られて眠るシリルに目を向けた。


「……シリル様は、早朝のご用がある時は、ずっと起きてらしたので。あとで纏めてお休みになるのかと思ったんです」

「ああ。それは、ヤン師もそうだ。シリルが特別というわけではない」

「そうなのですか?」

「早朝の閣議は、無くてもよいと思うのだがな。魔術師長が参加する閣議は、早朝行うべしという法があるのだ。その為、ヤン師も、その日は朝を寝ないで過ごされる」

「どうしてですか?」

「……早朝は、魔術師の能力が、もっとも発揮できない時間だからだ。魔術師の力を恐れた数代前の国王が発令したものだが、ヤン師に言わせると、それくらい警戒するのがちょうどよいのですと、逆に諭される有様でな。未だに、その法は取り消されることなくあり続けている」


 宰相は、部屋の隅にいる息子を見つめながら、ふっと軽い笑みをこぼす。


「魔術師達が、朝眠りにつくのは、清浄な光を浴びる事によって起こる無駄な魔力の消費を抑えるためだと聞いている。魔力の制御が出来ない未熟な者ほど、朝の眠りは深くなる。それ故、魔術師もその使い魔も、朝はしっかりと守られた結界の中で大人しく休息するのだ。その点で言えば、シリルはまだまだということだな」


 シリルの上で、師匠も丸い羽根の塊となり、ぐっすりと眠っている。

 この会議室で、シリルが眠るより先に、使い魔たちはまるで死んだように眠っていた。昨夜シリルの使い魔となったノルは、昨日のようにシリルについて歩く事すら出来ず、日が昇った時点で、ぐったりと力尽きたように、シリルによって運ばれていた。

 ジゼルは、自分の膝の上で、機嫌良さそうに顔を洗うリスを見て、首を傾げた。


「……あの、『眼』の魔法で出来た動物は、寝ないのですか?」


 作ったシリルは眠るが、リスはいつも、眠らずにジゼルに付いてくる。眠る時はジゼルの傍で丸まっているが、それも動かずに作業している間だけで、ジゼルが動けばリスもすぐに動き始める。

 使い魔が眠るなら、作り主が寝ている間、魔法も寝そうなのにと、リスを撫でながら呟く。


「それは、もう完成されている魔法だからだ。生物に見えても、それは生物ではない。しかも、その猫に関しては、魔術師の魔力のみに頼るのではなく、道具によって力を補完されている。だから、それはそれほど頻繁に眠る必要がないのだろう」


 リスはジゼルの手に、幸せそうに自分で頭を擦りつけ、ごろごろ喉を鳴らしている。慌てて、手を動かして撫でてやると、ころりとお腹を見せ、甘えるように鳴いた。

 その様子を、宰相は不思議そうに眺め、そしてシリルに再び視線を向けた。


「……『眼』の性格は、作り主に似るものだと聞いたのだが……それは誰に似ているんだ?」


 その宰相の疑問に、ジゼルは答えられなかった。

 さすがに、お腹を見せながら甘えるこれが、自分の性格も混ざってしまったようですとは言い難かったのである。



 本隊の帰還が間近となり、にわかに砦の中で慌ただしい動きが増えてきていた。

 怪我人などの収容場所の用意や、食料の再確認。帰還によって必要となる大量の水の用意など、今まで会議室にこもっていた一家と兵士が揃って走り回っている。

 しかしそんな中、ジゼルは、客人である宰相と、眠ったままのシリルの傍に誰もいないのは失礼だからと、家族の総意で会議室にとどまっていた。

 宰相は、護衛として付いてきている騎士が二名、しっかりと室内で護衛しているので大丈夫だからと、会議室の隣にある小部屋に入り、シリルが持っていた資料をすべて持ち込んで読み直している。


 ジゼルは、なぜか今日はいつもよりさらに懐いてくるリスを腕に抱きながら、眠るシリルをすぐ傍で見守っていた。


「……こうやって一人で寝起きを見守るのも、ずいぶん久しぶりな気がするわ」


 昨日は、まだ警戒中だったため、一家は揃ってずっとこの部屋にいた。

 シリルは、そんな一家が昼食をとっている最中に目を覚まし、そして完全に覚醒したのは、ジゼルが昼食後の片付けを終えてこの部屋に帰ってきた時だった。

 シリルが目を覚ましてから覚醒するまでの間は、やはり透明の壁が出てきており、母がなぜか面白がって、作り貯めている花飾りを投げていた。


 ジゼルは、シリルから預かって、片時も外すことなく身につけている指輪を通したペンダントを、服の下から引っ張り出した。

 シリルの物と、ほぼ同じ形に見えるその指輪は、シリルが身につけている物よりも細身の、あきらかに女性ものだった。

 それを繁々と眺め、そしてジゼルは、そっとシリルの手を取った。


 シリルの指には、それと同じ形の指輪が、しっかりと嵌っている。


 眠っている間のシリルは、多少触れたところで目を覚ます事はない。リスと共に、その手を眺め、そしてまるでリスに話しかけるように、ジゼルは一人、呟いた。


「……シリル様の手、騎士の物とはやっぱり違うわね」


 男性の手だとわかる、作りの大きな骨張った手であるのに、指の先は細く柔らかい。

 ジゼル自身の手と比べても、シリルの手の方が柔らかいのは、やはり貴族と平民の差を見せつけられている気がする。

 騎士の手ならば、幼いうちから武器を握り、そしてまめを作っては潰しての繰り返しで、どうしても皮は固くなり、指も太くなる。

 シリルの手は、指は細く見えるが、ジゼルに預けられた指輪は、シリルの手のどの指にも嵌りそうにないものだった。


「……やっぱりこれ、私の物として、作ってくださったのかしら」


 今は、ペンダントの鎖があるため、指にはめて試すのも躊躇われるそれを、繁々と眺め、そして自分の指と比べてみる。

 シリルの指より、硬い手のひら。毎日の家事で、痛んだ指先。それでも華奢な指は、たしかにその指輪が入る細さだった。


「……せめて、騎士の鍛錬でもしておけば、いつでも一緒に居られたかしら」


 苦笑しながら見つめるそのジゼルの横顔を、リスは翡翠の眼をしっかりと見開いて、見つめていた。

 ジゼルの手を、リスは小さな舌で、ちろりと舐める。

 その感触に、ジゼルはふっと微笑んだ。


「慰めてくれているの? ……大丈夫。一緒に行けなくても、帰ってきてくださるんだし」


 リスは、それでも、ジゼルの手を舐めるのをやめなかった。


「……リスと話が出来れば、よかったわね。リスは私の言葉を聞いてくれるけれど、私にはリスの言いたい事がわからないのが、なんだか残念」


 ジゼルの指が、リスの柔らかな耳に優しく触れると、リスはくすぐったそうに、それでも嬉しそうに、身をよじる。

 リスは、ひとしきり撫でられたあと、ジゼルの膝に降り立ち、身をのばした。

 甘えるようにそこで丸まり、喉を鳴らしながら目を閉じる。


「宰相様は、眼は作った人に似ると仰ってたけど、あなたは本当にシリル様に似てるのかしら。私の意思が入ってるなら、もしかして甘えん坊なのは、私に似てるの?」


 丸まったリスの背を撫でながら呟くジゼルの腕に、白銀の尻尾がふわりと絡み、撫で上げる。

 一人と一匹は、そうやって、シリルが目覚めるのを、すぐ傍で見守っていた。


 しかし、今回の勤めは、驚くほど早くに終わりを告げた。


 ジゼルがシリルの傍で、自分の花嫁衣装にひと針ひと針刺繍を施す。

 膝で甘えていたリスは、邪魔にならないように素早くジゼルの肩に登り、その首筋に顔を埋めながら、その作業をじっと見つめる。

 時折、ジゼルが顔を上げるタイミングで、ごろごろと鳴きながらその頬に身を擦りつけ、甘えながら、時を過ごす。

 そしてジゼルが、そんなリスに、お返しとばかりにその頬をすり寄せたその瞬間。


 シリルの眼が、カッと見開かれた。


 あまり覚えがない事態に唖然としたジゼルは、自分の肩にいるリスに視線を向けた。

 リスも、ジゼルと同じように、ぽかんと口を開けていた。

 作り主が目覚めたからと言って、ここまで驚くのもなんだかおかしいが、どうやらこの目覚めは、リスにしても予想外なのはよくわかった。


「……あの、おはようございます。シリル様」


 恐る恐る声をかけたジゼルに、シリルはゆっくりとその視線を向けたのだった。


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