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花開く その思い 16

 朝一番に扉のノックの音で、身を起こす。

 扉を開けたそこに、どんよりとした表情の自分の息子を見つけた宰相は、ほんの一瞬、訝しげに目を眇めた。


「……何事だ」

「……書類を申請しに来ました」


 宰相は、ひらりと目の前に差し出されたその紙に、さっと視線を走らせる。

 父の顔から、あっさりと仕事の鬼に表情を変えた宰相は、その用紙を受け取りもせずに首を振った。


「……範囲が広すぎるな。その距離と範囲では、許可を出すだけ無駄だ。やりなおし」


 あっさりと却下され、シリルの肩はがくりと落ちた。


「もう少し、絞れないのか」

「……これでも、絞ったんです。でも私は海図が読めないので、これ以上はさすがに無理でした」


 それを聞いた宰相は、あきらかに驚いた表情で、改めてシリルの差し出していた書類を受け取り、じっくりと読み直した。


「読めないわりには、ずいぶん正確だな」

「ここの副隊長に簡単なところを教えてもらいました。あとは、軍の教本で」

「……ふむ。これの元となった海図と航海記録は?」

「あそこです……」


 シリルが指を差したのは、廊下のど真ん中。この砦いち頑丈な会議室の扉の前で、猫二匹と梟一匹が取り囲む場所に、積み重ねられた大量の冊子が山を築いている。

 宰相は、一瞬だけ唖然とした表情を見せたが、すぐさまそこに歩み寄り、そのまま床に座り込んだ。


「読み方を教える」

「……わかるんですか」


 息子の質問に、宰相は冊子の山を崩しながら、表情を変えずに頷く。


「私は士官学校で学んだからな。魔術だけ学んだお前よりは、知識の幅が広いんだ。それよりも早くしろ。さすがに計算は、お前の方が早い。早く覚えろ」


 息子を突き放すような言葉を紡ぎながら、宰相は的確に、学ぶべき箇所を指示していく。 ここにあるのは、陸軍への申し送りとして渡されている、海賊の目撃情報と、海軍によるおおまかな追跡の記録である。海軍の港に行けば、もっと詳細な情報も得られるのだろうが、その時間もなく、手元にあるだけで割り出すしかなかった。

 その中から、目的の海賊の情報を拾い、航海範囲を割り出しているのである。


 このあたりの海賊は、特定の港や本拠地を持っていない。

 船の中が生活の場であり、つねにあちこちを動き回っているため、その捕獲はそれこそ、襲ってきたところを狙うしかない。

 だが、今回シリルがやろうとしているのは、後手で動く作戦ではなく、その海賊がもっともよく利用する海域を割り出し、罠を張った上で、船ごと捕獲しようとしているのである。

 泳ぐ魚を手で捕まえようというならば、その魚を追い込む範囲は、狭ければ狭いほど成功率が上がる。


 親子は、揃って会議室の前に陣取り、二人がかりで再び書類と格闘しはじめた。

 しかし、息子の方は、時折手を止めては、はあとため息を吐いている。

 そのどうにもやる気のない様子に、父は眉根を寄せた。


「……真面目にやらないのなら、この案件は持って帰る事になるぞ?」

「やりますよ。……いざとなれば、ここの隊長に見てもらえば、王宮に案件を送るまでは出来るはずですから」

「だが、そこですますつもりはないんだろう」

「これを捕まえないと、殿下がいつまでたっても、妃を迎えませんからね。……彼女の嫌疑を晴らすだけでは駄目なんですよ。ちゃんとその嫌疑の元となった事件を解決しないと、国民もですが、彼女自身、納得しないだろうと仰せですからね」


 シリルの、ため息と共に告げられた言葉に、宰相はようやく納得したとばかりに頷いた。


「ブルーム家のソレーヌか」

「ご存じでしたか」

「確かにあれなら、魔力の点からも妃候補として申し分ないが……。もう、魔術師として修行したのではないのか」

「彼女が身につけたのは、信仰による癒しの奇跡だけ。子供なら、産めますよ」


 肩をすくめ、自分の髪をひとつまみ指に取ったシリルに、宰相は目を眇め、溜息をついた。


「……はじめから、狙っていたのか」

「彼女については、魔術師長が保護と後見の目的で弟子としていただけです。魔術師としての教育は、一切行われていません。上位貴族出身の魔力持ちの女性は、もれなく殿下の妃候補となる可能性がありますから、彼女が女官となり、魔法を学びたいと希望したとしても、その可能性を潰すわけにはいきませんでした」


 女官として働きながら、王妃専属の治癒術師となっている女性の姿を思い出し、シリルは僅かに微笑む。

 彼女は、王太子やシリルより六つ年下で、二十二になる。蜂蜜色の髪に、濃い茶色の瞳の女性は、社交界にお披露目される前に、父の失脚により、その身分を剥奪された。

 しかし、それにめげることなく、魔術師長に弟子入りを望み、王家への忠誠を示すためにと神への誓いを果たし、その神の奇跡で治癒術まで身につけた、心の強さと才能を併せ持つ女性である。

 本来、一度でも王家に叛意ありと見なされた者は、王宮に勤める事すら叶わないが、彼女はその才能によって、王妃に直接取り立てられたのである。

 その経緯があるが故に、今までは彼女が王太子妃候補となる事はなかったが、その才能はすでに誰もが認めるものだった。

 魔法の才能があり、王太子にとっては唯一傍にと望んだ女性である。あとは地位さえ戻れば、誰も文句など言い出せない相手だった。

 ただ、その地位を戻す手がかりが、今までなかなか掴めなかったのだ。

 王太子の思いを知るシリルも、今までずっと掴めなかったその手立てを目前にして、必死だった。


 宰相は、そんなシリルに、冊子をめくる手を止めて、視線を向けた。


「……お前が、殿下の結婚について焦っているのはわかる。殿下の御子が誕生しない限り、お前の枷は外れないのだしな。……だからといってな」

「……はい?」


 不思議そうに顔を上げたシリルを、珍しいほど困惑した表情の父が見つめていた。


「お前ここに、求婚に来たのだろう。仕事ばかりで、肝心な彼女をほったらかす馬鹿がどこにいる」


 父の言葉に、シリルは項垂れながら、呟いた。


「……そういう、事なんですかね」

「何がだ」


 シリルは、再びどんよりとした表情で、手元の紙をのぞき込んだ。


「ジゼルが何か、ぐっと耐えているように見えると昨夜指摘されたんですけど……私にはよくわからないんです」


 王太子が結婚して子供ができれば、自分の背負う重荷は消え、どこに行こうが咎められる事もなくなる。

 シリルにとって、それは、何よりも代え難い大切な目標でもあった。

 しかし、だからといって、ジゼルを蔑ろにしていたつもりもなかったのだ。


「お前は、なまじ相手の思考が魔法で読めるだけに、それが封じられると、途端に他者の感情や心の機微に疎くなる。……そんなところまで、姫に似ずともいいものを」


 父の溜息に、シリルもがくりと項垂れた。心当たりがあるだけに、反論も出来ない。

 項垂れた息子に、父は、ただ静かに言って聞かせた。


「彼女には、魔法は一切通用しないと聞いている。ずいぶん遅くはなったが、今からでも、魔法に頼らず、人と相対する術を学ぶがいい」

「……今まさに、それが必要なのですが、誰から学べばいいでしょう」

「彼女本人と話をすればよかろう。それで学べ。これから常に共にありたいならば、なおさらだ」


 二人とも、会話をしながら、手元はしっかりとペンを走らせる。

 海図の上では、今まさに、海賊の活動範囲を視認可能なところまで狭めつつあった。

 シリルは、父の言葉に曖昧に返事をし、頷きつつ、今だけはと、その手の先の海図とひたすら睨みつける事に専念した。



 朝、ジゼルは、いつもの時間にいつものように仕度をして、扉に手をかけた。

 そして、昨日と同じ驚きを、再び味わう羽目になる。

 しかも、人数が増えている。

 絶対に床に座りそうにない人物まで、そこで座り込んでいる場合、どう声をかけていいのか、一瞬戸惑った。


「あ……おはよう、ございます?」

「おはようジゼル」

「おはよう」


 シリルと宰相から、それぞれ返事をもらったはいいが、ジゼルは扉から足を踏み出せずに、困惑していた。


「あ、あの、起きるのが遅くて申し訳ありません。その、閣下の朝のお支度もお手伝い出来ませんで……」


 おろおろと詫びはじめたジゼルに、宰相は、今気が付いたとばかりに顔を上げ、首を振った。


「気にする事はない。わざわざ手伝われなくとも、自分で出来るのだから問題はない。それに今朝、今の時間に起きているのは、これに起こされたからだ」


 これ、と呼ばれたシリルは、苦笑しながらジゼルに頷いて見せた。


「いつもは、父さんもこんなに早くは起きないよ。なにせ、私の寝起きは、この人譲りなんだし」

「……お前が、唯一私に似たところだな」


 溜息をつきながら頷いた宰相を、ジゼルは凝視していた。

 何事にも動じない宰相が思わずたじろぎそうなほど、目の前の親子を凝視していたジゼルは、ぼそりと呟くように、宰相に尋ねた。


「ど、どうやってお目覚めに?」

「あ、やっぱり気になるのはそこなんだ……」


 困惑の表情のまま、呆然と問うジゼルに、シリルはとほほと肩を落とした。



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