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花開く その思い 14

 ジゼルは、バゼーヌ家で一通り教えられたように、その仕度を調える。

 その道具は、もちろんバゼーヌ家にあるような高級な品とは天地ほども違いはあるが、それでもその所作は、公爵家の主を前に、滑らかに手順を踏んでいく。


 まず水を桶に入れ、手拭を濡らして絞り、それを横に置いて、宰相が外套を脱ぐのを手伝う。

 ようやくシリルから手を離した宰相は、着ていた外套をジゼルに預け、代わりに受け取った手拭で、まず顔を拭い、その後手足を清めた。

 髪は、ジゼルが断りを入れて乾いた布で軽く拭いたあと梳り、大まかに整える。


「髪は、後ほど湯浴みの仕度を調えますので」

「世話を掛ける」


 外套の下は、旅には向いていなさそうな上等な毛織物のズボンと絹のシャツで、汚れがあってもうかつに洗いますとは言えないような品だった。

 それを見れば、宰相がどれほど急いで王都を出発してきたのか目に見えてわかってしまう。

 申し訳なさにうつむきながら、簡単に汚れを落とすくらいしか出来ない事を告げると、宰相はにこやかに笑って気にする事はないからと逆に気を使われる始末だった。

 身なりを整えた宰相は、シリルに投げつけなかった革袋を開け、その中身を引っ張り出すと、それを羽織る。

 宰相が羽織ったのは、上位貴族のよく身につけているコートであり、きちんとその位に相応しい装飾紐がつけられている。そしてあっという間に、威厳溢れる姿を取り戻した宰相は、身を正すと、その静かな視線を息子のシリルに向けた。

 シリルは、父の視線を受け、首を傾げつつも自分に投げつけられた革袋をそっと差し出す。


「……それはお前のだ」

「え?」


 首を傾げた息子の姿を上から下まで眺めやり、さらに部屋の隅に寄せられた、作りかけのジゼルのドレスをみて、宰相は呆れたように呟いた。


「彼女は、儀式で礼服を身につけるのに、お前はそれで挑むつもりだったのか?」


 宰相の言葉を聞いて、ジゼルはようやくシリルの服に目を向けた。

 言われてみれば、シリルはずっと同じ服を身につけている。

 そもそも、ここに来た時、シリルが手にしていたのは手土産の焼き菓子くらいで、それ以外は何も持っていなかったのである。

 下着などは兵達のために用意された物を着替えとして提供しているが、それ以外、特に変わったところはない。

 その服は旅装だとあきらかにわかる簡素さで、儀式に挑むのに相応しいとは言えない物だった。


 シリルも、自分の姿を無言で見下ろし、やはり自分の出で立ちに不安を覚えたらしい。そのまま無言で父から投げつけられた革袋に腕を突っ込んだ。


「……父さん。どうしてこっちなんですか?」


 シリルは、革袋の中を見て、顔をしかめながら、首を傾げる。

 そんな息子に、父は肩をすくめて見せた。


「お前は、宣誓と署名が必要な儀式で、魔術師の正装をするつもりだったのか?」


 逆に質問を受け、シリルは難しい顔でうつむき、袋をのぞき込む。


「魔術師の正装……もしかして、あの、口と手を覆う物の事ですか?」

「そうだ。魔術師にとってはあれが正装だが、口を開かずに宣誓は許されず、自らの手を出さないままに署名は出来ない」

「……だからって、これじゃなくてもいいじゃないですか」


 シリルが、難しい表情で引っ張り出した礼服は、ジゼルにも僅かながら、見覚えがある物だった。


「それは……エルネスト様の」


 思わず呟いたジゼルに、宰相は頷いてそれを肯定した。

 紺地に銀糸で入れられた刺繍は、王宮の上位騎士が身につける、正式な礼服だった。

 その胸に王家に直接仕える者だけに許された文様と、与えられた位の文様が複雑に絡み合うように入れられている。


「これは近衛隊の礼服だ。エルネストは、王宮の近衛隊長だからな」

「あの、でも……シリル様は王宮魔術師、ですよね?」

「兼務なのだよ。シリルは、王太子宮の近衛隊長なのだから、これもシリルの礼服で間違いではない」

「……え?」


 日中、王宮に行く事が稀だったシリルが近衛という、まったく実情の伴わない役職に、ジゼルの目が丸くなる。


「日頃は、王宮魔術師の勤めの方が優先されるのでね。そのまま王太子宮の近衛も、エルネストの預かりになっているが、本来の王太子宮の隊長は、これなのだよ」


 見開いたその目を、そのまま難しい表情のシリルに向けると、シリルはたじろいだように一歩下がる。


「……シリル様は、騎士でもあるんですか?」

「いや、騎士ではないよ。近衛隊は確かに騎士ばかりの集団だけど、守護の腕前がある、一定以上の身分にある者という規定だから、それが剣の腕前である必要はないんだよ」


 シリルの説明は、確かに理解できなくもない。それに、婚約披露の宴の日、シリルは外で警護していた騎士達を統率していた。

 あの会場に王太子がいたのなら、あの場で警護をしていたのは、王太子の近衛だったのかもしれないと、ジゼルは今更ながらに気が付いた。


「それに、私が騎士と名乗るのは、さすがに本職の騎士に申し訳ないよ。騎士となるには、我が国の場合一年以上の兵役実務期間とその後三年の見習いの期間を得て、ようやく騎士になるための推薦を受ける事が出来るんだから。私はそれを一切やっていないし、その期間はずっと魔術を学ぶために留学していたしね。エルネストですら、ちゃんとその期間はあったんだよ。それなのに、手習い程度にしか剣を学ばなかった私が騎士を名乗るのは、なんか違う気がしないかい?」


 ジゼルのぽかんとした表情を見ながら、苦笑したシリルは、その視線を改めて父に向けた。


「これじゃなくても、普通に伯位の礼服でいいじゃないですか。この騎士と兵士ばっかりの場所でこれは、すごく恥ずかしいんですけど」

「……お前に恥の概念があったとは初耳だ」

「いくらなんでもひどいです父さん」


 憮然とした息子を一瞥し、ふっと笑った宰相は、その身を翻し、すぐ傍で客人親子の様子を見守っていたこの砦の留守を預かる一家の前に立つ。

 そうやって改めて母の前に立ち、宰相は静かに軽く頭を下げた。


「公爵位を預かるエルヴェ=コンスタン=ブラン=バゼーヌだ。息子共々、しばし世話になる」


 その名乗りに、妹二人はぽかんと口を開け、シリルと宰相を交互に見比べた。

 一方母は、それを平然と聞き、ふわりと微笑んだ。


「存じ上げておりますわ。こちらのガルダンにも、閣下のご高名と絵姿は、ちゃんと届いておりますから」

「母さんわかってたの!?」


 驚くジゼルの声に母は平然と笑って見せた。


「どうしてわからないと思うの。閣下は、こちらに視察にいらっしゃる事もあるのに」


 ぽかんとしている娘達に、逆に母は不思議そうにしていたが、その様子をみていた宰相は、逆に娘達に味方した。


「私が宰相として視察する場合、軍港の方へ行く事が多い。護衛もあちらから出されるから、顔を見る事もないだろう」


 穏やかな表情で告げながら、宰相はオデットに薦められた椅子に座り、身をくつろげた。


「閣下がこちらにいらした事は、軍の方々もご存じなのですか?」


 母の疑問に、宰相は静かに首を振る。

 今回のこれは私用であるし、わざわざあちらに伝える事もない。こちらも軍の施設であるのだからと告げた宰相に、母は若干の思案顔で首を傾げた。


「ただ今この砦は、海賊討伐のために大半の兵が出払っておりますの。非常警戒中で、満足なおもてなしも出来ませんし、お守りするための兵も出せないのですけど、よろしいのでしょうか」


 宰相のあとにこちらに駆け込んできた騎士達は、現在ぐったりと力尽きたように、庭で砦の兵達に介抱されている。あきらかに護衛として役に立ちそうにはないが、ある程度体力が復活すれば、戦力にはなる。

 しかし、宰相は、彼らの戦力よりも、もっと確実な存在を指して、にっこりと微笑んだ。


「護衛なら、心配はいらない。私の守りは、あれがいる」


 あれ、と言われ、視線を向けられたシリルは、その時なぜか、真剣な表情で、腕を組み考え込んでいた。


「……どうしたシリル」

「……もしかして父さん、宰相用の押印入り羊皮紙とか、持ってきてませんか」


 突然何を言いだしたのかと、その場にいた全員がシリルに注目した。

 問われた宰相は、息子を目を眇めながら見つめ、そして何かを納得したように頷く。


「……殿下が、入り用になるかもしれないというので三枚は持ってきた。だが、書かせるつもりなら、状況から場所、その期間まで、すべて詳細を詰めてからにしろ」

「やった!」


 喜色も露わに、手に持っていた革袋を投げ捨て、あっという間に会議室から飛び出していくシリルを見送り、宰相は投げ捨てられた革袋に視線を向けた。


「……すまないが、それを掛けておいてやってくれないか。そのままだと、肝心な時に皺だらけで使えないからな」


 溜息混じりの宰相の頼みを受け、オデットが慌てて拾い上げ、中にあった礼服の一式を衣装掛けに吊るし、その皺を伸ばした。

 その姿を見ながら、宰相はジゼルに静かに告げた。


「もしあれに呆れて別れたくなった場合は、儀式後でも大丈夫だからいつでも言いなさい。ファーライズの申請くらい、いくらでも通してみせるから」

「いえ、あの、大丈夫、です……」

「本当に、大丈夫か。あれは思考が一点に集中しすぎて、たまにとんでもない場所に考えが向かっている事もある。常人の思考では、追いつけないぞ」


 話の内容こそ、二人の別離を望むように聞こえるが、宰相の言葉は、二人の関係を疎んでの事ではない。純粋に、ただ、ジゼルの事を案じてくれているのは、その瞳と、優しい口調でよくわかる。

 ジゼルは、そんな心配性の宰相に、にっこり微笑み、首を振る。


「シリル様の考えを追いかけようとは思いません。ただ、待つ事にしたんです。待っていれば、あれでシリル様は、ちゃんと帰ってきてくださいますから」


 そのジゼルの解答に、宰相は一瞬虚を突かれたように目を見開き、そして苦笑した。


「……ならば我らは、ようやくあれに帰る場所が出来た事を、純粋に喜べばいいのだな」

「……ありがとうございます」


 その言葉は、宰相なりの祝福の言葉であった。

 ジゼルは、宰相の祝福を、静かに礼をしながら受け止めた。

  

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