花開く その思い 8
シリルは、女性のたくましさを、西砦でこれでもかと見せられる事になった。
隊長一家の女性達は、砦の大半の兵士達が出陣したあと、あっという間に手近な荷物を纏め、自分達が普段住まいとして使っている一角から、普段兵士達が会議室として使っている砦の中でもっとも頑強な場所を、自分達が居心地良いように整えたのである。
机と椅子がどんどん片付けられ、場所が開けられると、そこに敷物を何重にも敷き、クッションを置き、まずは母がそこに座った。
シリルは、敷物の上とはいえ、直に床に座るような文化には接した事が無く、それを驚きの表情で見つめていた。
「シリルさんは、椅子使う?」
ソフィが、姉と共に、机と椅子を片付けながら、ぽかんと立っていたシリルに尋ねた。
シリルは、慌てて彼女の持っていた椅子を受け取りながら、首を振る。
「みんなが使わないなら、いらないよ。こちらの流儀に合わせるから」
その返事に、ソフィはにっこりと笑って、じゃあこれもとちゃっかりとシリルが持った椅子の上にさらに椅子を重ねた。
「それにしても、どうして椅子や机も片付けるんだい?」
「いきなりここで戦闘になって、これが壊れたら、直すの面倒だから」
返答はあっさりとしたものだが、その言葉の意味は重い。
要は、これが壊れるような事態が、これを習慣にしなければならないほどにあったという事を示している。
だが、彼女たちの誰一人として、悲愴な顔をしているわけでもなく、それらを恐れているわけでもなさそうで、それがシリルには不思議に思えた。
「奥さん、そろそろ食事の仕度をはじめますか?」
一人の兵士が顔を出し、母が腰を上げようとすると、上の娘二人はさっと立ち上がり、その母を止めた。
「母さんはここにいて。私達で作るから」
真っ先にジセルが身を翻すと、それにオデットも続く。
「そうそう。心配しないで、大人しくドレスでも縫っていてね」
オデットは、扉を出る寸前に部屋の中を振り返り、末の妹にくれぐれも言い置いた。
「ソフィ。あなたも母さんを手伝ってなさい。ついでに暴れないように見てて」
「了解!」
「もう、あなたたちは。母さんは病人じゃないって言ってるでしょうに」
娘達は、それぞれ結論を出し、さっさと扉をくぐっていく。
そんな心配性の娘達の言葉に、母はふくれっ面をしながらも、がさごそと傍の箱をかき混ぜる。
その箱の中には、真っ白の布と刺繍糸。そして、一枚の花嫁衣装がしまわれていた。
母は、花嫁衣装を取りだしそれをソフィに手渡した。
「これの飾り玉を取ってくれる?」
「わあ、これ母さんの花嫁衣装だよね。……はさみを入れちゃっていいの?」
「ドレス自体に入れる訳じゃないし、着た私が入れないならいいでしょ」
シリルは、その母娘のやり取りを、正面でただ座って見つめていた。
シリルの足元には、黒猫のノルがいるだけで、『眼』の猫は先程ジゼルのあとを追うように閉まる寸前の扉をするりと抜けていた。
ノルは、座っているシリルの足にもたれ掛かるように座り、目の前のひらひらする布をじっと見つめていた。
「ノル、悪戯はしないように。大切な物だから」
「うなぁん」
言い聞かせるシリルに、わかったと返事をしたようなノルの様子を見て、母は楽しそうにくすくすと笑っていた。
「良い子ね。ノルは港の猫なら、お魚よりお肉が好きかしら?」
「なーん。なうーん」
「肉はネズミが良いそうです。魚はご馳走だって」
「あら、それはねずみ取りをお仕事にしているなら正しいわ。優秀ね。良い子にしていたら、あとでお魚をあげましょうね」
「みゃー!」
母に褒められたからか、ノルはほんの少し誇らしげに胸を張っていた。
「そういえば、お母さん、聞いても良いですか?」
「あら、何かしら」
「お母さんは、いきなり結婚式でも、構わないんですか?」
今、手元で広げられている布で、婚約のために衣装を作るわけじゃないというのは、日頃女性の衣装にあまり興味がないシリルでもわかる。
今、ソフィが手にしている母の花嫁衣装は、薄い色に染められた刺繍糸で刺繍されているが、その地の色は、今まさに母が手にしているのと同じ白である。
母が手にしている布は、間違いなく、花嫁衣装のためのものだった。
「そうねえ。どちらでも構わないんだけど、もし今回婚約だけなら、結婚式は王都でやらないといけないんでしょう? シリルさん、お休みそんなにいただけないのよね?」
「はあ、まあ、そうです」
そんなにどころか、十年勤めて初めての完全な休暇である。次がいつになるかなど、わかるはずもない。
ちょっと結婚してきます、で一日こちらに来る事ができるかどうかも怪しい。
飛ぶだけなら、ちょっと細工をしておけばすぐに往復もできるだろうが、その際、王宮の結界がどうなるかがわからない。
難しい表情になったシリルを見て、母もそのあたりを察したのか、苦笑して手にしていたドレスの布を膝に置いた。
「できるなら、式はこちらでして欲しいの。それが私の希望。だから、シリルさんが、こちらに来る事ができないなら、今回すませて帰ってもらえると、ありがたいわね」
母は、きっぱりそう言うと、傍にいたソフィに、指を口に当てながら「お姉ちゃんには内緒ね」と片目を瞑った。
「ジゼルは、この砦の兵士達が守り育ててくれた娘だから、彼らにも祝福してもらいたいの。まさか、西砦兵士ご一行様が、ここの守りを空にして、王都に行くわけにいかないでしょう?」
そう言うと母は、どちらでもできるようにしないとねと言って、布を板の上に広げはじめた。
ガルダンの花嫁衣装は、それほど装飾もない、あっさりとした形だった。ただ、その刺繍の細やかさが目を引く。
袖も胴も、宝石を縫い付け、刺繍を入れた細帯で絞る形になっており、それほど体型の違いがあっても、難なく着られそうな物だった。
「……お母さんの花嫁衣装を、ジゼルが着るわけにはいかないんですか?」
単純な疑問をシリルが告げると、母はあっさり首を振った。
「横幅が違うなら、このまま着せたんだけど。ジゼルとオデットは私よりずいぶん背が高いから、裾が足りないのよ。どうしても、作るしかないの。でも、帯やベールはそのまま使えるはずだから、一から全部作るよりは早くできるわよ」
母は、そういうと、隣で真剣な表情で、ドレスについている飾り石をひとつひとつ丁寧に取っているソフィを見て、微笑んだ。
「ソフィなら、私と体型が同じだから、きっと同じくらいの身長になるだろうし、着られると思うけど、ジゼルとオデットに作るなら、やっぱりこの子も新しいのを着せてあげたいわ」
「じゃあ、今から衣装に使う飾り玉を買っていい?」
母の言葉に反応して、ぱっと表情を明るくしたソフィが母にねだる。
母は、その姿を見て、くすくすと楽しそうに笑っていた。
「そうねえ。ジゼルみたいに急なのは困るし、それも良いかしら。私の衣装のはジゼルに使ってしまうから、次の市では、オデットの分と一緒に見てみましょうね」
「やったー!」
母娘の微笑ましい会話に、シリルもほのぼのとそれを見つめる。
だが、その場所は、窓ひとつない頑丈な部屋の中である。その違和感は、微妙に残っていた。
「……そういえば、話は変わるんですけど」
「あら、何かしら」
あっという間に、布にはさみを入れられるように印を入れた母が、はさみを取り出しながら振り返る。
シリルは、視線を部屋に向けながら、先程気になっていた事を、母に尋ねた。
「ここが襲われるのは、それほど頻繁にある事なんですか?」
「そうねえ。海賊の出撃で、人がいなくなるのがわかってるから、泥棒さんから人攫いさんまで、たくさんお客様が来るわねえ」
「……泥棒? 人攫い?」
「ここに金目の物などありはしないんだけど、武器があるでしょう? それを盗りに来るのよ。人攫いは、ずばり目的は私達になるから、この部屋に籠もってしまう事にしているの」
母は、それだけ言うと、なぜかソフィにお茶を入れてくるように告げた。
ソフィは、わかったと、即座に部屋をあとにする。
どうやら、これは、あまり娘に聞かせたくない話らしい。そう察したシリルは、先程よりさらに声を落とし、母に詳細を尋ねた。
「ここに、攫いに来るんですか?」
「ええ。彼の住み処から、留守の間に家族を攫えれば、レノーに対する見せしめになるでしょう?」
返答は、あっさりしたものである。
しかし、だからこそ、その理解の深さが伺えた。
「……それなら、海のすぐ傍にいるよりも、内陸の、それこそ王都などに暮らした方が安全ではないですか? 少なくとも、砦の兵達が出撃したあとに、毎回こうやって警戒するよりは、安心できそうなものですが」
そのシリルの問いに、母は苦笑していた。
「内陸だから、安全とは言えないのよ」
「どうしてです?」
「それだけレノーは、海賊に恨まれているという事よ。むしろ、王都に暮らすという事は、守りが無くて危険になるの。ここなら少なくとも、砦の守りという理由で兵を置けるけれど、王都の家ではそうはいかない。人が多いというのは、悪い人達も紛れやすい事を意味しているから」
今までの苦笑をおさめ、真剣な表情で、母はシリルを見つめていた。
「レノーは、内陸での戦いよりも、海賊相手の方が真価を発揮する男よ。王都に行って、内陸の戦いでただ力を振るうより、よっぽど役に立つの。潮を読めるし、この近海の海図はすべて頭にある。相手の航路を割り出し、海賊の居場所を突き止める能力がとても高い。内陸に家を持ったとしても、レノーは私達と離れてここに来ざるを得ない。それくらいなら、はじめから、私達もここで暮らした方が安全という事よ」
「待ってください。王都でも海賊が人攫いにくると?」
「違うわ。海賊がね、私達に賞金をかけているの」
母の返答に、シリルは目を見開いた。
「もちろん、表立ってという訳ではないのよ。人攫い達には、それなりの伝手というものがあるの。その中で、攫えばいくらで買い取る、というのを、すでに通達してあるようでね。実際、私が王都に行くと、絶対一回は、そういう輩に絡まれるのよ。だから娘達は、一人で王都に行かせないようにしているの」
シリルは、しばし唖然としていた。
しかし、次の瞬間、何か納得したように頷いた。
「……なるほど。目的地は、ここにあったのか」
突然、くすくす笑いはじめたシリルを、黒猫のノルと母が、同じきょとんとした表情で見上げていた。




