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花開く その思い 7

 ぽかんと口を開けているジゼルを、シリルは困った表情で見つめていた。

 ジゼルがそういう表情になったのは、もちろんシリルとしてもわからなくもない。

 婚約の期間無しでの結婚など、そもそも常識としてありえない事だった。


「……あの、婚約期間無しって、そんな、無理でしょう?」

「どうして?」

「どうしてって……」


 そもそも、婚約期間というのは、結婚に向けての準備期間である。

 貴族ほどの大がかりではないにしても、それなりに知らせる先はあるし、式のための衣装や、振る舞いのための食事や酒の手配も必要になる。

 幸いにと言おうか、食料は秋の収穫の直後でもあるし、流通のための物がこのガルダンには集まってくる。集めるのはそれほど手間でもないだろう。


 ――しかし。


「母が、私達の結婚に関しては、とても張り切っていたんです」

「……お母さん、が?」

「衣装を仕立てるんだって。娘三人、みんな変わりなく送り出すって、ずっと言ってましたし。その、ファーライズ様は、母が儀式について尋ねたから、了承してくださったんですよね。それなら、母の納得する式をしないと、神様も認めてくださらないのではありませんか?」

「う……」


 痛いところを突かれ、さすがのシリルも沈黙した。

 その背後から、さらに暢気な声がかかる。


「そうねえ。食料はどうにかなるけど、ドレスはちょっとがんばって縫わないと、間に合わないわねえ」

「……母さん!?」


 突然聞こえた暢気な声に、ジゼルは思わず立ち上がった。

 母は、すぐ傍の垣根に体を隠して、顔を半分だけ出しながら、 買い物籠を手に下げた状態で、庭をのぞき込んでいる。

 そして、その眼をきらきらさせて、二人の様子を見守っていた。


「昨夜確認したけれど、ジゼルがいただいてきた布は上等なものだったし、あれで縫えば大丈夫でしょうけど、少し飾りが足りないのよね」

「母さん、どうしてそんなところにいるの!」

「今さっき、買い物から帰ってきたのよ。ただいま」


 ようやく垣根から姿を現し、ひらひら手を振りながら、母は二人の傍に歩み寄る。


「お邪魔しちゃ悪いかしらと思って、お話しが終わるのを待ってたの」

「今さっきって、いつから聞いてたの?」


 ジゼルの問いに、母は一瞬考え、そして微笑んだ。


「代金はおいくら、くらい?」

「ほぼ話のはじめから? 帰ってきたなら、言ってくれればいいじゃない」


 赤面したジゼルの抗議をあっさり受け流し、母はシリルに向かってにっこり微笑んだ。


「私が着た花嫁衣装から、飾りを取れば足りるとは思うから、できなくはないわよ?」


 しかし、その母の言葉に、ジゼルは首を振った。


「ドレスが一日二日で縫えるわけないでしょう。何より、今は無理をしないで。お腹に赤ちゃんがいるんだから」

「大丈夫よ。久しぶりだけど、三人産んだんだから。それに衣装は手伝ってもらえばいいじゃない。花嫁衣装なんだから、たくさんの手が入った方がいいんだし。なにも一人で作る事はないでしょう?」


 母は、まだまだ膨らみが見えないお腹を撫でながら、朗らかに笑う。

 それを、心配そうにおろおろしながらジゼルは宥めていた。


 その時、どこからか、カランと鐘の音が聞こえた。


 母娘は同時にそれに反応し、笑顔を消して海に視線を向ける。

 その突然の変わり様に、シリルは不思議そうに、二人に習い海を見た。

 鐘の音は、海の方角から聞こえてきていたが、正確にどの鐘が鳴っているのかは客人であるシリルには知りようがない。

 しかし、母娘の様子から、それがただ事ではないのは容易に窺い知れた。


「……なに?」


 海は、いつもと変わらないように見えた。

 ジゼルからの解答は、ごく簡単な物だった。


「海賊です」


 その呟きとほぼ同時に、宿舎から、兵士達が飛び出してきていた。



「どっちだ。海か、岸か」

「まだ見えねえ。おい、見張り台。どっちだ!」

「船は見えん。煙もだ!」

「煙がねえなら、沖か? 船が揚がってきてないか!」


 まだ屋内にいた彼らは、昨夜の夜勤の兵達だった。

 走りながら怒鳴り合っていた彼らは、それぞれ巡回している兵達に伝令をさせるため、砦を飛び出していく。

 母は、今までの朗らかな笑顔が幻だったかのように、真剣な表情で砦に駆け込んでいった。


「ジゼル。どういう状況?」


 シリルは、目を眇め、海を見た。

 海を見慣れないシリルには、いつ見ても穏やかな海面の、平常の海にしか見えない。


「……先程の鐘は、先触れの鐘です。おそらく、町に早駆けの馬か、海からなら鳥が届いたんだと思います」


 目を眇めて海を見つめながら、ジゼルはシリルに説明した。

 ジゼルにとっては、幼い頃からの日常でもある。

 恐怖もあるが、それ以上に、家を守れと言い聞かされて育ったのだ。自然とこれから先、自分がやるべき事に意識を向けていた。


「岸とか海とか言ってたけど」

「岸は、沿岸の町が襲撃を受けているということです。海なら、襲われた船からの救援要請です」

「ここにいるのは海軍じゃないよね」

「はい。ですから、船は出せません。船が襲われたのなら、ここからすこし離れた場所にある、バドナ軍港にいる海軍に伝令を出します。場合によっては、海賊に襲われ航行不可能で連絡してきている場合があるんです。救援だけなら、普通の商船でも出来ますが、海賊がまだ近くにいては危険ですから、先に軍船を出してもらうんです」

「なるほど。つまり岸なら、ここの部隊が襲撃された現場に出動になるのか」

「はい。軍港の海軍は、船の乗船員なんです。陸の事に関しては、海賊による襲撃も、こちらの管轄になるんです」


 ふうん、と、シリルは納得したように、再び海に視線を向けた。

 そんなシリルに声がかけられたのは、それからすぐだった。


「おい、魔術師」


 それは、副隊長のブレーズだった。

 彼は、他の兵ほど慌てることなく、ゆっくりと歩いてシリルに近付いていた。


「あんたが休暇でここにいるのはわかっているんだが、緊急事態だ。申し訳ないが、少々力を貸してもらえないか」

「……あいにく、攻性魔術の行使は、許可がないとできないんだけど」

「攻撃しろとは言わない。砦の、隊長一家の護衛くらいは、任せても大丈夫か?」

「それは言われなくても。まさか、砦が空に?」

「空にはしないが、人員は少ない。一応、あんた国の要人扱いだから、あんたを狙ってくるやつがいないとも限らないだろう? 俺達は、まとめて外を守る。あんたが、一家と一緒に居て、内を守ってくれてれば、それに専念できるって事だ」


 肩をすくめたブレーズは、ジゼルに視線を向けた。


「帰ってすぐで申し訳ないが、奥さんを手伝ってくれないか。今妊婦なのに、はりきって糧食の用意を始めてる。オデットも必死でついて走ってたが、一人じゃ大変そうなんだ」

「ああ、母さんったら……。ソフィは?」

「ついさっき、出かけたんだよ。今、呼び戻しに人をやった。まだそう遠くへ行った訳じゃないだろうから、すぐに帰ってくるはずだ」


 副隊長からの返答に、一瞬安堵を見せたジゼルは、慌てたようにシリルに詫びた。


「すみません、シリル様。あとのことは副隊長に聞いてください」

「ああ、わかったよ。早くお母さんの所に行ってあげて」

「はい!」


 すぐさま身を翻し、先程の母を追うように、ジゼルは砦に駆け込んでいく。

 それを男二人で並んで見送り、さて、とブレーズは肩を鳴らした。


「おやっさんは、今日は港にいたはずだ。一旦、装備をこっちに取りに来るだろうが、どこに出るにしても、おやっさんがあんたとケリをつけるのは、数日後だ。休暇内に間に合うといいな」


 その言葉に、シリルはおやと首を傾げた。


「……副隊長は、お父さんの味方じゃないのか」


 シリルの呟きに、ブレーズはその顔にほんの少し困惑を浮かべ、そしてそれをゆるやかに笑みに変えた。


「どっちかっていうと、あんたの味方だな。ジゼルが嫁に行ってくれないと、オデットも首を縦に振らないんだよ」

「……なるほど」


 シリルは、納得して頷いた。

 つまり、カリエ家の跡取りに関しては、問題ないらしい。

 そう納得したシリルは、機嫌良く猫達を従えながら、この砦に防御の結界を張り巡らせるための用意をはじめたのだった。


 それからすぐに、巡回で散っていた兵達が砦に続々帰還し、隊長である父も駆け込んだかと思ったら、瞬く間に仕度を調え、表に整列していた兵達に檄を飛ばし、慌ただしく出陣の号令がかけられた。

 今回、どうやら船が襲われたわけではなく、沿岸の村が襲われたらしい。

 現在、村に常駐する警備隊と、すぐ近くにいた兵達が防衛しているらしく、一刻を争う状態だという事だった。


「いいか、泥棒猫よ」


 シリルを前にして物騒な気配を纏った父は、重々しい声で言い渡した。


「俺が帰る前に、ジゼルを攫って行きやがったら、俺は王都のお前の家に殴り込む。勝手な事をしやがったら、承知せんぞ」

「わかってます。不誠実な真似はしません。儀式も、お帰りになるまでちゃんと待ちます」


 両手をあげ、無抵抗を表しながら、シリルは必死で頷いていた。

 この人は、殴り込むと言ったら本当にやる。王国軍に守られている施設だろうが、平気でやる。

 それを間違いないと思わせるだけの迫力と眼力だった。

 さすがのシリルも、それに逆らうなど、考えられなかった。

 素直に頷いたシリルに、一瞬怪訝そうな表情をしながらも、父は馬に飛び乗り、出陣したのだった。

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