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殻を破る時 15

 父は、ゆらりと玄関を潜り、地面に木槌の頭を降ろすと、柄を杖のようにしながら、シリルを睨み付けた。


「……ジゼル。ちょっと部屋に入っていなさい」


 声自体は落ち着いている。態度もゆったりしている。それなのに、その溢れる怒気は、ごまかしようがないほどに、庭に垂れ流されていた。

 口調が普段とは違い、妙に丁寧なのも、その怒りが透けて見えるようで落ち着かない。


 ――しかし、そんな父の背後では、妙に暢気な会話が繰り広げられていた。


「やっぱり吹っ飛んだ。どうして木槌があるような場所に引き摺っていったの」

「いやいやいや。おやっさんが真っ先に自分の部屋に取りに行っただけだって。これでも結構押さえてたんだよ?」

「だったら部屋の前で盾になればいいじゃない」

「俺に死ねと!?」


 オデットが入り口の破壊具合を確認しながら、副隊長に文句をいい、そのまた奥では、母とソフィが、なにやら楽しそうに会話をしている。


「お母さん、お茶しようにも、椅子が壊れてる。これじゃあ、全員座れないよ」

「じゃあ、食堂の方から借りてきましょ。あ、お客さんの分も借りてきてね」

「はーい」

「食堂で転がってる酔っぱらい達は、踏んづけちゃ駄目よ。運ぶのは、起きてる人に手伝ってもらいなさい」

「え、ほったらかしてきたの?」

「突然呼ばれちゃったから。あっち、まだ宴会やってるのかしらね?」


 一家は、大変暢気であった。

 中にいる全員が、まったく表に構っていない。


「……ジゼルの家族だなぁ」


 シリルのぼそりと呟いた感想に、その腕の中でジゼルは少し上にある顔を睨み付けた。


「ジゼル」


 父の催促に、シリルは頷き、ジゼルの体から手を離し、その背中を部屋に向かって押しやった。


「あ、そうだ」


 突然、そう呟いたシリルは、その手から指輪をひとつ取り外し、ジゼルに手渡した。


「……シリル様!?」

「持ってて。それがあると、意味が無いから」


 それは、耳飾りと共に、シリルが片時も外したことのない装飾品のひとつだった。

 それに気付いたジゼルは、思わず顔を上げ、困惑の表情を見せた。


「でも、これは……」

「大丈夫。それが無くても、防御は出来る。それより、魔法を使うから、ジゼルは安全な部屋の中で、待っててくれるかな」


 ジゼルは、にっこりと微笑んだシリルを見つめ、しばしの躊躇はあったが、結局シリルと父の言葉に従うように、部屋に足を向けた。

 それをずっと視線で追いかけていたシリルに、父はにいっと凶悪な笑顔を向けた。


「……シリル=ラムゼン=バゼーヌ。俺は、あいにく中央のことには疎くてな。お前のことは、あっちの知りあいに聞いてきた」


 ゆっくりと視線を戻したシリルに、父は笑顔を消し、睨み付ける。


「でたらめ魔術師」


 父の一言に、シリルはにっこり微笑んだ。


「……その知り合いというのは、ベルトラン侯爵ですか。あの方は、私をいつもそう呼びます」

「昔馴染みの飲み仲間でな」

「じゃあ、情報源は一緒です。私も、あなたの事を、侯爵に聞いてきました。海賊狩りの野獣様。船を壊すのが趣味で、一番得意な獲物は大木槌。それを持っているということは、こちらも武器を使えってことで、いいんですよね?」


 父は、そのシリルの問いに、答えなかった。

 代わりに、木槌を再び構え、その表情から笑顔も怒りも消した。


「その腕二本潰すなら、ジゼルを嫁にやってもいいぞ?」


 父の言葉に、シリルは苦笑した。その意味は明白だった。


「腕を潰したところで、魔術師は廃業できませんよ。手が駄目なら、足がある。足が駄目なら、口がある。それも潰れれば、今度は視線で魔術を編む。それも出来ないその時は、もう命が潰える時でしょう。一度なってしまったら、命果てるその瞬間まで、魔術師でしかありません。そういうものですよ。それでも潰してみますか?」

「……ちっ」


 忌々しそうに舌打ちした父は、話は終わりだとばかりに、木槌をぐっと握り直した。


「俺はなぁ……孫が見てぇんだよ。ジゼルの子がな。あれがちびの時から、ずっとそう思ってた。それが……魔術師だと?」


 その瞬間、その場に風を切る音が聞こえた。

 シリルがとっさに下がったその目の前を、身に擦るように木槌が振り下ろされていた。


「認められるか」


 地響きと共に、静かに告げられたその言葉が、合図だった。

 シリルの周囲に、いくつもの光が瞬き、取り囲む。

 シリルにとっての武器は、その魔術。たとえ防御を外していても、それ以外の構成の魔道具は、その身につけたままである。

 でたらめ魔術師がその身につけた魔道具がひとつ、軽い破壊音と共に砕け散った。



 ジゼルは、部屋の中に入り、母や妹がお茶の仕度をしているのも構わずに、そのまま玄関の傍の壁に身を預け、目を閉じた。

 ぎゅっと目を閉じ、祈るように手を前で合わせたジゼルに、母は慌てて身を寄せ、その肩に手を添えた。


「……ジゼル、どうしたの?」


 母の心配そうな声にも、目を開けることはなかった。


「……見てたら駄目なの」

「ジゼル?」

「私が見てたら、シリル様の魔法は精度が下がる。……駄目なの」


 微かに震える娘を、母はぎゅっと抱きしめた。


「大丈夫よ。自分が選んだ男を信じなさい! 母さんだって、いつも父さんを信じてるわ。レノーは娘を泣かせたりしない。大丈夫!」


 ジゼルは、目を閉じたまま、その母の言葉を聞いていた。

 いつもいつも、口癖のように聞いた大丈夫という言葉は、目を閉じていても、それを告げる母の顔が思い浮かぶ。


「……うん。信じる」


 父も母も、そしてシリルも。ジゼルは、ただ信じて、目を閉じていた。



 重みのある木槌が、まるで棒きれでも振り回すように、軽々と扱われる姿に、シリルは戦慄すら覚えた。

 腕力だけで同じことをやろうとすれば、関節が外れるどころか、腕がもげる。

 だが、目の前の人物は、腰で、足で、その重みを体から流し、その木槌を振るい続けていた。

 この姿を見れば、なるほど、海賊が裸足で逃げると言われるのも、頷けた。

 この勢いで槌を船で振り回されれば、船自体が壊れる。それは、海賊にとっては、足をもがれるのと同じこと。どちらにせよ、この槌の前から逃げられない。

 それならば、見た瞬間に回れ右をする方が被害は少ないだろう。少なくとも命は助かる。

 だが、シリルは、逃げるわけにはいかない。そして、木槌の一撃でも食らえば、その時点で終わる。

 レノーの体が一歩踏み込まれ、重々しい木槌が、勢いよく空を裂く。

 その押し流されたはずの風も、まるでそれ自体が形を持ち、当たってきているような、そんな圧迫感がある。

 それを、シリルは自らの体の速度を上げ、ぎりぎりで躱しながら、さらに見えない糸で巧みに受け流し、少しずつ絡め捕るように魔法の糸を操っていた。

 時折、地面に振るわれる槌から重い音が響く。

 それを聞き、さらに振るわれる槌の軌跡を読みながら、シリルは口を開いた。


「子供は、ちゃんとできる可能性はある!」


 目の前に、横凪ぎに槌の頭が通り過ぎる。


「何が!」

「ジゼルだからこそ、可能性はある。まだ、研究段階だけど、魔術師の子供が産まれないのは、その子種自体も、魔力に侵されるからだといわれている。人である母体がその魔力を感じると、人の子ではないと判断し、流してしまう。だけど、ジゼルは、魔力を受け付けない。子供の魔力も、受け付けない。それなら子供自身がそれに耐えられるだけの器を持っていれば、出来る可能性は十分にある」

「可能性って事は、まだ成功した試しがないって事だろうが! てめえはうちの娘を実験台にするつもりか!」


 レノーの叫びと共に、木槌は地面を抉る。


「両親共に普通の人であろうと、子供ができるかできないかは神の御心だ。それなら、私とジゼルだろうと同じこと。実験だろうと、唯一の可能性にかけて、何が悪い!」


 魔力の糸に力を込め、レノーの木槌に絡めてある糸から、その重量を操作する。

 変幻自在に伸びる見えない糸は、シリルの望みどおりにその物に浸透し、対象の性質を組み替えた。


「ぐっ!」

「ジゼルだけが、私を人に戻してくれる。それを求めて、何が悪い!」


 急激に増した重量に、レノーの腕がまずその重みに耐えられなくなる。扱い慣れた武器だからこそ、手を離すタイミングも計れたような物だった。

 今までと比べものにならない重々しい音で木槌は地に落ち、レノーは一瞬顔をしかめ、だが、すぐさまその体勢を整えると、猛然とシリルに挑みかかった。


「……っだったら! 一発くらい! 食らっとけや!」


 その拳が、空を裂く音と共に、シリルの顔面を直撃した。

 今まで避けていたのが嘘のように、あっけなくシリルは吹っ飛び、それを見ていたレノーは盛大な舌打ちをした。


「……明日からは訓練に付き合え」


 レノーが身を翻すと、兵士達が兵舎の窓に群がり、固唾を飲んで成り行きを見守っていた。

 その様子を見て、レノーは声を上げた。


「酒蔵を空にする勢いで、酒持ってこい!」


 話は終わったとばかりに、荒々しい足取りでレノーは兵舎に姿を消した。

 ジゼルは、慌てて家を飛び出すと、吹っ飛んでいたシリルの元へ駆け寄った。


「シリル様!」

「……大丈夫」

「だ、大丈夫って……。あら? 殴られたん……ですよね?」


 思わず自信なさげになったのは、その殴られたはずの顔に、まったくその気配がなかったためだった。

 腫れ上がるか、唇が切れているか、父の拳を受けた人物が、まともな顔でいた試しがないのだが、シリルの顔には、そのような傷は一切無かったのだ。


「とっさに、防御魔法張ったんだ。防御するのは、本能と代わらないから、呪文も何も必要ないし。……ただ、指輪より発動はぎりぎりになるんだよね。……おかげで、その防御越しに衝撃を食らって、吹っ飛んだ……」


 ゆっくりと起き上がったシリルは、頭を押さえ、涙を浮かべていた。


「まだ、目の前がちかちかする。……頭の中から、いくつか呪文が吹っ飛んだ気がするんだけど」


 起き上がったシリルを、ジゼルが支えて立たせると、周囲から響めきが沸き起こった。


「すげえ、あいつ起きたぞ?」

「魔術師、どうやったんだいったい」


 不思議そうな問いかけに、シリルはいつもの笑みを浮かべ、兵舎に向かってひらひらと手を振った。


 その日、砦では、通常よりも遅くまで煌々と火が焚かれ、客人となったシリルも迎えられ、賑やかな酒宴がいつまでも繰り広げられたのだった。



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