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殻を破る時 12

 なぜか馬車の上で硬直してしまったジゼルに、妹二人は顔を見合わせ、首を傾げた。

 箱馬車の屋根に躊躇いもなく登っていくような、姉妹の中である意味一番度胸のある姉が動揺するような事態など、簡単に起こりうるのかと、二人してジゼルが聞けば怒りそうなことを考えてしまったのだ。


「……姉さん、どうしたの?」

「え、あ、な、なんでもない。なんでもないの!」


 突然の問いかけに、飛び上がるように驚いたジゼルは、慌てたように妹たちに顔を向けると頭を振った。

 ジゼルは、実は隠し事はそれほど上手くない。なぜならすべて顔に出るのだ。

 常に一緒に育ってきた妹たちから見れば、それは一目瞭然だった。姉が何かに動揺し、ごまかそうとしている事に、妹たちは揃って気が付いていた。


「……もしかして、汚れたとか破れたとか?」

「もしくは、忘れてきちゃった?」


 二人して、同じ結論を抱き、姉に問いかける。


「なんでもないの!」


 ますます疑惑が色濃くなり、妹たちの表情にも明らかにその思いが表われていた。


「……いやあ、娘さん三人ですか。皆さん大変お美しい。羨ましいことですね」

「いやあ、それほどでも!」


 そんな中、響き渡った父の嬉しそうな笑い声と朗らかな会話に、思わずカリエ家の女性達は、そちらに視線を向けていた。


「……あら、お客様でしたの?」


 ようやく気が付いたように、母は父に向かってそう言った。

 父の隣に、黒い神官衣を身につけた初老の男性が立っていた。

 その姿を見れば神官なのはわかるが、その衣装の色に妹たちは首を傾げる。

 神官は、神によってその身に纏う色が変わる。神によって色を変え、刺繍する紋章によってその官位を示すのだが、その神官は、黒の衣装に、多種多様な色で、見たことのない紋章を刺繍してあるのだ。


「……あ!」


 ジゼルは、今までの動揺が嘘だったように、その顔に驚愕の表情を浮かべ、馬車から大慌てで降りてくると、その神官の前に駆け寄っていた。


「お待たせして、申し訳ありません!」

「いえいえ、かまいませんよ。私はこれからまだ一週間ほど、同じ職務についている者を待つためにこちらの町に滞在することになりますし。今日はお母様に説明をするために伺いましたから」

「私に?」


 母が、それを聞いて不思議そうな声を上げた。


「すみません、まだまったく説明をしていないので……」


 慌てて神官に頭を下げるジゼルに、神官は慣れていますからとにこやかに頷いた。



 場所を家の居間に移し、母は神官に丁寧に説明を受けることになった。

 ジゼルにとっては懐かしの我が家だが、覚えていた以上にそこを狭く感じて、ここにいなかった期間の長さを実感していた。

 ジゼルが部屋の中を見ている間に、大まかな説明が終わったらしい。

 母は、父やジゼルが想像したとおり、本当に考えたのかといいたくなるくらいにあっさりと誓約して宣言することを了承した。


「これまでの説明で、何かお気にかかることはございませんか?」

「あ、神様が直接話を聞いてくださるような宣誓は、お金がかかるんじゃありません? うちは年頃の娘が三人いますから、これからお嫁入りでお金がかかるんです。お安くなりますかしら?」


「「「気になるのはそこなの!?」」」


 話を聞いていた娘三人が、同時に母に突っ込んだ。こんな所まで、仲のよい姉妹である。


「当たり前じゃない。誰か一人だけにお金をかけて、なんて母さん考えてないわよ。全員おんなじように送り出すんだからね。節約できるところはやっとかないと、足りなくなるじゃない」


 むん、とばかりに拳を固め、身を乗り出す母に、娘は全員あきれ顔になった。

 そんな様子を微笑ましく見守っていた神官は、安心させるように母に優しく説明した。


「お代に関しては、すべてベルトラン侯爵家にてお支払いいただいております」

「……え?」

「え、もう支払い済みなんですか? 受ける受けないにかかわらず?」


 ジゼルの問いに、神官は笑顔で頷いた。


「ええ。侯爵閣下が、こちらのご夫妻は、ご亭主が了承したならば間違いないだろうからと、ご子息の誓約の代金とご一緒に、返却は不要とのお言葉と共にお支払いくださいました」


 唖然としたジゼルをよそに、母はにこやかに微笑んだ。


「それなら、ご厚意に甘えますわ」

「では、場所は……このガルダンには水神の祠がございましたね。そちらで行いましょう。こちらの水神の神官には、私から申し入れいたします。日付けのご希望はございますか?」

「まあ、私はいつでも構いませんよ。なんでしたら今これからでも大丈夫です」


 母の暢気な返事に、こちらも負けないほど暢気に、神官は頷いた。


「さすがにこれから今すぐは、水神の神官がお困りになるでしょう。明日でよろしいでしょうか。お時間については、明朝こちらの神官と協議の上決定し、お知らせします」


 すでに、兵士達の食事の時間が迫っていた。日々体を酷使し飢えて帰ってくる若い兵士達のために、食事の仕度をしなければならない。

 神官は、では失礼しますと早々に立ち上がり、父は神官を水神の神官の所に案内するため、家を出ていった。


「さて、じゃあ、早くご飯にしてあげないとね」


 この砦では、一応兵舎の管理のための女手を雇っている。しかし、母は、ここにいる兵達は、みんな夫にとっては我が子と変わらないからと、その世話を自ら率先して行っていた。

 その母の背を見て育った娘達も、もちろんそれに異論はなく、全員がその手伝いを喜んで行っている。

 食事の時間になると、配膳や食器の片付けなど、人手はいくらあっても足りない位なのだ。

 この砦には、訓練のために在籍するものも含め、大体五十人ほどが常駐しているが、そのうち半数以上はここに併設された兵舎で寝食を共にする独身男性達である。


 兵達は帰ってくるなり、三人娘が揃った姿を眼にして、大喜びでジゼルを担ぎ上げ、まるでここだけ祭りでも始まったかのような大騒ぎとなった。

 神官を送り帰ってきた父は、その大騒ぎを見ても止めはしなかった。むしろ、率先して酒を樽で持ち出し、そのままそこは宴会場と化した。


 ――衝動的に先送りにしてしまった問題をジゼルが思い出したのは、娘に酒の給仕などさせられるかと、父に食堂から送り出され、自宅の居間に帰った後だった。


 出迎えてくれた非番の兵達によって、ジゼルが持ち帰った荷物は馬車から降ろされ、居間に並べられていた。

 それを見た瞬間、妹たちは改めて期待に目を輝かせ、それと対称的にジゼルの顔から血の気が失せた。

 この瞬間まで、ジゼルはすっぱりとこれのことを忘れていたのである。


 妹たちの視線に、ついにごまかしきれなくなったジゼルは、再び箱に手をかけ、そっと開けた。

 昼に、お腹を見せて転がっていた猫は、同じ位置で、今は背中を向けて丸まって眠っていた。

 幻でもなんでもなく、改めて現実を突きつけられ、ジゼルはがっくりと肩を落とした。


「……猫?」

「うわぁ、すごい綺麗な毛色!」


 動物好きなソフィは、ジゼルが止める間もなく猫にそっと手をかけ、箱から取り出した。

 動かされても、猫はまだすやすやと眠っており、ジゼルはそれに一瞬の違和感を覚えた。


「お姉ちゃん、どうしたのこの子。すっごくかわいい猫ね」

「向こうで飼ってたの?」

「……ええと、私が飼っていた訳じゃなく……向こうで、お世話になった方の猫……」


 なにやらはっきりしない、くぐもった声で、がっくりと肩を落とし、箱に手をかけたまま項垂れる姉の姿に、妹たちは揃って目を見開いた。


「……それって、貴族のお家の猫ってこと?」

「簡単に言うと、そう……」


 難しく言うと、事情の複雑な猫である。なにせ、本物の猫ではない。そして、その飼い主と、眼やらなにやら、繋がっている猫である。

 ジゼルの頭の中に、どうしようという言葉が、何度もぐるぐると回っていた。

 この猫は、シリルにとっては『眼』そのものだ。魔法使いは、眼が届く範囲になら、魔法の影響を及ぼせる。つまり、この猫が居る場所は、シリルの魔法の範囲内という事になる。

 しかし、だからといって、シリルが実際こちらに魔法を飛ばしてくるような用があるのか、それがわからない。

 ここから王都までは、馬車でゆっくり移動して三日、馬で飛ばして一日という所である。その距離があるのに、魔法で出てきている猫は、シリルと離れて無事でいられるのか。

 そもそも、猫は、どうしてこの箱の中に入っていたのか。

 考えれば考えるほど、どうしてと、それだけになってしまう。

 あちらで荷物を纏めた時は、ジゼル自身が詰めたので、猫は入っていなかったことを断言できる。

 鍵がかかるような立派な箱ではないので、金具だけで留めていたが、それはたしかにそのままだった気がした。

 ふと見てみると、金具はぐらぐらと外れかけており、鍵が止まったまま、少しだけ持ち上げることができた。猫はどうやら、この隙間から、中に入りこんだらしい。

 ちらりと、ソフィの腕の中にいる猫に視線を向けると、猫はたまに手をぴくぴく動かしながら、そのまま眠っている。

 ふと、外を見ると、外はすでに陽が落ち、月と星の、魔術師達の時間になっていた。シリルは確実に起きている時間。いつも、確実に猫と繋がっていた時間だった。


「ちょ、ちょっと貸して」


 あわててソフィから猫を受け取り、慌てて軽く刺激する。

 どれくらいの間猫があそこにいたのかは知らないが、もしかしたらそれで何か体調でも崩したのかもしれないと思ったのだ。

 慌てた姉の姿に、オデットは母を呼ぶために食堂に向かった。

 オデットが、両親と、砦の副隊長まで伴い帰ってきた時、猫はようやく目を覚ました。

 その瞳を見て、ソフィが再び感嘆の声を上げた。

 だが、父は、それを見た瞬間お腹に響くような声を上げた。


「捨ててこい!」


 聞いた瞬間、ジゼルはああやっぱりと頭を抱えた。

 父は、シリルを見たのだ。あの時、無理矢理作った笑顔でシリルを怯ませていたのだから、この色を見れば、この猫とシリルの繋がりも推測できるだろうと思っていた。


「お父さん、それは駄目じゃない? だってこの子、貴族のお家の猫なんでしょう? ちゃんと返さないと、怒られるよ」


 ソフィの言葉に、父はとんでもないと頭を振る。


「猫じゃない!」

「え?」

「それは、泥棒猫だ!」


 どうやら父は酔っているらしい。その場の全員が、そう思った。

 父の宣言に、部屋が静寂で包まれた。

 全員が、ぽかんと父を見上げていたが、ソフィだけはなにやら思うところがあったようで、ぼそりと呟いた。


「……泥棒猫も、猫だよね」


 ね? となにやら不思議そうにジゼルに小首を傾げながら問うが、ジゼルにはそれに答える気力はなかった。


 父は、妹の問いを無かったもののようにして、ジゼルの腕の中にいた猫をひょいとつまみ上げると、外に出し、力の限り扉を閉めた。

 何度も父の力に耐えてきた扉は、その頑丈さは折り紙付きで、大きな音をたてながらも壊れることなく扉の役割を果たしていた。

 外から、突然追い出された猫の、慌てたような鳴き声と、扉をかりかりと掻く音が響く。

 ソフィは、非難の視線を父に向け、それ以外の全員が、どうしたものかと困惑していた。


 しかし、扉の外の鳴き声がおさまり、掻く音も聞こえなくなると、ジゼルはさすがに心配になり、外に見に行くために、扉に手をかけた。


 その時だった。


 コンコンと、軽いノックの音が、その玄関から聞こえてきたのである。

 人が尋ねてくるような時間ではない。むしろ、尋ねてくるのは非常識な時間である。

 ジゼルは、嫌な予感をひしひしと感じながらも、掛けていた手をそのまま引いて、扉を開けた。

 

 ――そして、外を確認し、そのまま再びそっと閉めた。


「見なかった見なかった見なかった見なかった……」


 扉にもたれ掛かり、呆然とした表情で突然ぶつぶつ呟きはじめた姉に、妹二人は怪訝な表情になる。

 そして父は、隣に立っていた副隊長が一瞬たじろぐほどの怒気を、その身に纏った。


「ちょっ、ジゼル! 自分で言うのもなんだけど、こんな目立つでかい人を見なかったことにはできないから! 見た人が十人中十人覚える目立ち方だから!」


 外からは、先程の軽いノックの音とは比べものにならない、必死の連打の音が部屋に響き渡っていた。 


「いるはず無い。まぼろし、まぼろし……」

「本当にいるからー!」


 扉の内と外で、奇妙な掛け合いが続くのを、父を除いた全員が、唖然としながら見守っていた。

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