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殻を破る時 2

 シリルは、簡単にジゼルの魔法の影響を調べ、次は腕輪をジゼルから受け取り、確認しはじめた。

 その間、師匠だという梟は、案内されたソファにシリルが座るやいなや、ジゼルの周囲を跳びはね、物珍しそうにジゼルのことを見つめている。

 ジゼルは、その不思議な行動に、若干の居心地の悪さを感じ、思わず立ち上がった。


「あの、使い魔さんはお茶よりお水の方がいいのでしょうか?」


 腕輪を調べているシリルに遠慮がちに問いかけると、シリルは腕輪から目を外さずに、あっさりと頷いた。


「その体は、あくまで梟だから、水の方がいい。お願いできるかな」


 ジゼルは、それを聞いて、控え室にいるレアに声をかけ、お茶を二人分と、梟のための水を出してくれるように頼んだ。

 そしてシリルの正面にある椅子に座ると、梟は、その隣にあった椅子に飛び乗り、再び大きな瞳でジゼルを見つめている。

 不思議な状況だが、今はひとまず、梟の視線は忘れることにした。


「あの、シリル様。昼の、他の人が寝てしまった魔法は、その腕輪で防いだんですか?」

「うん。今見ているけれど、ちゃんと発動したみたいだ。その分、魔力が削れている。少し補充しておくから」


 以前、猫の出る腕輪を調整した時のように、軽くカツカツと自らの指輪を打ち付けるシリルを見ながら、ジゼルは尋ねる。


「……同じ馬車に乗っていたのに、フランやレアさんは、魔法の影響が出てしまったので、どうしてかと思ってました」

「ジゼルのこれは、ジゼル自身にしか効果が出ないから」

「そうなんですか?」

「うん。大慌てで作ったから、範囲の指定まではできなかったんだ。だから、ジゼル自身しか、守れない」


 そう言われ、ジゼルは、思わず自分の耳に触れた。


「じゃあ、あの、耳飾りは、シリル様達が通ってきた、あれを出すためのものだったのですか?」

「……正確には、違うかな。あれは、『眼』だから。『眼』が、私を呼び寄せるためにあの姿になってる。だから、その出したものを固定するための呪文を、ジゼルの耳飾りに付けておいた」

「あれって、『眼』の猫なんですか?」


 驚きに、身を乗り出すジゼルに、思わずと言った風にのけぞりながら、シリルは頷いた。


「以前、ジゼルが猫を追いかけた時の話をしてくれただろう? もしかして、そういう呪文の組み合わせもあるのかと思って、何度も試したんだ。そうしたら、あの効果が出た」


 何をどう組み合わせれば、『眼』と『耳』の猫が、なんでも通り抜ける不思議な現象になるのか。その二つとは関係なさそうだが、元々この腕輪が防御に関わる物だったのだから、まったく別の現象も合わさっているのかも知れないことに思い至り、ジゼルは眉を寄せる。


「じゃあ、あの、髪飾りももしかして、なにか呪文のために、壊れたんですか?」

「うん。あれは、相手の呪文を無効化するために使った。襲ってくる相手に魔術師がいるにしても、どんな呪文で来るかわからない。だから、そもそもの呪文を破壊する物を作っておいた。ただ、ちょっと範囲が広すぎて、魔力を使い果たして壊れたんだ」


 その説明に、ジゼルはほっと胸をなで下ろした。

 自分が壊したのだと思っていたのだ。そうじゃなかったことに、ほんの僅かだが救いを感じた。


「髪飾りを使って、無理矢理眠りを払ったまではよかったんだけど、眠りの他に、四肢の麻痺も含まれていたから、体から影響が抜けるのに時間がかかったんだ。眠気はすぐに覚めるけど、一旦止められた四肢は、回復に時間がかかる。それを見越して、二段構えにして、後続の襲撃を目論んだんだろうね」


 ジゼルは、シリルの説明を聞き、ふと気が付いた。


「あの、襲撃してきた人達、ここからは自分達が護衛をして運ぶと言ってました。……どこに私達を連れて行くつもりだったんでしょうか」

「さすがに私にはそれはわからない。……師匠、追いかけました?」

「ミュー」


 呼ばれたことで、ようやく視線をジゼルから外した梟はカツカツとくちばしを鳴らしていた。

 ジゼルには、なにをしているのかさっぱりだが、どうやら会話していたらしい。


「相手の隠れ家を見つけたので、王国軍がすでに向かっているって」

「追いかけるという事は、あの場で逃げた人がいたんですか」

「うん。念には念を入れたんだろうね。あの道の先に、もうひと集団隠れていたんだ。ベルトラン兵に、どこまで魔法が通用するかわからないから、いざとなった時は合流して、戦力を増強できるようにしていたんだと思う。ただ、あの場を完全に封鎖したから、その集団は手出しせず、あらかじめそう決めていたのか、ばらばらに逃げたらしい」


 こくんと頷いた梟に、ジゼルは驚きを隠せなかった。


「もしかして、使い魔さんもあの場にいらしてくださったんですか?」

「うん。ずっと飛んでついてきてくれていたんだ。私の『眼』は、猫として馬車の中にいたから、全容を上から見ていてくれた」


 梟は、シリルに顔を向け、こくこくと顔を動かしている。

 それを聞いて、ジゼルは改めて梟に向き直った。


「……ご助力をありがとうございました」

「……キュー」


 頭を下げたジゼルに、梟は静かにその場で羽ばたいた。


「師匠。羽毛が飛んでる。部屋の中でそれやらないで……」

「フギャー!」


 猫の叫び声のような鳴き声を上げ、梟は飛び上がる。

 ジゼルはその時、生まれて初めて、梟の跳び蹴りというものを目撃することになった。 弟子の頭に、正面から華麗に跳び蹴りを決めた師は、そのままその頭によじ登り、がっしりした足で体を固定すると、まるで巣に納まるように丸くなった。


「……重い」

「それは自業自得だと思います」


 思わずくすくす笑いはじめたジゼルに、シリルは気まずそうに目を逸らし、梟は再びキューと鳴いた。


「不思議です。爪がそんなに鋭いのに、傷を付けることはないんですね」

「今は、怪我をさせないように、爪を力で覆っていたんだ。師匠の使い魔なら、それくらいの魔法は自分で紡げる」


 驚き、思わず梟を繁々と見つめると、梟はほんの少し自慢げに膨らみ、キューと鳴いた。



 その後、すぐにレアがお茶と、少し深めの器に水をテーブルの上に用意して、再び足早に部屋から姿を消した。

 梟は、水を飲むために机に降り、シリルは重みの無くなった頭を上げて、ジゼルに腕輪を返却した。

 シリルが渡してくれた腕輪を再びはめながら、ジゼルは身を正してシリルと向き合う。


「あの時は、髪飾りを私が壊したのかと思ってびっくりしたんです。出来るなら、会場で突然魔法が発動しても驚かないように、明日身につける物にどんな効果があるか、教えていただくわけにはいきませんか」


 ジゼルの真剣な姿に、シリルはほんの僅かに、目を見開いた。

 そのあと、困ったように首を捻る。


「……教えるのは構わない。だけど、必ずその効果で使うとも限らない。それでも大丈夫?」

「どういうことでしょう?」

「あの熊と同じこと。私は、自分が作った道具に織り込んである魔法を分解し、再構築して、新しい魔法を紡ぐことも出来る。その場に自分がいるなら、そうやって使うこともあるんだけど、構わないかな」

「構いません」


 ジゼルは頷き、聞き漏らすまいと真剣に耳を傾けた。


 ――しかし。


 シリルの説明は難解すぎ、半分も頭に入れられなかった。


「……ええと、髪飾りが、『索敵』で首飾りが『標識』。耳飾りが『警戒』、腕輪が『防御』……で、あってますか?」


 一応そう尋ねるが、ジゼルはただ言葉しか覚えておらず、それがもたらす効果は半分ほどしか理解できない。それこそ、言葉どおりにしか捉えられなかった。

 シリルは、頷いていたのだが、それを見ていた梟は、突然「クォー!」と鳴いて、体を揺らせた。

 その梟の様子をみて、シリルは顔をそむけ、額を手で押さえて項垂れた。


「え、あの、どうかなさいました?」

「……お前の教え方は下手だから、ジゼルには明日自分が教えるって……言われた……」

「え、明日?」

「師匠も、明日の招待客に入ってるから」

「そうなんですか?」

「クァー!」


 ジゼルに返事をするように一声鳴いた梟は、そのまま毛を膨らませ、なにやら自信満々に胸を張っている。

 その様子が、なにやらとてもかわいく見えて、つい微笑みがこぼれる。


「……あの、シリル様」

「うん?」

「使い魔の方に、こんな事を言うのは失礼かもしれないのですけど……梟さんは、お体を触っても、大丈夫でしょうか?」

「……へ?」

「ずっと、猫を撫でていたので、その癖がついてしまったみたいで、なんだか寂しく思っていたんです。すこし、撫でさせていただいても、いいでしょうか?」


 ジゼルがそうシリルに許可を求めると、まるでその返事とばかりに、梟は自らジゼルの膝の上に飛び乗り、自ら撫でられるように、その手にじゃれついた。

 ジゼルは、恐る恐る手を向けると、わざわざそこに梟は身を寄せて、丸い頭が手に納まった。


「……暖かいですね」


 嬉しくなり、梟を撫でる手は、どんどん大胆になった。

 翼の少し上に指を挿し入れると、すっぽりと指は羽根に埋もれた。梟は、ずいぶん膨らんで見えているようで、その体は実はとても細いことがそれでわかる。


 ジゼルが嬉しそうに梟を撫でているその正面で、シリルはなにやら難しそうに考え込む。 そして突然、梟を撫でていたジゼルの手を取り上げた。

 突然の事で、ジゼルが驚きで身を竦ませている間に、シリルは腕にはまっていた抜けない腕輪に手を添え、指先で軽くなにかを描く。

 少しずつ、茶器が載せられているテーブルの上に、光が集まり、織り込まれ、そしてそこに、見慣れた形が浮き上がる。


「……猫ちゃん」

「なぁーん」


 光が収束した時、そこには見慣れた猫が居た。

 喜びも露わにジゼルが呟くと、猫も嬉しそうにそれに答える。


 そして、ジゼルから手を離したシリルは、その手をそのまま、ジゼルの膝の上にいた梟に伸ばした。

 がしっと掴み、自分に引き寄せると、しっかりと抱きしめる。

 そして、梟がいなくなり、空いた膝の上には、ちゃっかりと猫が乗り、ころんと転がった。


「なぁーう」


 ――撫でて。


 ジゼルを見上げる翡翠の瞳が、そう語っていた。

 その早業に唖然としながらも、ジゼルの手は、触り慣れた猫の体を、ごく自然に撫でていた。

 シリルにしっかり抱え込まれた形の梟は、なにやら憮然とした様子でしばらく抱かれていたのだが、突然自分を抱えていたシリルの腕に噛みついた。


「痛ッ」


 一瞬腕が緩み、梟は一度舞い上がると、そのまま静かに弟子の肩に舞い降りた。

 なにをするのかと思えば、今度は耳に噛みついた。


「いたたたた!」


 どうやら、師匠はご機嫌斜めになったらしい。

 さんざんつつかれたシリルは、慌てたように別れを告げ、梟をしっかり抱き留めながら部屋をあとにした。


 残された場所に、突然訪れた静けさに、ジゼルはふと、先程シリルが来るまで考えていた事を思い出す。

 しかし、ふたたび手元に戻った猫は、それを慰めるように鳴いて、ジゼルの心を和ませるように、甘え続けた。



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