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これからの日常 1

 西のガルダンは、雪こそ降らないが、冬は風が強く海が荒れるため、その港はほぼ封鎖状態となる。

 季節風によって長く閉ざされたその港に、春の一番風が吹く時、一番最初に揚げられた荷は、すべて王家に献上する習わしとなっている。

 今年もまた、その春一番を運ぶ商隊は、船の荷物をすべて馬車に積み、王都の門を潜ったのである。


 今年は、王太子ロランの婚約の儀式が、この春執り行われることが決定している。その日から結婚の日まで、国中で祝賀行事が行われることになっており、商隊が運ぶ荷も、そのための食料品や献上品など、日常では見ることがないような高価な品ばかりとなっていた。

 毎年、この季節に荷を運ぶ場合、警戒に警戒を重ね、盗賊の襲撃に怯えながらの行程となるのが常なのだが、今年は、秋に街道の盗賊団が王太子の近衛隊の指揮によって一斉に討伐され、長年ここを根城にしていた人攫いも一掃されていた。そのおかげか、道中はなんの波乱もなく、荷馬車の到着を半日ほど短縮できるほどに快適になっていた。


 その商隊の護衛は、毎年西砦の兵が担当することになっているのだが、今年はその中に一人、一際小さな人物が紛れ込んでいた。

 草木で染められた地味なズボンと、生成りのシャツ。それに貝の粉で染めたガルダン特産の布で作られた長い上着を羽織り、夜に野外で過ごしても大丈夫な、フード付きの厚手のマントを身に纏ったその人物は、王都にたどり着いた後、一人の西砦の兵に腕をひかれ、商隊をそっと離れたのである。


 すでに王都の通りは、祝賀の飾り付けで溢れており、婚約の儀の前から、大変な賑わいを見せていた。

 フードを少し上げ、王都の華やかな道を楽しそうに見上げながら、その人物はため息混じりに呟いた。


「すごい。お祭りみたい」

「まあ、祭りみたいなもんだな。なんせ、王太子殿下の結婚まで、ずっとお祝いが続くんだし」


 フードの下で、きらきらと大きな眼を輝かせ、その小さな人物は隣の兵士の袖を引く。


「屋台とかも出る?」

「でるだろうなあ。だけど、屋台を見に行くのは、また後だぞ、ソフィちゃん。先に、ジゼルさんの所へ行かないとな」

「うん、ありがとう!」


 満面の笑みで答えたソフィーナは、早く早くと隣の兵士の背中を押して急き立てる。

 シリルとの約束通り、父を説得し、来年こちらに来られることになったソフィーナは、すぐさまジゼルに手紙を出すと、住む場所や修行のための店を下調べするためにと、春一番の荷の出立に合わせてこちらにやってきたのである。

 手紙の返事で、シリルは、自分の家で面倒を見るので、王都に来たらまずバゼーヌ家に来るようにと書いていた。

 護衛としてついてきた兵士は、押されるままにその方角を微妙に修正しながら、大切な預かりものであるソフィーナを目的地に送るため、足を進めたのである。



 たどり着いた門の大きさに、先程までのはしゃぎっぷりもどこへやら、ぽかんと口を開けて、ただただ見上げるだけになったソフィーナに、隣に立つ兵士は困ったように頭を掻いた。


「ソフィちゃん。ほれ、早く入らないと、ここは警戒が厳しい場所なんだぞ」


 しかし、そう言われて肩を叩かれても、ソフィーナは動けなかった。


「あ、あの、だって、ほんとに、ここ? ここがほんとにバゼーヌ家?」

「そうだよ。王都のバゼーヌ公爵家ったら、ここしかないよ」

「で、でで、でも、お城だよ!?」

「いや、城はあっち。ここは、王都の中で、城の次に大きい家」


 兵士の指差す方向に視線を向けたソフィーナは、その指の先に、さらに大きな尖塔を見つけ、再び口を開けて動きを止めた。


「お城の、次?」


 それを聞いた途端に、へなへなとその場にしゃがみ込んでしまったソフィーナに驚き、兵士は慌ててその腕を取った。


「おいおいおい、ここでしゃがんでちゃ駄目だろ」

「シリルさんて、こ、こんな大きいお家の人だったの?」

「そうだよ。あの人あれでも、このでかい家の三男坊だよ」

「お姉ちゃん、本当にこの家に居るの?」

「いるんじゃないか。ここに来いって書いてあったんだろ?」

「と、泊まる場所もここって……」

「じゃあ、泊めてくれるんじゃないか?」


 あっさり言い放った兵士に、ソフィーナはぶんぶんと音が鳴りそうなほどに首を振った。


「ムリムリムリムリ! こ、こんな場所で、落ち着いて寝られないよ」


 ソフィーナが泣きそうな表情でそう言い切ったその時、突然、その立派な門がゆっくりと音を立てて開かれた。

 突然の事に、ビクンと跳ね上がったソフィーナを、門の中から一人の騎士が見つめていた。

 その騎士は、にっこりと笑って正面に歩いて来ると、片膝を地面につけ、ソフィーナに視線を合わせた。


「失礼ですが、お嬢様はジゼル様の妹君の、ソフィーナ=カリエ様でしょうか?」

「は、はい。妹君なんて立派な呼び方をされたことはないですけど、ジゼルは私の姉で、私はソフィーナです……」

「シリル様から、お話は伺っております。先程、人をやりましたので、すぐにジゼル様もこちらにいらっしゃいます。よろしければ、あちらの詰め所でお待ちいただけますでしょうか」


 そう言って指し示されたのは、門の中にある小さな建物だった。

 

 騎士の詰め所に案内され、そこにあった椅子に座ると、すぐにお茶とお菓子が用意された。

 秋にシリルが家を訪ねてきた時、手土産として持ってきた菓子が、皿に山盛り載せられているのを見て、ソフィーナは目を見張った。


「これは、シリル様が妹君にとご用意されたものです。お好きなだけどうぞ」


 ソフィーナは、その言葉を聞き、恐る恐る、それに手を伸ばした。

 ぱくりと一口含み、ふにゃりと顔が緩む。その様子に、ここにソフィーナを連れて来た兵士と、詰め所の中にいた騎士達は、一様にほっと胸をなで下ろした。   


 ――その時だった。

 詰め所の中に、金色の毛玉が勢いよく飛び込んできたのである。


「シグルド!」


 毛玉は、名を呼ばれてソフィーナに飛びついた。


「わおん!」

「大きくなったね」


 尻尾を振りながら、ソフィーナの膝の上で立ち上がり、その頬を舐めたシグルドは、スリスリと自分の耳をソフィーナの耳にこすりつけた。


「くすぐったいよシグルド」

「わぅん!」


 舐めるのと耳を擦りつけるのとを交互に繰り返し、シグルドの涎でソフィーナの頬がべたべたになった頃、詰め所の入り口からひょいと顔を出したジゼルは、中の惨状に「あら」と呟き、口を押さえた。


「ソフィ、大丈夫?」

「お姉ちゃん!」

「シグルド、舐めちゃだめ」


 ジゼルが命じると、シグルドはぴたりと舐めるのをやめ、ジゼルに顔を向けた。


「元気そうね、ソフィ。迎えに出てくるのが遅くなってごめんね。知らせの人より先に、シグルドが飛びだしていったから、来たのかなとは思ったんだけど……」


 シグルドの涎を、手巾で拭いながら、ジゼルはソフィに微笑んだ。


「ううん、大丈夫だったよ。ここの騎士さん達が、とても親切にしてくれたから」


 ソフィーナは、菓子を出してくれた騎士を見て、にこっと笑った。

 そんなソフィと騎士を見て、ジゼルは騎士達に深々と頭を下げた。


「妹がお世話になりました。許可証は出ましたか?」

「シリル様からのお言付けで、すでに用意しております。こちらをどうぞ」


 騎士が差し出した封書を預かり、ジゼルはぺこりと頭を下げた。


「ありがとうございました。さあ、中に入りましょう」


 ジゼルはソフィーナに立つように促し、その隣にずっと立っていた兵士に頭を下げた。


「ここまで連れて来てくれて、ありがとうございました。お帰りはどうなさるんですか?」


 その兵士は、西砦に所属する兵士だが、この王都出身で、実家がここにある。ジゼルも顔見知りのその兵士は、にいっと笑ってソフィーナの頭をぐりぐりと撫でた。


「実家が宿をやってるからな。その手伝いをしながら、ソフィちゃんが帰るまで、こっちにいる予定だよ」

「長くなるかもしれませんけど、大丈夫なんですか?」

「今回は、下見なんだろ。長くても二週間ほどだと聞いている。一応行き帰りの護衛は任務だが、こちらにソフィーナの身柄を預けたら、休暇って事になってる。用事が済んで、帰る日が決まったら知らせてくれ」


 兵士は、詰め所で紙をもらい、実家の宿の名前と場所を書き記すと、それを門番の騎士に手渡した。

 手を振って兵士が立ち去るのを見送って、ジゼルはソフィーナを公爵邸に案内した。


「……お姉ちゃん。私、今日、どこに泊まるの?」

「私が生活している離れよ。母屋は今、少し慌ただしいの。荷物を置いて、埃を落としたら、母屋にいる公爵夫人に、ご挨拶しに行きましょう」


 ジゼルの返事に、ソフィーナはほっと胸をなで下ろした。


「あのお城みたいな所で寝ろって言われたらどうしようかと思った」

「あら。お城みたいな場所はいやなの?」

「嫌というか……たぶん、落ち着かなくて眠れないよ」


 しょんぼりとしたソフィーナの言葉に、ジゼルは思わず吹き出した。


「そういえば、ここに来たばかりの頃、私もそうだった。やっぱり姉妹ね」


 くすくすと笑うジゼルに、ソフィーナはそういえばと首を傾げた。


「シリルさんは、今お仕事?」

「ええ。というか、ここ二週間ほど、家には帰れてないの」

「え? どうして?」

「王太子殿下の婚約の儀があるでしょう。その警備のために、ずっとお城でお仕事なのよ」

「じゃあ、会えないのかな。お世話になるんだし、ご挨拶したかったんだけど……」


 しょんぼりと肩を落としたソフィーナに、ジゼルは笑いながら、首を振った。


「いくらなんでも、あなたが帰るまでには会えるわ。来ていることは知らせるから、大丈夫よ」

「そっか。よかった」


 不安そうな表情を一変させ、ようやく笑顔になったソフィーナに、ジゼルは安堵の笑みを浮かべながらその頭をそっと撫でたのだった。 

 

「あっちはみんな、変わりない?」


 離れにたどり着き、ジゼルは手早く湯の仕度を調え、ソフィーナの荷解きを手伝いながら、ジゼルはずっと気になっていたことを口にした。

 ソフィは、それを聞かれた途端に、待っていたとばかりに笑顔になる。


「赤ちゃん、産まれたよ! 弟ができたんだよ!」


 はい、とソフィは大切にしまってあった母からの手紙をジゼルに差し出した。


「黒でも金でもなかった。母さんと同じ小麦色の髪で、お父さんと同じ、茶色の目。予定より少し早かったけど、すごく元気なんだよ」

「そう……よかった」


 ジゼルが母の手紙を読みながら、安堵したように頷いたのを見て、ソフィーナもふとおもいつき、口を開いた。


「お姉ちゃんも、変わりなかった?」


 ジゼルはその問いに、一瞬の沈黙の後、ソフィーナの耳元でぼそりとその答えを呟いた。

 その答えに驚き、ソフィーナが目を見開いて姉を見つめたその直後、マリーが玄関で公爵夫人の時間が出来たことを知らせたのだった。




 ジゼルが用意していた服に着替え、ジゼルとソフィーナは二人揃って、マリーの先導で母屋に入った。

 ソフィーナは、廊下にしかれたふかふかの絨毯や、あちこちにある美術品を珍しそうにきょろきょろと眺めていた。


「後でゆっくり見せていただけばいいんだから、今はきょろきょろしないでまっすぐ歩きなさい」

「あ、はい、ごめんなさい」


 姉の注意を受け、若干声の固いソフィがぎこちなく謝罪の言葉を口にする。

 マリーはそんな二人の様子を、微笑ましそうに見守りながら、公爵夫人の待つ部屋へ、足を進めた。


「こちらです」


 その部屋の前で、マリーは一歩下がり、ジゼルに先頭を譲った。

 ジゼルの後ろに続き、入室したソフィーナは、部屋で待っていた女性達を見て、その現実感の無さにぽかんと口を開けた。


「お義母様、妹を連れてまいりました。ソフィーナです。ソフィ、こちらが公爵夫人のディオーヌ様。そしてその隣が、王太子殿下の婚約者の、ソレーヌ様よ」

「……は、はじめまして、ソフィーナです。……王太子殿下の……?」


 ソフィーナの正面で、お茶を楽しんでいた二人は、緊張でぎくしゃくしているソフィーナに、にこりと微笑みかけた。


「まあ、なんて可愛らしいの。カリエの姉妹は全員とても美しいのだと噂では聞いていたけれど、聞いていた以上だわ」


 公爵夫人が嬉しそうに頷くと、隣でソレーヌもにこやかに微笑みながら、ソフィーナに気さくに話しかけてきた。


「ソフィーナさん、ガルダンからの旅、おつかれさまでした。王都の印象は、いかがでした?」

「はい、あの、とても華やかで、人が沢山いて、お祭りみたいでした。あの、王太子殿下の婚約の儀だからって、話を聞きました。お、おめでとうございます」


 どうしてここに、その婚約者が居るのかと不思議に思いながらも、ソフィーナは頭を下げた。

 その疑問を感じ取ったのか、ジゼルはソフィーナに、今この家が置かれている状況を大まかに説明した。


「今、バゼーヌ家は、ソレーヌ様の王都での逗留場所になっているの。ここで、お妃教育を受けていらしたのよ」

「ちょうど、明日までの滞在予定だったのです。あなたのお姉様のジゼルさんは、私の親しい友人なのです。妹さんがこちらに来ると聞いて、せっかくだから、私もご挨拶をしておこうと思ったの。明日明後日、私のご用であなたのお姉様をお借りします。王都にいらしたばかりのあなたを差し置いて、申し訳もないのだけれど、許してくださいね」

「いえ、あの、っだ、大丈夫です! せっかく会えたから、明日明後日は、シグルドと一緒にいます」

「シグルドって、あの金色の狼ね。そういえば、妹さんは、あの狼のお友達だとシリルさんに聞いていますわ」

「はい。ふわふわで、とても可愛いんです!」


 力一杯断言したソフィーナの様子に、公爵夫人とソレーヌは、揃って微笑んだ。

 初めて見る貴婦人達の姿に、ソフィーナは結局、勧められて飲んだお茶の香りも、初めて見るお菓子の味もわからないほど緊張してしまい、あとでがっくりと落ち込んだのだった。

 

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