27.
怖がっていたが、エイダンはそれでも年長者として立派に先頭を切った。
マリーヴェルをアルロに任せ、ゆっくりと歩く。
音が聞こえた、と聞いてソフィアも再び抱っこから降りて歩き始めた。灯りはマリーヴェルが持ち、アルロは二人と手を繋ぐ。
エイダンは灯りで照らしながら進むが、いつもの温室と変わらなかった。
「——あ、あれ」
「なに!?」
ソフィアが木の上を指さした。その先には青い実がぶら下がっている。
「いつ食べれるかなあ」
「・・・なんだ、実」
エイダンは自分1人がビクビクしているのに気付き、段々と落ち着きを取り戻した。
そうだよな。幽霊なんて、そうそういるもんじゃないだろうし。
「——折り返しまで来たよ」
温室を半分ほど歩いてきた。ちょろちょろと温室の中に水が流れる音がする。人工で水を引いているのだ。
——き、ぎぎ、ぎ・・・。
音は不意に、その先から聞こえてきた。
「あ、この音よ」
「ゆうれい?」
ソフィアが嬉しそうに言う。
「あ、危ないです、ソフィア様。一緒に行きましょう」
ソフィアは駆け出しそうになってアルロに引き止められた。
エイダンが音のする方へゆっくりと進む。
「・・・何もない」
「確かにこの辺から・・・」
マリーヴェルもエイダンの横に立って見渡すが、特に変わらずいつもの景色だった。水が流れて、苔が生えて、珍しい花が咲いている。
「——あ、あのきのこ」
アルロが指を指した。その先には黄色と紫のきのこが一部群生していた。
「きのこ?」
「ヨナキダケです。名前の通り、夜になると鳴き出すきのこです」
言った側から、またきのこの音が鳴る。
ぎ、ぎぎ、ぎぎぎ・・・。
「やだ。誰かの歯ぎしりみたいね」
「歯ぎしりって。情緒がないねマリー」
まさしくその音なんだけど。
「なによ、きのこに情緒って」
「あのきのこが、ゆうれい?」
「違うよソフィー、あれはきのこだよ。ただのきのこ」
「じゃあ、ゆうれいは?」
「うーん、今日はいないみたいだね」
「ええー」
ソフィアががっかりした声を上げた。
「はぎりしのきのこだけ?」
「は、ぎ、し、り」
マリーヴェルがゆっくりと訂正する。
「あれ、たべれるの?」
「食べられますが、特に美味しいわけでは、無いです」
ソフィアの質問にアルロが答えた。飢えていた頃は、夜中に抜け出して食べたことがある。
「おいしく、ないの?」
「味は・・・強いて言うなら、少し古くなった水の味ですね」
マリーヴェルとエイダンが揃ってひどい顔になった。
「音が不愉快な上に味もひどいだなんて。なんで生えてるのかしら」
「観賞用じゃない?奇抜な色だし」
「それこそ情緒がないわね」
「ゆうれい、いなかった」
ソフィアががっかりした声を上げた。
「また探せばいいよ。今度はアルロが言ってた音楽室行ってみる?」
「うん!」
ソフィアが嬉しそうに言う。
「なんで幽霊なの?」
「・・・ソフィーにも、おともだち、ほしいんだもん」
ソフィアはまだ4つだし、特定の仲良しというものがいない。マリーヴェルがベラと仲良く遊び、時折出かけたりもしているのを見て、心底羨ましそうにしている。
エイダンは騎士らと交流しながら忙しくしているし、マリーヴェルにはアルロがいる。
「そっか、寂しかったんだね」
エイダンの言葉に頷きながら、ソフィアは目を擦った。瞼が重いようだ。
「とりあえず、今日はここまでにしようか。眠いだろ」
「んー、でもたのしかった。ね、アルロ」
ずっと手を繋いでくれていたアルロに声をかけると、アルロは少し驚いたような表情をした。
「あ、よかった、です」
ソフィアは首を傾げた。
「アルロ、たのしくなかった?」
アルロは遠慮がちに、困ったような作り笑いのようなものを浮かべた。
「お誘いいただいて、ありがとうございます。感謝いたします」
ソフィアはますます不思議そうな顔をした。
楽しかったですね、という返答を予測していただけに。
「ゆうれい、いやだった?」
「いいえ。でも僕は、楽しんだらだめなんです」
アルロがあまりにも自然に言うから。
エイダンは聞き逃しそうになった。マリーヴェルの険しい顔がただならぬ様子に見えて、アルロを窺う。それを見て聞き間違いではなかったかと驚く。
「なんで?」
ソフィアの問いにアルロは少し考えた。
なんで、と聞かれても。漠然と、それが当然のことだと思っていたから。
父を捨てたことで得た今の生活。
父が苦しんでいるのに、自分が楽しんでいいはずがない。当たり前じゃないだろうか。
「僕は・・・ひどい人間だからです」
「アルロ」
マリーヴェルがはっきりと名前を呼ぶ。
「貴方はひどい人なんかじゃない」
「あ、その・・・でも」
事実、アルロは何もできなかった。
そして、物心ついた頃からずっと言われていた言葉が、もう今となってはアルロのほとんどを占めているように、こびりついて離れなかった。
役立たず、お荷物。疫病神。
けれどそれを口に出すほどの勇気もない。この煌びやかな場所で、自分の本性をさらけ出す勇気が。
ソフィアが不思議そうに言った。
「アルロ、いいこよ?」
「ひどい人間をペンシルニアが雇うわけないだろ?マリーの侍従なんてアルロじゃないと務まらないってタンも言ってたよ。僕もそう思う」
立て続けに言われて、アルロは沈黙した。
「でも、僕は・・・」
自分の周りの人を不幸にする。
闇の力を伏せたまま、それをなんと説明していいかわからない。
「わかったわ」
しばらくして、マリーヴェルが妙に力強く頷いた。
何がわかったなのか、尋ねるより前にマリーヴェルは一歩踏み出した。ドン、と地面を踏み締めて腕を組んでふん、と鼻息荒くした。およそ貴族令嬢の態度ではないが、子供ばかりの場だから誰も何も言わない。
「アルロには、圧倒的に、楽しみが足りていないのよ」
「え、いえ、僕は・・・」
楽しんでは——。そう言おうとしたところを、マリーヴェルが容赦なく遮る。
「中途半端に楽しいだけじゃだめ。もう、楽しくておかしくて、たまらなくって、もう、許してって叫ぶくらい———っ!」
ぐっと喉に何か詰まったように、マリーヴェルが息を詰める。それがこみあがってくる涙を我慢したからだと、隣にいたエイダンは察した。
エイダンは細かいことは知らない。ただ、アルロがあの父親との面会の度に傷ついて、少し前、ようやく決別したことは知っている。一番側にいるマリーヴェルが何も思わないはずがない。
「わかった。僕も協力する」
できるだけはっきりと、力強く言って、差し出したエイダンの手に、ソフィアが小さな手を乗せた。
「ソフィアもー」
わかっていないだろうが、この無邪気なにこにこの笑顔が場を和らげてくれる。
「とにかく楽しいことを沢山するのよ。毎日!」
「え、あ、いえ、そんな、僕のために」
マリーヴェルは有無を言わさずアルロの手を取った。ソフィアの上に乗せ、その上にマリーヴェルの手も重ねる。
「——まあ、とりあえず楽しく遊びたいだけだから」
エイダンは軽い調子でアルロに言った。
マリーヴェルがべたべたとすることに関してはいい気がしていない。しかし、アルロが目の前で苦しんでいることに関しては、全く別の話だ。
エイダンもアルロが殴られたのをその場で聞いている。どれほど力をつけても、成長しても、親からの暴力が蝕むものはとてつもないと思う。エイダンには想像もできない。
誰を恨むこともなく、その理不尽さの一切の原因が自分にあるとする優しさも。マリーヴェルに向ける献身も、とても真似できないだろうと、遠くから漠然と思っていた。
アルロがどれほど努力してこの慣れないペンシルニアで、自分の足で立ち直ろうとしているか知っている。たった一人で戦い続ける姿は、同い年として純粋に尊敬している。
何か力になりたい。元気づけたいと、心の底から思う。
「とりあえず遊び倒そうよ。僕はボート漕ぎと、山滑りしたい。一人じゃマリーとソフィア連れてくの大変だから」
「うん!いくいく!はぎりしとか、おんがくのゆうれいとか!」
ソフィアが歯を見せて笑う。
「もう歯ぎしりはいいわ」
「じゃあ、乗馬とか?」
エイダンは一番無難なレジャーを提案したつもりだった。
「お兄様」
マリーヴェルは手を腰に当てて、何を当たり前のことを、と呆れ声で言う。
「もうすぐ春よ?お花見に決まってるじゃない!」
「お花見は楽しいの?」
エイダンにその良さはわからなかった。
「楽しいわよ。アルロは花冠を作るのがすごく上手なのよ」
マリーヴェルが4つの時。アルロはマリーヴェルを、お姫様みたいだと言ってくれた。
「私がまだ小さい時・・・」
「いまもちいさいよ」
「ソーフィー」
頬をつねろうとしたら、するりとアルロの背後に逃げられた。
「じゃあ、ピクニクね!おべんとね」
「分かった。用意があるから、明後日で、どう?」
4人はそれぞれ頷いた。
こうして、ペンシルニアの子供会が発足した。
ただ楽しさだけを追求する、実に子供らしい目的の集まりだった。
基本的に大人は加わらず、自分達で行き先を決め、やる事を決めて遊ぶ。
シンシアもこの子供らしい集まりを大いに応援した。
毎日のように遊び続け、当初の目的はアルロを楽しませる事だったのに、いつのまにかこの4人での遊びが本当に子供達にとってただただ楽しくなった頃。
季節が進み、すっかり気温が温かくなって、草むらを走り回った子供たちの額には、汗が浮かんでいた。
ハンデ付きの鬼ごっこをしていた。
ソフィアとマリーヴェルが珍しく協力してエイダンを追い込み、エイダンは激しく尻餅をついて、変な声を上げた。
その時。
アルロが、声を上げて笑った。
4人いると色んな遊びができますね。




