17.
食事が一通り終わると、騎士らは寝るための支度を始める。
といっても、寝袋を出してきて焚き火の周りに並べるだけだが。
火の管理をする者、刃物を研ぐ者、片付けをする者と、それぞれ手際よく分かれていく。
「それで、これからどうするの?」
「これからって?」
「もう夜だし、送っていくよ」
こんな夜道を一人では帰せない。
何なら、そのままワイナリーにお邪魔するという手もあるが。アイラに会えたから、ワイナリーまで行く必要も別にない。
「私も野宿してみたいな。一緒に星空を見ながら寝ようよ」
「だ、だだ、だめだよ!」
エイダンは慌てたが、アイラは不思議そうに首を傾げる。
「なんで?」
「なんでって。家の人が心配するでしょ」
「家の人っていうか、単にお邪魔してる身だから。しばらく出て来るって言ってきたよ」
アイラはそう言って少し離れたところに繋いでいる馬を指した。
馬の鞍に荷物が括りつけられている。
「ちょっと行きたいところがあって」
「え、どこ?」
「ハギノル湖」
エイダンはそれまでくつろいでいた体を、ガバリと起こした。
一気に緊張が走る。
「今、ハギノル湖って言った?何か、あるの・・・?」
まさかアイラの口からその地名が出て来るとは思わなかった。
わざわざアイラが、王領であるハギノル湖を訪ねる理由がない。あそこは本当に何もない田舎の村だ。
——ということは、アイラは何かを察知したと言う事。
エイダンはアイラの硝子のような瞳を見た。この目で何が視えたのだろうか。
ハギノル湖はここからはかなり遠い。ここはファンドラグの東南部。ハギノル湖はペンシルニアから出た北方である。馬を強行に走らせても3日はかかるだろう。
「なんとなく。行った方がいいような気がして」
その言い方に、エイダンは強い不安に襲われた。
「あそこには、マリーが行ってるんだ」
こうしてはいられない。
そう思い立ち上がりかけて——アイラに服を引かれた。
「——大丈夫だよ」
「わかるの?」
「うん、急ぎの感じじゃないの。なんなら春になってからでもいいんだけど」
信じていいのか。エイダンは迷った。
けれど、そもそもあそこに行った方がいいという事自体、アイラの発言だ。アイラの感覚に頼るしかない。
「・・・・・」
エイダンは迷いながら、とりあえず立ち上がるのはやめた。
「湖に何があるのかは、わからないんだよね」
「そうだね」
「僕と行ったらいいの?」
「うーん、わからない。エイダンには、湖に行く前に会えるかなと思って、ただ会いに来ただけ」
確信がないという事は、どちらでもいいということだろうか。
エイダンも長い付き合いなので少しは慣れたが、アイラはこの不思議な感覚を特に何とも思っていないようだ。そういうものだ、という感じだ。
自分だったら、そんな風に突然感覚的に啓示のようなものが降ってきたら、それは何なのか、次はいつ来るのか気になって眠れないと思う。
でも、アイラのこの不思議な能力にエイダンは何度も助けられた。マリーヴェルの誘拐の時だけではなく、街で遊んでいる時にも。
「相変わらず神殿には行ってないんだよね」
平民でも魔力の兆しがあれば神殿へ行く。
平民の中で高い魔力を持つものはほぼいないが、それでも魔力が発現したら良い職に就ける。
記念に一度測る者の方が多いくらいだ。
「特には。母さんがいらないって。まあ、私も別にね」
アイラは葡萄亭を継ぐつもりだから、魔力は関係ないのだろう。
アイラの母の方はおそらく、アイラのただならぬ能力に、何かに巻き込まれるのではと恐れている。
——平穏に暮らせれば、それだけでいいんです。
アイラの母の、シンシアらが訪ねた時の口癖だ。
魔力があるからといって、使わないならわざわざ明らかにする必要もない。
魔力があれば測定して学園へ行くのが義務ではある。ただ、それも暴走を防いだり溢れ出て危険になるのを防ぐためだ。
魔力が高すぎると、周囲に自然発火を引き起こしたり、竜巻が起きたりする。それも相当な魔力量を持つものの話で、それこそエイダンほどのレベルでなければそうそう起こらない。
だから平民に対しては魔力測定も自由だし、発現したとしてもあまり学園へ行く意味もない。
アイラと一緒に通えたら、と思った時期もあったが、アイラがのびのびと普通の学校に通っているのを見ると、何も言えなかった。
エイダンは少し考えて、よし、と立ち上がった。
「僕も付いて行くよ。ちょっとみんなと相談するから、待っててくれる?」
「みんなで向かうの?」
「うん・・・ちょっと大所帯だから、どうなるかな・・・」
「ちょっと抜けて行ってきたり、できないんだ」
アイラの言葉にエイダンは苦笑いを浮かべた。
「ゲオルグ。実は、行き先を変えたい」
ゲオルグはちょうど地図を広げていた。ワイナリーの位置と、帰り道を確認しているようだった。エイダンがワイナリーへ行くと言い出した時のために、経路を確認していたのだろう。
そもそも今回ワイナリーに行くとも言っていないのに、こうしてちゃっかり準備をされているところが、優秀というかなんというか。
今回の旅行が初めからワイナリー目的と、暗黙の了解のように思われているんじゃないかと感じると、気恥しくていたたまれなかった。
「はい。どちらですか」
「ハギノル湖」
ゲオルグは黙ってしまい、エイダンを見つめながら瞬きをした。
聞き返される前にエイダンはゆっくりともう一度言った。
「ハギノル湖」
「——ワイナリーではなく?」
「うん。マリーが行ってる、ハギノル湖」
「ええと・・・ここからですと、2つの領地を横切らなくてはならないので。まずそれぞれの領主にお伺いを立てねばなりませんね」
「全員で行くなら、そうだね」
何しろ中隊規模の行軍だから。騎士が約30人いる。突然騎士の軍団が通り抜けたらびっくりしちゃう。
領地戦は事前に通告が必要なので不穏な想像はされないだろうが、膝元を他領の騎士が通り抜けるのにいい気はしない。
「山間部を抜けるのであれば届けは不要ですが・・・」
「そうか。そういう手もあるのか」
山は領地外、未開の地である。
「しかし、山越えの装備には不安があります。今は冬ですから」
「なるほど」
遠くに見える山々は雪山になっている。
「——今行かねばなりませんか。一度王都に帰ってからでは」
山を越えるくらいなら、王都を経由するのと日数はそう変わらない。
ゲオルグは難しい顔をした。しかし、何故、とは尋ねなかった。
ペンシルニアの騎士団は少し前、実はエイダンに忠誠を誓っている。正式な宣誓式は成人の後だが、簡易で済ませてある。年齢を考えると少し早めではあったが、外向きの事が増えたあたりから、ライアスがそう決めた。
何が変わるのだろうかとエイダンも思っていたが、一番変わったのは騎士の心得だろうか。今まではたくさんの保護者、という様子だったのが徐々に下がるようになり、今は基本的にエイダンの判断に従ってくれるようになった。
「本当は身軽に行きたいんだけど」
実はそっちの方が、よほど気が楽だ。アイラと2人、街道を進めば手続きも何もいらない。3日で着く。
「騎士の数を小隊単位まで減らせば、手続きせず街道を進めますが」
エイダンは2人を想定していたが、ゲオルグのいう身軽、は小隊規模の事だった。約5名の構成である。
「ああ・・・それが一番現実的だよね」
「いや、待ってください。——中隊でと指示されたのは公爵閣下です。それを分散させるのは・・・」
エイダンは地図を覗き込んだ。かなり細かい地図で、道までちゃんと記載してある。
「マリーヴェル様は、日程で言うともうそろそろ王都にお帰りなのでは」
「そうだね、7日の予定だったから。いや、マリーに会いに行くというわけでもないんだ。ちょっと気掛かりがあるだけ」
マリーヴェルの一行と違って、こちらは、さほど厳密に日程を決めていない。その代わり定時連絡は王都に向けて毎日放っている。
「——この道は?」
山のふもとに細い道が続く。
「あまり整備はされていない道です」
「途中の領主らとは関係も良好だし、妹に会いたくて急遽行き先を変更したから通るけど、気にしないでくれって、僕が手紙を書くよ」
田舎道なら関所はない。領主に手紙が届くタイミングと前後するかもしれないが、どさくさに紛れて通ってしまえばいい。
「・・・・・・・」
「あとは、家に定時報告に向かう者にも、手紙を託すよ。ハギノル湖に向かうって。だめならだめって言われるでしょ。そしたら引き返そう」
毎朝、入れ替わりで公爵邸と伝令が行き来している。それが定時報告だ。ペンシルニアからも何かあれば伝書の鷹が飛んでくる。緊急時には1日もかからず連絡は取れるようにしてある。
「——わかりました」
ライアスに報告は行うという事で、ゲオルグはようやく納得した。
領地を横切ることに関しては、ペンシルニアの騎士を止められるものなど、このファンドラグにはいない。通る程度では特に問題にはならないだろう。ライアスさえ了承するなら、特に反対する理由もない。
ゲオルグは計画の立て直しのために小隊長らを呼び集めた。
「お一人で行くと言わなくて良かったです」
「そんなことしないよ」
ゲオルグの軽口にエイダンは笑った。
6歳の、あの時。2度と黙っていなくなることはしない、そうシンシアと約束した。絶対に、それは守ると決めた。
後継者教育が進むにつれて、この体が重く感じてくる。エイダンはもう、一人で身軽にはどこにも行けないと思う。
それを仕方ないと諦められるのは、子供の頃、狭い世界ではあったが散々好きにさせてもらったと思えるからだ。平民に交じって街で遊んで、たくさんの事をした。
だからこれからはペンシルニアの公子として、あるべき姿でいなくてはと思っている。
マリーヴェルはそんなエイダンをつまらない、と言ったりするが。エイダン自身は、そういうものだと思っているから特に窮屈さも感じていなかった。




