12. 重臣会議
2月のはじめ、マリーヴェルは物々しい護衛達と共にハギノル湖へ旅立った。およそ7日の旅程である。
乳母のレナ、侍従のアルロを連れて。
王国騎士団からはライアスが選抜した精鋭を付き添わせ、ペンシルニア騎士団から、一個中隊を同行させた。
同じ頃、エイダンも旅に出たいと申し出た。
こちらも護衛に一個中隊を引き連れさせたが、タンと共に騎馬で身軽に出て行った。
社会勉強の周遊で穀倉地帯の備蓄状況と治水事業を見に行く、と言っているが、ワイナリーの近くだ。アイラに会いに行くのだろう。
シンシアとライアスは、護衛から離れないことを条件に許可した。
ペンシルニアの屋敷は子供がソフィア一人となり、寂しがるかと思いきや、ソフィアは一人っ子気分を満喫している。
シンシアとゆっくり散歩したり、2人っきりでお茶をしたりしていた。
それぞれのお土産話を楽しみにしながら、シンシアは久しぶりに静かな日常を味わっていた。
毎月行われているペンシルニア重臣会議は、数年前から公爵邸で行われている。
シンシアもマリーヴェルの出産後から、少しずつ参加している。
初めの頃はただ聞いているだけだったし、色々な思惑や視線が入り混じって向けられ、珍獣にでもなった気分だった。
今では自然と溶け込んでいる、と思う。意見を発することはあまりないが、ただ聞いているだけでも勉強になる。それにライアスが主導する会議は無駄がなく、退屈するということもない。
会議の内容はペンシルニアの政策、経営、軍事、裁判等、多岐に渡るが、今回は政策部門の重臣らが集まった会議だ。
アルロの件以来、子供を守るための法案を何か作れないかと試行錯誤しているところだから、シンシアも参加している。
長い歴史の中の親子関係、徒弟制度等があるので、一筋縄ではいかない。まだまだ、現状の情報を集めている段階だ。
焦ってできることでもないし、シンシアも長期戦を覚悟している。
一通りの法案の議論がなされ、会議も終わりかとなった頃。
1番近いところにいる重臣の1人が手を挙げた。
「閣下。——王妃殿下御懐妊、との噂を耳にしたのですが」
エルビン伯爵、古参の伯爵家である。
耳が早い。
シンシアは表情に出ないように顔に力を入れた。
ライアスも流石の無表情だ。
この表情筋の使い方は、公爵夫人としてまず第一に身に付けるべきスキルと言っても過言ではない、多分。周りは思っている以上に顔色をよく見てくるから。
「今日の議題と何か関係があるのか?」
ライアスは興味のないように言い放った。他の面々は落ち着きなく視線を彷徨わせているが、エルビン伯爵は動じなかった。
「本日の議題ではなく、ペンシルニアの更なる繁栄のため、ご提案したいことがございます」
「・・・・・」
ライアスは沈黙した。
またくだらないことを言おうとしているな、という顔だこれは。
エルビン伯爵はその沈黙を、先を促されたように受け取った。
「エイダン様の婚約についてです」
は。
シンシアは呆けそうになって、また力を入れ直す。
イエナ懐妊から、エイダンの婚約に話が飛ぶとは、想像もしていなかった。
「ヴェリント王国の第一王女が、現在10歳でいらっしゃいます」
ヴェリント王国は、ペンシルニア領とは東で面する王国だ。巨大な鉄鉱山を数多く有する。
「——それで」
ライアスは一応聞くつもりらしい。
「なんと言っても、エイダン様は現在、王位継承順位2位の、王族と言っても良いご身分です」
あ、周りも頷き始めた。これは根回しが済んでいたようだ。
エルビン伯爵は勢い付く。
「ヴェリントの姫を迎え入れることが叶いますれば、鉄の優先権を得ることができます」
つまり、エイダンの価値が高いうちに、より良い婚姻相手を急ぎ見繕っておこう、と。
シンシアは静かに怒りを含ませた目でエルビン伯爵を見た。ここで発言しないだけましだろう。
口を開けば、ふざけるなと叫んでしまいそうだ。
「情けない話だな。12の息子に頼らねば交渉をうまく運ばせることができないのか?」
「そ、そういう、話では」
「閣下、良い話ではありませんか?」
今度は別の貴族だ。
これは、ほぼ全員に根回しが済んでいる。
ここまで数で押されるとライアスも無碍にはできないだろう。
「ヴェリント王国は年々鉄の値段を上げています。数年後を見越し、他国との競合に打ち勝つためにも——」
「それはどうでしょうか」
反論が上がったのは、ライアスの傍らから。
前回の重臣会議から副官に復帰した、ルーバンだ。
「ヴェリントの鉄の埋蔵量はどれほどあるのでしょうか」
ごそごそと手元の紙の束をめくっている。
「ヴェリントは決して大きな国ではありません。鉱山で一財を成した国ではありますが」
「鉄鉱山を有するだけで、莫大な富がある。あそこは山だらけだぞ」
「近年の急ぐような開発が気になります。値段の上げ方も不自然と言えば、不自然。——もしや、鉄の産出量が減ってきているのではないでしょうか」
ルーバンは机の上に次々と資料を並べた。
「念のため、ここ数年の人夫の動きを探った結果の資料、他国も含めた輸出量の資料、そしてこちらが、王室が極秘に競売にかけた品々となります」
「なっ、・・・」
数人の重臣らが立ち上がって資料を覗き込んだ。
「ヴェリントはかつてのように豊かで堅強な王国とは決して言い難い。準備をするのであれば輿入れではなく、隣国が傾いた場合の流民、疫病対策であると存じます。今、姫の婚姻の申し出を行うことは、徒らに付け入る隙を与えることになりかねません」
しん、と会議室は静まり返る。
シンシアは驚いていた。
有能だとは聞いていたが、こんなにもすらすらとルーバンが、根拠を持って重臣らを論破するとは。
細かいことにこだわる性格も、誰にも臆さない気性も、このライアスの副官としての仕事は天職なんじゃないだろうか。
ルーバンはまだ続けた。
「エイダン様は王位継承順位にかかわらず、貴族の筆頭たる、このペンシルニアの紛うことなき後継でいらっしゃいます。2位になろうが3位になろうが、その尊さは変わりません」
そろそろ止めようか。
「ペンシルニアの繁栄を考えるのでしたら、まず、今停滞しております木材の事業からご説明しますと——」
シンシアはライアスに目線で合図を送った。
「では、この件は論ずるに値せずということだな。今日はここまでだ」
一同は呆気に取られたまま、頷いた。
重臣らが退室し、シンシアは窓を開けた。
冷たい風を吸い込み、伸びをすると疲れも和らぐ。
どうして重臣は男ばかりなのだろう。どうもむさくるしくていけない。
机の上の書類を片付けているルーバンに声をかけた。
「よく調べていたわね」
「当然のことです」
ルーバンは手を止め、丁寧に頭を下げた。
「どう?副官の仕事は」
「粉骨砕身、取り組む所存でございます」
固い。相変わらずだ。
「——肩の力を抜いてね。貴方は突っ走ると良くないわよ」
重臣らは遠い親戚筋に当たるものが多く、何かと口を出してくる。ライアスが若くして当主となった時にはもっと口を出していたし、彼らが事業を代行していたのでその分発言権も持っていた。
今はペンシルニアの実権をライアスがしっかりと握っているからあの程度で済んでいるが、そのために副官の役割は重要だ。
「こうして副官の任を拝命しましたのには、奥様のお口添えとお聞きしています。ありがとうございます」
それは・・・マリーヴェルが嫌がってたから。
護衛騎士として控えていたのに、やれこの課題が間違っている、だの、次の授業の準備が不十分だとか。助言するのならまだいい。ルーバンの言い方は、マリーヴェルのやる気をひたすらに損なう。できてないところを指摘して終わるからだろう。
挙げ句の果てに、教師にまで指摘するようになっていた。
その根拠はまだ無いとか、ここはもっと別の視点で報告があるだとか。
教師陣からも、もういっそ首にして、教師を交代してくださいと言われたり。
どこに行っても少し迷惑な男、ルーバン。
ライアスに相談したら、副官時代はそんなことはなかったと言うから。
適材適所だ。
「ペンシルニアの大目標はわかっているわよね」
「平和こそ繁栄」
いつのまにか標語のようになったそれを、ルーバンは唱えた。
シンシアのかつての宣言だった。領政に携わるようになって、ライアスに抱負のような気持ちで語っていたら、いつの間にかペンシルニアの方針のようになっていた。
「よろしくね」
平和のための繁栄、繁栄による平和。
軍人の妻らしからぬ抱負かもしれないが、シンシアはどうしてもそれを大事にしたかった。




