4.
馬車の中でも、マリーヴェルはなかなか何があったのか話さなかった。
「マリー。何があったか教えてくれないと、お母様はどうしていいかわからないわ」
「・・・・・」
「ソフィー?」
「えっとね、リリスが、おにんぎょしたから、マリーがそれを取ったの。ぶんぶん言ってたのよ」
一応聞いてみたら、やっぱりわからない。
「ええと・・・つまり、お人形遊びで喧嘩したの?」
「そんなわけないでしょう。お人形遊びなんてしないわ」
「じゃあどうして喧嘩したのよ」
「・・・・・・・」
マリーヴェルはまた黙り込む。
「マリーはね、きょうはいいおねえさまだったの」
ソフィアは、マリーヴェルが遊んでくれた日はいいお姉様、邪険にされると悪いお姉様、と呼ぶ。
なんだかんだ喧嘩ばかりしていてもそれなりに一緒にいるし、遊ぶ日がないわけではないのだが。
何があったのかをソフィアから聞き取るのは難しそうだ。
重い沈黙のままに屋敷に到着する。
ソフィアはダリアに任せ、シンシアはマリーヴェルの部屋について行った。
お互いとりあえず椅子に座っても、しばらくマリーヴェルは黙ったままだった。
「——リリス嬢を叩いたのは間違いないのよね」
「・・・・・」
「だとしたら、謝罪にお伺いしなければね」
ほとんど独り言のようになっているがシンシアはマリーヴェルに聞こえるように言った。
「嫌よ!」
マリーヴェルはやっと声を出した。
意志の強い目でシンシアを見返した。
「嫌、ということは、叩いたのよね」
マリーヴェルは怒ったような顔をしている。
シンシアは静かに息を吐いた。
「どんな理由があっても、暴力はいけないわ」
シンシアがそう言っても、マリーヴェルは険しい顔のままだった。
「それはわかるわよね?」
ぐっとマリーヴェルの拳に力が入る。
シンシアは待つつもりだった。
何か言葉にできるはずだ。そう思い待っていると、ポツリと、マリーヴェルはこぼれるように言った。
「私だって・・・今日の日を楽しみにしていたのよ。リリスのせいで台無しじゃない」
学園に行っていないから、ベラとは手紙のやり取りで、会える頻度がぐっと減った。お互い楽しみにしていたのに。
「台無しっていうのは、何かされたの?」
「腹が立つことを言われたのよ」
「なんて?」
「忘れたわ。いちいち覚えてないもの」
マリーヴェルはあまり出来事を話す子ではないから、期待はしていなかったが。断片的にでも教えてくれないと、何があったのか全く分からない。
「とにかく・・・侮辱されたのね」
「ソフィーの上で人形を振り回すし。あ、思い出したわ。ペンシルニアが野蛮だって。だから、野蛮なやり方で見せつけてやったのよ」
「・・・マリー」
シンシアは頭を押さえた。
「だって学園を辞めた時、それでいいって、言ってたじゃない。我慢しなくてもって」
「ペンシルニアは野蛮じゃないでしょう?どうして侮辱されたことを肯定するようなやり方をするの」
「そんなつもりなかったわ、途中までは・・・。ただ、もう腹が立って。一番リリスにとって嫌な方法は何か考えて——」
シンシアはマリーヴェルの台詞に少し驚いた。
「貴方、リリス嬢がやり返せないとわかっていて、手を挙げたのね」
マリーヴェルは答えなかった。
それで大体の成り行きはわかったような気がする。
「マリー・・・やり返せない相手に暴力を振るうのは、やりすぎだわ。学園をやめた時とはわけが違うのよ」
「どうして?私は悪くないわ。マリーヴェル・ペンシルニアを馬鹿にしたらいけないって、思い知らせて何が悪いの?あの子は身の程もわきまえずに——」
「そこまでよ」
シンシアはまた頭を押さえた。重く痛むような気がした。
何かしらの侮辱は受けたのだろう。ソフィアも関わっているのかもしれない。その侮辱を許しがたいと思ったのも理解できる。
だが。身の程を思い知らせると言い放ち、なおかつ、権力を振りかざして相手を叩くなんて。
マリーヴェルはペンシルニアの権力がどういうものか、しっかりと理解しているのだろう。理解した上でそれを最大限行使した。
このまっすぐに、自分が正しいと信じて疑わない子に、どう言ったらいいのか。
「——間違ったように解釈してしまったようね。マリーヴェル」
マリーヴェルは訳が分からないと言う顔をしていた。
「私はペンシルニアの公女でしょう?」
シンシアは気の強いつり上がった眉にそっと手を伸ばし、額ごと撫でた。少し前まではこれで和らいでいた表情も、もうこんなことでは宥められないようだ。
「貴方はまだペンシルニアの権力を使える立場にはないわ。まだ何の義務も果たしていないでしょう」
「じゃあ、何を言われても我慢しろって言うの?」
「高みから拳を振るう以外の方法を取るべきだったわね」
「あれが最善だったもの!」
マリーヴェルは聞く耳を持たないほど興奮した。シンシアに間違っていると言われたのが、余程受け入れられないようだ。
「ぜっっったいに、謝らないから!」
——今日はここまでにしよう。
シンシアは立ち上がった。
「では、まずは自分一人で、どうあるべきだったか考えなさい。謹慎よ」
そんなもの、というマリーヴェルの態度に、シンシアは付け加えた。
マリーヴェルに謹慎は痛くも痒くもないようだ。確かにマリーヴェルが謹慎を言い渡されるのはさほど珍しいことではない。
「アルロの手伝いもなしよ。謹慎中はあの子の侍従の任を解くわ」
「そんな・・・っ!」
マリーヴェルは納得していなかったが、譲るつもりはなかった。
とにかく頭を冷やしてからだ。
そう思いシンシアは一旦部屋を後にした。
帰宅したライアスにシンシアは事の顛末を簡単に話した。
今日は帰りが遅かったのでもう既に食事は済ませ、寝室である。
シンシアは机に肘をついて、頭を抱えた。
「何があったのかはわかりませんが・・・。マリーヴェルが叩いたのだけは確かで。それもかなり腫れあがっていたの」
「何か余程無礼を言われたのでしょう」
「そうですが・・・。だからって、一方的に。——しかも、マリーは相手が反抗できないとわかっていて手を出したんですって。身の程をわからせてやったんだって」
はあ、と溜息が漏れる。
「驚きました。そんな、権力を笠に着るような真似を」
「ペンシルニアにはそれだけの権力があるのですし、侮辱されたのなら間違ってはいないのでは」
状況を見ていないので何とも言えませんが、と言いつつも、ライアスはマリーヴェルを擁護した。
シンシアはライアスがあっさりとそう言うのに軽く驚いたものの、すぐに思い直した。
そうだ。そういうことがまかり通る世界なんだ、この貴族社会ってやつは。
高位の者が正義。
だったらマリーヴェルに謹慎を申し付けたのはやりすぎだっただろうか。
いや——でも、その結果、このまま突き進めば、マリーヴェルは悪役令嬢のような道に突き進みかねない。
だって王族の権力を振りかざし続けた原作のシンシアは、悪役の母親となって息子に殺されたじゃないか。
勝手をして許されるわけではない。恨みはかっているし、どこかできっとひずみが生じる。
子供の喧嘩だからと看過はできない。
「他にもやりようがあったと思います。マリーにはそれを学んでほしくて」
「子供ですから、持てる武器は最大限活用して、相手に勝ちたいと思うものではないでしょうか」
それはライアスの経験だろうか。ライアスの子供時代は、負けが許されない世界だっただろう。
「勝つことも大切でしょうけれど・・・負けたり、許したり・・・そういったことも知ってほしいと思うのですが・・・難しいでしょうか」
特にマリーヴェルには。あの子は昔から気が強い。負けず嫌いが、この環境のせいで助長しているように思う。親の目から見ると可愛い娘だ。いいところもたくさんある。けれど・・・社会に出た時のことを、つい今から考えてしまう。
大人になって失敗するよりは、親の手の中にいる今のうちに、失敗して学んでほしい。
ライアスはしばらく考え込んで、じっとシンシアを見つめた。
「そうですね。許されてここにいる私としては、誰かを許すと言う事が、とても大切なことなのは、身をもって感じています」
そっと手が重ねられる。
「ライアス。——そんな風に言わないでください。許されてだなんて」
ライアスはそのままシンシアの手をとって、その手に口付けをした。
尊い者にするように丁寧なその仕草に、今更少し顔が熱くなる。
「貴方という素晴らしい方の側にいることを許されていますから」
そう言って熱のこもった目で見つめられ、つい見つめ返してしまう。
そうしてゆっくりと顔が近づいてきて——。
「シンシ——っぶ」
はっとしてシンシアはその顔を押しやった。
「話を戻しましょう」
ちょっと不満そうだが、そこは無視する。
「——とはいえ、まずは許すことよりも、リリス嬢への謝罪ですけれど。何があったのかよくわからないだけに」
シンシアは少し迷った。
「マリーヴェルに謝罪させるのですか」
強制された謝罪にはあまり意味もない。
謝れと言われたら、何とか言葉で謝ることはできるかもしれない。ただあの頑固なマリーヴェルを謝罪させるのは、かなりの労力がいるだろう。しかも上辺だけで、ただの嫌な思い出として残って意味がない。
答えられずに迷っているシンシアの背後に回り込んで、ライアスはそっと肩を揉み始めた。
温かい大きな手が心地いい。
「マルカ伯爵とは、古い付き合いです。こじれることはありませんから、私から話しておきます。何かわかりそうなら聞いておきますし」
「ありがとうございます」
何も解決していないが、少し気持ちは軽くなった。




