22. アルロの家族
マリーヴェルは王都の街へ繰り出した。エイダンに頼み込んで一緒に来てもらった。
なぜなら、エイダンがいないと護衛を10人近くつけられるから。
そんなに嵩張ったら、中央の広場くらいにしか行けない。
エイダンと行って来ると言ったら、護衛は3人になった。髪と目の色が目立たないようにフードを被ってエイダンと街を歩く。妙にこなれた感じのエイダンの装いが若干腹が立つマリーヴェルだった。
「——で、どこに行くのかそろそろ教えてくれないの?」
「色々、って言ったでしょ」
「その色々を言ってよ」
エイダンはマリーヴェルが一緒に街へ行ってほしいと言った時、それほど深くは聞かなかった。
そもそも自分はマリーヴェルくらいの頃ずっと街で遊んでいた。この妹が窮屈な生活を強いられているのを心配していたし、希望はできる限りかなえてやりたいと思っている。
予定のない3日後に、と約束して、父であるライアスを説得するのも一緒にした。
初めはライアスもついてくると言っていたが、子供だけで気楽に出かけたいから、とマリーヴェルが断っていた。
その感じから、何か目的があるのだろうと思った。親には言いたくない何かが。
「協力してほしいなら、あらかじめ言って」
「久しぶりにアイラに会いに行こうかなって」
「アイラは先月からいないぞ」
「えっ、そうなの?」
「葡萄亭の取引先のワイナリーに研修中だ」
1年くらい帰ってこないと聞いている。
「ええー、寂しいね、お兄様」
「別に。僕も忙しいし」
エイダンの表情は読めない。仲がいいし離れていても、なんとなくお互いを意識しているように思ったのに。
葡萄亭で一緒に遊んでいても、2人でひそひそ話していたり、目を合わせたりしているのを、マリーヴェルは知っている。
エイダンは年々口数が減って、時々何を考えているのかわからない時がある。
「冬になったら、ワイナリーに遊びに行こうかなって思ってるけど。マリーも行く?」
「どうかなあ」
マリーヴェルが移動するのには、色々準備が必要で大変である。
「冬は、お祖父様とハギノル湖に釣りに行く予定があるわ」
湖に張った氷の上にテントを立て、穴をあけて釣り糸を垂れる。前国王と一緒なら警備も便乗する形で済むから、祖父も喜ぶし家臣等も少し楽だし、というわけだ。
——以前はこんな気の遣い方をしなかったのに。
エイダンはぽん、とマリーヴェルの頭に手を置いた。
「マリー一人くらい、僕守れるから」
「おぶってくれるんだっけ?」
くすくすと笑って言うから、エイダンも笑った。どちらからともなく腕を組み、歩いた。
「実はね。アルロの——」
「はあ?」
普段の穏やかな、貴公子然としたエイダンからは珍しい声音だ。
「あいつの事だったの?」
聞いていたら来るんじゃなかった、とでも言いそうである。マリーヴェルはぐっとエイダンと組んだ腕に力を込めた。
「アルロの家があるらしいから、見てみたくて」
エイダンは立ち止まってマリーヴェルを見下ろした。マリーヴェルの頭はエイダンの胸より低いから、そうされると威圧感がある。
「それは、何?興味があって?」
「お兄様は知ってた?アルロが住み込みじゃなくて通いだって」
「ああ」
「お給金を全て父親に任せているって言うのも?」
「・・・・そんなことまでは知らない」
興味もない。
「私ずっと気になっていたの。ジーク家は、それほど裕福ではないけれど、子息の侍従を任せるような子に、それほど手当てが少ないとも思えないじゃない?いくら何でも、普通に生活するくらいはあると思うの」
マリーヴェルは必死で説明した。だめだと言われても、押し切るつもりでいる。
「アルロ、とっても細いでしょう?服もいつも同じだし、丈があっていないし」
「平民は、普通は古着を着るから、自分のサイズぴったりってわけじゃないよ」
「そんなこと、私だって知っているわ」
子供に言い聞かせるような言い方をしないでほしい。
「アルロのお父様、働いていないんですって。体の具合が良くなくって」
「アルロが何か言ったのか?」
「何も。困っていることはないから、大丈夫だっていつも言うの」
マリーヴェルが暗い顔になって、エイダンはやれやれと溜息をついた。
これがもしアルロが困っていると言ったのだとしたら、さっさとあの男を出入り禁止にできると言うのに。
「治療費が嵩んで生活が苦しいのかしら。それとも、その人がお金を取ってしまっているんじゃないかって——」
「だとしても、アルロは困っていないって言っているんだろ?踏み込むべきじゃないって思わないのか」
「全く思わないわ」
マリーヴェルはきっぱりと言い放った。
自分はアルロに、こんなにも心を軽くしてもらった。いつも助けてもらっている。だから今度はマリーヴェルの番。
「中央通りから4番街に向かって筋を2本通り過ぎた青い屋根の集合住宅よ」
「ねえ、マリー」
「私は道がよくわからないから、案内して頂戴」
その言い方がシンシアにそっくりでエイダンは益々げんなりとした。
そもそもアルロとの交流にエイダンもライアスも反対している。継続して会わせているのは、いいじゃない、と言うシンシアの圧力あっての事だった。
「あのさ、ちょっと待ってよ。行ってどうするの?こんにちは、アルロ君の友人ですって言うつもり?そんなことして、アルロと父親の関係性もわからず——」
「お兄様」
マリーヴェルは腰に手を当ててエイダンを下から睨みつけた。
「私、そういうことはいちいち考えないの。いいから黙って案内してくれない?」
「マリー」
「今日はアルロの家に行くの。どうするかは行ってから決めるわ。私はお兄様と違って、ちまちま計画練ったりしないの、知ってるでしょう?」
「ちまちまって・・・」
「お兄様が行ってくれないなら、タンと行って来るわ」
今日の護衛に加わっていたタンに突然白羽の矢が立った。タンは無表情ながら、動揺しているように思う。
「タンを困らせるな」
そう言ってマリーヴェルを見下ろすと、意志の強い目を向けられる。少しも譲らないこの目に、エイダンは勝ったことがなかった。
はあ、と息を吐いた。
「わかったよ。行ってみよう。でも、非常識なことをするようなら止めるからな」
「・・・お兄様って、自分の事常識人だと思っているのよね」
「僕は品行方正だって言われて今日まで来たけど?」
「そりゃ、面と向かってはそうでしょうね」
気が変わらないうちにと思ってマリーヴェルはさっさと歩き出す。早速道が違う様で、こっち、とエイダンに引っ張られる。
「マリー。今のはどういう意味?」
「今のって?」
「僕が非常識って」
「そんなこと言っていないわ」
「自分の事常識人だと思ってるのかって、言ったじゃないか」
エイダンはマリーヴェルのやることをよく奇想天外だとか言う事がある。
しかし、マリーヴェルだって、学園に行き始めて普通の貴族令息がどういう者か理解した。
貴族令息は街で平民に混ざって遊んだりしないし、こうやって妹の護衛をかって出てくれたりもしないだろう。
最近では、光の力を隠しながら、普通であろうとしているように見えてきた。
「お兄様って真面目だけど、普通とは違うじゃない。でも普通に見せないとと思って、そうやって常識であることに執着してる」
「マリー・・・」
エイダンは少し目を見開いていた。
「難しい言葉が言えるようになったんだな。執着だなんて。真面目に授業受けてるんだ」
マリーヴェルは面食らったような表情をしたが、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「お兄様のそういうところ、私すっごく好きよ」
あれこれ会話していても、マリーヴェルのことになるとぐいっと全振りで戻ってくる。
マリーヴェルはエイダンの腕に力を込めて抱きついた。
「お兄様、大好き」
「そんなこと言っても・・・駄目だと思ったら抱えて帰るからな」
「はいはい」
青い屋根の集合住宅は、低所得とまでは言わないが、あまり生活に余裕のない人々が暮らしている。
干された洗濯物や、住んでいる人の様子を見てそう思った。
「アルロの家は、1階の一番右」
「そこまで聞いてるのか・・・」
妹の情報収集にちょっと恐怖心を抱く。
そのうちアルロの跡をつけたり、持ち物を取ったりしないだろうな。
「ちょっと中を覗いてきてもいい?」
「だめに決まってるだろ。いきなりこんなご令嬢が来たら、びっくりしちゃうだろう」
どうしたものかと、マリーヴェルは家の前を歩いて端まで行って、また戻って来た。エイダンは付き添わずにその様子を見ていた。これで諦めてくれたらな、と思いながら。
家を覗こうとしたりなんかしたら、速攻で連れて行こうと思っていた。
「——あ!お兄様、私すごい事に気がついちゃったわ!」
マリーヴェルの嬉しそうな声に、エイダンは嫌な予感しかしない。
「ほら、お隣が空き家よ」
「・・・・・・・そのようだね」
「タン、急いで買って来てちょうだい」
マリーヴェルはにっこりと言い放った。
「待て。タンを使うな」
「ええ?駄目なの。じゃあ——オレンシア卿」
そう言ってマリーヴェルは金貨をオレンシア卿に渡そうとする。その手をエイダンがさっと掴んだ。
「馬鹿、こんなところでそんなもの出すな」
「馬鹿・・・?」
「——はいはい、馬鹿じゃない。でもマリー、隣の家を買って、どうするつもりなんだ?」
「聞き耳を立てる」
およそ貴族のご令嬢とは思えない発言だ。
「聞かなかったことにしよう」
「お兄様。今日はアルロは帰りが早いの。こんなことをしている場合じゃないのよ」
そんなことまでわかっているとは。
エイダンは諦めた。頭を抱えて、タンに買ってくるよう頼んだ。
マリーヴェルは契約を待たずに空き家に入って行った。
アルロは昼過ぎには帰ってきた。
マリーヴェルは空き家に置いてあった空き箱の、エイダンが敷いてくれた布の上に座った。エイダンも護衛達も座らないらしく、立ったままだ。
壁に耳を当てなくても、窓を開けているからか静かにしていれば会話は筒抜けだった。
「ただいま戻りました」
「早かったな」
「今日は早番でしたから」
「だったらもう一仕事してくりゃ良かったんじゃねえか?」
「・・・はい」
これが父親だろうか。
そっけない言い方だが、アルロはいつも通りの口調だった。
「まあいい。飯にしろ」
「あの、買い物に、行けてなくて」
「あ?なんだ、帰りに寄って来りゃいいだろ?」
「お金がないので」
「はあ?」
ガチャン、と物の割れる音がする。マリーヴェルがびくりと肩を震わせた。エイダンもはっと顔を上げる。
「この前渡しただろうが、何に使いやがった!」
「しょ、食費にしか、使ってません・・・」
「お前が食いやがったのか?」
「ぼ、僕は、食べていません。全部お父さんに出しました。30ペニーでは、3日分の料理を作るのがやっとで——」
ガチャン——!
また物の割れる音。エイダンがマリーヴェルの肩を抱く。
「口答えするな!貴族様の家で働いてるからって、えらくなったつもりか!」
「そ、そんな・・・」
「給料日はまだ先なんだぞ!金なんかねえよ。まだ日は高いんだ、どっかで日銭稼いで買って来い!」
「い、いまからなんて」
「まだ言うのか、この役立たずが!いったい誰のせいで俺がこんな足になったと思ってんだ、え?」
「————ぼ、ぼくの、せいで」
「わかってんなら、さっさと行ってこい!」
物の投げられる音が続いて、アルロの足音が走り去っていった。
マリーヴェルは衝撃に固まったまま、身動きが取れずにいた。
そのマリーヴェエルの体をひょい、と抱えて、エイダンが耳元で優しくささやいた。
「——帰るよ、マリー」
「で、でも・・・アルロが」
声は少し震えていた。
「大丈夫、僕に任せて」
——ああ、私はだめだ。
マリーヴェルは悔しさに目を閉じた。
怒鳴り声に、怖くて身が竦んでしまった。
どうすればいいのか全く分からない。
悔しいけどどうしようもなくて、マリーヴェルはエイダンにしがみついた。




