17. アルロ
「おかあさま、アルロは、あしたこない?」
もう何度目、いや何十回目かの質問にシンシアはどうしたものかとマリーヴェルを見た。
シンシアがソフィアにおっぱいをあげてる横で、ガチャガチャとおもちゃで遊んでいる。
「来ないわね。そんな連絡はないもの」
「どうしたら、きてくれるかな」
つまらなさそうに呟いている。
「マリー、本当にアルロが気に入ったのね」
「パーティーしたら、きてくれる?」
「アルロは仕事があるから、難しいんじゃないかしら」
「8さいなのに?」
「子供でも、働いている子はいるのよ」
ジーク伯爵家は、どちらかというと貧しい家門だ。
資産を使った慈善事業ができないから、時折施設の孤児を引き取って仕事を与えている。
アルロもその中の1人だと思われた。
「じゃあ、どうすればあえるの?」
もう2週間近く経つというのに、なかなかの持続力だ。
「うーん、どうしたものかしらねえ・・・」
同年代の友達が欲しいのだろうか。
どうしたものかと考えあぐねていた頃。
そんなマリーヴェルに朗報だった。
「またレグナートを家に呼んでもいいですか?」
帰宅したエイダンがシンシアにそう言うのを横で聞いて、マリーヴェルはぐいっと背伸びした。
「アルロは?」
「来るんじゃない?いつも一緒にいるから」
そう言ってエイダンはシンシアに抱かれたソフィアにただいまの挨拶をする。
「ソフィー、ただいま」
「にいさま、ずるい」
謂れのない責め方をされたエイダンは呆れ顔で学園の制服を脱いだ。制服といっても、ケープのような物を羽織っているだけなのですぐ脱げる。
それを後ろのタンに渡して、シンシアからソフィアをもらい受けた。
帰ってきたらしばらく抱きしめて可愛がるのが最近の日課だ。
ソフィアの髪はシンシアに似てふわふわの癖毛で、今はまだ短いからクルクルとカールしている。
金の癖毛をふさふさと撫でながら、エイダンはふにゃ、と顔をゆるめている。
「にぃにとお散歩しよっかー」
そんな風に声をかけながら、頬擦りする。ソフィアはそんなエイダンを不思議そうに見ていた。
「マリーも、まいにちアルロとあそびたいのになあ」
「マリー・・・僕たちはあそんでないから。喋りもしないよ。だいたいさ、アルロの何がそんなにいいの?」
「ともだちだから」
「友達じゃないでしょ。僕の友達の侍従でしょ」
「ともだちだもん。アルロ、うんっていったもん」
「あのさあ——」
「まあまあ」
玄関ホールで言い合いになりそうだったので、シンシアは割って入った。
「おやつにしましょう。レグナートには、いつでもいらっしゃいと伝えておいて」
「はい」
「いつくる?あした?」
エイダンがソフィアを連れて歩き出した後をマリーヴェルが小走りでついて行く。
「ねえ、にいさま!あした?」
「もー、まだ決めてないよ」
「いつきまる?ねえ」
そんなやりとりをしながら賑やかな集団が去って行く。
数日後、レグナートはアルロを伴ってペンシルニア邸を訪れた。
「度々、お招きいただき、ありがとうございます」
深々と頭を下げたレグナートに、シンシアが優しく声をかける。
「いいのよ。エイダンから聞いているかしら。マリーがアルロと遊びたいってずっと待っていたから。来てくれて嬉しいわ」
アルロが突然名前を呼ばれ、驚いたように固まる。
「アルロ、あそぼ!」
「・・・・あ、はい」
ちら、とアルロはレグナートに視線をやる。
「——僕は公子と課題をしているから、行って来てていいよ」
「はい」
「アルロ、こっち!!」
楽しそうにアルロの手を引いてマリーヴェルは走り出した。今日は庭で遊ぶつもりらしい。レナが慌ててその後を追いかけていく。
「・・・・・・・・・」
シンシアはふとエイダンの顔を見てあら、と思う。
珍しく不機嫌な顔を去っていく二人に向けていた。
「エイダン?どうかした?」
「別に・・・」
別に、という顔でもない。
今までエイダンにべったりだったマリーヴェルが他の子にも懐いて面白くないんだろうか。
学園が始まってからはエイダンはなかなかマリーヴェルと遊んでやれていない。そんな中、アルロがこうして遊んでくれるものだから、マリーヴェルも嬉しいのだろう。
エイダンはしかも、最近ソフィアを可愛い可愛いといって構い倒している。
もうすっかり抱っこも、おむつを替えるのも、寝かしつけすらうまくなって。下手をしたらマリーヴェルとの時間よりもソフィアとの時間の方が多いかもしれない。
マリーヴェルはそれに文句を言うようなことはしないが、寂しいのかもしれない。
なんといっても、両親よりエイダンに懐いていたマリーヴェルである。
マリーヴェルとアルロが見えなくなると、エイダンも気持ちを切り替えたように部屋に向かった。
「きょうはね、おはなでティアラをつくるよ」
マリーヴェルの提案にアルロは黙って頷いた。
マリーヴェルの為にあるといってもいいその花畑は、芝生と草花のゾーンで、四季折々の花を咲かせている。
路傍の空間といった雰囲気でありながらも、実は管理が徹底しており危険な植物はない、庭師の傑作だ。
しばらくそこで2人で遊んだ。
花飾りはマリーヴェルには難しかったが、レナに教わってアルロが器用に作り上げた。
それを頭に乗せてもらって、マリーヴェルは大満足の様子だった。
「アルロ、どう?」
「きれいです」
「おひめさま?」
「はい」
お姫様ブームも続いていたので、マリーヴェルは声をあげて笑った。
「あっ、おとうさま!」
マリーヴェルは正門から入ってきた馬車を見つけ、嬉しそうな声を上げた。
いつもより早いライアスの帰宅だ。
マリーヴェルは馬車に駆け寄って、ライアスが降りてくるなり飛びついた。
「おとうさま、おかえりなさい!」
「ただいま、マリー。いい子で遊んでいたか?」
ライアスは小さなマリーをぎゅっと抱きしめ、愛おしげにその瞳を覗き込む。
「きょうはね、アルロとあそんでたの!」
マリーヴェルに紹介され、ライアスの視線がすぐそばのアルロに注がれる。
馬車の側まで手を繋いで連れて来られていたのだ。
アルロはすっかり恐縮して、首を竦めて俯いていた。
侍従らしくないと言えば、らしくない。
髪で表情がわからないし、衣服も少し薄汚れていた。
ジーク家は使用人の衣服を正す余裕も無いのだろうか。
そんな事を考えながらつい調べるような眼差しを向けていたからだろうか。
マリーヴェルがばち、と頬を叩いてきて、ライアスははっと我に帰った。
「おとうさま、わるいかお」
「わ、悪い・・・顔?」
怖い顔と言われることはよくあるが、悪い顔と言われたのは初めてだ。
「そんなかおしちゃ、だめでしょ」
「悪い顔なんて、していたか?」
マリーヴェルが頷くので、ライアスはいつもの笑顔に変えた。
「今日は早く帰れたから、一緒におやつを食べようか」
いつもならここで大喜びするから、当然その反応を期待していたライアスは次のマリーヴェルの台詞に固まった。
「アルロといるからいい」
マリーヴェルの視線を追いかけるようにしてライアスはその少年を見た。
「アルロ——?」
「はっ、はい・・」
「いくつだ」
「8歳です」
声が小さい。体も小柄で、かなり細い。普段エイダンを見慣れているだけに、とても息子と同い年には見えないほどだった。
「ジーク家では、いつから働いているんだ?」
「あ、えっと・・・その、もう少しで2年に」
下を向いているから声がよく聞こえない。
「君——」
「もう、おとうさま、やめて!」
マリーヴェルが叫んだ。耳元で叫ばれて耳鳴りがするほどだった。
そのまま暴れるように手足をばたつかせたので地面に下ろす。
「アルロいやがってるでしょ!」
マリーヴェルはアルロの手を取った。
「アルロは、マリーをおひめさまにしてくれるんだからね!」
ライアスが目を見開く。
「お姫様・・・、いや、お嫁様・・・?」
まだマリーヴェルはよく言い間違いをする。だがここは是非にも確認しておかなくてはいけないところだった。
少なくとも、ライアスにとっては。
「どっちだ。マリー。——マリー!」
「ついてこないでったら!」
そう言ってマリーヴェルはアルロの手を引いて走り去って行く。
「マリ———」
「ライアス」
呼び止められ、追いかけようとしていた足をはたと止める。
出迎えにきたシンシアがソフィアを抱いたまま、不審気な目を向けた。
「おかえりなさい。大きな声を出して、どうしたんです?」
「いえ、その・・・。——シンシア、どっちだと思いますか」
「何がです」
「マリーは、アルロという少年と、結婚したいと思っているのでしょうか」
シンシアは呆れたのか驚いたのか、小さく口を開けたまましばし止まった。
「ライアス。マリーヴェルはいくつですか」
「4歳になります」
「何を言ったか知りませんが、4歳児の言うことでしょう?そんなことより、早く中に入りましょう」
シンシアがはい、とソフィアを渡して来たので、ライアスは目尻を下げてソフィアを見つめた。
「ソフィア・・・ソフィーはパパと一緒にいてくれるか」
シンシアはそれ以上取り合わずに、先に屋敷に入った。
この日からも、度々レグナートはアルロと共に屋敷を訪れた。
エイダンはレグナートと共にいるのは気安いらしかった。
勢力争いとは比較的無縁の小さな伯爵家というのが良かったのだろう。
高位貴族ともそれなりに付き合いはあったが、レグナートとは友人と言えるほど交流が増えた。
アルロが来るとマリーヴェルがベッタリと遊んでもらい、という様子だった。そこで、シンシアもマリーヴェルが同年代の友人を作れるようティーパーティーを頻回に開くようになった。
ソフィアとマリーヴェルの2人を連れてのティーパーティーなので、保育園のような様相になり。
貴族のママ友会のようなものができあがってしまった。乳児幼児の育児や夫家族への不満など、話はつきないし、参加者らのストレス解消にもなって、これはこれでいい集まりになっていった。
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