第99話 Panic of 1873
投稿時間が水曜24時か25時でほぼ固定になっています。
出来ればもう少し早い時間にしたいので、頑張ります。
アメリカ アトランタ
盛夏といえども気温は30度を超えないアメリカの東海岸。まだまだ環境問題より人間の生息域拡大が大事な時代を感じる。ジョージア州もそこまで暑さは感じないが、日本と同様少し湿気のある日が多い。
こんな日はスカッとした飲み物が欲しい。そう、コーラのように。だが残念、それはこの時代まだないのだ。ないなら作るしかない。
俺が訪ねたのはアトランタにあるペンバートン・ケミカル社の研究所だ。ウイリアムを通じてアポをとってあったので、案内の男性にすぐに応接室らしき部屋に通された。
『ようこそ、日本からのお客さん』
『お時間いただきありがとうございます』
『いえいえ。薬品に関する研究は日本でも重要になるでしょう』
ペンバートン・ケミカル社の社長がジョン・ペンバートンだ。彼こそがコカ・コーラを将来開発する人物になる。現状は特許薬を販売しつつ薬局で販売するファウンテン(紙コップで売る自販機の原始版みたいなやつだ)の飲料を開発しようとしている最中だ。彼はコーラを開発後、このファウンテンでまずコーラの発売を始めるのだ。
『実はパリでこういうワインを見つけたのですが、似たような飲料はアメリカにありますか?』
パリで手に入れたコカベースのワイン。名前はマリアーニというものだ。コカを利用していて神経障害などに若干作用する。一種の薬用酒だ。
『これは……どうでしょうか。最近の流行りはコラ・ナッツを入れた薬用飲料ですな。これは中々好評ですよ』
試飲用として渡されたのは赤い液体だった。匂いは少しスパイシーだが、飲んでみると砂糖かはちみつかその両方の甘みですんなり飲めた。ハッカのような清涼感が少しあり、薬局にあれば確かに健康に良さそうではある。
『美味しいですね』
『そうでしょう。これは15か所の薬局で販売している自慢の商品ですから』
見本もかねてウイリアムに定期便で日本へ送ってもらうことにした。
こちらの持ってきたワインもヨーロッパで人気という言葉に惹かれたのか、少し味を確かめてみたいと言われた。友好の証にとそのまま譲ってしまう。渡すために持ってきたんだからむしろもらってほしい。そして研究するんだ。
コカ入りの飲料とコラ・ナッツ入りの飲料。2つが交差する時、黒い炭酸飲料が生まれる!ということが起きるのを期待しているのだから。
『何かいい新作が出来たらぜひ連絡をください。日本でも販売したいので』
『ええ。何かあればぜひ』
コーラの独占販売権。期待していますからね。それはそれとしてサイダーは日本で作るけれど。平野鉱泉を確保して横浜の外国人に売る準備は少しずつ進めているのだから。
♢
アメリカ ワシントン
色々な鉄道会社などに顔つなぎをしつつ9月を迎えた。少しずつ恐慌の影響が出始め、ニューヨークの証券取引所では鉄道関係の銘柄で売買が行われなくなりつつあった。手元の株で利益の出たものを手放し、俺は恐慌に備えた。
そして9月18日、ジェイ・クック商会が破産宣告を行った。
1873年恐慌の始まりである。
9月19日。
ティッカーには鉄道関連の公債の価値が下がり続ける様子が示され、資本家たちが大慌てで自分の手元の公債を手放そうとする。
証券取引所は翌日に取引所の10日間の停止を発表。取引所は何とか今日中に公債を手放そうとする資本家で満員電車のようになっていた。少し離れたカフェで、喧騒を耳にしながらウイリアムとコーヒー片手に投げ売りされている会社はどこか聞き耳を立てた。証券取引所の外でもいいからと公債を買ってくれと叫ぶ男の必死さに、ウイリアムを少しひきつっていた。
『これは、まずいですね。ノーザンパシフィック鉄道の計画にはかなり多くの出資者が参加していたはず』
『次は銀行の倒産かな』
『ぎ、銀行が!?タカシ、さすがにそれは……』
『ですが、昨年既にユニオン・パシフィック鉄道の件で債権者が大勢破産しましたよね?』
『あれは鉄道上層部と共和党の汚職が原因ですし』
午後になると、状況が次々に悪化していることが報告されていく。その情報はヘンリー・ハリマンが昼食休憩に外に出た時に教えてもらえた。
『いや、酷いものです。最初は取引所のティッカーが全部故障したのかと思いました』
『ハリマンさん、ジェイ・クック商会はどうなるので?』
『一応ノーザンパシフィック鉄道が倒産することはないでしょう。ただ、社長のジェネラル・ジョージは責任をとらされるでしょうね』
『まぁ、そうでしょうね』
『それより、運営資金ですよ。ジェイ・クックの融資分をノーザンパシフィック鉄道に払わせるわけにもいきませんし』
社長のジョージ・ワシントン・キャスはかつて陸軍の将軍だったため、ジェネラルと呼ばれているそうだ。まぁ名誉職なのだろう。
ノーザンパシフィック鉄道は太平洋沿岸、シアトルの南にあるタコマから五大湖の1つスペリオル湖沿岸のダルースまで開通している。使節団も西海岸から五大湖まで来るのに一部は利用している。
『ハリマンさんが運営資金の回収をするとしたら、どうするので?』
『誰かから追加融資を集めるか、銀行から融資を集めるかですね』
『どちらになるでしょうね』
『わかりませんが、まずは敷設で利用した機械の払下げ、後は工員の一部を解雇でしょうか』
『解雇しても大丈夫なんでしょうか?』
『本来、予定路線の敷設自体はほぼ終わっています。なので、今いる工員はほぼ保守点検のためですが……』
敷設したばかりの地域はしばらく大丈夫だろうと考えて人員を減らすしかないでしょうね、とハリマンは渋々と言った表情でサンドイッチを口に入れた。そのまま彼は忙しそうに店を出て行った。昼食を奢っただけで手に入る情報としては上等だ。
『では、そうした人員や機械を日本に連れて行けるよう交渉といきましょうか、ウイリアム』
『君が長居しないように、私も全力で機械の購入と工員の派遣交渉をするとしようか』
『何故長居しないようになんです?』
『良くも悪くも、君がアメリカにいると大きな出来事が起こりすぎだ。私は儲かるが、これ以上予測できないことが起きてほしくないからね』
ウイリアムはリッカービィとも連絡をとっているから、イギリスで王子と会った話も知っている。そのせいでこういう言い回しになるのだろう。こっちは歴史の転換点を知ってるからそれを利用すべく動いているだけなのだが、解せぬ。
♢
アメリカ ハートフォード
コネチカット州のハートフォードに、ウイリアムが交渉して機械を買えることになった会社があった。プラット&ホイットニー商会という名前で、最初はあのホイットニーと関係があるのかと思ったら、本人の会社だった。あの発明家ホイットニーの会社ならこの程度で揺らぐことはないだろうと思ったら、こういう初動の段階で不況を察知できる嗅覚というやつだろうか。ウイリアムが会社に向かう馬車で色々と教えてくれた。
『最初は服飾産業で儲けていましたが、南北戦争で兵器製造を請け負うことで拡大した会社ですな。戦争後は鉄道設備の受注に事業転換をしていた、と』
『で、10月になった今、鉄道不況が確実になったから鉄道用の機械類を一部手放したい、というわけですか』
『ま、そういうことで』
ノーザンパシフィック鉄道は混乱しすぎてウイリアムでもアポがとれなかった。しかし、ウイリアムの動きによって鉄道関連機械を探しているのは業界に認知されていた。そのため、鉄道技師の一部や部品製造業者などがアポをとってきていた。その中で、工作機械も一部売ってくれるということと前世知名度からここを選んだ形だ。
『製品の品質は折り紙付きでしょう』
会社に着くと、彼らは事前に俺を知っていたのか驚くこともなく応接室に通された。ホイットニーの教育か、共同経営者のフランシス・アシュベリー・プラットの教育か。応接室で待っていたのはフランシスの方だった。応接室でこちらを待っていたのは初めてだ。待たされないとは。名刺の交換もスムーズに進んだ。話の主がこちらだとわかっていて、ウイリアムより先に名刺交換を求められたのは久しぶりだった。
『日本はこれから鉄道敷設で大いに盛り上がるでしょう』
『ええ。昨年初めて鉄道が敷設されました』
新橋―横浜間の鉄道が開通したのが電信によると1872年6月。今は事前に準備していた鉄道計画を兄名義で政府に申請中だ。日本にいた当初は改軌問題の発生を防ぐべく海外の鉄道資料の翻訳作業時に標準軌道をお勧めしておいた。しかし、イギリスで話を聞いたら今は軌道が狭い鉄道の技術開発が盛んなため、日本でモレル氏がオススメしていたらしいことがわかってきた。米の輸出によって鉄道予算がそこそこあるおかげで標準軌道で敷設はできたそうだが、当時の状況なんてその時代にいってみないとわからないものだと思ったものだ。
『ならば、うちと縁のある鉄道会社にも恩が売りたくてですな』
鉄道技師や機関車の製造関係者、運転士などのアメリカ人を30人、フィラデルフィア&レディング鉄道とボルチモア&オハイオ鉄道から派遣してくれるという。さらに必要な部品の製造機械もセットだ。
『それ、そちらの儲けは多くないのでは?』
『得意先の経営を助けておくと、不況中も終わった時もわが社との契約を守ってくれますから』
部品の販売だけでなく製造用の工作機械も売ってくれるのは、そもそも俺と契約するために最初からこちら有利な条件を提示したためらしい。企業に体力があるからこそ、今は種まきを大事にしているということだろう。さすがの一言だ。
『株の売買で結構儲けたと聞いていますし、これだけのものを揃えて交渉できる相手はなかなかいないと思いますよ?』
『確かに、とても魅力的ですね』
実はここに来る前に交渉したある会社は部品の輸入などを条件にしてきていた。ある程度継続的にうちから儲けようという魂胆が見え見えだったのだ。それに比べて、フランシス・アシュベリー・プラットはこちらを対等に扱っている。おそらく意図的にだ。外交官として相対した人物以外は、大半がアジア人という枠組みでこちらを見ていた。だが彼はあくまで俺を商売相手として扱う。世界的な発明家の技術開発力がありながらその態度なのはすごいの一言だ。世界企業になるだけのことはある。
『条件面ですが、この技師の従事年数はある程度担保されますでしょうか?』
『技師として7年携わった人物の予定です。他の職務も4年以上経験のある者のみを選んでいます』
『それはありがたいですね。住居はこちらで用意する形で大丈夫でしょうか?』
『できれば横浜に住居を置いて状態で現地に行く形がいいですね』
『契約年数は3年……もよろしいので?』
『ええ。それくらいはかかると思っておりますので。1874年2月から3年で、こちらの状況次第で人員入れ替えありの契約2年ごとの更新ありという形で』
ひとまず3年あればまず敷設したい1本はなんとかなる。最悪その経験で日本人技師を育てればいい。とはいえ、恐慌は結構長引いたはず。
『更新はこちらから要請して、それを受けて各鉄道会社で判断で宜しいでしょうか?』
『その形がいいでしょう。契約の更新時はわが社から各社の人員に聞き取りをし、継続したい人員はそのまま、帰国志望者は入れ替えで』
『そうですね。こちらが強要する形にならないようにお願いします』
最後に相手から握手を求められたのも久しぶりだった。商売ならやはり相手の方が一枚上手だろう。これでも長期的にきちんと儲かっているのだろうから。
とはいえ、こちらもしっかり儲かる形になっている。主要鉄道をこちらで押さえればいいのだから。
1873年恐慌の始まりです。
これを利用してホイットニー一族との関係も間接的に手に入れました。とはいえ一番知名度のあるホイットニー一族ではありませんが。
長らく続いた岩倉使節団編ですが、次話で終わりとなり、また日本に戻る予定です。




