第92話 ロンドン② 感謝のブルドック
おそらく今週が最後の山場なので、来週は普通に投稿できる……はずです。
イギリス オックスフォード
クリケットの間にあるティータイム。偶然手にした縁であるランドルフ・スペンサー・チャーチルとの縁は大事にしたいところだ。
『ここには後でクラブの生徒が挨拶に来る。将来の我らが大英帝国を支えるメンバーだ』
『先輩後輩の話に邪魔ならばその間は席を外させていただきますが』
『実に謙虚だが、構わんよ。立場を弁えていることは称賛したいがね』
一緒に用意されているジャムの載ったクッキーを味わう。紅茶のブランドは知らない。
『日本のライスプディングはとてもいい味になった。奴隷がいなくなった分、料理人の確保は大変になったがね』
『あの米はとても食味が良いので、楽しんでくだされば何よりです』
『パンより安いと一部の市民が主食代わりにしているとも聞いたぞ』
現在、ロンドン市場に販売されている『いわてっこ』の価格は12kgで4シリング。これは1日3合のお米を食べるのと同額だ。輸送費もかかってこの金額になる。ロンドンの一般労働者が1カ月4ポンドの収入で月のパン代が6シリングくらい。そのため貧困気味の労働者の間では米を煮る方が安いと評判なのだ。日本式の炊く米はあまりなく、おかゆで食べるのが一般的らしい。このあたりは久米殿が調査した内容で、同行しているリッカービィの使用人も食べているらしい。
『まぁ、手間がかかるから時間はあるが金のない老人などの食事らしいが、ライスプディングに使われるものはもう少し高い物だと聞く』
『米粒が崩れている物はおかゆにしやすいから安めですね』
まぁ、どうであれ需要が増えれば日本の収支には悪くないのだ。米の輸出が多少増えてもイギリスから艦船を買ったり機械類を買ったりしていて貿易赤字状態は変わらない。本来の日本より国内の資金が潤沢になるという効果は生みだしているだろう。
そんな話と共に、アメリカで誰に会ったという話をする。アメリカの有力者の話では内務大臣のコンバス・デラノ氏と話したことを伝えると、少し興味を持たれた。
『ほう。内務大臣の名刺を』
『ええ。使節の一員ということで、学者の紹介などもしていただきました』
そのまま流れで名刺を渡した。チャーチル氏は名刺を持っていなかった。内務大臣の名刺を見せると、何度か頷いていた。
『そうか。政治家になるなら名刺が必要か』
『一応国の代表なので、使節は全員持っておりますね』
そんな話をしていたら、ブリンドンクラブのメンバーらしき長身の青年が挨拶に来た。
『ランドルフ先輩、お久しぶりです。ご挨拶が遅くなりました』
『あぁ、ウォルターか。体調はどうだ?』
『試合には出られませんが、応援はできます』
『それは良かった』
『えっと、そちらは……』
『あぁ、彼は日本から来ている外交官の1人だ。これでもアメリカの国務長官や内務大臣とも話した日本の若手のホープだ』
『なんと、日本の外交官ですか』
最初はすごく困った様子だった青年は、俺について説明を受けると驚いた様子でこちらを見てきた。
『ウォルター・ヒューム・ロングと言います。父は前国会議員です』
『原敬と申します。妻が日本の南部侯爵の娘でして』
『ほう。かなりの名家なのですね』
『ただ、自分はその家宰の一族ですので、日本では郷紳です』
『郷紳の身で主家と姻戚を結び、しかもその若さで既に外交官というのは期待されているのでしょう』
この説明はアメリカでも結構話を円滑に進める上で役立った。外国とはいえ貴族に近い立場であれば相手もある程度きちんとした態度になる。
そのまま名刺を渡し、今度ロンドン滞在中に寺島宗則駐英公使を紹介することを約束した。
有意義ではあったが凄まじい著名人に会って疲れた俺は、次のティータイムを待たずに帰宅した。
リッカービィは終始緊張していた俺を楽しそうに見ていた。
『私もいい縁をもらえたし、試合より面白い物も見れて良かったよ』
『それは良かったですね!』
まぁ得るものは大きかった。それは感謝しよう。
♢
イギリス ロンドン
8月。ロンドンで行われるチェスの世界大会の見学に来た。招待状のおかげでスムーズに中に入れたので、招待席で林董殿と話をしながら試合を観戦する。ルールは何度か実際にやって教えてある。
「これはフランス代表が勝ちみたいですね」
「特に説明などがないのでわかりにくいですが、一部の観客が喜んでいるのは良くわかりますな」
国の代表同士の戦いだからか、その国の人らしき人物はかなり熱の入った応援をしているのがわかる。
「次が注目のイギリス代表ジョセフ・ヘンリー・ブラックバーンの第二試合ですね」
「相手はロシア代表のヨハネス・ズケルトルト選手に勝利したオーストリアの選手みたいです」
国旗が掲げられているので国が分かりやすいのがいいところだ。選手リストをもらったが、どうやらヴィルヘルム・シュタイニッツという人物らしい。ちなみに、イギリス代表の第一試合はドイツ代表だった。5,6年前までは世界チャンピオンと言えばこの人という人物で、アドルフ・アンデルセンというらしい。だが、そんな元世界チャンピオンをジョセフは倒したわけだ。
注目していると、最初はさくさくと進んでいく。しかし、軽快な手つきのイギリス代表ジョセフに対し、少しずつ手が止まりながら打っていくヴィルヘルム。これはイギリス代表のジョセフが有利かと思っていたら、ヴィルヘルムが突然前のめりになって数手を進めた。あっという間に顔色が変わるジョセフ。
「これ、2人の表情を見る限り」
「そうですね、イギリス代表が苦しそうです」
しばらくすると、イギリス代表が握手を求めた。どうやら負けたらしい。
「世界チャンピオンになれそうという話でしたが、厳しいですね」
「国の代表が揃っているとなると、それも仕方ないでしょうね」
そんな話をしながら反るように背筋を伸ばすと、いくつか後ろの席を立ちあがった青年と目が合った。
『おや、ランドルフと話をしていた日本人じゃないか』
レオポルド王子だった。イギリスのチェス協会の会長だから、予定通りここに来ていた。慌てて立ちあがり、一礼する。
『あぁ、もう帰るから気にせず楽しんでくれたまえ。そのうち日本にもチェス協会をつくって公使館に連絡を入れておいてもらえると助かるよ』
王子はそう言ってその場を後にした。予定よりは話せなかった(もう少し勝ち上がってくれて、ご機嫌なところを狙うつもりだったのに)が、どうやら顔は覚えられていたようだ。チャーチル父には感謝してもしきれない。
董殿に王子だと話すと、驚かれた。
「まさか王子に顔を覚えられているとは、流石敬殿だ」
いや、これは完全にチャーチルのおかげなのだ。ブルドックを日本に連れ帰って感謝しながら飼うことにしよう。
チャーチル父とチェスを通じて王子に顔を覚えられました。
このあたりは主人公の想定以上の成果になっています。
チェス大会の出場者については、今回の雰囲気づくりのために名前を出しています。実在人物ですが今後名前が出ることはまずありません。




