第91話 ロンドン①&オックスフォード 衰退する食文化とブルドッグの父
来週まで仕事が忙しいので投稿が遅れがちになります。申し訳ございません。
2月に別作品の漫画版2巻が発売になるので、良ければご覧になってください。
イギリス ロンドン
ロンドンまで蒸気機関車で移動し、外相のグランヴィル卿の自宅で使節の主要メンバーは食事会となった。外務書記官は7割が滞在しているバッキンガム・パレス・ホテルに待機となった。大蔵の書記官は若手の大蔵卿委員と会合だし、他も似たような会合がいくつか開催されている。
外務だけが、トップ会談できたがために暇になるという不思議な状況だ。
林董殿もメンバーからは漏れており、暇そうにしていた。もうすぐ夕方だが食事はホテルの中か外で、という状況だ。
「敬殿、せっかくだから外でイギリス人の食事を見てみないか?」
「断固拒否しますね」
意外そうな顔をされる。だって現在進行形で食事がまずくなっている最中なのだから。イギリスの食事がまずくなるのは19世紀前半の奴隷解放からだ。そこから貴族階級で食事を用意する奴隷がいなくなり、肉や野菜を生産する現場の人件費が高騰して食費が上昇していった。
「しかし、現地の食事も知る必要はあるのではないかね?」
「イギリス人は昼食をしっかり食べる分、夕食は軽めでお酒を飲む文化なのですよね」
「あぁ、敬殿はお酒飲みませんでしたね、そういえば」
自分的に未成年だから酒は手を出していないのだ。体の成長に毒と言って乾杯以外は口にしないようにしている。
「しかし、昼に食べたあの肉料理、あれは美味しかったですな」
「ローストビーフですね。ああいうのが今後も残ればいいのですが」
他にも、ウスターソースを使う料理は楽しめた。このあたりが最終防衛線なのだろうか。
「デザートに出た料理は米なのに甘かったので驚きました」
「ライスプディングって名前ですが、あれが日本の輸出品ですよ」
「奥羽の米がこうしてイギリスで食べられているというのは、不思議なものですなぁ」
日本の米はイギリスの物価で考えれば安く、提供するホテルも増加傾向のためデザート文化がしっかり根付いているようだ。
「まぁ、とにかく食べたければホテル内で食べた方がいいですよ」
「そうか。どちらかと言えば酒が飲みたいので、少し外で飲んでくるとしよう」
そういえばイギリスのお酒って何が美味しいのだろうか。ローマ帝国の伝統的にワイン?シャンパン?さすがに知らない。
先に寝たので次の日に董殿に聞いたら、ジンやエールビールを飲んだそうだ。そうか、ジンか。二日酔いで苦しむ董殿に朝食のスープを飲ませつつ、今後日本酒の輸出はできるのか考えていた。
♢
2日後。地震学者のロバート・マレット氏と会う日が来た。アメリカで紹介されたおかげで『日本の地震に詳しい専門家』扱いされかけたが、あくまで教わる立場として会うことになった。
『確かに、ナポリの地震でも、大きな揺れの前に小さな揺れがあったとの証言を確認しています』
『この微弱な揺れを予備地震、大きな揺れを本地震と日本では呼びます』
正確には呼んでいることにしている、だけれど。
『この予備地震は必ずあると?』
『いえ、地震の揺れの元である震源が近ければ近いほど、2つの揺れは同じタイミングで来ます』
『とすると2つの揺れは速さが違うと?』
『はい。予備地震は速く、その分弱い。本地震は遅く、しかし強いです』
『やはり貴方は日本の地震学の専門家なのでは?』
別に地震学の権威になる気はないんですけれど。
『そうした地震にも耐えられる建物が造りたいのですが』
『ふーむ、困りましたな』
マレット教授曰く、耐震の建造物という概念はあまりないらしい。
『頑丈な、それこそ大砲に耐えうる建造物というのは難しいというのが現在の我々の考え方ですな』
『でも、コンクリートの建物は大砲でも完全には壊れませんし』
『そういう意味では、分厚いコンクリートで覆うことですが、地震は地盤が揺れるので、建物の重さでかえって建物を壊すことがわかっています』
ナポリ地震ではそういう事例もあったそうだ。高層の建物が自重で崩壊したらしい。
『建物が形を保てるようになる研究、という意味では、フランスの建築家でジョゼフ・モニエという男が面白いことをしています』
『面白いこと?』
『コンクリートに鉄の金網を入れて強度を高めた物を造っています。コンクリートの植木鉢は重いので、軽くて丈夫にするための物ですが』
おそらくそれが鉄筋コンクリートの始まりだ。
『その方にぜひお会いしたいですね』
『パリ万博で出品した後、今は金網を入れた橋を建設中だったかな』
ロンドンの学会経由で紹介状をもらうことに成功した。モニエは特許も取得しているそうなので、紹介状を使って特許の利用許可をもらうことにしよう。
兄も建築は専門外だ。強度計算とかできれば関東大震災に耐えられる建物は造れそうだが、モニエはそういったことはしていないらしい。そのため、地震学の専門家であるマレット教授からは「面白い物を造っている」程度の認識になるらしい。
まぁ、そういう部分まで手が届くのはもう少し技術が進んでからになるだろうから、今は鉄筋コンクリートという技術が日本で使えるようになれば良しとするべきか。
♢
イギリス オックスフォード
ロンドンでの市長訪問やブライトンでの博物館見学など公務が続く正使の5人と随行員と違い、比較的自由に動けるのが書記官のいいところだ。
パークス公使はこちらに参加しないかと誘ってくれたが、それ以上に魅力的な誘いがあったので今回はオックスフォードにやってきた。
チャールズ・リッカービィに案内され、オックスフォード大学の敷地内に足を踏み入れる。
『ここがあの有名なオックスフォードですか』
『さすがのタカシでも、ここは驚くんだね』
『世界最高峰の知が集まる場所ですからね』
『そうだ。こここそが大英帝国の未来を担う若者が集う場所さ』
ロンドンから鉄道で数時間。オックスフォード大学の敷地内で、目当てのものが今日見られる。
『クリケットをタカシが知っていて良かったよ』
『ルールは詳しくありませんが、世界的スポーツですから』
正直、オックスフォード大学内のクリケットの試合に興味があるわけではない。そこに参加する人物に興味があったのだ。
『今日はレオポルド王子が見学しますし、卒業生も何人か応援に来るようです』
『楽しみです』
ヴィクトリア女王の末子であるレオポルド王子は試合を行うブリンドンクラブのメンバーだそうだが、病弱なため試合には出ないそうだ。ブリンドンクラブはクリケットと競馬のクラブらしく、王子は馬を育てているらしい。
会場に着くと、王子の周辺は護衛も含め人だかりだった。まぁ、当然か。遠目で眺めれば十分だろう。それに、王子はオックスフォードのチェスクラブの会長だそうだ。今度8月に開かれるチェスの世界大会にも顔を出すらしいし、その時にお近づきになってこれも話題にできればいいから来たんだ。
少し試合を眺めていると、1人の立派なカイゼルひげを蓄えた少し年上くらいの男性が山高帽と杖といういかにもジェントリかそれ以上の階級という人物が近づいてきて、リッカービィに話しかけた。
『護衛に清国人かね?』
『いえいえ、彼は日本の外交官ですよ、サー』
『残念ながらまだサーではないのさ、貴殿は?』
『ただの新聞社社長でございます』
『そうか。日本人がクリケットを知っていたとはな』
『日本国外務書記官の原敬と申します。日本最初のテニスコート設立にも携わりました。日本にスポーツを広めたく』
丁寧に一礼すると、少し驚いた表情を見せる紳士。
『成程、日本にはそれなりの外交官が育っているらしい』
『お褒めに預かり感謝します。何とお呼びすれば?』
『ランドルフだ。ランドルフ・スペンサーという』
は?
『もしや、チャーチル様の』
『ほう、外交官は我が国の貴族まで勉強しているのか。若いのに優秀だ』
チャーチルの父親に会えるとは。これはすごい縁にできるかも。
『もうそろそろティータイムか。面白い。普通は許さないが、我が家を知っていた勤勉さに免じて、同じテーブルに座ることを許そう』
ブルドック=ウィストン・チャーチルのことです。彼の父親含め、オックスフォードのブリンドンクラブは現在も著名人の宝庫です。会員数も限定されています。ディヴィット・キャメロン元首相やボリス・ジョンソン元首相もこのクラブ出身です。
クリケットは試合時間が長いため、2時間に1回ティータイム休憩が入ります。最後の会話はそのティータイムのことです。




