第80話 サンフランシスコ① 郷に入っては郷に従え
今話からアメリカ編に入ります。
ジャップという表現に差別的意味が加わるのはもっと後の時代という点もあり、本文ではそのまま表現しています。不快に感じる方いたら申し訳ございません。
アメリカ サンフランシスコ
ゴールデンゲートを通過する。自分の記憶ではここに橋がかかっていたが、この時代では存在しないらしい。
そのまま港に入り、桟橋でアメリカの歓迎を受けた。岩倉卿は紋付袴で髷姿。他の使節はざんぎり頭にスーツという不思議な違いがあった。留学生も軒並みスーツや洋装なので、岩倉卿の浮きっぷりが尋常ではない。女性陣は日傘をさしながら港に降り立った。麻子様をエスコートしつつ、全体の半分より後ろくらいでアメリカの大地に足を踏み入れた。
「ありがとう、旦那様」
「大丈夫ですか?」
「少し不思議。なんとなく、匂いが違う」
周りに人がいるからか、麻子様の口調が昔のように少し硬くなっているのを感じる。
「まぁ、潮風の匂いが濃いですからわかりにくいですが、違う大陸ですからね」
日本から約8000km。視界に入る建物の雰囲気も違えば見渡す範囲にいる人間も違う。白人・黒人という日本ではめったに見ない人々が歓迎ムードで並んでいる。明確に偉そうな人物が岩倉卿らと挨拶していた。そして、アメリカ人の列から少し離れたところに、森有礼殿ら在米日本公使館の人員が並んでいた。話せる距離ではなかったが、こちらに気づいた森殿がわずかに手をあげて小さく手を振っていた。気づいているのが周囲で自分だけのようだったので、軽く手を振って返しておく。
「旦那様、今女性に手を振りました?」
「いや、森殿ですよ」
「あぁ、公使の」
「あちらで手を振ってくださったので」
「そうですか」
ぶっちゃけ、並んでいる中に女性はほとんどいない。まだまだ女性の政治家もいないだろうし、誰か偉い人の夫人とか娘だろう。
大使随行員の内海忠勝殿がこちらにやってくる。
「女性陣はこちらへ。この後、ホテルに向かいますので」
麻子様は少しこちらを見た後、他の女性陣と一緒に動き出した。足取りは重い。あまり表情に出さないけれど、不安そうな目だった。正姫様もそちらに歩き始めると、内海殿が慌ててそれを止めた。
「あ、正姫様と麻子さんはご夫婦で、一緒にいてほしいと」
倍くらいの速さで戻ってくると、俺の後ろに隠れるような位置に立つ。背中側のスーツの端を右手で引っ張っているのを感じた。
「慣れない場所で少し怖いですか?」
小声で聞いてみると、
「いじくさり」
と言って俺に顔が見えないようにされた。まぁ、男性陣でさえ驚いているかそわそわと浮足立っているかだ。麻子様が不安に思うのも無理はない。
隣にいた松方正義の甥である松方蘇介殿がきょろきょろしながら小さく声をかけてきた。
「敬殿、ようこれだけ異人に囲まれて平然としていられますな」
そう言われると、確かに周囲はアメリカ人だらけだ。ここに来たメンバーといえども、外国人に囲まれたことはないのだろう。前世のこともあって気にしていなかった。しかもその直後に歓迎の空砲まで発射される。入港時も事前に説明を受けた上でこの空砲はあったが、間近でやられると大半の人間は腰を抜かす。
ただ、自衛隊の演習を前世で一度だけ見に行ったことのある自分にとってはそこまで驚くことじゃない。
「アメリカ人とも仕事をしておりますから。見慣れました」
「はー、やはり貴殿は違いますなぁ。叔父上が事前に名を覚えておけと申されるのも合点がいきまする」
その後も少しだけ何か岩倉卿の周辺でやっていたが、離れていた自分の場所からはあまりよくわからず。とりあえずホテルへ移動となって、ぞろぞろと動き出した。
麻子様はいつもよりやや密着するかんじで、ホテルまでの移動時も俺から離れることはなかった。
♢
今日泊まるグランドホテルを貸切にしていたらしく、その日の夜は歓迎のパーティーとなった。こういう場では書記官としてではなく、洋風の習慣が身についたアメリカ向けの模範的日本人夫婦という役回りが俺と麻子様には与えられている。そのため、夫婦でパーティーに参加している要人とも結構挨拶させてもらえた。
『私の名前はルーシャス・ハーウッド・フットと言います。カリフォルニア州の州兵司令官です。若いのに夫婦でこちらに来られるとは、勇気がありますね』
『ありがとうございます。私は原敬です。外務省の三等書記官を務めております。こちらは妻の麻子です』
こちらが英語で返したのに驚いた様子のフット氏。これまで通訳をしていたアメリカ人も驚いている。そばにいた外務少輔の山口尚芳殿がしてやったりという表情になる。
『英語が話せるんですね』
『はい。日本で在日外国人向けに英語新聞を発行しております』
『なんと……お若いのに大したものだ』
英字で名前を印刷した名刺も渡す。こんなもの用意しているとは思うまい。フット氏はかなり慌てた様子で予備の名刺を部下に取りに行かせていた。
そのままフット氏の横にいたローズ夫人も紹介された。指輪を褒められて麻子様はあまり表情には出さないが嬉しそうだった。日本らしいものも持ってこようということで持参していた扇子をローズ夫人が気に入っていたため、複数持ちこんでいた中の1つをお土産代わりにプレゼントした。フット氏も喜んでいた。
想定していなかった人脈も生まれるなら大歓迎だ。俺は麻子様と練習していた社交ダンスもアメリカ人に交じって披露した。俺は前世でほとんど経験がなかったので、これについては日本にいる新聞の顧客であるイギリス人に教わった。船旅中も運動不足にならないために何度か2人で練習しており、池田徳澄様と正姫様にもレッスンをした。2人はややぎこちないがきちんと踊れており、森有礼殿など8人ほどダンスに参加できたので良かった。
パーティーが終わった後、山口殿が部屋まで訪ねてきた。
「初日としては最高だったよ。明日はサンフランシスコ市長が来る祝賀パーティーだ。こちらも君たちが頼りだからね。頼んだよ」
「頑張ります」
「早めに根回しできたおかげで、州選出の上院議員と下院議員も明日は来れるそうだ。よろしく頼むよ」
「あ、はい」
まぁ、政治家の知り合いが増えるのはいいことだ。超がつく有名人でなくても、その政治家から有名な政治家にたどり着くことだってある。岩倉卿の通訳は担当しないが、司法理事官の翻訳や会談内容の筆記などを担当する。その中でも人脈は作れるはずだ。
♢
翌日。朝食のベーコンエッグなどに戸惑う留学生は皆無。ナイフやフォークの使い方は船中で講座を開いていたので、岩倉卿も慣れないなりにマナーを守って食べていた。食事後にトイレに行った後、黒人のドアマンとウェイターが話している声が聞こえた。
『清人の労働者共と違って食べ方も普通だ。ジャップは連中とは違うらしい』
『苦力はみんな同じ麦藁帽で上半身裸だから気味が悪い。しかも自分たちの国の料理しか食べないし』
苦力は清から連れてこられた労働者だ。奴隷に近い扱いを受けているが、彼らは自分たちの文化をあまり手放さない。日本人的な考えである「郷に入っては郷に従え」ではなく、現地に自分たちの生活環境を生み出すタイプだ。中華街はそうして出来上がる。その結果、この時代はアメリカ人に異質な存在と見られていた。実際、10年後には中国人労働者を規制する法がアメリカで成立する。
『少なくとも、清人よりはジャップの方がいい仕事が出来そうだ』
『何人かはチップもくれたぜ。きちんとわかってるみたいだ』
『なんてこった!彼らはホテルから外に出ないってのに!』
『その分ホールの暖炉をきれいにして、チップを入れやすくしておけよ』
『いい匂いがしても金は増えないんだよ、ちっ』
まぁ、珍獣扱いなのは仕方ないにしても、こうして使節団のみんなが事前に伝えていた情報を活用しているのはうれしい限りだ。人間の印象は第一印象が大きく影響する。この使節団の作る印象は今後の日本人の印象にも大きく影響を与えるはずなのだ。
ちなみに、部屋のルームサービスをする人向けに5セント前後を置いておくといいと伝えてある。チップ文化は日本に必要かはわからないが、少なくともこの時代の黒人労働者との関係を良好に保つのに必要な一手だろう。
ルーシャス・ハーウッド・フットは10年後に朝鮮とアメリカの問題で再登場します。
それ以外にも出てくる人は少しずつ今後の対日関係に関わってきます。
岩倉使節団の面々はマナー面など色々と訓練済みです。第一印象は大事。
チップの文化が生まれたのは南北戦争以後ですが、この頃にはある程度広まっているだろうという推測のもと描写しています。




